8 始まらない会議 その3
騎士団の副団長。
それは星灯騎士団に在籍する者にとって、最も恐れるべき存在である。
「時間前に集合している点は、大変よろしい。皆さん学習されたようで何よりです。ただし、品のない会話を垂れ流して、頭の悪さを露呈するのはどうかと思いますよ。挙句の果てに我らが偉大な団長の陰口ですか。嘆かわしいことですねぇ」
ジュリアン・フレーミン様。二十三歳。
現在宰相を務める公爵閣下の甥で、騎士団にとってなくてはならぬ人物である。星灯騎士団の創設から運営まで深くかかわり、その頭脳と実務能力で歴史上例を見ない特殊な組織を見事にまとめ上げている。
一つに束ねた若草色の長い髪と、優しい光が宿る同色の瞳。騎士にしては細身で、まるで聖職者のような神々しい雰囲気を纏っているが、笑った時にちらりと見える犬歯が全ての印象を裏切る。
エンカラは緑。治癒と祝福が得意な魔術系の騎士で、アステル団長の代わりに騎士団全体の指揮を執ることもしばしば。
使い魔討伐の度に戦功を授与されるべき活躍をしているのだが、「自分よりも命懸けで最前線にいる者に差し上げてください」といつも辞退している。
一見して、穏和で紳士的、優雅で知的な男性だ。控えめで謙虚にも見える。
しかし彼には二面性があって油断できない。和やかな声音で毒を吐き、心を抉って周囲を恐怖に陥れる。
特に、アステル団長が一緒にいない時は要注意である。彼を御せる者がいなくなってしまう。
『いつもお世話になっています! しごでき! 騎士団創設の立役者! 全騎士の保護者! 団長のトップファンの座は渡さない! 聖なるマウンティング・セージ!』
メリィちゃんのノートを見る限り、彼の裏の顔はファンには伝わっていないようだった。
唯一、アステル団長を神のごとく崇拝しており、よく団長推しの姫君にマウントを取って火花を散らすことが書かれている程度だ。団長のガチ恋勢以外には、微笑ましい要素として受け入れられるようで歯がゆく思う。バルタさんよりもずっと暴君なんだけど……。
ジュリアン様に関して、下位騎士の間でまことしやかにささやかれている噂がある。彼は対象の好き嫌いで治癒魔術の質を変えるため、嫌われるとちゃんと治療してもらえないらしい。
みんな痛いのは嫌なので、ジュリアン様には逆らえなくなってしまった。とんでもない恐怖政治である。
「ちょっと待った! 団長の悪口を言っていたのはトーラだけだって!」
「同じ空気を吸っていた者は同罪です」
「理不尽過ぎない!?」
リナルドさんの悲鳴が虚しく響く。
「最初からここでの会話を聞いていたってわけか。相変わらず悪趣味な野郎だな」
「隣の部屋で執務をしていて、偶然聞こえてしまっただけですよ。私はあなたのように暇ではないんです。ご存知でしょう?」
「知るかよ。どうでもいい」
「これは失礼。本当、あなたには関係ない話でした。剣を振るしか芸がないですもんねぇ」
「あ? なんだって?」
「そのくせ毎回無駄に怪我をして……私の治癒魔術をもってしても、死に急ぎの馬鹿は治してあげられなくて、いつも申し訳なく思います」
「てめぇ、好き勝手言いやがって! いつも治療の時、痛み止めの魔術を一番最後に使う奴の方が馬鹿だろ!」
「わざとですが何か?」
トーラさんとジュリアン様が睨み合って、一発触発のピリピリとした空気が流れる。この二人の仲がすこぶる悪いという噂もあったが、見ての通り真実だった。
「おい、ジュリアン。もう開始時刻みてぇだが、全員揃ってねぇぞ。アステルはどうした?」
見かねてバルタさんが声をかける。
確かに、未だにアステル団長の姿がない。彼がいてくれれば、この会議室の不穏な空気を跡形もなく吹き飛ばしてくれるだろうに。
「今しがた先触れが届きました。城の廊下で女王陛下に呼び止められ、話が盛り上がってしまったらしく、少々遅くなるそうです」
「……あのマザコン王子が」
「なんと無礼な!」
トーラさんの呟きに、またジュリアン様の目つきが鋭くなる。
「はは、まぁまぁ、ご両人。新人の前で醜い喧嘩をするんじゃないよ。ネロが不安がってるじゃないか」
リナルドさんが俺を引き合いに出して険悪な空気を誤魔化そうとした。やめてほしいが、抗議する勇気が俺にはない。
ジュリアン様は鬱陶しそうにため息を吐く。
「そうですねぇ……ネロ・スピリオくん。こちらへ」
「はいっ」
恐る恐るジュリアン様の傍らに寄る。
すると、いきなり俺の顎をすくうように指先を添えられた。驚いている間に、もう片方の手で、前髪を躊躇なくあげられてしまう。
「ふむ。相変わらず田舎の狩人とは思えぬ顔面偏差値。ご両親に感謝なさい。だいぶ野暮ったさも薄らいできましたし、命じたスキンケアも続けているようで。髪を切ればこの陰気さもマシになると思いますが、まぁ、あなたがこれ以上目立ってもねぇ。……よろしい。本日アステル様に侍ることを許しましょう」
手を離されるまで、俺は呼吸を止めていた。
眼前にジュリアン様の顔があって寿命が縮んだ。恥も外聞も捨てられるなら、泣いていただろう。とても怖かった。
無性にメリィちゃんに会いたくなる。なぜかはしゃぐ彼女の顔が浮かんだ。こんな形で喜ばせたくないんだけど……。
「今の、なんの時間だったの?」
ミューマさんが首を傾げた。
「顔審査です。入団したことで増長して、美しさを損ねる輩が一定数いるのでね。使い魔の弱点や姫君の好感度以前に、アステル様の配下たる者、見目麗しくなくては」
ジュリアン様は、入団試験の面接官も務めている。顔審査は二回目だ。ボロクソに言われた前回よりはマシな評価だった。そのせいで俺はジュリアン様に苦手意識があるのかもしれない。
武芸に秀でた美男子、という条件がある限り、容姿には気を配り続けなければならない。入団した頃は心労で肌荒れしていた時期ということもあり、いろいろと厳しく指導を受けた。生まれて初めて化粧水と保湿クリームを塗った時、ものすごく贅沢なことをしていると恐れ戦いたものだ。地元では飲み水にすら金を払ったことがなかったのに……。
ミューマさんとリナルドさんが手招きしてくれたおかげで、俺は会議室の角に戻ることができた。陰気と言われてもいい。俺は隅で大人しくしていたい。
「時間は有限です。アステル様がいらっしゃるまで、私から皆さんへの諸注意をお伝えします」
円卓に着いたトップ騎士たちが、みんな一斉に嫌な顔をした。
「まずミューマ、また研究所の設備を壊しましたね」
「だって魔力が安定しないんだ。成長期なんだから仕方なくない?」
「いつまでも子ども扱いしてもらえると思ったら大間違いです。どうせ好奇心から無茶な実験をしたんでしょう? スポンサーたちにさらなる出資を募れるような魔術の開発を優先するように」
「……はーい」
ミューマさんが面倒くさそうにため息を吐いた。
金に関することは、やっぱり生々しいな。それにミューマさんも意外とやらかしているらしい。
「次にリナルド。寿退団した元同僚の結婚式で号泣しながら歌ったそうですね」
「うっ、いや、わざとじゃないんだよ。俺とあいつで何が違うんだと考えていたら負のループに陥って――」
「みっともないのでやめなさい。以上」
「もっと話聞いて!」
リナルドさんは唸り声をあげて机に倒れ込んだ。
ああ、この場に毛布があったら覆い隠してあげられるのに。
「次、バルタ。連日歓楽街で飲み歩いていると目撃情報がありました」
「おう、何か悪いのか?」
「店の女性があなたに懸想して、仕事をしなくなったと数件苦情が入っています。極力家で飲みなさい」
「それがよ、知らない女が勝手に上がり込んできて、帰れなくなったんだ」
「また特定されたんですか? お願いですから警備が厳重な貴族街に引っ越してください」
「嫌だね。あの綺麗に整った街並みは肌に合わねぇ」
バルタさんに対しては、ジュリアン様が折れて、また平民街に新居を用意するということで話がまとまった。強い。
「最後にトーラ……ファンへの対応は酷いものですが、最近はクレームも入らなくなりました。生活態度に関しても問題ありません。これからもアステル様のために、身を粉にして働きなさい」
「一言余計だ。俺は俺のために戦う」
トーラさんだけは特にお咎めなしか。勘違いされやすい言動をしているけれど、根は真面目でしっかりした人なのだろう。さすがだ。
……いや、トーラさんが普通で、他がおかしいような気がする。ジュリアン様が母親みたいになっている。
トップ騎士たちに抱いていた朧気な印象が、たった数分で様変わりしてしまった。メリィちゃんのノートに記されていたファン目線の印象とも違う。
俺はこの場にいてよかったんだろうか。口封じに脅されないかとても心配だ。
「あーあ、俺たちばっかり傷ついてずるい。ジュリアンは何かないのかい? 失敗談とか苦労話」
「残念ながら、お話しできるようなものは何も。あなたたちとは違うので」
余裕の笑みを浮かべるジュリアン様。
リナルドさんが口をとがらせ、トーラさんを見る。
「こいつがダメになるのはアステル絡みの時だけだな。それが十分気持ち悪いだろ。家族でもなんでもねぇのに」
「私からすれば、トーラの態度の方が信じがたいですよ。生まれた時からあの御方のそばにいて、よく脳を焼かれずに生きていられますね? 宙から舞い降りた完全無欠の綺羅星様ですよ。いい加減負けを認めて跪いたらどうですか?」
「ほら、気持ち悪い」
会議室には微妙な空気が流れた。否定も肯定もできない。
「まぁ、アステルがすごいっていうのは分かるよ。強いし格好良いし勉強もできるし、ファンへの対応も完璧だし、みんなに気を配れるし、いつでも前向きだし、誰からも好かれてる。家族愛が強すぎるのだって、どちらかと言えば良いことだよね。欠点が見当たらないよ」
ミューマさんの言葉には、トーラさん以外の全員がすんなりと頷いた。特にジュリアン様は何度も深く頷いている。
アステル団長のことは俺も心の底から敬愛している。同じ気持ちで嬉しい。
リナルドさんは切なげにため息を吐いた。
「そうだな。アステルには誰よりも幸せになってほしい。けど、生涯現役で騎士を続けるんだろう? 結婚できないじゃないか……」
「幸せ=結婚で考えるクセをやめろ」
バルタさんの冷静な突っ込みに、また会議室に微妙な空気が流れた。
随分前からアステル団長は『俺は生涯現役! 誰とも結婚しないから!』と公言している。その言葉に姫君たちは救われたり悶えたりしているらしい。
「その問題に関しては、ええ、私も危惧しています。結婚はともかく、子を儲けるつもりもないようで……あの素晴らしい遺伝子を後世に残せないなんて、王国にとって、いえ、世界にとって大いなる損失です! 男の子でも女の子でも絶対可愛いのに!」
あまりの取り乱しように、俺も少しジュリアン様のことを気持ち悪いと思ってしまった。
「落ち着けや。アステルはまだ若いし立場もある。けどよ、本気で惚れた女に出会ったら、また考えも変わるだろうぜ」
「そうだといいのですが、恐ろしいことに、アステル様は最近……ああっ、なんということでしょう!」
大げさな動作で嘆くジュリアン様に、トーラ様まで訝しげに首を傾げた。
「子犬を飼い始めたんですっ。城の倉庫番の飼い犬の子を譲り受けて、我が子のように溺愛してるんですよ!」
「……い、犬を」
動揺が伝播して静まり返る会議室。
なんだか取り返しのつかない瞬間に遭遇したような気分になって、俺の胸もちくりと痛んだ。どうしてだろう。微笑ましいニュースのはずなのに、話の流れが悪かったせいかな。
全員が次の言葉を探していたその時、扉が勢いよく開いた。
「ごめん! 遅くなった! 母上に次のイベントのアイディアをもらったんだ。後で相談させてくれ」
会議室に飛び込んできたアステル団長は、乱れた団服をさっと直し、一番奥の椅子に颯爽と腰掛けた。
「ん? みんな、どうした? 変な空気だな」
「いや、アステルが犬を飼い始めたって聞いたから……」
アステル団長はぱぁっと瞳を輝かせた。眩しい!
「そうなんだ! コロコロでふわふわ! 俺の後をトコトコって追いかけてきてさ、めちゃくちゃ可愛いんだ! 見たい? 今度本部に連れてくる!」
多忙なはずなのに疲れを全く感じさせないキラキラの笑顔。アステル団長が幸せそうで良かった。もうそれ以外の感情は要らない。
最終的に、会議室に優しい空気が流れた。
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