54 エナと推し騎士 後編
書籍版に合わせてタイトルを変更いたしました。
よろしくお願いいたします。
会場中がアステル様に賛辞と祝福の声を贈っている。
かっこいい、おめでとうございます、大好きです――。
わたしはその全てに同意しつつも、どれも声に出せなかった。それどころか無意識のうちに口を両手で覆ってしまっている。
アステル様のあまりの尊さに、意味不明な言葉を口走りそうで怖い。というか、魂が今世に満足して口から旅立っていきそう。
体が自己防衛をしている。
「エナちゃん、大丈夫ですかっ?」
大歓声に紛れて聞き取りづらかったけど、多分メリィにそう確認された。
わたしは二回頷きを返す。
く、気を確かに持つのよ、わたし。
イベントに参加できる機会なんて滅多にない。
伝説級に麗しい推し騎士様をしかと目に焼き付けないと……。
「ありがとう! こんなに熱烈に祝ってもらえるなんて、俺は幸せ者だな」
わたしとメリィは広い講堂の中央列の一番右端の席にいた。
王子様を出迎えるとあって座ったままの国民はほとんどいなくて、スタンディング状態だけど。
席は先着順で入場した人から選ぶことができたのに、わたしたちは前方の席や真ん中の席をあえて選ばなかった。
わたしの背が高いせいで、真後ろの観客の視界を完全に遮る可能性があったから。
ああ、でも、こんなことなら中腰を余儀なくされてでももっと前の席を確保すればよかった!
アステル様の御姿をもっとよく見たい!
「やっぱりこの会場は学生が多いな。今日から夏季休暇? 普段頑張ってるなら存分に遊んで、最近怠けてしまっているなら少しだけでも頑張ろう。約束!」
「はーい!!!」
疲れも陰りも感じさせない満面の笑顔でアステル様が会場中に視線を巡らせ、手を振ってくださっている。
目が合ったとはしゃぐ者もいる一方、わたしは咄嗟に身をかがめて、前の席の人の陰に隠れた。
「…………」
違うの。背の高さなんてただの言い訳。
本当は怖くて前方席を選べなかったのよ。
万が一にも今アステル様と目が合ってしまったら、わたし……。
「はは、この会場もすごい熱気だな。みんな暑くないか? ちょっと待っていてくれ」
アステル様が舞台袖に合図を送ると、また会場に歓声が上がった。
「お呼びでしょうか、アステル様」
「悪い、ジュリアン。アレを頼む」
「かしこまりました」
星灯騎士団の副団長であるジュリアン・フレーミン様が登壇されて、アステル様に恭しく礼をしてから観客席に視線を向けた。
短い詠唱の後、講堂中に冷たい風が吹く。わぁ、涼しいー。
初級魔術レベルの心得しかないわたしにもジュリアン様のすごさは理解できる。
広い講堂の隅々まで程よい冷気を行き届かせるのは、かなり繊細な魔力調整が必要な神業よ。さすが騎士団屈指の魔術師。
舞台袖のほうからやけに力のこもった拍手が鳴り響くと、それが波のように講堂中に広がって大喝采になった。
「絶対ピノー先生です……」
メリィも苦笑しながら拍手しているわ。
この前の訓練発表会に同行したという先生も、学校代表としてこの会場の運営に関わっているみたいね。ちょっと羨ましい。
壇上のアステル様は、ジュリアン様への賛辞を自分のことのように喜んでいらっしゃるわ。
「すごいよな。今日は移動中、ずっとジュリアンに魔術で助けてもらっている」
ただでさえ暑い日なのに、今日のアステル様の御召し物はひときわ熱がこもりやすそうだものね。魔術で気温調整でもしないとお体に障るわ。
「忙しいのに、付き合ってくれてありがとうな」
「勿体ないお言葉でございます。今日という祝いの日にアステル様より優先すべき物事はこの国に存在しません」
この言葉にはアステル様の姫君一同が深く頷く。
しかし……。
「皆様、どうかご安心くださいね。アステル様の健康は必ず私がお守りいたします。今日は一日中付き従いますので」
ジュリアン様が観客席に満面の笑みを向けた。言葉の端々に薄っすらと滲む優越感に、姫君たちの顔がスンと無表情になる。
これがジュリアン様のマウント癖……。
くっ、一日中アステル様と一緒にいられる上に、頼られるなんて羨ましすぎる!
クラリス様がよく恨み言を吐き出す気持ちがよく分かるわ!
姫君たちから冷ややかな視線を向けられても、ジュリアン様はニコニコのまま。
根深い……根深い因縁を感じる!
きっと創設から五年以上、両者は冷たい火花を散らしてきたのでしょう。
「さて、会場が適温になったところで、早速ミニコーナーに参りましょうか。お手伝いいたします」
「ありがとう。みんなも座ってくれ」
運ばれてきた椅子にアステル様が腰掛けたのを見て、観客たちもお言葉に甘えて席に座る。
「本当は全部応えたいんだけど……ごめん。時間の都合で三枚が限界だ。あとで大切に読ませてもらうから」
ジュリアン様が差し出した木箱から、アステル様が折りたたまれた用紙をいくつか引き抜いた。
このイベントのために、少し前から学校の廊下にアステル様への“おたより箱”が設置されていたの。
アステル様への質問や、ささやかなお願いを書いて投函できて、運が良ければこうして本人に読んでもらえるというものよ。
もちろんわたしも書いたけど……。
「一枚目は質問だな。『誕生日の朝はどのように過ごされましたか?』――例年通り、家族全員で朝食をとってお祝いの言葉をもらった。父上が一緒に食事をとってくれる滅多にない機会だから、誕生日の朝はつい早起きをしてしまって。……あ、そうだ! 今年はポムテルもいるから一際にぎやかだった! いつもと城の様子が違うせいか大はしゃぎしていて――」
最近飼い始めたという愛犬について語るアステル様が可愛すぎた。
アステル様のお父様の話が出た時は少しどきりとしたものの、ポムテルちゃんのおかげで救われたわ。
詳しいことは分からないけれど、アステル様は父親と少しぎくしゃくした関係らしい。母である女王陛下や兄の王太子殿下とは、驚くほど仲良しみたいなのに……。
「二枚目……これも質問だ。『今年もトーラ様とプレゼント交換をされるのですか?』――どうかなー。俺は用意しているけど、トーラはくれたりくれなかったりするから。もしもらえたらどこかのインタビューで報告するよ。みんな、明日はトーラのことをお祝いしてやってほしい」
一部の女子生徒たち――赤と青の小物を身に着けている者たちが熱烈な返事をする中、ジュリアン様は少し遠い目をしていた。まるで心を無にしているみたい。
アステル様の幼なじみにして、ライバル的な存在であるトーラ様。
「いつかは生まれの宿命通りの主従になるのでは?」と囁かれつつも、トーラ様がなかなかデレないとファンはやきもきしながらもその関係性を楽しんでいる。
実は、トーラ様の誕生日は明日なの。アステル様の誕生日の翌日というところがもうね……。
何も言うまい。
「じゃあ最後、三枚目。こ、これは……ちょっと恥ずかしいな。『殿下から投げキッスをいただきたく存じます』」
はぁあ!?
な、なんて図々しいお願いを!
アステル様がお困りになっているじゃないの!
観客たちが大きくどよめき、ジュリアン様も表情を険しくしている。
「アステル様、引き直しを提案いたします。これはあまりにも……!」
「大丈夫。やると決めたから読み上げたんだ。今日だけ特別――」
アステル様は立ち上がって少しはにかみながらも、観客席の中央辺りに世界一尊い所作で投げキッスをお恵みくださった……。
途端に聞いたことのないほど熱のこもった悲鳴が会場中にこだまする。
膝から崩れる者、泣き出す者、ありがとうを連呼して拍手を絶やさない者、反応は人それぞれだった。
この場にいるほぼ全員が錯乱状態に陥っているわ。
わたしも体温が二℃ほど上昇してふらついたところをメリィに支えられた。
ああ、脳が焼ける音がする……!
このお願いを書いた人に心の中で告げる。
どう考えても非常識で自分勝手、王族であられるアステル様への敬意が圧倒的に足りていないと思うけれど、その勇気だけは称賛に値するわ! どうもありがとう! でもお願いを叶えてもらえて妬ましいからお礼は一度しか言わないんだからね!
「恥ずかしいけど、こんなに喜んでもらえるなら……もう一回シようか?」
「っ!?」
悪戯っぽく笑うアステル様に、唐突にわたしの涙腺が壊れた。
絶対にご本人は無自覚だと思うけれど、そんな妄想を駆り立てる夢に満ちたセリフまで!?
信じられない。この一言の音声の記憶だけで向こう一年は心の健康が保たれる。栄養価が高すぎるわ!
「アステル様、民を甘やかしすぎでございます。それに、そろそろお時間です」
「そっか、あっという間だな……」
惜しむように会場を見渡すアステル様。
「みんなの笑顔が俺にとって何よりのプレゼントだ。今日は来てくれてありがとう! おかげでこの一年も頑張れる!」
全部こちらのセリフですー!
二階席に陣取っていたオーケストラ部が『星影の祈り』の演奏を始めると、アステル様は手を振りながら舞台袖に向かった。
ああ、行ってしまう。
結局心の中で絶叫していただけで、何も口にできないまま……。
いつものわたしならもっと堂々とお祝いをするのに。
わたしとしたことが、守りに入っている!
少し前にアステル様とお話しする機会を得て、メリィと王家の不思議な縁のおかげで直筆のメッセージカードを賜った。きっとわたしのことを認知してもらえていると思う。
その幸福な経験が悪い期待をもたらして、思うように振る舞えない。
たとえば今日、視線が交錯したのにアステル様からなんの反応ももらえなかったら悲しい。ショックを受けるのが怖いの。
分かっている。
平等で公平なアステル様だもの。民衆の中に知っている顔を見かけたって絶対に特別なリアクションを返したりしない。
顔と名前を憶えてくれていたとしても、アステル様にとってわたしはたくさんいるファンの一人。
……ネロくんにとってのメリィみたいな、特別な姫君には決してなれない。
故郷で王族という存在と完全に無関係ではないからこそ、わたしはそこまで夢見がちな乙女にはなれないの。
そうよ。わたしはガチ恋の姫君じゃない。
ただアステル様の無事と幸せを願っている。
常に理想を体現し続ける最高の王子様で、みんなの期待に応え続ける最強の騎士団長。
隣に立つことも特別になることもできないけれど、わたしにも応援させてほしいの。
誰かに憧れた瞬間、奇跡みたいにセカイが変わる。
わたしの毎日を充実させてくれてありがとう。
どうかそのお礼をさせて。
「あ、アステル様っ」
会場中がアステル様へのお祝いと感謝の言葉を叫んでいる今なら、ドサクサに紛れて自己満足なこの気持ちを口にできるわ。
「お誕生日おめでとうございます! あなたの笑顔が大好き! 笑って!」
おたより箱に入れたメッセージにも似たようなことを書いた。
去り行く背中に叫んだその声が聞こえたとは思えないけれど……。
「ありがとう!」
最後にアステル様が振り返って眩しい笑顔を見せてくれた。
心臓が甘く痺れる。
……好き。
数秒間ぽやっとしてから、わたしは我に返った。
ちょっと! 軽率に恋に落そうとするのやめてもらえます?
嘘、やめないで下さい。
こちらで自制するのでどうかそのままのアステル様でいて……。
わたしはハンカチで涙を拭きながら大きなため息を吐いた。
まだまだ自問自答と葛藤の日々が続きそうだけど、困ったことに全然嫌じゃない。
推し騎士様に夢中になっているこの時間が、途方もなく幸せだから。
お読みいただきありがとうございます。
なかなか投稿できずごめんなさい。
〜お知らせ〜
推し騎士に握手会で魔力とハートを捧げるセカイ1
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