34 エピローグ
あの誘拐事件から一週間が過ぎ、私は無事日常に復帰しました。
帰還が上手くいかなかった時はどうなることかと思いましたが、さすがは星灯騎士団、さすがはネロくんです。
魔女の隠れ家から辛くも脱出し、結晶の力で無事に騎士団本部に帰ることができました。
全員に魔力を託されて放った一矢、視界を埋め尽くす虹色の光、やり遂げたことに安堵する神々しい横顔――あの一瞬の全てが目に焼き付いて離れません。
国一番の神画家に宗教画として描いてもらって後世に伝えていくべき雄姿でした。新しい神話の始まりです。もはや専用の美術館を建てるべき。
私に桁外れの財力があれば……いえ、しかしあんな現実離れした美しさを言葉だけで注文したところで、見ていない人間に再現できるとは思えません。
こうなったら、自分で描くしか!
自分のためにも世界のためにも必ず成し遂げると、私は朦朧とした意識で胸に誓いました。
……そう、私は心身ともに限界を迎え、そのまま三日間ほど寝込んでしまったのです。
その後、両親から衝撃のカミングアウトをされたり、騎士団で誓約書を書いたり、病院や研究所で精密検査を受けたり、お城で王家の方々に謁見したり、なかなかハードで濃厚な日々を過ごしました。慌ただしくてところどころ記憶が抜け落ちています。
「はぁ……」
そして今日、久しぶりに学校に登校したところ、休んでいた間の単位補填のための課題をたくさん渡されました。泣く泣く放課後に図書室へとやってきて、参考資料を集めて自習コーナーに陣取ります。
うぅ、面倒くさい。ですが、本来なら問答無用で欠席になるところを、騎士団からのお達しで配慮していただいたのです。文句は言えません。
配慮と言えば、私が突然一週間も学校を休んだ件について、いろいろな噂が飛び交っているかと思いきや、「登校中、魔術薬の調合に失敗して朦朧としながら助けを求めてきた通行人に出会い、家に取り残された奥さんを助ける過程で危険な煙を吸い込んで緊急入院した」ということになっていました。
そう、イリーネちゃんや取り巻きの子が目撃した悪魔が、顔色の悪さゆえに急病人ということにされていたのです。
実際、誘拐現場の路地は騎士たちが封鎖して物々しい雰囲気になっていたようで、危険な煙が漏れ出ていたからだと解釈されました。
思い切った大嘘ですが、悪魔や魔女のことは公表できないそうですし、それ以外の誰かに誘拐されたことになると、年頃の乙女としては不名誉な噂が流れてしまいそうです。
クラリス様を始めとしたファンクラブの方々が、それとなくこの噂を広めてくださったそうです。おかげですんなり戻って来られました。感謝してもしきれないので、今度お菓子と推しクラッカーをたくさん差し入れしましょう。
誘拐事件の後、軍と騎士団側からも発表がありました。
目撃されていた不審者を確保し、人さらい集団が入国したという噂は誤報だった、と。
学生たちは安堵しつつも、警備で来てくれていたリリンちゃんやクヌート様たちを惜しむ声が絶えなかったそうです。次の握手会や営業を再開した騎士カフェには、きっと以前よりも学生の姿が増えることでしょう。
……ちなみにイリーネちゃんとその取り巻き二名には停学処分が下されました。
私が寝込んでいる時に、ご両親とイリーネちゃんが高級な菓子折りを持って謝罪に来てくださったそうです。
正直、謝ってもらっても簡単に許せることではありませんが……父曰く、私が悪魔に攫われたのは人気のない路地裏に行ったからではなく、この身に宿る血に無意識に惹かれたからではないか、とのことでした。多分そうなんでしょうね……災難でした。
イリーネちゃんはネロくんにも同様の謝罪を行ったそうですし、騎士団と学校側から相応の処分が下されたのなら、私としてはこれ以上問題を大きくする気はありません。
自業自得とはいえ、推し騎士様の握手会に出禁なんて、生き地獄のような目に遭っている人に追い打ちをかけるのは躊躇われますし……。
「はぁ、いいなぁ。お茶会羨ましいー」
ところで、私は今一人ではありません。
無茶なスケジュールで握手会に行きまくったり、ファンクラブのお宝蔵書を読み漁って授業に遅れたりして、私同様に単位が危うくなったエナちゃんも一緒です。留学生ゆえにこの国独特の文化に馴染もうと必死なのだとアピールしまくって、追加課題提出で許しを請うことに成功した猛者と呼ぶべきでしょうか。
たった今、エナちゃんには、魔女と悪魔に攫われたという一部の事実を伏せ、本当に誘拐されて死にかけたところを騎士団に救出していただいたと説明したところです。教室では人目を気にして話せませんでした。
寝込んでいる間、毎日お見舞いに来てくれていたエナちゃんに嘘を吐くのは心苦しかったですし、かといって機密守秘の誓約書にサインしてしまった以上、全て洗いざらい話すわけにもいかず、中途半端な説明になってしまいました。申し訳ないです。
特に、ネロくんとの“あれこれ”は話せません。私もまだ心の整理ができていなくて……。
エナちゃんは私の無事を心から喜んでくれましたが、話の最後の方のとある出来事が引っかかって、意識の全てを持っていかれてしまったご様子。
「アステル様とお茶……そんな夢みたいなことが……うぅ、ずるい」
「もう、エナちゃん、そんなに拗ねないで下さい。ごめんなさいってば」
実は、両親と一緒に女王陛下と第一王子のサミュエル殿下、そしてアステル殿下に拝謁する機会をいただき、お城の中庭でお茶までご一緒したのです。
ロイヤルファミリーの皆様とお茶会だなんて、どれだけ真面目に生きていても平民では望むことすらできないドリームタイムです。
大変貴重な経験をさせていただき光栄でしたが、正直に申し上げて緊張しすぎて吐きそうでした。
麗しい王家の方々と目を合わせることもままならず、冷や汗をかきっぱなし。話しかけられるたびに変な笑いが口から洩れて、自分で言うのもなんですが、挙動不審でとても気持ち悪かったと思います。
それもこれも全部おじい様とお父様のせい……いえ、間違えました。お二人の行いは立派で、私に責められるようなことは何一つありません。
全ては運命の悪戯というやつでしょう。
「別に謝ってくれなくてもいいのよ。大変な目に遭ったメリィを労わる名目で、女王陛下がお父様と話したがっていたんでしょう? おじい様に恩があるからって」
「は、はい。そんな感じです」
「じゃあ仕方がないじゃない。大人が絡んでいるんだし、抜け駆けだとか、ひいきだとか、そんなくだらないことを言ってメリィを恨むつもりはないわ。でも、でもね! 羨ましいという感情を殺してニコニコしていられるほど人間ができてもいないの。お分かり?」
私は深く深く頷きました。
エナちゃんの気持ちはよく分かります。私だってネロくんがエナちゃんとお茶をしたと聞いたら、どのような理由があれ面白くないと思うでしょう。
「メリィが学校を休んでいる間、ずっともやもやしていたの。不謹慎かもしれないけど、今回の件でわたしもアステル様に接近できて、幸運にも認知してもらえたかもしれない……しれないけども、どうかしてたっ。絶対変な女だと思われたわ! もう最悪!」
そのまま机に突っ伏して嘆きだしたエナちゃんのために、私は布の手袋を取り出して装着すると、鞄の中から包みを取り出しました。万が一にも傷つかないよう、何枚もの封筒で厳重に保管していました。
「そんなことはありません。アステル殿下は、エナちゃんのことを『友達想いで気合いの入った女の子』だと仰って褒めていましたよ」
「え!?」
顔を上げたエナちゃんに、恭しい動作で包みの中身を差し出します。
「お納めください」
「こ、これは……!」
赤く縁どられた一枚のメッセージカード。そこには元気で美しい筆致でこう綴られています。
『可愛い姫君へ
頬の腫れは引きましたか?
今度お会いする時は、どうかとびきりの笑顔を見せてください。
楽しみにしています。
この王国と俺を選んでくれたことに、心からの感謝を。
素敵な留学になりますように。
あなたの騎士より』
さて、誰が誰に宛てたものなのか、もうお分かりですね?
とんでもない神対応をしていただきました。
エナちゃんのことを「美人」や「格好良い」ではなく、「可愛い」と形容するところがまた……よくもやってくれましたね! さすが!
私が「良い仕事をしたでしょう」と言わんばかりのどや顔をすると、エナちゃんはカードに手を伸ばしかけ、我に返ったように顔を手で覆いました。
「ねぇ、嘘でしょ? あり得ない! メリィったら、こんな悪戯……お、怒るわよー」
「私だけ良い想いをして親友のエナちゃんに申し訳ないって零したら、ノリノリで書いてくださいました。『今回だけ特別。他の子には内緒な?』ってウインクをして――」
「あああああああ! 脳が壊れる! ありがとうございます! 最高オブ最高! 女神再臨か!? FOO!!」
ひとしきり情緒不安定に叫び、司書の先生に「うるさい」ときつく叱られ、私たちは図書室を追い出されました。全面的に私たちが悪かったです。言い訳のしようもございません。
私たちはしっかりと反省しました。界隈の民度を下げるような真似は慎まなければ。
ああ、勉強……まぁ、参考書を借りられましたし、帰ってお家で頑張りましょう。絵の練習もそろそろ始めたいのですが、なんでこんなに時間がないのでしょう?
一日が六十時間くらいあればいいのに……。
「さぁ、メリィ、行くわよ」
「え? どこにですか?」
エナちゃんは意気揚々と宣言しました。
「雑貨屋よ! このメッセージカードを飾る素敵なフレームスタンドを買いに行くの! ああ、日焼けや紙の劣化を防ぐ方法も調べないとね! 家宝にするんだから! 忙し忙し!」
その活き活きとした姿に触発され、私は重たい鞄を抱え直し、軽い足取りでエナちゃんに続きました。
「そんな楽しそうなお買い物、断る理由がありませんね!」
雑貨屋さんに行くのなら、私も新しいヘアアクセサリーやコスメを吟味したいです。
……少しでも可愛くなって、自信と勇気を手に入れたいから。
私には、今度ネロくんに会ったら確認しないといけないことがありました。
☆
俺は分かりやすく緊張していた。
魔女サンドラグラと悪魔マウリベルとの戦いから二週間。
慌ただしく日々が過ぎていったが、騎士カフェも営業を再開し、日常に戻りつつあった。
逃げた悪魔の行方は分からない。おそらく他の次元の狭間に隠れているのだろうとのことだ。
これはさすがに手の出しようがないが、魔女の精神体を封じ込めたあの人形には、位置を特定する魔術が仕込まれているらしい。もしもこの現世に魔女が現れればすぐに分かる。
魔女が肉体を乗り換えることも難しくなり、これ以上若い女性が犠牲になる心配はしなくて良さそうだ。
百五十年もの間、防戦一方で使い魔との戦いで消耗し続けていた王国側にとって、これほど戦いが有利になったことはない。
アステル団長の夢――存命中に魔女の呪いを解いて国を救うという願いも、十分実現可能な域に入った。
悪魔に関しては油断できないし、“ドラちゃん”などの懸念もあるけれど、ひとまず王国に平穏が訪れて良かった。
今は魔女側の動向の注視と、新たな使い魔が現れるのかどうか、様子見の段階だ。
……いや、騎士団上層部は諸々の対策を講じたり、新しい魔術や戦術を開発したり、かなり忙しいと思うけど、俺のような下位の騎士にできることは少なかった。訓練と魔物討伐に精を出し、地道な活動で知名度を上げる。うん、今まで通りだ。
そして今日、王都近郊の川辺に発生した水妖退治の任務に赴くことになり、久しぶりの握手会が開催されることになった。
ようやく落ち着いてメリィちゃんに会える……かもしれない。
実は誘拐事件以来、ほとんど話せていない。
彼女の家にお見舞いに行ってみたもののちょうどメリィちゃんが眠っている時間だったし、諸々の手続きで騎士団に来てもらった時も挨拶しかできなかった。先日、エナちゃんと一緒に騎士カフェにも来てくれたみたいだけど、ちょうどシフトに入っていない日だったのだ。タイミングが悪い。
結局、彼女と堂々と確実に会えるのは、握手会だけということか。
もちろん今日も絶対に来てくれるとは限らないけど……メリィちゃん、怒ってないかな?
日が経つにつれ、自分がした大胆な行為に申し訳なさが押し寄せてくる。
非常事態だったとはいえ、勝手に……。
恋人同士ならまだ許されるだろうけど、表向きは騎士とファン。告白の返事だって退団するまで待ってもらっているような状態だ。
日常に戻って冷静になったメリィちゃんの恋の熱が醒めてしまわないか心配だった。
多分、彼女に限ってそんな簡単に心変わりしたりしないと思うけど……というか、一番の問題は、呪いが愛の力で解けたことでおそらく俺の気持ちも伝わってしまったことだ。
言葉にする前に、お互いに両想いだと気づいてしまった。どんな顔をして会えばいいのか分からない。
「ポムテル……もしも今日彼女が来てくれなかったら、慰めてくれる?」
「きゃん!」
少し成長して凛々しくなった白い子犬が「任せとけ」と言わんばかりに、俺を見上げた。なんて頼もしい。飼い主に似てきたんじゃないかな。きっとそう。
心を落ち着けるためにポムテルを撫でて、覚悟を決めて握手会会場へと向かった。
来ない。
メリィちゃんが、開始時間からこんなに経っても姿を現さないなんて初めてのことだ。
「お仕事頑張って。怪我しないようにね!」
「はい、ありがとうございます……」
「お兄ちゃん格好良いね! 今まで握手した騎士様の中で、十番目くらい!」
「あはは……ありがとう」
善意で握手会に参加してくれた親子から魔力をもらって、一息を吐く。今の二人で列が途切れたようだ。
心臓が嫌な音を立てている。冷や汗も出てきた。もはや握手会や魔物討伐どころではない。
メリィちゃんに愛想を尽かされた?
それとも、まだ体調不良で来られない?
どちらにせよ心配で不安だった。許されるのなら泣きたいくらいだ。
「ま、待ってください! あと一名! ネロくんの握手会参加希望です!」
あと十分で撤収、という段階になって、天幕に滑り込んできたのは――。
「メリィちゃん……!」
「遅くなってごめんなさい! 課題の提出がギリギリになってしまってっ」
全力疾走してきたのだろう。息が上がっていて、顔が真っ赤だ。
「だ、大丈夫? ゆっくり呼吸して。……すみません、今日は彼女で最後にしてもらっていいですか?」
介助のスタッフさんに列切りをお願いした。これでメリィちゃんに息を整えてもらう時間が作れるだろう。
「あああ、すみません。久しぶりの握手会、ばっちり決めたかったんですが、時間が足りず……あ、手はしっかり洗ってきましたから! 汗も拭きますのでっ!」
「そんなの気にしなくていいから。忙しいのに、今日も来てくれてありがとう」
「いえ! 全ては私の甘いスケジューリングが招いたことですから!」
キリっとした表情で悔やむメリィちゃん。
やっぱり学校生活って大変なんだろうな。でも真面目に頑張っていて偉いと思う。尊敬する。
ひとまずメリィちゃんが来てくれたことに俺は心底安堵していた。
「走れるくらいなら、もう体調は」
「はい、全快しています! 後遺症もありません!」
「良かった……」
「あの、お見舞い来てくださってありがとうございました。なのにお会いできなくて……お花、嬉しかったです。父に頼んでプリザーブドフラワーにしてもらいました!」
「あ、長持ちするやつだよね? あの花は、騎士団全体からのお見舞いで……喜んでもらえたのなら良かったけど」
お見舞いの花は、俺が選んで贈ったわけではない。
誰が花屋に発注したのかは分からないけど、紫色の花がメインになっていて自分で持っていくのがかなり恥ずかしかった。応対してくれたマクシムさんにニコニコされてしまった……。
個人的にも何か贈りたかったけど、リリンに「メリィちゃん、病み上がりに興奮しすぎて倒れちゃうんじゃない?」と言われたのでやめた。結局俺はメリィちゃんに何も返せていない。
「ネロくんも、お元気でしたか?」
「ああ、うん。俺は特に怪我も消耗もなかったから」
「それは何よりです。今回の魔物討伐もお怪我がないように祈ってますっ」
「水辺だからね。気を付けるよ」
会話が途切れると、そわそわするような空気が流れた。お互い意識してしまっているのが分かる。
どうしよう。下手なことは言えない。でも、メリィちゃんに伝えたいことがたくさんある。このもどかしさ、いつものパターンに陥ってしまった。
俺は、まだ騎士を続けたいと思っている。
実はお見舞いに行った時、マクシムさんにそれとなく母の治療費の援助を提案してもらった。当然のように知ってるんだな、と思いつつも、もちろんそこまで甘えられないから断ったし、マクシムさんも無理にとは言わなかった。デリケートな問題だから。
もう入団当初のように、金を稼ぐためだけに騎士をしているわけじゃない。
立派な地位を手に入れるため、アステル団長の夢を叶えるのを手伝うため。
それに加えて、メリィちゃんを守るためにも俺は騎士を続けたい。
多分、彼女も俺も、少なからず魔女と悪魔の恨みを買った。完全に逆恨みだけど、報復に来る可能性はある。常に一緒にいて守るよりも、今は騎士団の仲間と一緒に魔女を完全に倒すのを目指したい。
後顧の憂いを断ってから、メリィちゃんを迎えに行きたいんだ。
「あの、私、ネロくんに質問したいことがあるんですけど、いいですか?」
「え! ……うん」
メリィちゃんは、いつになく真剣な面持ちで俺を見た。
なんだろう。もしかして、気持ちを確認される?
それは少し困る。俺はメリィちゃんに嘘はつきたくない。
「ネロくんは、婿養子ってどう思いますか?」
「…………」
虚を突かれて、俺はすぐ答えられなかった。いくつもの段階をすっ飛ばしている。
「あ、あの、具体的な相手のことは考えなくていいんです! ご自身の希望というか、お家の方針をお伺いしたくてっ」
メリィちゃんの目が面白いくらい泳いでいる。
「ネロくんは一人っ子ですし、お婿さんになるのはやはり難しいですよね……?」
「いや、そんなことないよ。恥ずかしい話だけど、特に財産とかもないし、正直故郷の村でいろいろあって、しばらく帰りづらいんだ」
あまり思い出したくもないが、未亡人になった美しい母を巡って争いが起こった。病で倒れた母に金をちらつかせて脅した人もいる。同年代の友人たちにはまた会いたいけど、村の大人は信用できない。
母もあの村ではゆっくり休めないだろうし、病が完治しても王都で暮らす可能性が高かった。元々住んでた家も友人の兄夫婦に貸してしまっていて、そのまま売ろうと思っている。母のためなら父も許してくれるだろう。
騎士を辞めた後の自分に王都でできる仕事があればいいけど、と悩んでいるところだ。
「ただ、母を一人にするわけにはいかないかな」
「それはもちろんそうですよね! でも、婿養子自体には特に抵抗はない、と」
目を輝かせるメリィちゃんに俺は頷きを返す。
そうか、メリィちゃんも一人っ子……不思議と婿入りの可能性は全く考えていなかった。
ハーティー家は元貴族で、平民としてはかなり裕福なお家だ。
やはり騎士として立派な働きをして、一代限りでも貴族位を手に入れなければ格好がつかないな。それに……。
軽い混乱に陥っていたせいか、俺の方からも少し踏み込んだ質問をしてしまった。
「メリィちゃんは、その、やっぱり家業を継げる人と結婚したいの?」
俺は、経営や商売のことは全然分からない。魔物狩りで素材集めを手伝うことはできるかもしれないけど、マクシムさんの後を継ぐのは難しいと思う。今から勉強してどうにかなるほど甘くないだろうし、商売に決定的に向いていない気がする。
「え!? そんなことないです。両親もそういうことは気にせず、心から愛する人と結婚しなさいって言ってくれてますっ」
「そ、そうなんだ」
「はい。家の仕事のことはどうにでもなります。ただ、両親は私がお嫁さんにいくと寂しいみたいで……お部屋は余っていますし、お手伝いさんは看護士の免許を持っていますし、ご家族ごと安心して同居していただければ……あ! 今のはネロくんにした質問とは無関係です。気にしないで下さいっ」
……なんだろう。この感じ。
とても気恥ずかしい。
でもなんだか楽しくて、いつになく会話が弾んだ。
「王都の大聖堂にも憧れはありますが、やっぱり結婚式は森の中とか湖のほとりとかの小さな教会で挙げたいです」
「あ、俺もその方がいいな。大勢に祝ってもらうのもありがたいけど、家族と本当に大切な人たちに静かな場所で祝ってほしいかも」
「同じです! いっそ二人きりの結婚式というのもロマンチックで素敵ですよね。星空の下や南の海の浜辺で」
「でも、ドレスは着たいんだよね?」
「もちろんです! 最低でも二着! 白と紫! もちろん新郎様の衣装も二種類ですよ。私が考えます。絶対ネロくんに似合――ごめんなさい! 調子に乗りました!」
そこでメリィちゃんが我に返り、俺も気づいた。
お互い両想いだって分かっている前提で、当然のように未来のことを話してしまった。交際どころか求婚もまだで、何も約束してないのに……いや、約束していないからこそセーフなんだけど、心臓がすごい速さで脈打っている。
……本当にセーフかな? またミューマさんに確認しないと。
「まもなく握手会終了の時間でーす」
裏から声がかかり、俺たちは慌てて握手をした。これもいつものパターンだ。
メリィちゃんの手がいつもよりずっと熱くて、譲渡される魔力も多く感じる。こんなに幸せな瞬間は他にない。
「我が騎士に、聖なる加護を」
「……我が姫君に、必ずや勝利を」
丁寧に騎士の礼をして立ち上がる。いつにもまして名残惜しくて、手を離しがたい。
「ネロくん……あの、最後に一つだけ」
「うん」
メリィちゃんは潤んだ瞳で不安そうに問いかけた。
「ネロくんは……人間以外の血が流れている女の子でも、愛せますか? 嫌だなって思ったり、不安になったり、将来厄介事に巻き込まれるかもしれなくても」
ああ、彼女は自分の出生のことを知ってから、ずっと不安だったんだろうな。
今度はすんなりと答えることができた。触れたままの手を、ぎゅっと握りしめる。
「全然気にしない。そんなことで俺の気持ちは変わらないよ。好きな人のことは、何があっても必ず守ってみせる」
メリィちゃんは過去一の眩しい笑顔を見せてくれた。
「やっぱりネロくんは、最高に格好良い騎士様です……!」
時間切れになって、手を離す。そのまま右手で自身の胸元に触れた。メリィちゃんに伝わるといいな。いつもちゃんと身に着けているって。
メリィちゃんもまた、帰り際に自分の胸元に手を当ててはにかんでいた。分かってくれたみたいだ。
今、俺たちは同じものに触れている。言葉にできなくても、想いは同じだと証明されたみたいで嬉しい。
「星灯騎士団に、私の推し騎士様に栄光あれ! 絶対怪我しちゃダメですよ!」
彼女が去って静かになった天幕の中で、俺は深呼吸をして頬を叩いた。気を引き締めないと、浮かれて本当に怪我をしてしまいそうだ。
さぁ、今回の任務も頑張ろう。
愛しい姫君との未来のために。
お読みいただき、ありがとうございました!
こちらのエピソードで一区切りとさせていただきます。
感想や評価などいただけると嬉しいです。
そして
皆様のおかげで「推し騎士〜」の書籍化が決定しました!
今後ともよろしくお願いいたします。




