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【書籍化】推し騎士に握手会で魔力とハートを捧げるセカイ(連載版)  作者: 緑名紺
第5章 射抜かれたハート、駆ける星々

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33 星を放て


 魔女の体はおびただしい量の血を流し、ピクリとも動かない。

 元々ガタがきていたであろう体にアステル団長の一撃がまともに入ったし、落下のダメージもある。


「…………」


 先程までとは別の意味で心臓の鼓動が早くなっていた。

 百五十年もの間、エストレーヤ王国を呪い続けた魔女に最期の時が訪れた……のかもしれない。


 魔女サンドラグラは逃げ隠れが上手く、精神を苛む魔術を使い、巨大な使い魔を差し向けてくる。

 それらは厄介で強力だけど、王国の研究者たちにある疑念を抱かせた。


 もしかして、魔女そのものの戦闘能力はそんなに高くないんじゃね?


 今回、それが証明されたように思える。

 アステル団長を始めとしたトップ騎士が強すぎるということもあるかもしれないけど、ひとたび対峙すればこんなにもあっさりと決着がついてしまいそうだなんて……魔女も悪魔も対人戦闘はそこまで脅威ではなかった。


 いや、油断はできない。俺はメリィちゃんを背に庇ったまま、魔女を注視した。

 みんなが固唾をのんで見守る中、魔女の体が大きく痙攣する。


【おのれ! よくもこの肉体を壊してくれたな!】


 魔女の体から黒い人型の靄が出てきた。不思議な形の虹彩が刻まれた赤い瞳。それがやけに大きくギラついているが、それ以外は像が不鮮明で顔立ちが分からない。しかし、どうやら女性――魔女の精神体のようだ。


【そこの娘! その体を寄越せ!】 


 魔女はまずリリンめがけて飛び掛かった。

 速い!

 肉体どころか恥も外聞も捨てて身軽になったせいかもしれない。一気に距離を詰めてきた。


【――って男かい!】


 リリンの体に入りかけたが、違和感に気づいたのかすぐに出てきた。リリンは少年の声で悲鳴を上げながら、大斧を振り回して魔女の精神体を散らそうとした。しかし、物理的な攻撃は無意味らしく、すり抜けている。


【ではやはり小娘ぇ! おぬしの体を――】


 魔女の標的がこの場にいる唯一の女性であるメリィちゃんに変わる。


「絶対嫌です! ネロくんのぬくもりを刻んだ体を明け渡すなんてまっぴら――ふぁ、ねねねネロくん……!」


 俺は片手で短剣を構えつつ、咄嗟にメリィちゃんの腰に手を回して体ごと抱き寄せた。

 魔女が苦手な愛属性の魔力が満ちれば、メリィちゃんには近寄れないんじゃないかと思って。

 必死だったとはいえ、悪いことをした。メリィちゃんは気が遠くなったのか、硬直してしまった。顔面だけ片栗粉を溶かしたようにとろんとしている。

 二人の胸元でお守り石が強烈に輝き、魔女はその光に明らかに怯んだ。


【くそっ! マウ! なんとかせい!】

「我が君……ちょっと無理そうです……ワタシも手いっぱい」


 悪魔はアステル団長とトーラさんに足止めされていた。


【この役立たず! ええい! 諦めぬぞ! イチかバチかじゃ!】


 光に蝕まれてなお、魔女の精神体がじりじりと忍び寄ってくる。

 どうしよう。短剣じゃ追い払えない。もっと過激なことを……もう一度口づけをすればメリィちゃんを守れるだろうか。緊急事態だ。もういっそ、今ここで告白して両想いになってしまうとか。

 だけど、どちらもメリィちゃんがショック死してしまいそうだ。それくらい心臓の鼓動が早くなっている。


「メリィちゃん、しっかり! 心を強く持って!」

「無理ですぅ……! 腰は、腰は想定の範囲外で無防備だったから! こんなのドキドキしすぎて、あっ、やだ、ツーンとしてます。鼻血出そうっ」


 魔女の精神体はお守り石の光によって徐々に崩れていっているから、持久戦になら勝機はある。それまでにメリィちゃんの乙女の尊厳が守られるだろうか。

 ……俺だって「柔らかい」とか「良い匂い」とかいう不埒な感覚を意識の果てに放り投げて頑張っているんだ。辛いのは一緒。メリィちゃんにも頑張ってほしい。

 そんな窮地を救ってくれたのは、魔術系の騎士二人だった。


「ミューマ、例のあれは?」

「うん、用意できた! 行くよ!」


 ジュリアン様に呼びかけられ、ミューマさんが何かを魔女に向かって投げた。

 手のひらサイズの薄茶色の物体……何かの人形みたいだ。


【無駄じゃ! 物理攻撃は効かぬ――何!?】


 宙に煙のように浮かんでいた魔女の精神体が崩れ、見る見るうちに人形に吸い込まれていった。

 甲高い悲鳴を残し、魔女の姿が見えなくなると、ジュリアン様が念入りに詠唱した。魔力が光の鎖のように連なり、人形を縛り上げるような幻影が何度も繰り返された。


「我が君! ああ、そんな……!」


 魔術が施され、コトン、と床に転がった人形は、「うひょー」と言っているかのごとく間抜けな顔をしていた。手のひらに収まるほど小さく、腕も足も短い。


【なんじゃこれは! ぬおおお! 出られぬ!】


 どうやらこれが出発前にミューマさんたちが言っていた魔女への秘密兵器らしい。

 人形の中に魔女の精神が閉じ込められている。思うように体を動かせないのか、わずかに震えているだけだ。


「ああ、成功ですね。それ、あなたが寄越してきた使い魔の死骸から作られているんです。いつも使役するために自身の魔力や血を用いているのでは? 他人の体なんかより、よほど馴染むでしょう?」


 ジュリアン様がのんびりとそう言った。


「百五十年、数多の犠牲を出しながら倒してきた使い魔。それらを研究し、魔女が体を乗り換えていると知ってからは、その精神を封印する方法を考えてきた……我が王国の執念が生んだ魔術具……いえ、呪術具ですかね。僭越ながら、造形は私がデザインいたしました。よくお似合いですよ」


 魔女を倒しても、精神体で逃げられたり、すぐ他の人間の体を奪われたら元も子もない。北部解放戦で身代わりの遺体を使って逃げられたことから学習し、魔女を封印する依り代を造って備えていたそうだ。


「くっ、我が君……サンドラグラ様!」

「てめぇ! 逃げるんじゃねぇ!」


 悪魔がトーラさんの攻撃をあえて受け、傷つくのもいとわず、魔女のもとへ瞬間転移した。変わり果てた人形を拾い上げ、両手ですくいあげてわなわなと震えている。


【マウ! 今すぐこの人形を壊せ!】

「なんということだ……完全に同化しています。壊したら我が君も一緒に……」

【なんじゃと!?】


 慌てる二人に、ミューマさんが冷静に告げた。


「バレちゃったか、残念。封印して肉体の代替わりを防いでから倒すために造ったんだ。お察しの通り、人形が壊れたら精神体も消滅する」

「ニンゲンめ……! よくもやってくれたな」


 四方をトップ騎士に囲まれた悪魔は、青白い顔に怒りをたぎらせる。


「それはこちらのセリフだ。使い魔のせいで、どれだけの民が犠牲になったと思ってる……償いの時だ」


 アステル団長が剣を構えると、悪魔はその気迫に後退し、舌打ちした。


「そちらの思い通りにばかり進むと思うな……!」


 悪魔は大切そうに人形を握り締め、その背に大きな黒い翼を生やした。まさに悪魔そのものと言った凶悪な表情のまま、アステル団長に宣言する。


「今は甘んじて敗北を受け入れて退くが、お前たちに次はない。ここで次元の藻屑となるがいい……! 美男子は滅べ!」


 嫉妬をはらんだ暴風を巻き起こして悪魔は飛び立った。

 俺は番えていた矢を放つが、強靭な翼には傷一つ付けられず、弾かれる。見る見るうちに悪魔の姿は遠ざかり、見えなくなってしまった。


「逃がしたか……あと少しだったのにっ」


 悔しがるアステル団長に、そっとジュリアン様が寄り添った。


「決着を付けられなかったのは残念ですが、過去最高の進歩です。もう魔女の代替わりを心配する必要はありませんし、今後は使い魔の出現頻度も減るはずです」

「そうだね。あの器の人形にはいろいろ仕込んであるんだ。そう遠くない未来に再戦のチャンスは来るよ。今はそれよりも――」


 ミューマさんの言葉を遮るように、物々しい音を立てて床に亀裂が入った。


「おい、崩れるぞ!」


 浮いているのにおかしな話だけど、この豪華な食堂のような部屋が大きく揺れて、卵が割れるように周囲にヒビが広がっていった。

 もしかしなくても、悪魔の不穏な捨て台詞通り、このままでは次元の狭間に投げ出されるか、この部屋の残骸に圧し潰されて死んでしまうに違いなかった。


「帰還の準備だ! ネロ、彼女に例のものを!」

「はい!」


 俺はマクシムさんから預かっていた赤い結晶をメリィちゃんに手渡した。


「な、なんですかこれ!? きゃっ」


 俺はメリィちゃんを支えながら、ものすごく説明を省略してこれが帰還用のアイテムだと伝えた。

 メリィちゃんはすぐに結晶を強く握りしめて頷く。


「とりあえず念じたり、お父様に呼びかければいいんでしょうか? やってみますね! 皆様近くに集まってください!」

「この子適応が早いな、すごい」

「推し騎士様の言うことですもの! 脊髄反射で実行します!」


 いろいろなことがありすぎて、メリィちゃんは躊躇いや冷静な判断力を失ってしまったみたいだ。思ったことをすぐ口に出してしまっている。


「というか、アステル殿下だ……本物ー! いつもありがとうございます! 永遠に健やかでいてください! 主語が大きくて恐縮ですが、これは国民の総意です!」

「はは! こちらこそ、この王国に生まれてくれてありがとう」

「わぁ、民サありがとうございます! エナちゃんを差し置いて……ああ、なんということでしょう」


 アステル団長にすらフランクに接している。ジュリアン様が笑顔のうちは大丈夫だけど、危なっかしい。俺は崩れていく空間に気を取られてしまっていて、教えてあげる間もない。


 トップ騎士たちとリリンが身を寄せ合ったのを確認すると、メリィちゃんはぎゅっと目を瞑って結晶に語りかけた。


「みんな一緒に元の世界に帰りたいです。お願いします!」


 結晶に反応はない。


「お父様? 応答して下さい。今あなたの心に直接話しかけています……」


 反応は、ない。


「え? え? どうしましょう! 何も起きなくてすごい空気になってます。そうこうしている間にシャンデリアが……落ちましたぁ! 助けてください! いやー! 国を代表する騎士様の命がかかってるのに! 姫君たちに顔向けできない!」


 メリィちゃんが半泣きになりながら縮こまってしまった。

 全員で宥める。

 ミューマさんが困ったように述べた。


「……多分だけど、この空間の主がいなくなったせいで、完全に閉じこめられてしまってるんだと思う。外界と断絶しているせいで、結晶の引き合う力が働かないのかも」

「そんなのどうするの? ボクたち帰れる!?」


 メリィちゃんだけではなく、リリンも錯乱している。

 あんなに広かったのに、床が砕けるように消えて行って、もうほとんど猶予もなさそうだった。今いる場所も数分も立たず崩れてしまいそうだ。


「そうですねぇ。いうなれば今は密室に閉じ込められ、外界とやり取りできない状態。しかし無限のように見える空間でも果てはあるでしょうから、攻撃して壁を壊すしかありませんね」


 どうやって?

 全員の視線を受け止めたジュリアン様が、俺を見た。


「私とミューマはもうほとんど魔力が残っていませんし、遠距離攻撃の魔術は標的が見えないとイメージしにくい。というわけで、ネロ・スピリオくん。矢に全魔力を込めて射ってください」

「え!?」


 思わぬ抜擢に応える間もなく、ジュリアン様が俺の右手を取った。


「全て託します。他の誰を犠牲にしてでも、絶対にアステル様を元の世界に帰さねば」

「僕も。少ししか残ってなくてごめんね。ネロならできるよ」

「本当にそれしか方法ねぇのかよ……仕方ねぇな」

「ネロ! 頑張って! 信じてる!」


 ジュリアン様、ミューマさん、トーラさん、リリンがそれぞれ残った魔力を俺に譲渡した。


「大丈夫だ、ネロ。絶対に上手くいく」


 手を重ねるだけだったみんなとは違って、アステル団長はしっかりと俺に握手をしてくれた。


「使い魔に立ち向かって、何度も何度も絶体絶命のピンチを味わってきた。でも、いつも信じてる。俺たちがこんなところで終わるはずないって」


 その瞳はキラキラと希望の光で輝いていた。不安も怯えもなく、当たり前のように成功すると確信している。

 これは、“持っている人”だけが知っている万能感というやつだろうか。


 ……そうだ、アステル団長の人生がこんなところで終わるはずがない。少なくとも、魔女と悪魔を倒して王国に平和をもたらすまで、伝説は続くはずだ。


「もちろん私の力も使ってください!」


 最後にメリィちゃんが涙を拭って、俺の右手を両手で包み込んだ。


「メリィちゃん……無理しないで」

「何を言ってるんですか! ネロくんの握手会に不参加なんてあり得ません! こんなに近くで活躍を拝見できるなんて至福の極み……我が騎士に最大級の愛と力を!」


 メリィちゃんの笑顔は、今日もピカピカだ。その瞳はハートが浮かんでいるかのように熱っぽい。

 間近で俺が弓を引く姿を見られることを単純に喜んでいる。


 ……本当に、ブレないな。

 でもありがとう。おかげで緊張が解けた。もう何も怖くない。


「我が姫君に、最上級の敬意と感謝を」


 すぐそばの床が割れた。

 俺は深呼吸をして、マーブル模様の空間に向かって弓矢を構えた。


 全てを込める。

 仲間から託された想いも、メリィちゃんに捧げられた愛も、俺自身の決意も全て。

 俺たちはこんなところでは終わらない!


「――――っ!」


 遠く遠く次元の果てまで。

 最強の矢は、流れ星のような軌跡を描いて飛んでいった。


「行け!」


 矢が何かにぶつかり、陰鬱な風景を塗り替えるかのようにまばゆい虹色の花が咲いた。

 ……俺は絶対に、この景色を生涯忘れることはないだろう。



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― 新着の感想 ―
[良い点] リリンちゃんに、真っ先に向かう魔女。 使い魔の、コンプレックス(?)に満ちたコミカルな捨て台詞。 脊髄反射で応えるファン。 民サー←(笑) [気になる点] 「もう何も怖くない」 いえ、普通…
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