32 騎士たちの戦い
どどどどどど!
生まれてこの方一度も休んだことのなかった私の心臓ですが、今日はさすがに働き過ぎです。過労死待ったなし。それくらい乱舞しています。
つい先ほどまで夢の中で頭の悪いレスバトルをして魔女を怒らせた末、言語化できないようなスプラッタな目に遭っていました。
これはもう無理……と死を覚悟した時、走馬灯でネロくんが出てきてくれました。救われた半面、苦しむ醜い姿を見られたくなくて唸っていたら、とても優しい光が降り注いで、唐突に体が楽になったのです。
ああ、ついに天に召された、と恐る恐る目を開けたところ、私の最愛の人にそっくりの天使が迎えに来ていました。
……と、夢見心地だったのはほんの一瞬です。
唇にわずかに残っていた感触。何が起こったのか、乙女的思考回路がとんでもない結論を叩き出しました。
もしかして口づけで私を助けてくださった……!?
キスで呪いが解けるのはおとぎ話の定番!
魔女と悪魔の弱点は愛属性だと、つい先ほど聞いたばかりです!
ネロくんの赤くなった頬と耳を見れば、その結論に検討の余地があるように感じます。リリンちゃんもそれっぽいことを言っていました。
それからは思考が見事に空回りしてしまって、悶えることしかできませんでした。まずネロくんに言うべきことがあるでしょうに……バッドコミュニケーション!
ポヤポヤになった頭がジュリアン副団長の「応援」というワードに素直に順応して、そのまま騎士様の戦いを観覧している次第です。
減っていく魔物たちに焦ったのか、魔女と悪魔も魔術で参戦し始めました。しかし、一向に当たりません。
「呪いがそちらだけの専売特許だと思わないでね」
ミューマ様が放った黒い魔力が魔女たちの攻撃を軽減し、足止めしています。
「魔術式が古いですね。構成もひねりがない」
また、ジュリアン様が絶妙なタイミングで魔術を相殺したり、
「万全の状態で後れを取るかよ!」
悪魔の素早い攻撃をトーラ様が防いだりしている合間に、アステル殿下が魔物を一気に片付け、戦況はどんどん騎士様に傾いていきます。
「まだまだ行くよ!」
リリンちゃんも戦いの合間に私の手錠を引きちぎったり、魔物を追い払ったり、しっかり護衛してくれています。轟音がよく響くこと。
「ぐぬ、ぐぬぬ! よくも可愛い使い魔ベイビーたちを! どれだけ顔が良くてももう許さぬ! いい加減跪け!」
魔女がなりふり構わずと言った様子で、アステル殿下に攻撃を集中させました。
黒い雷が一斉に降り注ぎましたが、炎の揺らめきのような魔力の壁に阻まれてまたもかき消されています。
「俺を跪かせられるのは、女王陛下と王太子殿下だけ」
波状攻撃のように飛び掛かってくる魔物たちも、力強い剣の一振りでなぎ倒していきます。かすり傷一つ負っていません。
「俺に触れていいのは、家族と仲間と握手会に来てくれる民だけだ!」
アステル殿下強い!
目の前で繰り広げられる非現実的な光景に、私はただただ放心していました。
トーラ様速い!
ミューマ様すごい!
ジュリアン様ヤバい!
リリンちゃん勇ましい!
……IQが著しく低下し、語彙力が死んでいます。
トップ騎士様たちの戦う姿を目の当たりにするという、姫君垂涎の光景を目の当たりにしているというのに、実のところ全く集中できていません。エナちゃんとクラリス様に話したら、お叱りを受けてしまうでしょう。
本当に申し訳ないです。自分でも呆れてしまいます。
でもでも、背中にネロくんの体温を感じながら、他のことを考えられるはずもなく……。
普段の優しい雰囲気とは裏腹に、私の体を抱える腕はしっかりと力強い……こんなギャップ、ときめかないわけないです!
普段だったら大興奮して叫びまくっているでしょうか、今は体に力が入らなくて為すがままです。心臓だけに著しく負担がかかっていて、本当にこのまま壊れてしまいそう。
ネロくん、なんだか陽だまりのような良い匂いがします。私の肺の中にずっとこの空気を入れて保存しておきたい……。
「メリィちゃん」
「ひゃいっ!」
「体調は大丈夫? 見たところ怪我はないみたいだけど……」
「ご、ごめんなさい、まだ思うように動けなくて……でも、少しずつ良くなってますっ」
「そっか。無理しないでいいから、体が辛かったらもっともたれかかって。今のうちに簡単に状況を説明する」
邪なことを考えていた私に対し、ネロくんは丁寧にお話ししてくれました。
耳元でささやかれる声に気もそぞろでしたが、日記に記録するために推し騎士様の尊いお言葉を一言一句違えず脳に刻み込む習性のおかげで、なんとか理解が追い付きました。
私が行方不明になったことが判明してから、助けに来てくださるまでの一連の出来事。
イリーネちゃんの出禁騒動では他人事ながらヒヤッとしましたし、エナちゃんとクラリス様がネロくんに魔力を託したと聞いた時には目頭が熱くなりました。こんなに心配してもらえるなんて……夢の世界での薄情なお二人はやっぱり私の心の弱さが作り出した幻だったようです。ようやくそう確信できました。
「その後にメリィちゃんのお父さんが来て」
「お父様が!? え、話したんですか?」
「うん」
推し騎士様と家族が自分の知らないところで言葉を交わしたとなれば、そわそわせずにはいられません。
ああ、お父様、私の家での奇行の数々を口走っていなければいいのですが……ネロくんや他の騎士様のお耳を汚していないことを祈るのみです。
お父様が登場してからの説明は、とても簡素なものでした。
「ごめん、どこまで俺の口から話していいか分からない……詳しいことは、帰ってから直接お父さんに聞いて」
ネロくんは歯切れ悪くそう言いました。やっぱり何か変なことを聞かされてしまったのでしょうか。無事に帰宅できたら、父を問い詰めないと……。
「えっと、それで、もらったお守り石のおかげでここまで来ることができたんだ」
「こ、このお守り石にそんな不思議な力が……」
体の痺れが取れてきたこともあって、私は胸元からお守り石を取り出しました。
「あ」
その瞬間、私とネロくんのお守り石がどちらともなく引き寄せ合い、重なってぱちんと一体化しました。
できあがったハートの形を見て、私ははっとしました。
まだネロくんにペアアイテムだと白状していなかったのに!
「すごい、二つで一つってこういうことだったんだ」
「ごめんなさいっ! あの、言えなくて……こんな勝手にお揃いなんて、気持ち悪いことをしてしまって!」
ネロくんは首を横に振りました。
「この石のおかげで、メリィちゃんを助けに来られたから。メリィちゃんのお家にとってすごく大切で貴重なものみたいだけど……これからも俺が持っていてもいい?」
「! もちろんです!」
優しい。嬉しすぎてどうにかなりそうです!
なんとなく、なんとなく昨日のイリーネちゃんとの一件から思っていたのですが、ネロくんはもしかして本当に私のことを……。
勇気を振り絞って体を捻り、ネロくんのお顔を見上げました。
「ネロくん、助けに来てくれて、ありがとうございます」
「……こちらこそ、信じて待っていてくれてありがとう。絶対に一緒に帰ろう。みんな待ってるから」
その微笑みに眩暈を覚えつつも、ぶわぁっと体が熱くなって全快しました。ええ、もうすっかり痺れも取れ、小躍りできるくらいです!
お守り石が一際大きくキラリと光って、二つに分かれて私たちの胸元に戻りました。しかし輝きは消えません。ネロくんとずっと繋がっているかのような安心感を覚えました。
「ええい! 隅でいちゃいちゃしおってっ! ちゃんと見えてるからな小娘ぇ! マウ! 目障りなあの二人をどうにかせい!」
「どうにかしたいのは山々ですが、ちょっと近寄れないですね、あの桃色の空間……というか、先にこの騎士たちを何とかしなければ」
魔女と悪魔がじりじりと騎士様たちに追い詰められています。魔物たちも騎士様の強さに及び腰になっていますし、もう数体にまで数を減らしていました。
そうです、ネロくんだけではなく、トップ騎士様やリリンちゃんも私のために危険な場所まで助けに来てくれたのです。
少しでもお役に立たないと!
「気を付けてください! 魔女は精神攻撃ができます! 黒い靄を吸い込まないで下さい! あとはえっと、美男子をコレクションするために世界征服しようとしているみたいで、手始めに最強の魔物を造ってこの国を滅ぼそうとしていて――」
「ぶふっ! あはははは!」
ここで得た情報をお伝えしようと声を張ったのですが、意外な人物の笑い声でそれどころではなくなりました。
あのジュリアン様がお腹を抱えて笑っています。公爵家の血を引く高貴な方なのに、こんな姿は初めて見ました。ネロくんもびっくりしているようです。
「いやぁ、すみません。世界征服、聞き間違いかと思っていましたが……ふっ! 失笑を禁じ得ない」
「何がおかしい!」
馬鹿にされていることを察して魔女が憤慨しました。
一方、ジュリアン様は目尻に溜まった涙をハンカチで拭いました。まだ爆笑の余波で震えています。
「失礼。魔女がこの国を狙う理由には諸説あり、私も深遠な理由があるのかとばかり……そうですかぁ、世界征服を目指していましたか。使い魔という武器があり、百五十年もかけていて、未だに一つの国も制圧できていないなんて、恥ずかしくないんですか?」
「なんじゃと!?」
「この王国の規模でしたら、アステル様と私なら一年と七か月ほどあれば余裕で支配できますよ? 大陸統一も十年あれば実現可能な段階になるでしょう。全人類をアステル様に跪かせることも、本気を出せば可能です。これが仕える主の能力の差! 思わずそこの悪魔に同情してしまいました。長生きな無能って害悪ですよねぇ」
わぁ、ジュリアン副団長の爽やかな嘲笑に、悪魔がしょんぼりと俯き、魔女が地団太を踏んでいます。
「ジュリアン、俺はそういうの興味ないって言ってるだろ。次の国王は絶対兄上の方がいいし、大陸は統一しなくていいんだ。仲良しが一番!」
「騎士がクーデターを匂わせるんじゃねぇよ。だからこいつ嫌いなんだよ。こっちが悪者みたいになるだろうが!」
「そうだね、お年寄りいじりはやめなよ。カワイソウ」
トップ騎士様たちが口々にジュリアン様に突っ込みを入れました。
「おい! どさくさに紛れてわらわを老人扱いするな! お姉様と呼べ!」
耳聡い魔女がミューマ様にもキレています。
「え? 僕のおばあちゃんの三倍近く生きてるのに? 図々しくない?」
「きぃっ!」
私は思わず歓声を上げて拍手をしていました。
強くて格好良くて口も達者で、本当に騎士様たちは完璧です。魔女&悪魔に負けているところが一つもありません。
「メリィちゃん? 盲目的に褒めなくてもいいんだよ?」
ネロくんに心配されてしまいましたが、私は正常です。基本的に肯定から入ります。
ジュリアン様はファンにはお優しいですが、敵には容赦がないのですね。にわかに噂されていた腹黒説が真実味を帯びてきましたが、魅力も比例して増しているのでOKだと思います!
「もう我慢ならんっ! マウ! この空間が壊れても良い! ドラちゃんを出せ!」
「しかし我が君――」
「育ち切ってから放つ予定だったが、仕方がない! わらわの真の切り札じゃ! 余裕ぶっておるが、かなり魔力を消耗しておるな? 普段より魔力を集めておらぬことぐらい分かっておるのじゃ! あーっはっは!」
ここまで追いつめられても魔女には余裕がありました。
ドラちゃんとは一体……。
「まさかドラゴン?」
ネロくんが息を呑みました。
そんな伝説的な存在まで使い魔にしているなんて……騎士様たちにも動揺と緊張が広がっています。
しかし、悪魔が冷静に告げました。
「我が君、ドラちゃんはお嫁さん探しのため魔界に里帰り中です。呼び出せません」
「はぁ!? ふざけるな! どいつもこいつも色気づきおって!」
「我が君がおっしゃったんですよ。ドラちゃんを三つ首の竜にしたいって。そのために合体させる用の嫁と子どもが必要だって」
いろいろ残念で残酷です。ドラちゃん逃げて、もう帰ってこない方がいいです。
「悪運も尽きたみたいだな。せめて、一太刀で終わらせてやる」
アステル殿下の強い視線に魔女は怯み、手近にいた翼の生えた獅子にしがみつきました。
魔女を庇うように前に跳び出てきた悪魔をトーラ様が食い止めます。
「嫌じゃ! わらわはまだ死なぬ! 逃げるが勝ちじゃ!」
獅子が羽ばたき、その風圧でアステル殿下が怯んだ一瞬で宙に飛び立ちます。
「メリィちゃん、ちょっとごめん」
ネロくんがすっと立ち上がって、私を背に庇いました。同時に背負っていた弓を手に取り、流れるような動作で構えます。
「っ!」
神聖な弦の音が響き、その一矢は遠く離れた獅子の翼を見事に射抜きました。
格好良すぎませんか! 私の推し騎士様!
「さすが!」
アステル殿下が床を蹴り、大きく跳躍。墜落中、宙に投げ出された魔女を鋭く一閃しました。
どさりと魔女は倒れ、顔の半分を覆っていた仮面が砕け落ちました。




