31 おとぎ話のように
「なんと生意気な小娘か! もうよい! 心だけでなく、体も痛めつけてやる!」
癇癪を起こした魔女らしき女性が、黒い雷の魔術を放った。
バリバリと空間を焼きながらメリィちゃんに迫る攻撃は――。
「…………」
直前で掻き消えた。代わりに赤い斬撃が美しい軌跡を残す。
「なんじゃっ!? 」
「やっと会えたな、魔女サンドラグラ。もう誰も傷つけさせない」
俺が倒れていたメリィちゃんを庇う間に、アステル団長が魔女の攻撃を相殺してくれた。
お守り石に導かれ、異空間から吐き出されるようにしてこの場所に辿り着いた。豪邸の食堂を模したような広い空間だ。
ここが魔女の隠れ家……心が不安になるような不気味さがある。
「おぬしら、まさか!?」
「星灯騎士団ですね……先日見た顔もあります……どうやってここまで……?」
慌てる魔女とは対照的に、悪魔の方は冷静だった。俺たちと距離を取って睨み合う。
「ジュリアンは少女の安否確認と治癒を」
「仰せのままに」
「ネロとリリンはその警護と補佐を」
「はい!」
「俺とトーラで敵を牽制する。ミューマは全体を見て援護を頼む」
「了解」
アステル団長は状況を確認してすぐ指示を出し、改めて剣を構えた。
一触即発の空気が流れる。
「ふ、ふん、招いた覚えはないが、よく来たな! 使い魔の眼球からはぼんやりしか見えておらんかったが……なるほど、揃いも揃って顔が良い! わらわのために、よくぞここまで美男子を揃えてくれたのう。気が利くではないか!」
アステル団長は魔女の挑発に乗らず、黙って集中を高めていた。トーラさんとミューマさんもそれに倣う。
「メリィちゃん! しっかりして!」
「ほら、大好きなネロがいるよ! もう大丈夫、迎えに来たからね!」
あちらも気になるけれど、俺とリリンは必死でメリィちゃんに呼びかけていた。
彼女は目をぎゅっと閉じたまま、心臓の辺りを押さえて苦しそうにもがいている。先ほどまで魔女と言い争っていたと思ったのに、どうしてこんな……。
抱き起こし、頬に張り付いてしまっている彼女の髪をそっと剥がした。大量の汗をかいているのに、体が異様に冷たい。
「ね、ネロくん……?」
「メリィちゃん!」
「うぅ、見ないで、恥ずかしい……痛っ! 嫌!」
メリィちゃんは悪夢にうなされるように目を閉じたまま、痛みをこらえるように顔を歪めている。急に苦しみ方が変わり、気が気ではなかった。
「うーん、これはこれは……困りましたね」
「ジュリアン様! 助けてくださいっ」
早速ジュリアン様が短く詠唱して治癒魔術を施す。しかし、ぱちんと泡が弾けるように魔術が途絶えてしまった。
「魔女の魔術……精神を蝕む呪いの一種ですね。おそらく彼女は今、精神世界で拷問を受けているような状態なのでしょう。その痛みを現実のものだと錯覚し、体にも影響が出始めています。このままではそのうち……」
「そんな!」
俺は元凶である魔女を睨みつけた。
「あーはっは! 魔術の出力を上げさせてもらった。間もなくその小娘は死ぬぞ。もっとじっくりいたぶってやろうと思っていたのに残念じゃ!」
「我が君……ワタシの意見は全部無視……」
「敵に返すくらいなら壊してやる! さぁ、脆弱な騎士ども、一緒に小娘の断末魔でも観賞し――」
楽しげに笑う魔女の顔面すれすれを、光の筋が走った。
悪魔が抱えて間合いを取らなかったら、その剣の一振りは魔女の首を掻ききっていただろう。
「今すぐ呪いを解け」
アステル団長は見たことないくらい険しい表情をしている。
「はん! 嫌じゃ! わらわを馬鹿にする奴は、全員死ねばいい! おぬしらもじゃ!」
魔女が大きく手を掲げると、どこからともなくわらわらと魔物たちが現れた。使い魔のように巨大ではないけど、数が多いし、殺気立っている。
「まだ調教中の幼い子たちじゃが、その分美男子にも躊躇なく攻撃する。そんな少人数で乗り込んできて、わらわに勝てると思うたか! 頭を床にこすり付けて許しを請うのなら、わらわの奴隷として飼ってやってもよいぞ! ……え?」
団長に飛び掛かった二体の獣型の魔物が、あっという間に斬られて床に落ちた。
「正直に言って、デカくなければどうとでもなる。なぁ、トーラ」
「ああ。普通の魔物狩りと変わらねぇからな」
トーラさんも同じく魔物を斬り伏せ、鼻で笑った。
「何体いるか知らねぇが、すぐ片付けて魔女と悪魔をぶっ殺す」
「ああ! 王国最強コンビの力見せてやろう!」
「勝手にコンビにするんじゃねぇ!」
団長とトーラさんのぴったり息が合った無双が始まった。
「ボクも戦うから! メリィちゃんの呪い、早くなんとかしてっ!」
リリンも大斧を構えて近くの魔物の群れに突っ込んでいった。一振りで三体ほど吹き飛んでいく。風圧がここまで届くのだから凄まじい。
「なんとかしてと言われましてもねぇ……魔女の呪いは解析困難な代物。いくら私が天才でもすぐに解決策が見つかるものではありませんよ。特に精神系は、下手に干渉すると危険ですし」
ジュリアン様はのんびりと苦しむメリィちゃんを観察しつつ、ちらちらとアステル団長が戦う様子を盗み見ている。「さっさと諦めてあちらに合流したい」と暗に言われている気がした。
どうすればいい。
団長たちが魔物を退け、魔女を倒してくれるのを待つ?
その間にメリィちゃんが力尽きてしまうかもしれない。
何か俺にできることは……。
「ネロ!」
俺を呼んだのはミューマさんだった。魔物の攻撃をかわしながら、視線で何かを訴えている。
脳裏にあの夜の会話が蘇った。
『いろんな国に残っている伝承やおとぎ話を読めば明らかだ。魔女に呪われて苦しむお姫様を救うのは、いつだって王子様のキスでしょ?』
ほんの一瞬、躊躇った。
少し怖かったんだ。もしこれでメリィちゃんが目覚めなかったら、俺の愛が偽物だってことになるんじゃないかって。
俺の彼女への気持ちは本当に愛情なのかな。
いつも応援してくれることへの感謝や恩返しの気持ちが肥大化しているのかもしれない。メリィちゃんはとても可愛い女の子だから、推してもらって舞い上がっているだけなんじゃないか。
だって俺は、まだ彼女のことをほとんど知らない。握手会やカフェや学校でほんの少し言葉を交わしただけで、家族構成だってつい昨日知ったばかり。いや、彼女の体に流れる特殊な血のことは、本人より先に知ってしまったけれど……。
食べ物の好き嫌いも、趣味や特技もよく分からない。休みの日は何をしているんだろう。ご両親や友達とはいつも何を話しているのかな。
本当に好きなのは何色? 多分紫じゃない。それなのに、メリィちゃんは今日も紫のリボンで髪を結んでいる。
もっと、きみのことが知りたい。
たくさんの時間を一緒に過ごして、いろんな場所へ行って、お互いのことを教え合って、未来の話がしたい。
そうだ、ずっとそうしたいって思っていた。ここできみを喪ったら、俺は一生後悔する。
「――――」
俺はメリィちゃんの頬に手を添えて、淡い色の唇にそっと口づけを落とした。
握手会は苦手だ。知らない人に愛想よくするのは難しいし、期待された分だけがっかりされた時のことを考えて憂鬱になっていた。
でも、メリィちゃんが笑顔で会いに来てくれるから、俺は今日まで頑張ってこられたんだよ。
出会えなければ、きっと俺は金の為だけに騎士の仕事を無難にこなして、志の高い周りと比べて自分を嫌いになっていたと思う。
あの日、俺の天幕に来てくれてありがとう。
その後も毎回、俺に元気と勇気をくれた。
俺の無事を願い、ほんの少しの活躍でも思い切り喜んで、全然気の利いたことを言えなくても飽きもせず通ってくれた。
本当は、いつも全力で引き留めたかった。ずっとメリィちゃんと話して、その手を握っていたかった。
感謝の気持ちはもちろん大きいけれど、絶対にそれだけじゃない。
大丈夫。俺の愛が偽物なわけがなかった。
こんなにも愛しいと思っている。俺にとってメリィちゃんは世界で一番特別な女の子なんだ。
ずっともどかしかったくらいじゃないか。
俺も魔力譲渡で想いの丈を伝えられたらいいのにと、何度も何度もそう思った。
まだ言葉では伝えられないけど――。
「……?」
これが、きみへの愛の証明になったら嬉しい。
目覚めの気配を感じて離れると、メリィちゃんはゆっくりと目を開けて、ぱちぱちと二回瞬きをした。きょとんと首を傾げている。呪いの苦しみからはすっかり解放されたようだ。
そして至近距離で俺の顔を見て、自らの唇を指でなぞって、
「――っ!?」
そのまま両手で顔を覆って、声にならない悲鳴を上げた。
俺の腕の中でとても小さな動作でじたばた暴れている。悶えていると言った方がいいかもしれない。先ほどまでの冷たさが嘘のように体温が上がって、温度差で風邪をひかないか心配になったくらいだ。
「…………」
俺はかけるべき第一声が分からず、沈黙を貫いた。
羞恥の気持ちだけは共有できるけど、身動きできない女の子の唇を勝手に奪ってしまったという罪悪感が凄まじい。魔女の呪いから助けるためとはいえ、申し訳ないことを……だからと言って単純に謝ってしまうのも失礼な気がする。困った。
きっとメリィちゃんのことだから、ロマンチックなファーストキスのシチュエーションをいろいろと考えていたに違いない。こんなおかしな空間で魔物に囲まれ、どたばたと騒がしい状況でするはずじゃなかったことは確かだ。
というか、俺も初めてだった。必死過ぎてあまり覚えてないが、なんだか体と心がポカポカしていて、ぼうっとしている。
ヤバい、今更緊張が追い付いてきた。変な汗が……。
「やったー! メリィちゃんの呪いが解けたっ! ネロがやってくれましたよ、団長ー!」
「本当か!? 良かったー!」
リリンが爬虫類系の魔物を叩きのめしながら状況をみんなに伝えた。きゃあきゃあと、少年の声で少女みたいな響かせ方ではしゃぐものだから、耳が痛くなってきた。団長も魔物を蹴散らしながら体全体で喜んでいる。全然緊迫感がない。
「すっごいもの見ちゃった! おとぎ話の挿絵みたいだった! これは百年後も語り継がれるねっ! マジ王子様とお姫様! ジェイ先輩とクヌートにも教えてあげなくちゃ!」
全力で止めよう。もう俺が耐えられない。
ついでに魔物もリリンのテンションについていけなくて息絶えたようだ。
「お嬢さん、失礼します。……ふむ、心身ともにだいぶ衰弱しているようですね。まだ呪いの影響が完全には抜けきっていません。体が痺れているでしょう?」
ジュリアン様が「さっさっ」という音がしそうなくらい、てきぱきとメリィちゃんを診察した。
「というわけで、ネロ・スピリオくん、副団長命令です。しばらく彼女にくっついていちゃついていなさい」
「え!?」
「帰還には彼女の力が必要になるようですからね。絶対に死守するように。ここで偉大な団長のご活躍を一緒に観覧されてはいかがです? あ、応援は上品にお願いしますね」
用は済んだと言わんばかりに、ジュリアン様は俺を置き去りにして戦線に合流した。アステル団長を中心に、祝福を授けている。別に俺をぞんざいに扱うのは構わないが、もう少しメリィちゃんの身を案じてあげてほしい。ポーズでもいいから。
「きぃっ! なぜじゃ! 何もかもうまくいかぬ!」
魔物はすでに半分以下に数を減らしていて、魔女がイライラと喚き散らし始めている。メリィちゃんの呪いが解けたことも相当悔しかったみたいだ。
「…………」
俺はとりあえずメリィちゃんを背中から抱えて座った。面と向かってくっついているのは、恥ずかしかったから……。
もちろん周囲への警戒も忘れない。いつでも動けるように片膝を立て、片手で短剣を握り締め、魔物に備える。
「騎士しゃまー! がんばえー!」
状況が分かっているのかいないのか、メリィちゃんは本当に騎士たちの応援を始めた。体に力が入らないのは本当みたいで、俺に体重を預けている。声も呂律が回っておらず、だいぶ舌足らずだ。
もしかして現実逃避をしているのかな? それともショックのあまり幼児退行?
お互いの心臓の音だけが凄まじい速さで響いていた。視線を合わせられない……。




