26 ファンとアンチ
※大変申し訳ありませんが、人によっては気分を害される可能性のある描写があります。
ざまぁ展開などが苦手な方はご注意ください。
その朝はとても幸せな気分で目覚めて、お化粧もヘアメイクもばっちり決まって、お揃いのお守り石をこっそり身に着けて……少しでも早く彼の近くに行きたくて、私は小走りで学校に向かっていました。
しかし、通学路の途中で嫌なものを見ました。まるで私の行く手を塞ぐかのように、待ち構えている三人組がいたのです。
「イリーネちゃん……」
「久しぶりね、メリィ。ちょっと話があるんだけど」
イリーネちゃんと、その友人二人。にやにやと人を小馬鹿にしたような笑顔をしています。イリーネちゃんのお家は服飾店を営んでいて、あとの二人は雇っている従業員の娘です。
面貸せや、と言わんばかりに顎で路地を示されましたが、私は首を横に振りました。
推し騎士様の言うことは絶対です。不審者が検挙されるまでは、決められた通学路を外れるようなことはしません。大体、間違いなく不愉快なことを言われると分かっていてついていくほど馬鹿じゃないです。
「いいのかしら? あなたの推し騎士様がどうなっても」
「はぁ!? どういうことですかっ?」
私の反応が思いのほか強かったのか、イリーネちゃんたちはのけぞりました。彼女たちと一緒にいた頃の私は「なるほど」「確かに」「分かります」しか言えない大人しい子でしたから。
しかし推し騎士様との出会いによって変わりました。
ただの女子同士のいざこざならば、賢く身を引くことも考えますが、ネロくんが関わるのなら話は別です。ここで無視して彼にまで迷惑が掛かったら許せません。
イリーネちゃんは「ふん」と鼻を鳴らしました。
「昨日、あなたの推し騎士様と話す機会があってね、とても無礼な態度を取られたから騎士団にクレームを入れさせてもらったわ」
既に迷惑をかけている、だと……?
その時、私の脳裏に今まで読んだミステリ小説のトリックの数々がよぎりました。やるなら完全犯罪です。しかし相手は三人……綿密な計画が必要ですね。
ううん、ダメダメ! 手を汚すのは本当に本当の最後の手段!
……こんなにも殺意が高まったのは生まれて初めてのことです。
「メリィの態度次第では、撤回してあげてもいいわよ。どう?」
「……分かりました。話を聞きましょう」
私は大人しく三人組の後ろについていきました。その間、鞄から例の試作品のクラッカーをこっそり取り出し、紐を小指に巻き付けて握ります。これで迎撃準備万端です!
人気のない薄暗い路地で、私たちは相対しました。
「率直に言うわ。もう騎士様を追いかけるのは止めてくれる? 目障りなのよね」
「お断りします」
まさか担降りを要求されるとは……私は反射的に拒絶していました。
「推し騎士様への応援を制限されるいわれはありません。どうしてそんなことを言うんですか?」
「見ていて恥ずかしいのよ! 平民の田舎者なんかに熱くなって、トップファンを気取って調子に乗ってる姿が痛々しいの! 浮いてるのが分かんない? 大して可愛くもないくせに盛りまくってるんじゃないわよ!」
性格ブスに見た目のことを言われたくないです。
そう言いかけて、なんとか堪えました。
姫君たるもの、どんなときでもお淑やかでないと。汚い言葉を使ったら負けです。
それに、突然ヒステリックに叫んだイリーネちゃんの姿を見て、こうはなりたくないと逆に冷静になりました。こんな用件なら、真面目に付き合う必要もありませんね。相手が煽ってくるなら、こちらはクールに対応して見せます。
「私を貶す分にはどうぞご自由に。ですが、今度ネロくんを陥れることを言ったら絶対に許しません。騎士団へのクレームも今日中に撤回しないのなら、私がイリーネちゃんの虚言だって言いに行きます。騎士団から学校に確認の連絡が入って、先生に呼び出されても知りませんからね。最悪、ご両親にも迷惑が掛かりますよ?」
お忙しい騎士様をこんな下らないことで煩わせたくありませんが、いざとなったら本気で連絡します。ネロくんの名誉のためだもの。私がさらに恨みを買ってでも、守って見せます。
歯向かわれると思っていなかったのでしょう。イリーネちゃんたちは顔を真っ赤にして睨みつけてきます。もしかしたら殴りかかってくるかもしれません。私が身構えていると、
「え?」
彼女たちの後ろに、黒い影がぬるりと立ち上がりました。
目の錯覚でしょうか。今、何もないところから突然背の高い男性が現れたように見えたのですが……。
「ああ、やっと見つけた……」
不気味な黒づくめの男性に気づいたイリーネちゃんたちが悲鳴を上げ、こちらに逃げてきます。咄嗟のことに動けずにいると、すれ違いざまイリーネちゃんが私の腕を引っ張りました。バランスを崩し、そのまま男性の目の前まで転がりました。
「痛っ! 最悪です……」
気づけば、私だけが路地に取り残されてしまいました。
「あの時の忌々しい子どもの片割れ……始末せねばと思っていたが、これはいい。実に、ワタシ好み……」
私の全身をねっとりと眺めて、薄い唇を三日月のように歪める男性を見て、全身に寒気が走りました。
間違いありません。これは不審者です! 発見即通報が許される案件です!
「っ!」
私は男性に向け、躊躇いなくクラッカーを鳴らしました。普段だったらさすがに少しは躊躇ったでしょうが、本能的に危機を察知していたのかもしれません。
「来い」
男性は少しも怯まず、そのまま私に手を伸ばしました。
紫色の光が瞬く中、私は反射的にネロくんの名前を呼ぼうと口を開きかけましたが、ぷつんと糸が切れたように、いつの間にか意識を失ってしまいました。
☆
そのイリーネという女子生徒は、最初は「何も知りません!」と今朝の行動について口を閉ざしていた。
しかし見るからに顔色が悪く、誰とも目を合わせなかった。騎士たち、特にミューマさんの方を見ないようにしている。怪しい。何かを隠しているのは明白だった。
エナちゃんが「おーん?」と腕まくりしながら威嚇しても効果はなく、これは長くかかりそうだと俺がやきもきしていたところ、
「一刻の猶予もない。知っていることを全部話してほしい」
アステル団長が目線を合わせ、静かにそう告げた。
いつも明るく笑っている、優しいイメージの団長の真剣な表情が効いたのか、それともさすがに王族に嘘を吐く勇気がなかったのか、女子生徒はものの三秒で泣きながら白状した。
俺へのクレームを餌にメリィちゃんを人気のない路地に連れて行き、騎士団のファンを辞めるように迫って、突然現れた不審者から逃げる際に囮にして置き去りにした。
……最悪だ。彼女がやったことも、メリィちゃんの身に起こったことも。
その子が語った不審者の特徴は、先日遭遇した悪魔の姿に当てはまっていた。
状況的に考えて、やっぱりメリィちゃんは悪魔に遭遇して攫われたんだ。
ついに立っていられなくなって、俺はのろのろと近くの椅子に倒れるように座った。上官の前だったけど、咎められなかったのはみんなの優しさと状況の悪さゆえだろう。リリンも呆然としている。
騎士たちの反応を見て、女子生徒は自分のしたことのまずさに気づいたようだった。
「わ、私のせいじゃ……悪いのは不審者だし、メリィだって自力で逃げたかもしれないし……っ」
「あんたねぇ! 少しは反省しなさいよ!」
エナちゃんがイリーネという子の胸倉を掴もうとして、クラリス様と教師に止められていた。腹が立つ気持ちは分かる。
部屋の空気がどんどん悪くなる中、ミューマさんが口を開いた。
「……きみ、僕の握手会に来てる子だよね」
「! ミューマ君、私のこと覚えて――」
「勘違いしないでね。何回か見れば顔くらい覚えるよ。馬鹿じゃないんだから。ねぇ、なんでわざわざファンをやめさせようとしたの?」
その声はなんの感情も宿らない冷たいものだった。
どうやらミューマさんを推しているらしい女子生徒は、青ざめて震えた。
「だ、だって……メリィばっかりずるい! 婚約者もあの子を見て可愛いって言うし、うちは不景気なのに、あの子の家の経営は順調だし、仲間ハズレにしてもすぐに元気になって毎日楽しそうにして……! その上メリィの推し騎士が、この前戦功授与されていたのを見て悔しくてっ……最近は騎士団からも推されてるでしょ!? ミューマ君の方がすごいのに! 同い年の平民騎士なんかに負けてほしくなかったの! メリィ以外、ほとんどファンがいないくせに!」
女子生徒が俺を強く睨んだ。
メリィちゃんを妬むあまり、俺のことまで敵視するようになったようだ。使い魔討伐で引き立てられ、トップ騎士との訓練や任務に参加するようになって、俺が目立っていくのが許せなかったらしい。
……怒りよりも苦しくなってしまった。頑張ることで、誰かに恨まれるなんて思わなかったから。
ミューマさんは白いため息を吐いた。
見れば、周りに霜が降りている。
「もう二度と握手会に来ないで。出禁だから」
「えっ、そんな!」
「僕は、騎士団の活動を邪魔したり、仲間を陥れるような子に応援されたくない。騎士をなんだと思ってるの? 誰の魔力でももらい受けて頭を垂れるような真似はしないよ。お互い高め合うことはあっても、足を引っ張り合ったりなんかしない。使い魔と戦ってる時に、手柄争いや人気取りを気にしている騎士なんて一人もいないよ。善良な国民を守るために命を懸ける高潔な存在。だから応援してもらえるんだ。きみの利己的で身勝手な願望を押し付けて、僕の大切な騎士団を穢さないでくれる? 本当に最悪……」
「……っ」
「僕のファンを名乗るのも、もうやめてね。恥ずかしいし、僕にも他のファンにも迷惑だから」
あまりにもきっつい言葉の数々に、室温もみんなの心の温度も一気に下がった。
「ファンが言われたくないこと全部言った……!」
「わたくし夢に見そう……」
エナちゃんとクラリス様にいたっては、身を寄せ合って震えている。自分が言われたら耐えられないんだろう。俺ですら少し同情してしまうほどだった。
女子生徒は泣き崩れ、「ごめんなさい」と何度も繰り返した。
「なんで僕に謝るの? 意味分かんない。ネロと行方不明になった女の子に許しを請うんだね。でも、言葉だけで償えると思っているとしたら、あまりにも愚か――」
「ミューマ、それくらいにしよう。今は救出のために時間を使おう。な?」
「死体蹴りはやめろ。もう多分何も聞こえてねぇよ」
アステル団長とトーラさんが止めなかったら、ミューマさんの静かな怒りが氷点下に達して、会議室全体が凍結していたかもしれない。確かにオーバーキルだった。
イリーネという女子生徒はしおしおに萎れて、教師に付き添われて退室していった。諸々の問題行動については学校側でも事情を聴いて、処分を下すということだった。
前の変異種の魔物討伐の時も思ったけど、ミューマさんは怒ると怖い。魔術による攻撃だけではなく、レスバトルでも殺意が高めだ。言っていることは何も間違っていないけど、相手を刺すことに躊躇いがない。
「ネロ、ごめんね……」
打って変わって落ち込む彼に対し、俺は首を大きく横に振った。ミューマさんは悪くない。
少し冷気が和らいだところで、ぽん、とジュリアン様が手を叩いた。
「さて、誘拐犯の手がかりも手に入ったところで……クラリスとエナ・コリンズ嬢も退室を。ここからは機密に関わることを話し合いますので」
「ジュリアン従兄様……」
「ご協力、ありがとうございました。ご学友の救出に全力を尽くすとお約束します。クラリス、彼女が戻ってきた時、学校であらぬ噂が広がらぬよう今から手を回しておいてください。できますね?」
クラリス様はぐっと目に力を入れた。
「愚問ですわ。フレーミン家の名にかけて、つつがなく対処して見せます。従兄様も、必ず約束を守ってくださいませ」
「ええ、もちろん」
クラリス様に促され、エナちゃんも後ろ髪を引かれる様子で会議室を後にしようとする。
しかし、直前で踵を返して俺の右手を強引に取った。緊急事態だからと予め解除しておいた紋章が紫色に光る。
「お願い! メリィのこと、絶対に助けてあげて! ネロくんのこと待ってると思うから!」
「あら、魔力譲渡できるのですね。ではわたくしも。……どうかご武運を」
クラリス様もぎゅっと手を重ねた。
「……!」
二人から託された魔力と想いに、俺は強く頷きを返す。
アステル団長ではなく、俺に預けてくれた。なら俺がメリィちゃんを助けないと!
俺は折れかけていた心を奮い立て、足に力を入れて立ち上がった。
少女二人が会議室を去ると、残された男性陣が難しい顔を突き合わせた。
軍の幹部が頭を押さえる。
「とはいえ、悪魔や魔女の隠れ家を探さねば、救出も何もない。一体どうするおつもりで?」
「前回の魔物討伐の時に採取した悪魔の血があります。まずはそれを分析して――」
今後の方針を打ち出そうとしたその時、会議室にノックの音が響いた。
「あ、失礼します。遅くなって申し訳ありません。私の娘が行方知らずになったと聞いたのですが――」
今度はメリィちゃんのお父さんがやってきた!




