18 騎士たちの夜
今回の任務地は、王都の北東部に位置する広大な森だった。
まずは近隣の村に聞き込みに行く。変異種の魔物を最初に目撃した人に話を聞いてから、捜索を開始するのだ。
「甘い香りを追って、気づいたら辺り一面が薄暗くなっていて……それがまさか、儂に覆い被ろうとする魔物の影だったとは。あんな大きな魔物、使い魔かと思いました」
村の狩人のおじいさん曰く、いつものように獲物を探して森を練り歩いていたら、嗅いだことのない不思議な甘い匂いがしたらしい。それに引き寄せられるように森の奥深くに分け入ったところで、巨大な植物の魔物に遭遇してしまった。
連れていた鷹が魔物を威嚇してくれたおかげで難を逃れ、おじいさんは命からがら村に帰って、騎士団に通報してくれた。
魔物は、動植物とは違って、いつの間にか発生する摩訶不思議な生物だ。
この道数十年の狩人でも、自宅の庭のように歩き慣れた森で突然発生した魔物に襲われて命を落とすことがある。
……俺の父のように。
このおじいさんは運が良かった。よりにもよって変異種の魔物に出会って生きて帰ってこられたのだから。
「巨大な植物型かよ。しかも森の奥……厄介だな」
「僕が来ていて良かったね。最悪、一帯を焼き払えば終わる」
「それは本当に最悪だろうが。騎士ならそんなことしねぇよ」
今回の任務の指揮を執るトーラさんとミューマさんは、移動と聞き込みで日が暮れ始めたのを見て、今日は村の近くで野営することを決定した。
あまり大きな村ではなかったし、突然のことでなんの準備もないみたいだから、村の中にお邪魔するのは遠慮するみたいだ。警備を兼ねて村と森の間に天幕を張る。
食糧は持参してきた分で数日は持つけど、握手会で集めた魔力は五日くらいしか紋章に溜めておけない。それまでに変異型の魔物を討伐できなければ、交代の部隊が来ることになっている。
夜。
一番下っ端な俺とクヌートが率先して食事の支度を引き受けた。と言っても、クヌートはそこまで野外での活動に慣れているわけではない。薪集めや水汲みを任せ、それ以外はできるだけ俺が頑張った。
持ってきた食材は下準備がされていたし、ジェイ先輩が手伝ってくれたこともあって、用意はさほど手間取らずに済んだ。
騎士カフェでトップ騎士メニュー六種の注文が同時に入ってきた時に比べれば、なんてことはなかった。
焚火を囲む先輩たちに食事を配る。
今までも任務で野営をしたことはあったけど、さすがにトップ騎士や上位騎士の先輩に料理を振る舞ったことはない。味見はしたので大丈夫だと思うけど、貴族の舌に合うかどうかは分からなかった。
俺が自信なさそうにしているせいか、先輩たちもどこか表情が硬い。
「いただきます。……いやぁ、今回はネロがいて良かったな。ちょっとした料理でも全然味が違うぜ! さすが狩人の息子にして、厨房のスーパーアシスト!」
そんな空気を、ジェイ先輩が変えてくれた。俺のことを自慢げに話してくれるのは嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
美味しそうに豚肉の香草蒸しを頬張るジェイ先輩を見て、様子を伺っていた先輩騎士たちがおずおずと口を付ける。
「本当だ。めちゃくちゃ美味いぞ!」
「香草の風味がいいね。柔らかくてジューシーで」
「これは酒が欲しくなるな」
概ね好評で、ほっと胸を撫でおろした。
「相変わらず、貴様はよく分からんところで活躍する……」
クヌートも野菜のスープを飲んで唸っている。
「うん、これ本当に美味しいよ。おかわりある?」
ミューマさんも小柄な体からは意外なほどによく食べてくれた。淡々としているけど、味自体は気に入ってくれたみたいで、手を止めずに頬張っている。
俺は自分の分をさっと食べて、食後のお茶を用意した。先輩たちがやたらと「酒飲みたい」と連呼するので、せめてもの気安めだ。お茶の気配を察して、貴族の先輩騎士が個人的に持参したという砂糖菓子を配ってくれた。
「俺は要らねぇ」
焚火から少し離れた場所にいたトーラさんは、砂糖菓子を断っていた。代わりにミューマさんが二つもらって嬉しそうにしている。
「……あの、どうぞ」
「あ?」
俺はお茶を持っていく時に、塩と一緒に炒ったくるみを添えてみた。
トーラさんの表情は険しく、漂う空気は気まずい。俺はなけなしの勇気を振り絞って会話を試みる。
「えっと、ナッツ系のお菓子がお好きでしたよね? カフェの推しメニューで」
彼プロデュースの推しメニューのメインは、甘さ控えめなナッツのパウンドケーキだった。パティシエはエンカラの青をふんだんに使いたかったみたいだけど、青色の食材は少ないし、青い皿にパウンドケーキを乗せても美味しそうに見えないと頭を抱えていた。結局は、青い縁取りの白い皿に、青い花を添えて提供していた。
「ああ、あれか。別に、甘いもんが嫌いだって適当に答えたら作られただけだ。下らねぇことばかりさせやがって……あんなもん、注文する奴いるのかよ」
「たくさんいます」
トーラさん推しの姫君は、甘くないスイーツに「解釈一致」と大喜びだったらしい。これは言わない方がいいだろうな、多分。
俺はトーラさんがお茶とくるみを受け取ってくれるのを黙って待った。
警戒心の強いリスを餌付けしているような奇妙な感覚。ああ、こんなことを考えているとバレたら余計嫌われる。
「……はぁ」
トーラさんはお茶のカップとくるみの包みを受け取ると、俺を無視して立ち上がった。
「お前ら、それ飲んだら片付けてさっさと寝る準備しろよ。夜番は階級関係なしに若い奴から二時間交代だからな」
カップを掲げて返事をする騎士たちを見て、トーラさんはそのまま天幕の方へ引っ込んでしまった。
とりあえず皆の前で思い切り拒絶されなくて良かった。
年の若い順、ということで夜番の一番手は俺とミューマさんだった。
先輩たちが天幕に引っ込んでしまい、村からも灯りが消えていく。物寂しい夜に焚火が爆ぜる音だけが響いた。
片付けも明日の準備も終わり、後は火の番をしながら交代を待つばかりだった。
ミューマさんは焚火の向かい側で、静かに書き物をしている。俺はこっそりと首から下げた紐を手繰り寄せ、服の下に隠していた白い石を指で撫でた。
「…………」
これはメリィちゃんがプレゼントしてくれたお守り石だ。小さくてつるつるした雫型で、昼間に太陽にかざしたら虹色に輝いていた。
アクセサリーなんて一つも持っていないけど、これなら俺でも違和感なく身に着けられる。任務中は服の下に仕舞っておけば、弓を引くのにも邪魔にならない。
「ネロは、魔術について詳しくないんだっけ?」
「え!?」
急に話しかけられて、無意識に緩んでいた頬をきゅっと引き締めた。
「あ、はい。全然分からないです」
「敬語は要らないって言ってるのに……まぁいいや」
ミューマさんは手元に視線を落としたまま、話し始めた。並行して別々のことを処理できるなんて、やっぱり頭脳からして違うんだろうな。
「魔術とは、人間が生まれつき持っている命属性を、別の属性に変換して操る技術のこと。魔術とひとくくりで言っても、たくさんの属性と使い方がある。光と闇の根源属性は祝福と呪縛を、地水火風の自然四大属性は主に強化と調和、最近は錬金術も流行してるね。無属性なんてのもあるよ。古くから伝わる民間魔術なんかは、解析できていないものも多いから。一応、これは表向き無属性ってことになってるんだ」
右手の甲を軽く指さして、ミューマさんは微笑した。
魔力の譲渡と蓄積を可能とした紋章魔術。星灯騎士団の生命線だ。
歴代の王様が魔女と使い魔に対抗するため、国中の有望な魔術師に資金援助をして様々な研究をさせていた。
紋章魔術を開発したミューマさんのおじいさんもその一人である。
「元々祖父は、魔女と使い魔について研究していたんだ。知ってるかな? 魔女は悪魔と契約して魂を売った者――現世では悪魔の主人であり、来世では悪魔の奴隷。現世に堂々と姿を現すのは圧倒的に男の悪魔の方が多いからか、女性ばかりが契約者になって魔女を名乗る。まぁ、悪魔の契約者なんて滅多にいないんだけど。百年に一人現れるかどうかって感じ」
「……知りませんでした」
人間を苦しめる悪い魔術師の女、くらいの認識だった。
悪魔のことは別の次元にいる人間を堕落させる存在、という概念しか知らない。普通に生きていたら悪魔に関わることなんてまずないし、実在するかどうか半信半疑の人が多いんじゃないかな。
「実は、魔女や悪魔には共通して苦手な属性がある。なんだと思う?」
「……えっと、光属性ですか?」
なんとなくイメージで答えると、ミューマさんは満足げに笑って首を横に振った。
「いろんな国に残っている伝承やおとぎ話を読めば明らかだ。魔女に呪われて苦しむお姫様を救うのは、いつだって王子様のキスでしょ?」
「きっ」
過剰に反応してしまった俺に対して、ミューマさんは淡く微笑んだ。同い年なのに余裕な態度でなんだか恥ずかしくなってしまった。
「愛属性――魔女も悪魔も人間同士が育む愛に弱いんだ。恋愛感情だけではなく、家族や友人との絆にも適応される」
「そんな属性があるんですか?」
「魔術学会では認められてないけどね。心のことだから測定が難しくて、未だにほとんど何も分かっていない。命属性の魔力と親和性が高いみたいだけど……目に見えない心の熱、とでも言えばいいのかな。どれだけ強大な力を持つ魔女でも、ただの人間の誰かを想う感情に敗北してしまう。面白いよね」
俺は両親や故郷の村の友人、騎士団の仲間、そしてメリィちゃんのことを思い出した。
思い出すだけで胸が温かくなる。もしもこの気持ちに魔力が宿るのなら、確かに心の熱で、愛属性と呼ぶのがふさわしいと思う。
「ところが、この王国を呪っている魔女に関しては、その法則に当てはまらないんだ。使い魔は恋人や伴侶のいる者を前にすると暴れ狂うでしょ?」
確かに、弱体化するどころか凶暴化して大きな被害を出してしまう。だから使い魔との戦場には単身者しか出陣できない。
「多分、愛属性が自身の弱点だと気づいた魔女が、使い魔に術式を仕込んで対策しているんだと思う。使い魔はどうやって愛属性を感知しているのか……家族愛や友情に反応しないということは、血縁や感情ではない。片想いでも大丈夫。ということは、恋愛感情に起因した“言葉の契約”に反応して、使い魔が暴れ狂うようにしているんだろうね」
「言葉の契約?」
「付き合ってくださいとか結婚して下さいとか。これは祖父の仮定だけど、愛の告白が成功すると、心が愛属性の魔術契約を交わしている状態になるんだって。使い魔はその契約を感知して、暴れ出しているんじゃないかな」
魔術的なことは難しくてよく分からないけど、要するにこの国の魔女は愛属性――とりわけ恋愛感情を発露とした愛の奇跡を警戒しているらしい。
告白してOKをもらうと、両者の心は契約で結ばれる。戦場でその契約の気配を感知すると、使い魔は自分が傷つくことを厭わずがむしゃらに攻撃するように変貌する。戦士が恋人を想って力を増幅させる前に、戦場を混乱に陥れ、簡単に討伐させないようにしているのだ。
「使い魔を暴れさせて大きな被害を出すことで、誰かと愛し合うことが罪だという風潮にしたかったのかもね。愛のない冷たい王国になれば、弱点がなくなって乗っ取りやすいとでも思ったのかな。魔女って性悪。でも魔女にとっては皮肉なことに、その使い魔の性能を逆手にとられて、とんでもない騎士団を誕生させてしまったわけだけど」
美男子のみが在籍する恋愛禁止の星灯騎士団。
俺はエナちゃんの言葉を思い出した。
『魔女に呪われているとは思えないくらい明るくて楽しい、大陸一奇妙で愉快な国だという噂は真実だったわ。最高!』
魔女の思惑とは裏腹に、この王国は推し騎士への愛に溢れている。
「話の流れで分かったと思うけど、この紋章魔術も実は愛属性なんだよ。ファンの愛で増幅した魔力を集めているけど、言葉の契約はしていない。だから使い魔は暴れないし、星灯の騎士は強いんだ」
「な、なるほど」
俺は改めて右手の紋章を見つめた。
使い魔を弱体化させる美男子であり、ファンからの愛属性の魔力で強化された星灯の騎士。
本当に使い魔討伐に特化した戦士なんだ。
「あ、ちなみに今の話は全部、騎士団の中ではアステルとジュリアン、魔術師系の一部の騎士しか知らないから内緒にしてね」
「え!?」
魔女や悪魔には愛属性という弱点があること。
使い魔が告白などの言葉の契約に反応して暴れ出していること。
紋章魔術は言葉の契約を用いない愛属性の魔術であること。
確かに、全部が重要な話なのに、俺を含めて他の騎士たちが話しているのを聞いたことがなかった。
「言葉にしなければ女の子と付き合ってもいいと勘違いそうな騎士がいそうだからさ。リナルドとかリナルドとかリナルドとか」
「はぁ」
「僕だって、できればいろいろな条件下で研究したいんだけど、使い魔の凶暴化の条件を調べるために、戦死者を出すわけにはいかないでしょ。今のやり方が一番効率よく使い魔を狩れる。……僕も、研究なんかよりも仲間の命の方が大切だからさ」
いつも淡々としているミューマさんだけど、その時ばかりは想いのこもった温かい声だった。
しかし照れ臭くなったのか、すぐに肩をすくめる。
ものすごくためになる話を聞けたし、ミューマさんのことが少し分かって良かったけど、俺は疑問に思った。
「どうして俺にその話を……?」
ファンに想いを寄せてしまっているから、釘を刺したかったのかな。それにしたって、回りくどい忠告だ。
ミューマさんは顔を上げて、俺の胸の辺りを指さした。
「出発前に僕が鑑定したそのお守り石、それには、ごくわずかながら愛属性の魔力が込められているから」
「……え?」
「目に見えず、生きた人間からしか検知できないはずの愛属性の魔力が無機物に宿ってるなんて、ものすごーく珍しい。僕も実物は初めて見たけど、間違いないよ。祖父は古い友人に似たような宝石を借りて研究したことがあると言ってたけど……ネロの姫君はそれをどこで手に入れたんだろうね。それとも、この魔力はその姫君の魔力で、石の方に何か秘密があるのかも?」
「…………」
あれ? メリィちゃん、ただのお守りだって言ってなかったっけ?
予期せぬ話の流れに、気が遠くなってしまった。
「心配しないで。本当にごく微量の魔力だし、魔術の気配はない。身に着けても大丈夫……だと思うよ?」
「疑問形!?」
「そこは姫君の愛を信じなよ」
確かに、メリィちゃんが俺に危害を加えるとは思えない。怪しい素振りはあったけど、そこは信じられる。
でも、貴重なものだと知っていて俺に渡したのだとしたら……。
冷や汗が止まらない。
「あ、あの、ちなみに、これってどれくらいの価値が……」
「普通の人間には無価値。でも、愛属性を研究する魔術師にとっては垂涎の代物だ。正直、値段なんてつけられないけど、もし研究のために譲ってくれるなら、僕ならこれくらい出すよ」
ミューマさんが指で金額を示した。ゼロの数が凄まじい……!
俺は服の上からぎゅっとお守り石を握り締めた。急に首のあたりが重く感じる。
「ジュリアンに見せなくて良かったね。バレたら没収されていたかも」
「そんな……」
俺はすがるようにミューマさんを見る。
研究に協力するのが国民としては正しいのだろうけど、メリィちゃんからの大切なプレゼントだ。いくら積まれても、手放すわけにはいかない。
……というか、こんなにも貴重なものなら、メリィちゃんに相談して返却すべきではないだろうか。価値を知ってしまった以上、のうのうと受け取れないよ。
「とりあえずお守り石のことは内緒にしておいてあげる。その代わり、王都に帰ったらそれを贈ってくれたネロの姫君を紹介してくれない? いろいろと話を聞きたいな」
メリィちゃんには申し訳ないけど、頷く以外の選択肢はなかった。




