17 贈り物
訓練演習から一週間後、今度は魔物の討伐任務のため本部に召集された。
「使い魔の討伐後は大規模な魔力復元の影響によって、変異種の魔物が発生しやすい傾向にあります。今回もおそらくその一種かと」
ジュリアン様の説明によると、使い魔が出現すると自然界の魔力の流れが異常に活性化されてしまう。討伐後、魔力の流れが元に戻る影響で、活性化した魔力が溢れて突然変異した魔物が発生してしまう、ということらしい。
「まだ目撃情報だけで実際の被害は出ていません。が、油断せず早急に準備を整えて討伐に向かいなさい」
使い魔のように巨大ではないけれど、通常の魔物よりも変異種は強い。日頃見かける魔物とは行動パターンも違って危険。周囲にいる他の魔物にも影響を与え、凶暴化させることもある。
……というわけで、最大戦力であるトップ騎士が討伐の任務に就くことが多いそうだ。
招集されたメンバーの顔触れを見ると、任務の難易度が分かる。
北部から王都に戻ってきたトーラさんと変異種の魔物のサンプルが欲しいミューマさん、他数名の手練れの騎士。総勢十名のチームが編成された。その中にはジェイ先輩とクヌートもいたので、俺はあからさまにほっとしていた。
ジュリアン様から任務の説明が終わると、すぐ後ろにいたクヌートに背を叩かれた。
「ふん、王都での初任務が貴様と一緒とはな」
「えっと、ごめん?」
「なぜ謝る。この抜擢は、俺たち新人に経験を積ませようという上層部の判断だろう。先輩たちの手を煩わせぬよう、立派に務めを果たしてみせる。……入団試験の時のようなことにはならないから安心しろ」
「いや、あの時のことはもう――」
そのまま思い出話に花が咲きそうになった時、黒髪が視界をよぎり、舌打ちが聞こえた。
「早速かよ……おい、とりあえずお前は攻撃に参加するな。黙って見学しとけ」
トーラさんは俺と顔を合わせるや否や、そう釘を刺した。やっぱり信頼されていないみたいだ。
俺の返事も待たず、歩き去ってしまった。
「……はぁ」
俺としても、もう少し腕を上げてからトーラさんに見てほしかった。
トップ騎士会議の日から命中精度に重きを置いて必死に訓練している。だけど、先日の演習では矢に魔力を込めるのを躊躇してしまった。俺が自分の腕に自信を持てていない証拠だ。
今回は言われた通り、先輩たちの動きの注視に努めようと思う。変異種の魔物と戦うのは初めてだし、準備はしつつも大人しくしていよう。
「おい、なぜトーラ殿に目の敵にされている?」
「俺が射手だから」
「だからなんだ?」
「えっと、前に射手が起こした事故で、怪我をされたのがトーラさんだから……俺が無茶な攻撃をしないように、忠告を」
クヌートは顔をしかめた。
「何も分かってないな!」
「こ、声が大きい」
「北部でご一緒させていただいた時は、冷静で視野の広い方だと思ったが……まぁ、断じて愚鈍な方ではない。ネロの実力はすぐに知れるか」
勝手に怒って、勝手に納得してしまった。有難いことに、入団試験の時の一件で、クヌートは俺の腕を買ってくれている。
そうか、クヌートとトーラさんはこの数か月、一緒に北部にいたんだ。合うような、合わないような、想像できない組み合わせだ。後でどんな感じで接していたのか聞いてみよう。
「次、ネロ・スピリオ」
握手会に向かう前に、右手の紋章の解除作業がある。
騎士が不正に魔力を集めて私利私欲のために使わないよう、任務や訓練前にしか紋章魔術が使えないようになっているのだ。特殊な魔道具――水を張った白い桶に右手を突っ込むと、紋章が淡い紫色に輝く。
自分の体の内側が広がっていくような感覚がして、何回やっても慣れない。
それにしても、今回の任務は見学を余儀なくされそうなので、握手会で魔力をもらうのは気が引けてしまうな……。
何より、メリィちゃんと顔を合わせることになるので、俺は緊張していた。こんな短期間に握手会に参加することがなかったから、すぐ会えるのは嬉しいけど……。
いざ握手会へ、と他の騎士たちが意気揚々と広場に向かう中、俺は本部入り口で屈みこんだ。
「ポムテル……俺、頑張ってくるよ」
「きゃんっ」
またアステル団長が連れてきていた白い子犬――ポムテルと命名された子を撫でて、少しばかり癒された。ふわふわで可愛い。
城ではまだやんちゃをしているそうだが、俺の前だと途端に大人しくなるらしい。尻尾をぶんぶん振って寄ってきたから嫌われてはいないと思うけど、俺を主人と間違えていないか心配だ。
見送りに来ていた団長が、ちょっと寂しそうな顔で俺たちを見ていた。気づかない振りをしよう。
今日は騎士団服に付いた白い毛をちゃんと取って、握手会会場へと向かった。
「こ、こんにちは、ネロくん」
緊張してたのは俺だけじゃなかった!
握手会に来てくれたメリィちゃんは、いつもよりもずっと頬を赤くしてもじもじしていた。熱でもあるんじゃないかと心配になるレベルだ。
「先週の演習はどうでしたか?」
「大丈夫。誰も怪我なく終わったよ」
「それは良かったです。今日は魔物の討伐任務ですよね……ネロくんなら大丈夫だと思いますが、十分に気を付けてくださいね!」
「うん、心配してくれてありがとう。俺にできることを頑張ってくる」
「はい、無事と活躍を祈って待ってます」
「…………」
「…………」
型通りの会話をして、言葉が続かなくなった。気まずいというよりも、面映ゆい沈黙になってしまう。
「あっ、今日エナちゃんはクヌート様のところに行きましたよ。先日カフェでお見掛けしてから気になっていたそうで……今日が王都デビューなんですよね?」
「うん。でも、そう言えば全然緊張してなかったな。クヌートは背も高いし、見るからに騎士って感じだから、既に人気ありそう」
「そうですね、もう行列ができていました。で、でも、ネロくんの列も盛況ですよ! 私の後ろにも結構並んで――」
フォローしてくれてありがとう。
少し知名度が上がって俺のところにも人が来てくれるようになったけど、やはりクヌートのように貴族出身の気品のある騎士の人気は根強い。このまま活躍できなければ、俺は忘れられていくだろう。もちろんそうならないように頑張るけど、目立てばいいというものでもないし、人気のことは気にせずに目の前の仕事をこなしたい。
自虐でも、卑下でもなく、冷静にそう思う。
再びの沈黙。
メリィちゃんは小柄な体を落ち着きなく揺らして、何かを迷うように俺のことをちらちらと見る。
……やっぱりダメだ。メリィちゃんの上目遣いは最高に可愛い。なんでも言うことを聞いてあげたくなってしまう。
「あの、この前の握手会で言ったことなんだけど」
「っはい!」
ピンと背筋を伸ばすメリィちゃんに、俺は小声で告げた。
「重荷になってたらごめん。いつでもいいから、俺にできることがあったら言って。ずっと待ってる」
「……ネロくん」
良くないことだって十分に分かったけど、発言を撤回する気はなかった。メリィちゃんには本当にたくさん助けてもらっているから、心からお礼がしたい。彼女の望みはなんだって叶えて見せる。特別なことでも、特殊なことでも、力が及ぶ限り頑張る。
メリィちゃんはしばし俯いた後、顔を上げ、俺の目を見つつも少しいじけたような声で言った。
「そういうことを言うのは……私だけですか?」
「え」
「他の姫君にも、同じことを」
「しないよ。メリィちゃんだけだ」
咄嗟に前のめりになって言うと、メリィちゃんの目がぱぁっと大きく見開かれた。まるで星が散っているみたいにキラキラしていて、その瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「そうですか。嬉しい……」
照れてメリィちゃんが一歩下がったのをいいことに、俺はそっと視線を逸らした。なんかいろんなことを一気に卒業したい気分になってしまった。危ない。心臓がバクバク鳴っている。
ああ、こんなに可愛いと心配になる。学校の男子生徒とか、メリィちゃんのこと好きになっちゃうんじゃないかな。ライバルが多そうだ。
「その言葉だけでもう十分です、ネロくん! 本当にお礼なんて必要ないですよ。私が好きで応援させていただいてるんですから」
「メリィちゃん……でも、俺に何か言いたいことがあるんじゃない?」
実は、メリィちゃんが天幕に入ってきた時から気づいていた。
いつもの学校カバン以外に、もう一つ荷物を持っている。薄紫色で綺麗なリボンがかけられた小さな紙の包み……気づくなという方が無理がある。思わず視線を向けてしまった。
「あ、こ、これはっ、その、ご迷惑じゃなければ、ネロくんにもらってほしくて。いろいろ考えたんですけど、それが私の一番の望みです!」
「俺がお礼をするっていう話だったんだけど……?」
彼女がくれる魔力や時間を少しでも何か別の形で返したいと思っていたのに、さらにもらってしまうのはどうなのか。
メリィちゃんの目は泳ぎまくっていた。
「でもでも、私の贈ったものをネロくんが身に着けてくれたら最高に嬉しいので! あ、これ、お守りなんです! 動きの邪魔にならないものにしたつもりなんですけど……どうか受け取ってください!」
一拍置いてから、勢いよく差し出された包み。
俺は手を伸ばすか迷った。
騎士団の規則を朧気に思い出す。
ファンからの個人的な贈り物は、原則受け取ってはいけないとされている。特に飲食物は危険なので絶対に口にしてはいけない。これは多分、過去にバルタさんが危ない目に遭ったからだろう。媚薬入りの酒なんて、耐性のない他の騎士ではひとたまりもない。
姫君たちにも贈り物を控えるように喧伝しているし、アステル団長以下、トップ騎士のほとんどはどんな物で受け取らないと公言していると聞く。
だけど、完全に禁じられているわけではなかった。どうしても受け取りたい場合は、自分の物にする前に騎士団本部に提出しろと言われている。毒や危険な魔術がかかっていないか鑑定してくれるらしい。
逆に、報告や提出を怠って受領していたら罰則がある。ファンに金品を貢がせるのは、騎士団の風評を落とすことになるので、過度に受け取るなという戒めでもあるのだ。
包みを差し出す彼女の白い手が震えている。
きっと勇気を振り絞ってくれているんだ。この手をそのまま押し返すことなんて、俺にはできない。
「ありがとう。本当に、もらってばかりでごめん」
俺はおずおずと、メリィちゃんから包みを受け取った。
そのときの彼女の弾けるような笑顔に、胸が苦しくなった。
「えっと、騎士団の規則で」
「鑑定があるんですよね? 大丈夫です! 本当にただのお守りですから!」
どうやら人に見せても大丈夫な品のようだ。リナルドさんとバルタさんに報告したい。メリィちゃんのお願いは可愛いものでしたよって。
嬉しそうにはにかんでいるメリィちゃんを見て、俺は包みをそっと抱えた。
「大切にする。俺からのお礼は、またいつか絶対にするから」
メリィちゃんは首を大きく横に振っていたけれど、これでは俺の気が済まない。
そうか、贈り物。その手があった。
騎士からファンへのプレゼントも、何か決まりがあっただろうか。ジェイ先輩に相談してみよう。選ぶのは自分でしたいけど、センスに全く自信がない。こういう時はリリンにアドバイスをもらいたいところだ。
お互いにふわふわしてしまって、残りの時間がわずかになり、俺たちはまた慌てて握手をした。
今日もメリィちゃんはたっぷり魔力をくれる。多分使いきれないのに申し訳ない。
騎士の返礼まで済ませたところで、彼女はまたもじもじし始めた。
「あのね、ネロくん、そのお守りなんですけど、実は……」
「うん?」
「………………なんでもないですっ!」
結局、彼女はまた顔を真っ赤にして逃げ去ってしまった。
「…………」
なんか、怪しい。もしかしたら“ただのお守り”ではないのかもしれない。
少し不安になったけれど、彼女がくれたものだ。信じて身に着けさせてもらおう。
贈り物鑑定の窓口の一つは、ミューマさんだったはず。任務出発前に見てもらえるかな。そうすれば今日も持っていける。
正直に言えば……すごく嬉しい。
メリィちゃんといつでも一緒にいるような気分になって、会えない時でも頑張れそうだ。
任務前だというのに、俺はすっかり浮かれ切っていた。




