15 推しへのお願い
クラリス様が去り、二人きりになりました。
ネロくんは自分のした話で彼女がダメージを受けたと思っているようで、焦っている様子でした。
「クラリス様なら大丈夫ですよ。むしろネロくんのおかげで元気になったと思います!」
「そ、そうなんだ? え、なんで……?」
きっと今頃、あまり人に見せられない顔をしていらっしゃいます。私だったらじっくり一人で浸りたいので、そっとしておくのが正解です。
今日はネロくんと交流できる時間を多くいただいてしまったので、クラリス様にも収穫があって良かったです。
「あと三分でーす」
奥から声がかかりました。クラリス様のおかげで持ち時間が増えているとはいえ、それほど余裕はありません。
改めて二人で向かい合いました。本当に今日はいつにもまして格好良くて、ネロくんを直視できません。ああ、でもせっかくの機会だから見ないともったいない……。
「あの、メリィちゃん。この前はありがとう。ノートを作ってくれて……」
ネロくんの言葉に顔を上げ、その優しい微笑みが眩しくてまた俯きます。
「いえ! そんなの全然! ごめんなさい、おかしなことを書いてしまって……」
「た、確かに少し、面白いことが書いてあったけど……でも、あのノートのおかげでトップ騎士の人たちと普通に話せたと思う。本当に助かったよ」
ネロくんにそう言ってもらえて、私は完全に舞い上がってしまいました。推し騎士様の役に立てることは至上の喜びです!
「あ、でも、学校の授業はちゃんと受けてほしいな」
「……はい」
その言葉は今まで以上に重く受け止めました。ネロくんに呆れられないようにちゃんとしなくちゃ……。
「…………」
私は迷いました。
どうしてトップ騎士会議に呼び出されたのか、聞きたいです。先程の子犬の話を聞く限り、アステル殿下との距離が近くなっているのも気になります。
しかし会議の内容なんて、どう考えても部外者に話してはいけないでしょう。聞いたらネロくんを困らせてしまいます。
「それで、この前のトップ騎士会議で言われたんだけど」
「え! 私に話していいんですか?」
心を読まれたようなタイミングに私が驚くと、ネロくんはきょとんとしながらも頷きました。
「うん。メリィちゃんには言っておかないといけないと思って……団長たちにも許可は取ったから大丈夫」
「は、はい」
唖然としました。まるでネロくんに私のことを特別扱いしてもらっているような錯覚をしてしまって、落ち着きません。
「これからの使い魔討伐のためにも射手をちゃんと育成したいみたいで、俺にトップ騎士と連携が取れるように頑張ってほしいって言われたんだ。俺が今日からの演習に参加させてもらうのも、その一環で」
「……そうでしたか」
想像していた内容ではありますが、いざ聞くとやはり動揺してしまいました。
「す、すごいです! ネロくんの実力が、アステル殿下に認められたということですよね。おめでとうございます」
この言葉に嘘はありませんが、最も大きな本心は口にできませんでした。
トップ騎士様との連携を深めるということは、使い魔討伐で最前線に立つということ。今まで以上に危険な戦いを余儀なくされるのです。心配でたまりません。
「うん。俺、頑張りたい。騎士でいる間は全力で役に立ちたいと思ってる。だからこれからは今日みたいな演習が増えるし、トップ騎士の魔物討伐任務にもできる限り同行するつもりでいる」
心臓が別のドキドキで潰れてしまいそうでした。やる気になっているネロくんには申し訳ないですが、素直に応援できそうにありません……。
それからネロくんは躊躇いがちに言いました。
「それで、その……さっき授業をちゃんと受けてほしいって言ったのに申し訳ないんだけど、メリィちゃんにはこれからもできるだけ握手会に来てほしいんだ。俺に一番力をくれるのは、いつだってメリィちゃんだから」
「……っ! わっかりました! お任せください! これからも全力で応援させていただきます!」
秒で心の声を裏切り、私は力強く頷きました。
彼にこんな風に握手会に来てほしいとお願いされたのは初めてです。今まで皆勤賞で握手会に来ていることに、てっきりドン引きされていると思っていました。
ネロくんは安堵の息を吐き、申し訳なさそうに目を伏せました。
「ありがとう……もちろん学業優先で、どうしても無理な時はいいから」
「いくらでも調整できますから大丈夫です! 必ず来ます!」
私は飛び跳ねながら答えました。
ネロくんに頼りにされている。どのような形でも、ネロくんにとって一番は私。
たったそれだけのことで、このまま浮遊できそうなほど浮かれてしまいました。これほど嬉しいことはありません。
「本当に、俺はメリィちゃんに助けられてばっかりだな……」
「違いますよ。ネロくんが私の心の支えなんです!」
国を守るために、お母様のために、周りの人に迷惑をかけないために、ネロくんはいつも弱音を吐かずに頑張っています。きっと山や森で狩人をしている方が天職で、性格的には星灯騎士団のような特殊な仕事は向いていないのに、それでも一生懸命です。
そんな優しくて格好よくて頑張り屋さんなネロくんのことを、勝手に好きになって応援しているのは私の都合です。むしろ楽しい気持ちをたくさんもらっているわけですし、ネロくんが申し訳なく思う必要は全くありません。
推し騎士様と想いが通じ合って結婚できる方は本当にごくわずか。夢を見るのは自由ですが、ほとんどの姫君は見返りなんてなくても、握手会に通うわけで――。
「残り一分を切りましたー」
その声に、私たちははっとしたようにどちらともなく手を差し出しました。
いつものようにぎゅっと握手をして、魔力を譲渡します。
好き、大好き、いつでもどこにいてもあなたの無事を心からお祈りしています。どうか怪我なく帰ってきてください。
「我が騎士に、聖なる加護を」
右手の紋章が紫色に光ると、ネロくんがその場に跪きました。
「……我が姫君に、必ずや成果を」
訓練時用の返礼のセリフをいただき、私はほっと息を吐きました。触れ合う手から伝わる熱を感じながら、彼に見上げられるこの瞬間は、何物にも代えがたい幸福な時間です。
ネロくんが危ない目に遭うのは嫌ですけど、握手会の頻度が増えるのはやっぱり少し嬉しいから困ってしまいます。感情の置き場を見失って、どれが本心なのか自分でも分かりません。
「メリィちゃん」
ネロくんは立ち上がり、私の手をもう一度両手で包み込みました。それから、天幕の裏にいらっしゃるはずのスタッフさんに聞こえないような小声で囁きました。
「この前のノートのことも含めて、今度お礼をさせて」
「え」
「きみの望みを、なんでも一つ叶えるから考えておいてほしいんだ」
思わず悲鳴を上げそうになりました。
聞き間違い? 私ったら、妄想のしすぎで存在しない記憶を一瞬で捏造した?
しばしネロくんと見つめ合います。
彼はほんの少し頬を赤らめて、じっと私の返事を待っていました。
夢じゃない? いえ、信じられません。そんな、望みをなんでも叶える、なんて……。
「っ!」
脳裏を埋め尽くす薔薇色の光景に、私は一瞬でダメになりました。ええ、それはもう完膚なきまでに言語化してはイケないようなことを考えてしまったのです。乙女失格です。
「ネロくんは私を爆散させたいんですか!?」
「えぇ!?」
心臓が震えるように脈を打ち、血液がマグマのように熱くなって、今にもほっぺあたりから爆発しそうです!
そこでちょうど時間切れになり、私は逃げるように天幕を後にしました。
ネロくんに叶えてほしいことなんて、無限にあります。
恋人になってほしい、デートしてほしい、抱きしめて口づけを……ダメです! この辺りは恋愛禁止の騎士様にお願いできることではありません!
というか図々しすぎて口にすることすらできないです。ノートや魔力を差し出したくらいで要求していいことではありません。
では、また私のためにパンケーキを焼いてほしい……この辺りのお願いなら許されるでしょうか。
いえ、他のお客様から注文が入れば普通に調理しているでしょうし、全然特別感がありません。
……私ったら贅沢を言っていますね。でもでもせっかくの機会ですし、唯一無二の思い出になるようなことがいい!
あ、一緒に写真を撮ってほしい、というのは?
正確に言えば、世界に一枚だけのネロくんの写真が欲しいのですが……これもあまり良くないですね。万が一他の方に異性とのツーショット写真を見られたら、あらぬ疑いをもたれて騎士団をクビになってしまうかも。ネロくんは撮影イベントにまだ呼ばれたことがありませんし、誤魔化せません。
難しい。
いっそのこと、辞退すべきだという気さえしてきました。
本当に、私のしてきたことで、ネロくんからお礼をしてもらう必要なんてないんです。見返りを求めていると思われるのも恥ずかしいですし、変な前例を作るとネロくんが他の姫君にも特別なお礼をするようになってしまうかもしれません……。
大体、ネロくんはどういう意図であのようなことを?
いくらなんでもファンを甘やかしすぎです。私が調子に乗ってとんでもないことを要求したらどうするつもりなのでしょう。困って照れて、その後は……嫌々いうことを聞いてくれたりして。それはそれで見てみたいです!
いえ、ネロくんに迷惑をかけるつもりはありませんが、私の一言でネロくんがどういう反応をするのか片っ端から試してみたいという願望は常に持ち合わせていて――。
「メリィ、メリィ!」
「え?」
気づくと、目の前で父が手を振っていました。
「やっと反応した」
私は周囲を見渡して首を傾げました。
ここは自宅の食堂ですね。対面の席に父と母が座っていて、テーブルにはカットフルーツと紅茶が用意されていました。これはおそらく食後の一品ですね。
はて?
握手会会場から自宅までの記憶がほとんどありません。お腹の空き具合を見るに夕食を食べ終わっていると思うのですが、一体何を食べたのでしょう。
……我ながら怖いですっ!
「メリィちゃんったら、ずっとうわの空だったのよ。今日の観劇の話を聞いてほしかったのに」
「ご、ごめんなさい、お母様。今日はちょっといろいろありまして……」
「どうせ握手会でしょう? どう? 聞けた?」
「ん? なんの話だい?」
今朝の婿養子云々の話を思い出し、私は必死で首を横に振りました。聞けていませんし、父に聞かせるのはまずいでしょう、どう考えても!
「お、お父様! お仕事の方は順調ですか?」
「え、ああ。また大口の取引が成立しそうだよ。メリィが手伝ってくれたおかげだ」
父は魔物の素材を利用した商品の開発と販売を行っています。
スライムから作った発光する絵の具、トレントから作った油取り紙、獣系魔物の毛皮のホットカーペット、スケルトンの骨を削り出して作った楽器など、一見すると不気味なラインナップですが、これがお金持ちに高く売れるのです。
素材自体は星灯騎士団のおかげでたくさん流通していますし、今のところ競合相手も少なくて特許申請中のものばかりです。
身内びいきを差し引いても、父は発明と商売の天才と言わざるを得ません。私が生まれたばかりの頃はかなりの借金があったそうですが、今では完済して小金持ちになっていますから。
私は時間のある時に経理関係の事務をして、お小遣いをもらっています。もちろん本職の方のお手伝い程度ですが、仕事が山ほどあるせいか事務所ではいつも歓迎してもらえます。
「メリィに頼まれていた『推し色の光が爆ぜるクラッカー』も、もうすぐ完成しそうだよ。音は控えめで、熱も出ない。安全性もばっちり」
「本当ですか! お父様天才! 絶対売れますよ!」
「うん。でもこれを商品化しようと思ったら、国と騎士団にお伺いを立てないとね。大規模なイベントで使われると、みんながびっくりしてさすがにちょっと危ないかもしれないなぁ」
確かに、大観衆の最中で未知のクラッカーを鳴らしたら混乱が起こるかもしれませんね。事前に説明するか、いっそ騎士団側で使っていただいたら盛り上がると思うのですが。
「とりあえず試作品が完成したらメリィにあげるよ。色は――」
「紫で!」
「はいはい」
「あ、あと赤も何個かほしいです。お友達や先輩にも試してもらっていいですか?」
「持ち帰らせずにメリィがいるところで使ってもらえるならいいよ」
ああ、我が父ながらとんでもないものを作り出して下さいました。
推し騎士様モチーフの商品は数多出ていますが、魔術的要素を練り込んだ商品はなかなか売っていません。そこはやはり専門の知識が必要なので……。
魔術が苦手な平民の姫君でも使えるとなれば、結構売れると思います。騎士団からお許しが出ないと商品化は難しいとのことですが、父にはぜひ頑張ってもらいたいです。ファンとしても娘としても、騎士団と取引できるようになったら誇らしいですもの。
「もう、メリィばっかりずるいわ。私にも何か面白いものをくださいな」
「うーん、そうだな。結婚記念日も近いし、またお揃いで何か作ろうか」
「ふふ、じゃあ同じ意匠のブローチとネクタイピンはどうかしら? デザインは私が考えるから」
「それは嬉しいな! きみのセンスは素晴らしいから!」
隣り合う席でいちゃつき始めた両親からそっと目を逸らします。年齢を重ねてもラブラブな理想の夫婦像ではありますが、少しは娘の目を気にしてほしいです。
しかし、私の脳裏に何か引っかかるものがありました。
お揃い……なんて甘美な響きでしょう。特別感がすごいです。
「それです!」
世界に二つだけの特別な品を、ネロくんとお揃いで身に着けたい!
というか、何かプレゼントしたいです。騎士団の贈り物についての規約を調べないと……。物は何にしましょう? ネロくんに半端な品物は贈れません。
思いついてしまったら、もう止まりませんでした。
「お父様! 少し早いですが、“アレ”を私に下さいませんか?」
ファンとしての常識や良識を置き去りにして、私は早速動き出しました。
行動を実行するかどうかは、ネロくんに会う直前の冷静な私が考えれば良いのです。
ごめんなさい、未来の私。
第3章・完
次回、魔物討伐任務編まで少々お時間をください。
今更ですが、X(Twitter)のアカウントを作りました。
なんにも分からないので変なことするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
https://twitter.com/green_7_kon




