11 モーニングルーティーン
カーテンの隙間から入り込んだ朝日で目が覚めました。
「ふぁ……」
今日も一日推し騎士様のことを考えて生きられる喜びを噛みしめ、私はゆっくりと起床しました。
お手伝いさんが用意してくれていた温い湯で顔を洗ってスキンケアをし、簡単に髪を整えてから部屋にある祭壇に向かいます。
「おはようございます、ネロくん」
祭壇と言っても、もちろん怪しい儀式をしているわけではありません。
この半年でお迎えしたネロくんに関するもの・連想できるものを並べた飾り棚です。視界に入るたびに顔がニコニコになり、神聖な気持ちになります。
中央に鎮座するのはネロくんの写真です!
これは定期的に配られる“星灯だより”という情報誌の切り抜きですね。第七期入団員のお報せ欄に載っていたネロくんのプロフィール写真を、紫色の可愛い写真立てに入れてみました。まだ半年前のものとはいえ、初々しくて最高です。
写真と印刷に関する技術は今まで高度な魔術として貴族社会が独占していましたが、トップ騎士のミューマ様が簡単に扱えるように作り変えてここ数年で一気に一般までに普及しました。神です。歴史に名を残す偉業です。
このときの情報誌はまだ他に閲覧用と保存用の二冊あります。閲覧用の方を改めて読み直してみたら、カフェで拝見したクヌート様もちゃんと載っていました。私としたことが、髪型が変わっていただけで気づけませんでした。
そして昨日もう一つ、新しい写真立てが増えました!
使い魔討伐で功績を授与されたことで情報誌にネロくんが載っていたのです。三冊確保するのが大変でした。
このままネロくんの活躍が増えれば、もっともっとコレクションは増えていくはず。人気が出ればグッズも発売されるでしょうし、もしかしたらツーショット写真撮影会が催されるかも。
嬉しいような寂しいような恐ろしいような複雑な気分です。
「新しいレイアウトを考えないと……」
私は紫のリボンを巻いたテディ・ベアを抱き上げ、ぎゅっと頬ずりしました。この子は雑貨屋さんで出会った、どこかネロくんの面影を持つ子です。公式グッズではありませんが、運命を感じてお迎えしました。
こうして感情の行き場がなくなった時など、抱きついて受け止めてもらっています。悩み相談などをしてしまうこともあり、客観的に見ると完全にヤバい子です。
でも、我に返っても大丈夫。心の空洞は推し騎士様への愛で埋めればいいのです。
祭壇は、紫色の雑貨やドライフラワーで飾り付けています。先日購入した小瓶に入ったスミレの砂糖漬けが可愛くてお気に入りです。
カフェで淹れてもらったスミレのお茶のことを思い出して、私の意識は彼方を彷徨っていました。
本当に幸せな一日でした。
パンケーキもお茶も、許されるなら持って帰りたかったです。ネロくんが調理したものを食べるなんて、本当に身に余るご褒美でした。お財布の中身を全て差し出したかったのですが、やんわりリリンちゃんに断られました。ご迷惑をかけるわけにはいけないので諦めましたよ。その代わり募金しておきました。
後日お届けした情報ノートはネロくんの役に立ったでしょうか。途中から変なテンションになってしまって、不必要なことまで書き込んでしまった気がします。彼にドン引きされていないことを祈るばかりです。
トップ騎士会議がどうなったのか気になります。ネロくんに困ったことが起こっていないといいのですが……。
「はっ、いけません。そろそろ準備をしないと」
急いで学校の制服に着替えて、ドレッサーに腰掛けました。
登校日の今日は薄付のメイクです。肌に日焼け止めを塗って、軽くパウダーを乗せ、眉をナチュラルな感じで描きます。アイメイクはしっかりやりたいところですが、淡いブラウンのアイシャドーとマスカラを塗るだけに留めました。チークもぽんぽんと薄っすらと色づきが分かる程度にします。
リップは朝食の後、出かける前でよいですね。化粧道具をポーチに入れて、学校の鞄に忍ばせます。
次はヘアメイクです。
熱を操る初級魔術を応用して寝癖を直し、肩より少し長い髪を低めの位置でツインテールにします。気分によって三つ編みにしたり、お団子にしたり、ハーフツインにしますが、今日はスタンダードな形にしました。
単純に時間がありません。髪質のおかげで自然にふわふわな感じに仕上がりました。
リボンはもちろん淡い紫色です。控えめでも推し騎士様への愛を主張する心は忘れません。
「お嬢様、そろそろ朝食の用意が整いますよー」
「はーい、今行きます!」
前髪がなかなか決まらずに格闘している間に、時間切れです。
私は食堂に向かいました。
我が家は没落して平民になった元貴族です。しかしながら父の商売が軌道に乗ってからは不自由のない生活を送れています。
平民街でも上等な土地に小さな屋敷を構え、お手伝いさんも二人いて、学校にも通わせてもらえています。私が推し活に勤しむ時間を持てるのは、恵まれている証拠です。
「おはよう、メリィちゃん」
「おはようございます、お母様。今日は一段と決まっていますね。そのワンピース可愛いです」
「うふふ、ありがとう。お昼に舞台を見に行くから、気合を入れちゃった」
母は上品でおっとりしています。父の仕事に女性目線でアドバイスすることはあっても、基本的に仕事も家事もせずに悠々自適に過ごしています。
趣味は舞台観劇。推しの俳優さんを熱心に追いかけている辺り、濃厚な血の繋がりを感じます。新聞に星灯騎士団と舞台俳優の情報が裏表で載っていた時、どちらがコレクションにするかで骨肉の争いが起こったことは言うまでもありません。結局父がもう一部購入してくれたので、事なきを得ましたが。
「今日のメリィちゃんも可愛い。少し前と比べると随分と垢抜けて……やっぱり愛の力ってすごいのね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
母子二人できゃっきゃっしながら朝食を食べ始めます。
父は朝が弱く、なかなか起きてこないのです。待っていたら遅刻してしまうので、ごめんなさい。
メイクもおしゃれもネロくんに出会うまで、あんまり興味がありませんでした。それどころか可愛く見られようと努力することは恥ずかしいとすら思っていました。
最低限の礼儀とTPOを弁えていればセーフだろう、と舐めていた過去の自分の方がよほど恥ずかしいです。
ネロくんに少しでも可愛いと思ってもらえるのなら……。
面倒くさい運動も食事制限もして、スキンケアも徹底して、ヘアメイクとファッションの果てのない探求もとことんやります。
最高の自分の姿でいないと、彼の前に立てないし、堂々と彼のファンを名乗れないです。
外見を磨こうとするのは、もしかしたら私の内面の自信のなさの表れなのかもしれませんが……。
「そうだ、昨日のお茶会で聞いたんだけど、ベッカー夫人の娘さんが婚約されたらしいの」
「それはおめでたいですね」
「でもお互い一人っ子だったみたいで、いろいろ揉めたみたい。ねぇ、メリィちゃんの好きな騎士様って、ご兄弟はいらっしゃるの? うちにお婿さんに来てもらえるかしら?」
「え!?」
母の突然の爆弾発言に、私はスプーンを落としかけました。
「だって、メリィちゃんがお嫁さんに行ってしまったら寂しいんだもの。どうなの?」
「お母様、それは、その……ネロくんは一人っ子ですよ。公式プロフィールによると」
「まぁ、困ったわね」
「いえいえ、ちょっと待ってください。そもそも私とネロくんは、全然そういう関係ではありませんよ。ほら、星灯の騎士様は恋愛禁止ですから!」
ナチュラルに結婚前提で話を進めないでほしいです。いくら仲良しでも、母親に夢妄想を共有するのはさすがに気が引けます。
母はきょとんと首を傾げた後、華やぐような笑顔を見せました。
「知っているわよ、それくらい。でもいつかはそういう関係になるでしょう?」
「え、えー? ど、どうでしょう? 私はもちろん大好きですけど、ネロくんは……」
いつも優しく接して下さいますが、それは私が彼のファンだからです。
使い魔や魔物と戦うためには魔力が必要で、握手会に来てくれるファンは大切にしないといけないのです。好きになってもらえればもらえるほど、譲渡される魔力量も跳ね上がるのですから。
ネロくんの本心は分かりません。でも、あの儚げな笑顔は、私だけの特別なものではないのです。
いつもは握手会で気持ちと一緒に魔力をお渡ししていますが、もしもそれが気持ちだけだったら受け取ってもらえないかもしれません。無理矢理押し付けて、優しいネロくんを困らせてしまうのは嫌です。
考え出したら、胸がずきりと痛みました。
「あらあら、大丈夫よ、メリィちゃん。自信を持って。あなたは私と彼の子だもの。欲しいモノはなんだって絶対に手に入れられるわ」
「お母様……」
「暗い顔をしてはダメ。さぁ、早く食べて学校に行ってらっしゃい。あ、もしも彼に会ったら、婿養子についてどう思うのか聞いてきてね」
「そんなこと聞けません!」
恥ずかしさを誤魔化すように急いで朝食を済ませ、最後の身支度をして家を出ました。
ネロくんと結婚……。
母親にその話題を出されたことで、いつものような都合の良い妄想とは違って真剣味を帯びてしまいました。
推し活に励めるのはあと一年半。ネロくんが騎士を辞めてしまったら、会うことすら難しくなってしまいます。
いくら祭壇が賑やかになっても、本人に触れられないのは耐えられないかもしれません。
「…………」
お別れが嫌なら、その日が来るまでに勇気を振り絞らないといけませんね。




