16. 王女の重責
-Ⅰ-
王都バグラガムの民が願ってもいなかった救援物資の配布に狂喜している光景を横目に、ユーロドスは軽い足取りで王宮内の通路を闊歩していた。趣味の悪い女王の絵や骨とう品など、気に掛けるでもなく素通りだ。
ある部屋の扉の前に立ち止まると、二回ノックする。
「どなた?」
すぐに返事があった。幼いが、それでいて力のある女性の声だ。
「ユーロドスです」
そう答えると、しばらくの間を置いて扉がゆっくりと、そして薄く開いた。
「おひさしうございます、殿下」
顔を合わせる前に、うやうやしく一礼してみせて頭を下げるユーロドス。
「本当に、お久しぶりね。ユーロドス卿」
顔を上げると、そこには地上に舞い降りた天使とでも言うべき美少女が立っていた。白鳥の羽のような純白のドレスに身を包み、風になびく銀の髪は絹のように繊細で柔らかい。額に輝く鉱石は、不純物の一切ないダイヤモンドのように輝いていた。
アルツ国王の一人娘、ミューネ姫。
この世のものとは思えないほどの美しさを持つ彼女だが、この時の表情はどこか険しかった。国王やイシュベルの件があるから当然といえば当然だろう。父である国王と、国民とを同じように愛してきた慈愛に満ちあふれた王女のことである。その苦しみも人一倍強いはずだ。
それにユーロドス自身、様々な噂もあって警戒されていることも十分理解している。
招かれざる客人を見つめる王女の瞳にはどこか疑心のかけらが浮いていた。
「何の御用かしら」
やはりというべきか、ミューネの言葉はどこかそっけない。
「いえ、しばらくお顔を拝見しておりませんでしたので。お元気であられるだろうかと」
ユーロドスは、自らも役者の台詞のようだと思ってしまうほどにそつなく答えた。
そこが気に障ったのか、ミューネは目を細め、しばし黙ってユーロドスを見つめた。その眼光はどこか鋭い刃物のようである。まだ十八にして、そこには既に王族としての威厳が現れ始めていた。
「民への物資、誠に感謝いたします。これでしばらくは民も落ち着くでしょう」
ミューネは質問には答えず、軽く会釈してユーロドスの働きを労った。
「当然のことをしたまでです。しかし、量はあまり多くありません。現状を打開するまでの繋ぎ程度に思っていただいたほうが良い」
ユーロドスの言葉を聞いて、まっすぐだったミューネの瞳が脇道へと逸れた。
「ええ。分かっております。それでは……」
ミューネは会話を短く切り捨てた。まるで、そこに話を繋げてはならないという決まりがあるかのように。軽く頭を下げると、薄く開いた扉を閉める。
「殿下、お待ちください」
閉まりかけた扉を、ユーロドスは慌てて手で止めた。
強引なその態度に、きっとした力強い眼差しが向けられる。
「まだ、御用が?」
「申し訳ございません。ですが、これだけは心に留めておいていただきたいのです」
眉をしかめるミューネに、ユーロドスは辺りを見回して続けた。
「バグラガムはいずれ私がお救いいたします。ですから、そんなお顔をされずにご安心ください。必ずやイシュベルを引きずりおろし、国王をお助けいたします」
ユーロドスは蚊ほどの小さな声で、驚くような内容を囁いた。
「え?」
さすがのミューネも、瞬きを繰り返す。誰もが、ユーロドスとイシュベルはグルなのだと信じてやまないからだ。
「ですが、あなたとイシュベルは裏では繋がっているのではなくて?」
歯に衣着せぬミューネの言葉がぴしゃりと叩きつけられた。
「そう思われるのも無理はない。しかし、言い訳がましく聞こえるかもしれませぬが、私はこうなることを一切予想できなかった。誰もが同じことを思ったはずです」
「後からならば、何とでも言えましょう」
そうきっぱりと突き放され、ユーロドスは神妙な顔を作った。
「代々王家に仕えてきた身。これまでに受けた施しも数知れず。そのご恩はひとつたりとも忘れておりませぬ」
一旦目線を伏せたあと、ユーロドスはミューネをまっすぐに見つめた。
「今回の救援物資については、国王とイシュベルを会わせてしまった私の罪滅ぼしなのです。そして、王家に対する恩返しの第一歩と考えていただきたい」
「第一歩?」
「はい。既に次の準備は万端でございます。イシュベルを王座より降ろすための部隊も待機させております。これはラルゴも、キューズも、そして大将軍であるクロウスにもできなかったこと」
もしこの場にクロウスが居たならば、なんとも恩着せがましい言動だと思ったことだろう。しかしユーロドスの言葉を真に受けたのか、心の清らかなミューネの顔には明らかな迷いが浮かんでいた。
「それは戦いでイシュベルを討ち取るということですか」
「あくまで最終の手段でございます。可能な限り、血を流さず、対話で解決するようにいたします」
ですが万が一のときには……、と掻き消えるような言葉を残したユーロドスに、ミューネは顔を上げた。
「しかし、それでは父にも危害が及ぶやもしれません。バグラガムの重鎮である三人がイシュベルに手を出せぬのは、父の存在があるからでしょう」
「そこはお任せください。まずは王にお会いできるための努力をしております。お会いすることさえできれば、目をお覚ましになられるよう、どうにか説得できるはずです。いま国王はあの女に騙されているだけなのですから」
「騙されている……?」
ぎこちなく首を傾げたミューネに、ユーロドスは意味ありげな笑顔を見せた。
「ええ。殿下の前でこういうことを申すのも恐縮ですが、女性という人種は男を従わせる術に長けているもの。実際イシュベルという女、男からすれば確かに魅力的ではございますゆえ」
「……」
返事はない。だが、ミューネにも理解できる話であるはずだ。
「なにはともあれ、皆が国のために尽力しておるのです。ひとりで抱え込むこともございません。ともにバグラガムをあるべき姿へと戻しましょうぞ」
満足げにそれだけ言うと、広い通路に余韻を残したままユーロドスは踵を返し、背を向けた。その背中にか弱いミューネの言葉がかけられる。
「ユーロドス卿。ひとつお聞きしてもよろしいかしら」
「はっ」
振り返ると、ミューネが扉を開けたまま俯いている。顔には痛々しいほどの葛藤が浮き出ていた。家族のこと。国のこと。幼き少女の両肩になんと無情な重荷の乗ったことか。
ミューネが口を開くまでに、少しの間があった。
「卿は、魔艶女はいると思いますか?」
それは、あまりにも唐突で予測もできなかった質問だ。さすがのユーロドスもきょとんとして固まってしまった。
「魔艶女、ですか」
作り話のような伝説が残るプロト王国には他にも様々な伝承が残っている。魔艶女もそのうちのひとつだ。
何と答えるべきかユーロドスは迷い、慎重に言葉を捻り出した。
「おとぎ話に出てくる悪い魔女のような、ということですか」
「ええ」
ユーロドスは腕を組み、大きく息を吸い込む。これは何かのテストなのだろうか。
「そうですな……。作り話だという者がほとんどでしょうが、だからといって居ないという証拠もありません。我らの盾も、ウルブロン族の持つ魔力も、黒蟲の存在も、世界には不思議なことだらけです。そんな世に、魔艶女がいても驚きはしますまい」
ユーロドスの答えに、ミューネはしばし足元を見つめた。
果たしてこの答えが正しかったのか、ユーロドスは思わず息を詰める。
そして、待った末にミューネの部屋の扉が開け放たれた。
「少し、お話を。よろしいかしら」
珍しい、ミューネからの誘いであった。
父と子のように年の離れたふたりだ。ユーロドスに胸躍るような気持ちなど一切なかったが、思いつめたミューネの表情から、これは何かあるな、と身構えた。
王女の部屋にしてはあまりにも質素なその室内には、必要最低限のものしか置かれていない。何の変哲もない木製の机と椅子のセット。汚れのない白いシーツの乗ったベッド。衣類用の棚には数えるほどの衣装しかかけられていない。
こんなに寂しい王族の部屋があるものだろうか。
まだバクラガムの財政が底へと転がり始めた初期の頃。民が苦しむ様子を嘆いた王女は、自らの財産を投げ打ってまで民に施しを与えた、というのは有名な話である。生活に必要な物以外、全て売却してしまったのだろう。
こんな慈悲がそのまま形をなしたような王女を、当然ながら国民も愛している。
「お話、というのは」
椅子をすすめられたユーロドスは、腰を下ろしながら問いかけた。
手際良く、王女の侍女が飲み物を運んでくる。机にそれを置き、退室していく侍女をユーロドスは目で追った。
「どこからお話しすれば良いのか……」
ミューネは手にした紅茶のカップを持ったまま、どこか焦点の定まらない目で俯いている。その瞳には何やら戸惑いが渦巻いていた。
「さきほどの魔艶女の話と何か関係が?」
「はい。信じてもらえるかは分かりません。頭がおかしいのではと思われるかもしれません。ですが……」
歯切れの悪い喋り方だ。依然としてユーロドスを信用していいものかどうか、考えあぐねているのだろうか。
辛抱強く、続きを待った。
そして――。
「魔艶女は……いるのです」
およそ荒唐無稽とも思える内容を真剣な表情で話すミューネを前に、ユーロドスは返事に詰まってしまう。
しばらくして、ユーロドスに向けられた眼差しには固い決意が輝いていた。
「端的に申し上げます。イシュベルは魔艶女なのです」
「……イシュベルが?」
ユーロドスはカップを口にしたまま、目だけを動かした。
何を言い出すかと思えば。しばし呆れた気持ちで相手を見据える。
だが不思議なことに、ミューネの目はとても嘘をついているようには思えないほどにまっすぐだ。力強く、何故だか説得力がある。
「確かに彼女に奇妙で妖艶な雰囲気はありますが、何故そう思われるのです」
興味がないと言えば嘘になる。彼女が魔艶女は存在するのだと信じる理由はなんだろうか。
「ユーロドス卿は、母上が亡くなった日を覚えておいでで?」
「ルネーテ様の、ですか? ええ。それはもちろんでありますが」
ミューネの母であり、プロト国の前女王であるルネーテは二年前に死去している。あれは、宮殿の頂上より足を滑らせ転落した末の悲劇だったはずだ。
「実はあれは事故ではないのです」
「事故、ではない……?」
ユーロドスは目を丸くし、確認するかのように繰り返した。
俄かには信じられない話だが、仮にミューネの証言が正しいのならば、その事実は国を大きく揺るがしかねない。
ますます面白い。ユーロドスは気付かぬうちに、次第に前のめりになっていった。
「あの日、私は珍しく真夜中に宮殿を歩き回る母上を見つけ、その動きが何かおかしいと思って後を追いました」
先ほどまでの強気なミューネとは打って変わって、その顔はみるみるうちに曇っていく。
「屋上に辿りついた時、そこにはイシュベルがいたのです」
「それは、本当ですか」
ユーロドスは目を細めた。この話、父を取られた子供の嫉妬深いつくり話だと心の内で切って捨てるのは簡単だ。ただ気に食わぬ継母を陥れたいだけだろう、と。
だがそう思わせない静かな迫力がミューネからは発せられていた。
「見間違えるはずもありません。いまと同じように真っ赤なローブに身を包んだ彼女が、母上を待っていたのです。いまでもあの時の彼女の顔が忘れられません」
狂気に歪んだ唇。ルネーテに向けられた憤怒の眼差し……。
ミューネの語る話はいやに詳細で真実味を帯びている。
「しかし仮にイシュベルがルネーテ様を手にかけたとして、彼女が魔艶女であるというのは?」
「そこが問題なのです。私が見たことは全て本当のことなのに、話してしまうとあまりにも馬鹿げていて、まだ誰にも話せずにいました」
ミューネは既に落胆の色を隠せないでいる。
「試してみてください」
それでもユーロドスは聞く姿勢を崩さなかった。
しばし瞑目し、ミューネは言うべきかどうか迷い、そして……。
「彼女は、イシュベルは、変身したのです」
「変身? 何に?」
ミューネの目が大きく見開かれ、その視線が何かを訴えかけた。
「災禍竜です」
「災禍竜……」
あまりにも現実離れした内容に、ユーロドスは椅子の背もたれに体を預けた。思わず口の端が上がってしまう。災禍竜などただの作り話だ。仮に実話だったとしても、その血は既に絶えているはず。
腕組みを始めたユーロドスに、ミューネは続けた。
「ただ言い伝えにある災禍竜とは少し姿が違ったのです」
「どのように違ったのです」
「私が見た、イシュベルの変身した災禍竜は、真っ黒な体に燃えるような瞳をしていて……」
「それは、まるで黒蟲のようですな」
ユーロドスが言葉を引き継ぐ。伝承の中に、そのような姿の災禍竜は存在しない。
「ええ」
それから、しばらくの間ふたりの間に沈黙の時が流れた。
耐えかねたミューネが口を開く。
「ユーロドス卿。正直なところ、私の話を信じてはもらえないでしょう」
「いえ、殿下。そのようなことは……」
ユーロドスは慌てて腰を浮かせる。
それを落ち着いた様子で、ミューネは制止した。
「良いのです。私自身、いますぐに信じてもらおうとは思っておりません。ですが、いつかは彼女の正体をその目で見ていただかねばならぬでしょう」
ミューネの本題は実はここからだった。その目を見ればひとめで分かる。
「私の目的はイシュベルの正体を暴き、皆に目を覚ましてもらうこと。そのために、ユーロドス卿にはその方法を考えていただきたいのです」
ユーロドスは思わず視線を逸らしてしまった。
災禍竜の正体を暴く……? そんなことができるのだろうか。
第一、イシュベルが魔艶女だと信じたわけでもない。仮に彼女がそうであったとしても、災禍竜や魔艶女に関する知識は本で読んだ程度だ。そのどこにも、黒蟲に似た災禍竜などは描かれていない。ゆえにどれも信憑性には薄く、正体を見破る術はないに等しいだろう。
いや、待てよ。黒蟲……?
狡賢いユーロドスの脳裏に、稲妻のような閃きが起こった。その危険な思いつきに、自身思わず身震いしてしまうほどだ。
これは、ミューネの話を信じるか信じないかの問題ではない。事と次第によっては、自らの目的を達するための第一歩となるかもしれないのだ。数十年温めてきた野望が、このような形で動き出すことになろうとは……。
「わかりました、殿下。誠心誠意お手伝いさせていただきます」
ユーロドスは内心、ほくそ笑んだ。
-Ⅱ-
ユーロドスが部屋を出たあと、そこに残されたのは実に重苦しい雰囲気だった。
いま、ミューネは決断を迫られている。
父による統治が機能していないいま、その王女としてバグラガムを救うのは彼女の使命とも言える。
ユーロドスははっきりいって危険な存在だ。誰もが信用すべきではない、と答えるだろう。本当のところは、ミューネも信用はしていない。だがバグラガムに長年仕えてきて、信頼も厚いクロウスやキューズを差し置いて、ユーロドスに相談をもちかけたのには訳がある。
彼らの考え方は少し古くさくて、硬いのだ。彼らは、イシュベルを摘発した際に、彼女を選んだ王にふりかかる追及を恐れている。バグラガムの現状を引き起こした責任がアルツ国王に無い、とは言い切れない。責任を取って王が退位したり、王に対する暴動が起きたりした場合、それはそれで新たな危機の始まりでもある。その後に出てくるのはユーロドスのようなハイエナ達に違いないからだ。
だが、そんなことばかりを気にしてきた結果、不毛な一年が過ぎた。将軍達の義理堅い性格があだとなったのだ。このままでは国が飢え死んでしまう。
だから、ミューネにはまた違った角度からの視点と、斬新な発想が必要だった。
イシュベルが魔艶女だという話は、嘘ではない。優しかった母を殺されたあの日の苦しみは、いまも忘れずに胸のうちで煮えたぎっている。
父がイシュベルをめとると言った時、これは何かの策略だと分かり、猛反対した。あの時のアルツ王はどこか正気を失っていたかのようにも思える。
だが結局誰にも真実を話すことができなかった。話してしまえば、「母を失ってから王女はおかしくなってしまった」、と言われてしまい、本当に誰にも信じてもらえなくなる。
ユーロドスに話を持ちかけたのは、裏で繋がっているのだと見てあえてゆさぶりをかけたのもある。話していくうちにそうではないという確信を得たミューネは、彼の意見が欲しかった。彼が話を信じるか信じないかはこの際どうでも良い。
ユーロドスの情報網はやはりというか侮れなかった。無限のようなその知識と、彼の持つ独創的な考えは、良い意味でも悪い意味でも、ある種のショックを運んできた。
実際、彼の結論は致命的なリスクのあるものだ。ユーロドス自身、表では勧めなかったし、彼に騙されているという可能性があることも否めない。
それでもミューネにはこれ以上の良法は思いつかなかった。もし一歩でも間違えば、自分は死に、プロト王国は滅びるだろう。しかし、ここで動かなければ、どのみちアルツ国王による王権は途絶えてしまう。すなわち、王国の滅亡に繋がるのだ。
覚悟を決めるしかなかった。
いま、プロト王国を救える人間は、もはや王国内にはいない。




