5-7.託された者
「ほんとうっ……ですか」
ヒランさんの言葉は希望が見えるほどのものだった。気持ちが高揚して、つい大声で聞き直しそうになった。しかし僕の心情を察したのか、ヒランさんは唇に人差し指を押し当てた。
僕は改めて小声で聞き直す。フェイルに会話を聞かれたくないのだろう。
「はい。ここに来る前、北門で依頼を出した方々が居たので様子を伺ったのですが、馬車が壊れて代わりのものを用意するため、出発時間が遅れています。そのことをフェイルは知りません」
「知ったうえで、あんなことを言った可能性は?」
「もう一つ理由があります。今朝、護衛する馬車の数が四台から五台に変更されました。しかしフェイルは四台と言いました。知っていたのなら五台と言うはずです」
フェイルの言葉を思い出すと、たしかに四台と言っていた気がする。つまりフェイルは、予定が変更されたことを知らない。
怒りが収まり、身体に力が湧いて来た。今ならウィスト達を助けられる。
ただ一つだけ懸念があった。
「けど、僕の足で間に合うのですか?」
各階層の最短ルートを全力で走っても、次の階層に着くのに約二十分は掛かる。十階層あるので約二百分だ。途中で遭遇するかもしれないモンスターの事を考えると、それ以上の時間は掛かるだろう。それだけ時間をかけても間に合うのかが不安だった。
しかしヒランさんは、「大丈夫です」と囁く。
「ダンジョン管理人しか知らない隠し通路を教えます。少し険しい道ですが、そこを使えば一時間程度で出られます」
「そんな道があるんですか?」
「はい。わたくしの後ろを見てください」
視線をヒランさんの背後に移す。壁しかないと思ったが、じっと見てみると小さな石碑のようなものがあった。
「石碑が見えると思いますが、その下に穴があります。そこを通ってください」
「……分かりました」
「各階層に繋がっています。あなたの荷物は八階層の入り口にありますので、途中で拾って行ってください」
「はい」
「合図をしたら行ってください。隠し通路をフェイルに見られない様に明かりを消しますので、場所をちゃんと覚えてください」
「ヒランさんは?」
「わたくしはフェイルの足止めをします。その隙に行ってください」
「……はい」
「最後に」
ヒランさんは僕から少し離れると、笑顔を向けた。
初めてダンジョンで見せた無邪気な笑顔ではなく、優しく見守る様な笑顔だった。僕は思わず息を呑んだ。
「こんなことを頼むのは、ここにあなたしかいないからじゃありません。騙されて酷い目に遭ったというのに、めげずに冒険者として生き続けた、あなただからです」
ヒランさんの短い言葉が、強烈に胸に響いた。
上級ダンジョンに入ってしまって以降、ヒランさんからは見放されたと思っていた。ギルドのルールを破ったんだから、失望されても仕方がないと納得していた。
けど、それは違った。
ヒランさんは僕を、陰ながら見てくれていた。冒険者であり続けた僕を評価してくれた。
それだけで、嬉しかった。
「では、任せますよ?」
「はい。任せてください」
僕は意気込んで返事をすると、ヒランさんが合図を出す。「行きます」という言葉と同時に、僕は石碑に、ヒランさんはフェイルに向かって走って行く。走り出した瞬間にヒランさんが持っていた松明の明かりが消えるが、場所はしっかりと覚えていたので暗闇の中でも動けた。
直後に金属がぶつかり合う高い音が聞こえる。おそらく二人が戦っており、その際の剣戟の音だ。ヒランさんの刀についていくフェイルの腕が気になったが、それよりも自分に任せられた事を優先した。
石碑をどけると下に石版がある。それを横にずらすと穴が現れた。入口は人が一人通れる程度の大きさだが、その先は三人横に並んでも歩けるほどの広さだった。地面は凹凸が激しく、明かりが無いため視野が悪い、とても危険な道だ。足元を見ずに歩けばすぐに転んでしまいそうな程に。
走ることを躊躇いそうになったが、不安な気持ちはすぐに払いのけた。ウィスト達の命が懸かっているのに、そんな事を気にしている場合じゃない。
意を決して、僕は走り出した。
***
ヒランはフェイルに向かって走り出すと同時に抜刀し、松明の火を斬り落とす。そのまま走りながら刀を持ち直し、返す刀でフェイルの腕を狙った。だがその一閃は防がれた。近づく前にフェイルは小太刀を抜き、ヒランの攻撃を受け止める。
居合い抜きに比べれば抜刀状態時の刀の速さは落ちるが、それでも常人からすれば目に止まらない速さだとヒランは自負している。その一撃を難なくと受け止められた。
勿体ない、心からそう感じた。ヒランの刀を防ぐ者はそうそういない。これほどの腕がありながらフェイルが落ちぶれたことを、ヒランは惜しんだ。
直後、ヒランは考えを改める。違う。フェイルが落ちぶれたのはフェイルだけのせいじゃない。ヒラン達がフェイルを落ちぶれさせてしまったんだ。
「いきなり斬りかかってくるとは、相変わらず油断できない人ですね」
「散々人をからかって来たあなたに言われたくはありません」
続けて刀を振るう。足、腹、腕を致命傷にならない程度に斬りつける。だがフェイルは、度重なる攻撃を全部受け止める。だが今はこれで良い。休む暇を与えることなく、刀を振り続ける。
「それだけならまだしも、何も知らない新人を巻き込むなんて……」
「もしかして怒ってます? けどそういう真面目なところは嫌いじゃない……あぁ、なるほど」
フェイルが何かに気付くと同時に、ヒランは後ろに下がった。背後を見なくても分かる。既にヴィックは墓下の隠し通路に入っていた。フェイルもそのことに気づいたのだろう。表情に困惑の色が滲み出ている。
「まさかヴィック君をこの場から逃がすとは……いや違いますね。あなたはそんな人じゃありません。一人で逃がすくらいなら、囮にでも使って僕を確実に捕えようと画策するはずだ」
「酷い言い様ですね。……たしかに、昔ならそう考えたかもしれません」
以前の様に、他人の事を考えなかった頃のヒランなら、ヴィックを盾に使ってフェイルと戦おうとしたかもしれない。
だが、ヴィックは過去の過ちを反省し、前に進もうとしている。既に彼は、切り捨てられるような人間ではなく、応援すべき冒険者であると認めていた。
そんな冒険者を、ダンジョン管理人になったヒランが見捨てる訳が無かった。
フェイルは顔をしかめながら、
「まるで、今は違うと言いたそうですね」
と不快感を表した。
その様子が、少し子供っぽく見えた。
「人は変わるものです。それはあなた自身がよく知っていることのはずです」
「言うじゃないですか……けど今回は、その判断は間違いでしたね」
負け惜しみにも聞こえる言葉をフェイルは口にする。しかしフェイルの表情が、次第にいつものにやついた顔へと変化していく。その顔を見て胸騒ぎがした。
「マイルスダンジョンの生態系を狂わせましたが、それを誰がやったと思いますか?」
「……あなたの仲間じゃないのですか?」
「ゲノアスの事を言っているんだったら、見当違いもいいとこです。あんな奴らに出来る訳が無いでしょ。あるモンスターを一匹、十階層に放ったんです。そいつがやったんですよ」
この最深部に着くまでの間、道中にはモンスターや冒険者の死体が至る所に横たわっていた。ただその事態を引き起こしたと思われるモンスターが見つからなかったので、フェイルのような腕の立つ冒険者がやったと思い込んでいた。だが、その推測は外れていたようだ。
フェイルの言葉が真実なら、少し厄介なことになる。下階層を歩いていた時、最初はモンスターがやったと想定して探していた。しかしヒランの目を掻い潜るほどの知性があるのなら、そのモンスターは中級どころか、上級モンスターの可能性がある。
「なんというモンスターなのですか?」
「『エンブ』です」
一瞬で血の気が引いた。それほどの力が、その言葉にはあった。
「本当、ですか?」
「はい。マジです」
にやけた表情を変えずに答えた。その表情からは、嘘か真実かを見分けられなかった。もしかしたらヒランを驚かせるための嘘かもしれない。
だが、もし本当なら……。
途端に、ヴィックを一人で行かせたことを後悔した。もしエンブと戦ったら、ヴィックに限らず、並の冒険者が生きて帰れるとは思えない。今すぐにでもヴィックを助けに行きたかったが、フェイルがそれを許すとは思えない。
ヴィックがエンブと遭遇しないことを、祈るしかできなかった。
***
隠し通路を通っていると、暗闇の中で一筋の光を見つけた。その光は松明の火から発したものとよく似ていた。
近づいて光が漏れている隙間を覗くと、奥にはダンジョンの通路が見える。隙間に手を入れ、光を遮っていた岩を手前に動かす。岩をどけると、人一人が通れるほどの穴が現れた。
穴を出て周りを見渡すと、見覚えのある梯子と多くの死体があった。梯子の近くには僕の荷物が置いてあったので、ここが八階層だと分かった。
急いでバッグを取って隠し通路に戻ろうとするが、何者かの視線を感じた。
振り向くと、通路には見覚えのあるモンスターがいる。僕が気を失った原因となったモンスターだ。
以前は松明の明かりで影になっていたせいでよく見えなかったが、今は姿形が良く見える。
体高は僕の腰より少し低く、横幅も狭い。二本の足で立っており、腕はだらんと下に垂らしている。全身が灰色の毛に覆われているが、顔と手足の先には体毛が生えていない。ただ顔は、ヒトのつくりとよく似ている。
ふと僕は首を傾げてしまった。じっくり見たのは今回が初めてのモンスターだ。しかしこの特徴を持ったモンスターを、どこかで見聞きした覚えがあった。
記憶を呼び起こそうとしていると、そのモンスターは短く鳴いた。「キキッ」という声を聞いて、あるモンスターの名前が頭に浮かぶ。
「……いや、さすがにそんな訳が……」
信じたくない一心で否定の言葉を口に出す。しかし見れば見る程、あるモンスターの特徴と一致しているように感じた。
現実を受け入れたくない僕に関わらず、そのモンスターは僕に跳びかかってくる。じっと見ていたため反応できたが、それでも身体にモンスターの手がかする。しっかりと見ていたはずなのに、紙一重で避けるのがやっとだった。
そのモンスターは跳びかかった後、壁に着地し、跳ね返るようにして再び跳んで来る。奇抜な動きに驚き、転げるようにして避けた。幸いにも二撃目は避け切れたが、同時に嫌な事実を受け止めることとなった。
「この見た目、鳴き声、滅茶苦茶な動き……聞いてた情報と一致するじゃないか」
危険指定モンスター『エンブ』。それが目の前にいるモンスターの名前だった。




