外伝1-2.少女の恋の行方②
翌朝、フィネが目を覚ますと、リズミカルに包丁を使う音が聞こえた。寝室の隣にある台所で、朝食を作っているのだろう。誰が料理をしているのかは、ここ最近のパターンで分かっていた。
ベッドから起きて寝室から出ると、ノイラが台所で料理をしていた。
「お姉ちゃん、おはよう」
ノイラは視線をフィネに向けず、自分の手元に向けたまま言った。まな板の上にある野菜を切ることに集中しているようだ。
「おはよー、ノイラ。今日も早いね」
「別に。もう慣れたから」
いつも通りの素っ気ない態度だが、むしろその反応をされて安心した。ノイラがこの態度でいるときは、落ち着いている証拠でもあるからだ。
半年くらい前まではフィネが家事をしていたが、何を思ったのか、ノイラが朝ご飯を作り始めたのだ。理由を聞いたのだが「別に良いでしょ」と返されるだけで、それ以上は教えてくれなかった。本音を言えば、ノイラには勉強に集中してほしいのだが、一度決めたら強情なノイラに料理を辞めさせるのは面倒である。だからやれるだけやらせてみることにした。
最初の頃は失敗ばかりで、出勤前までに料理ができることがあまりなかった。手伝おうとしても大声で拒否されて、涙目で料理を続ける日々が続いた。しかし要領を掴んだのか、今では毎日決まった時間に料理ができるほどにまで成長していた。さすが自慢の妹であると誇らしくなった。
ノイラの様子を見た後、フィネは寝室に戻って身支度をする。寝巻から着替えて食卓に向かうと、すでに料理がテーブルに並んでいた。フィネが自分の椅子に座ると、ノイラも椅子に座って食事を始めた。
「そういえば、お姉ちゃんはいつエルガルドに行くの?」
「んっ……ゴホッゴホッ!」
料理を吹きそうになった。寸前で、ノイラが作ってくれた料理を出してはまずいと思いすぐに飲み込んだが、今度は喉につっかえて咳き込んでしまう。
むせて涙目になったままで、ノイラに聞き返した。
「えっと……なにそれ?」
「昨日、クラノさんが言ってたよ。そろそろヴィックさんがエルガルドに行くらしいから、笑顔で送り出してやれよって」
何故かノイラは、クラノと交流があった。二人がどういう経緯で知り合ったのかは未だ教えてもらえないが、昔ヴィックの事でクラノに問い詰められてから、フィネはクラノの事が苦手だった。
だからあまり口出ししなかったが、ガセ情報をノイラに流すのならば話は別だ。フィネは食事をすぐに終わらせて席を立つ。荷物を持って家から出る直前に、ノイラに言った。
「そんなつもりはまったく……多分ないから!」
「なんだ。行かないのか」
表情を変えずに、クラノは言った。あまり驚いておらず、平然とした様子だった。クラノと会うために急いで鍛冶屋に向かって待ち構えていたのだが、こうもあっさりと誤解が解けると拍子抜けした。
「そうですよ。そもそも、何で家族がいるマイルスから離れるんですか?」
念を押してクラノに問い質す。誤解を与える要素はできるだけ取り除かなければならない。
「問題無いだろ? 家事はノイラもできるようになってるし、自分の生活費分の金も稼いでるっていう話だ。贅沢しなきゃ大丈夫だ」
「……稼いでるって……何の話です?」
「あいつ、二年前から勉強の片手間で金を稼ぐ方法を模索してたんだよ。今じゃ多くは無いものの、安定した稼ぎを出してるらしいぞ」
初耳だった。ノイラはいつも将来のために勉強をしているものだと思っていた。だけどそうじゃなくて、将来の事を考えて、他の事もしていたのだ。
それが少し、ショックだった。
「そっか……負担、かけちゃったんだ」
フィネは頑張る人を応援することが好きだ。その最初の相手が妹のノイラで、ノイラが学校の入学試験に合格した時は心の底から喜んだ。そしてその後も、ノイラが頑張れるようにお金を稼いだり、家事も自分が全部することにした。それが、妹のためだと思ったからだ。
だけどいつのまにかノイラは、フィネの手から離れていた。フィネが不甲斐ないせいで、そんなことをさせてしまったのかと思うと、情けない気持ちでいっぱいだった。
「あほだろ、お前」
落ち込んだフィネに対し、クラノは容赦なかった。
「あ、あほ、ですか?」
「そうだ。馬鹿でも、間抜けでもいいぞ。今のお前にはその言葉が似合う」
「なんでそんなことを言われなきゃいけないんですか?!」
訳が分からず、フィネは大声で答えた。
「あいつが金を稼いだり、家事を手伝ってるのはお前のためだよ。お前があいつを応援するのと同じで、あいつもお前を応援するために、だ」
「お、応援って……わたし、応援されるようなことなんかしてないのに……」
「あるだろ。ほら、あれだ」
クラノがフィネの後ろを指差した。振り向くとそこには、冒険用の装備を身に付けたヴィックがいた。
「あの……なんでフィネがここに?」
驚いた様子のヴィックだが、フィネも同様だった。何故朝っぱらから、ヴィックがこんな所に居るのかが分からなかった。
しかしクラノだけが、普段と変わらぬ調子だった。
「おいヴィック。昨日こいつに言うことがあったんだろ? ちゃんと言わねぇから俺が怒られたんだぞ」
「え……す、すみません」
ヴィックは訳が分からない様子で謝罪する。フィネも状況が把握できていない。言う事ってなに?
突然、フィネの両肩をクラノが掴んだ。
「謝る前に、さっさとこいつに言うこと言いやがれっ」
クラノに肩を押され、フィネは勢いのまま足を動かす。バランスを保って止まると、目の前にはヴィックがいた。顔が近かったので恥ずかしくなり、頬を赤くしてしまう。
「お、おはよう。ヴィック」
「あ……うん。お、おはよう」
ヴィックも頬を赤くし、しかもぎこちない挨拶をする。ちょっと照れ臭かった。
「えっと……きょ、今日はいい天気だね」
「そ、そうですね! いい天気です!」
「た、体調はどう? 毎日仕事で忙しいでしょ」
「ヴィックさんほどじゃないです! げ、げんきですよ」
緊張しすぎて、前みたいな敬語口調になってしまう。ヴィックもなぜか緊張気味で、なかなか会話が進まない。一体どうしたというんだ。
落ち着くために深呼吸をすると、ヴィックも同時に深呼吸をしていた。お互いに落ち着くと、先にヴィックが口を開いた。
「大事な話が、あるんだ」
真っ直ぐとした目でフィネを見つめる。真剣な雰囲気を悟って、フィネはこくりと頷いた。
「僕、来週にエルガルドに行くことにしたんだ。グーマンさんが戻ってきたし、師匠からも許可されたから。それに実力もついたから、これでウィストと一緒に冒険できると思うと、何日も待てないから」
昨日、ラトナから聞いたことと同じ内容だった。
そっか。ヴィックはフィネに別れの言葉を言うつもりなのか。
寂しいが、フィネはそれを受け入れようと思った。今までのヴィックの努力が報われてくれるのならば我慢しよう。
「エルガルドに行くとなると、今度はいつこっちに戻れるか分からない。上級冒険者になろうと思ったら二年どころか五年、それどころか十年経っても戻れないかもしれない。つまりその間、フィネとは会えなくなるんだ」
「うん」
「今までフィネには迷惑をかけっぱなしだった。新人の頃は毎日気にかけてもらったり、食事もご馳走された。今でもフィネには励まされているほどだ」
「……うん。わたしも、ヴィックに感謝してるよ」
「ありがとう。だけどエルガルドに行っちゃうとフィネに会えなくなる。そう考えると胸が苦しくてたまらないんだ」
「そっか。そう言ってくれるだけでも嬉し……」
「だから僕と付き合おう。そして一緒にエルガルドに行こう」
「うん……うん?」
突拍子のない言葉に、フィネはついて行けなかった。一方で、ヴィックは嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「良いの?! ホントに?! よし。じゃあ早速家族に伝えに行こう! あ、けど今は仕事中かな。じゃあまた日を改めて……」
「待って待って待って待って」
おかしい。いつの間にか了承したことになっている。まずは落ち着いて話し合わないと。
「えっと……つまりどういうこと?」
「僕はエルガルドに行く。だけどフィネと離れるのは嫌。だから恋人として一緒に来てください」
「うん。簡単にまとめてくれてありがとう。けどなんで?」
「そりゃあ……フィネの事が好きだからに決まってるよ」
「す、好きって……」
「誰にも渡したくない。離れたくない。フィネは僕にとって、掛け替えのない存在なんだ。だから、一緒にいて欲しい」
臆面もなく告白をする度胸が羨ましかった。こっちは「あーん」をするだけでも躊躇うというのに。
「よく平然と言えるんだね……」
「一度開き直ったら、なんか平気になった。で、どうかな?」
今一度、ヴィックが確認をとるように聞いた。それに対して悩みながらも、フィネは答えを決めた。
フィネは断るつもりだった。
ヴィックの告白は、正直言って嬉しかった。本当は付き合いたい。一緒に遊びたい。だけど家族を置いてマイルスから離れるわけにはいかないから、一緒に行くことはできない。
ヴィックのことは好きだ。だけど同様に家族のことも好きだ。だから苦渋の想いを胸に秘め、フィネは断りの言葉を口にする。
その直前だった。
「行けば良いよ。お姉ちゃん」
ノイラの声が、フィネの開きかけた口を閉じさせた。いつの間にかヴィックの後ろに、ノイラが立っていた。
「な、なんでここに?」
「お姉ちゃんが慌てて出たから、クラノさんの事を怒っちゃうのかなと思ったから心配だったの。そんなことより、断っちゃだめだよ」
「けど、わたしがいなかったら……」
「家事は私もする。お金はこんなときのために備えて稼いできた分があるから平気。父さん達には説明するし、納得してくれるから問題ないよ」
「ずっとできるか分かんないでしょ? だったら離れられないよ」
「私が試験を受けたときと同じだよ。そのときは私が頑張る。お姉ちゃんが私のために頑張ってくれたときと同じように」
クラノと一緒の言葉を、ノイラは口にした。
「私よりできるはずのお姉ちゃんが、ずっと報われないのはおかしいよ。だから私は、お姉ちゃんの努力が報われて欲しいの。そのために頑張らせてよ。ちゃんと勉強と両立するからさ」
強く熱い言葉だった。フィネがいつも大声で話すのは、相手に熱意と元気、希望を与えるためだ。そのために毎日、元気に冒険者達に声を掛ける。だけどノイラの声は、大声じゃなくても、フィネの心に同じものが届いた。
それがとても、心地良かった。
「ノイラ。ありがとう」
フィネはヴィックに向き直り、もう一度深呼吸をした。ヴィックとノイラは、自分が思っていたことを言ってくれた。なら次はフィネの番だ。
ヴィックの目を真っ直ぐと見て、フィネは想いを口にする。
「わたしもヴィックの事が好きです。だから、一緒に行きましょう」




