エピローグ
雲一つない快晴な空の下を、馬車が移動していた。整備されていない道を行く馬車は、度々大きく揺れることがあるが、ここまでは順調に進んでいた。
道が荒れているのは、ここがエルガルドと隣町の間に続く道だからだ。
エルガルドはダンジョン以外でもモンスターが多く生息する。そのためエルガルドを行来する馬車は、何度もモンスターに襲われることがある。だからエルガルドの冒険者ギルドには毎日のように護衛任務が依頼されることになり、モンスターとの戦闘のせいで道が汚くなり、荒れることとなった。
ギルドに依頼される護衛任務は数日間に及ぶものもあるので報酬金も高い。冒険者には人気があり、受ける人も多い。ウィストもその一人だった。
エルガルドに来てから二年。ここの生活にもすっかり慣れていた。来た当初は、そこら中に多くの冒険者がいたことに驚き、豊富な装備の種類に興奮し、様々な環境のダンジョンに胸躍らせた。今でも未知なるダンジョンに挑むとわくわくしていた。今回依頼を受けたのも、同じ理由だった。護衛任務の経験は乏しいため、興味本位で受けることにしたのだ。
今はエルガルドへ帰る馬車に乗っていて周囲を警戒していたのだが、今日はまだモンスターに襲われていなかった。
「今日はモンスターに遭遇されずに終わりそうだね、ウィスト」
同乗している他の冒険者に話しかけられた。この依頼はウィストを含めて、七人の冒険者が受けていた。全員が中級冒険者で、隣にいるナッシュもその一人だ。
ウィストは最近、よくナッシュに話しかけられていた。以前ダンジョンを攻略しているときに偶然出会い、そこで一時的に協力したのが切っ掛けだと思う。その日から会うたびに声を掛けられ、冒険に誘われていた。
しかしナッシュが女たらしで、今も複数の女性と付き合っていると聞いてから、一緒に冒険に行くことは無かった。下手したらナッシュのいざこざに巻き込まれそうになるからだ。
ナッシュは美形だ。そのうえ普段から見た目を気にしているため、身だしなみを怠らない。今も仕事中なのに、柔らかそうな金髪を薬品で整え、お気に入りの髪型にセッティングしている。剣や防具を手入れして綺麗にするのは分かるが、女性の目が無い仕事中に髪型を整える必要は無いと思うのだが。
「そうですね。このまま何も終わらずに済みそうですね」
「これも普段の行いが良いからだね」
「……そうですね」
女性関係のもつれを常時抱えている人が言っても、説得力が無かった。
「そういえばこのあと空いてる? 美味しいとこを見つけたんだけど、一緒に行かない?」
肝が冷える誘いだった。恋人がいるにもかかわらず平気で食事に誘うとは、噂通りの女たらしぶりだ。
「すみません。今日は人と会う予定があるので……」
「もしかしてマイルスに残した相棒かい?」
ナッシュの口から予想だにしていなかった言葉が出た。なぜマイルスに行ったことが無いナッシュが、そのことを知ってるんだ?
「……えっと、どこでそれを聞いたんですか?」
「ベルクだっけ、そいつからだよ。君には相棒がいて、そいつが近いうちにエルガルドに来るって話をな」
ナッシュは交友関係が広い。それを利用して、狙った女性の情報を集めて落とそうとするという話を聞いたことがある。一年前にエルガルドに来たカイト達は、まだナッシュの事を知らなかったのだろう。
ウィストの勘が、このままだと厄介事になることを告げていた。今度は自分が狙われている。そんな気がしたのだ。
「そ、そうなんですよー。そろそろ来るって聞いてたんで、いつでも会えるように時間を空けときたいなーって思ってるんです。だからこの後もちょっと無理かなーって」
ヴィックを理由にするのは申し訳ないが、今は他に誘いを断る理由が思いつかない。これで引いてくれることを祈って誘いを断った。
しかし、ナッシュは動じなかった。
「いいじゃないか、今日くらい。お互いの疲れを労うってだけなんだしさ」
「けど今日あたりに来そうだから、顔をあわせたいなーって」
「一日くらい遅れてもいいじゃないか。相棒を待たせるような奴なんかより、俺の方を選びなよ」
「……どういうことですか?」
癇に障る言葉に対し、ウィストは声を抑えながら聞く。
「そのまんまだよ。相棒ってのは自分と同程度の実力を持ち、信頼しあわないといけない。相方と別れたまま呑気に冒険をする奴なんて碌なもんじゃないよ。だからそんな奴とは別れて、俺と組もうって話だよ。ほら、俺は強い上に君の事を全力で守ることができる男だ。どう考えても俺の方が良いだろ?」
ナッシュの事は面倒な人という認識でいた。好きではないが苦手な人、そういう存在だった。
しかしこの時点で、ナッシュの事が嫌いになった。
あんたに何が分かる。ヴィックがどういう思いで頑張ってきたのか知らないくせに、なぜそんなことが言える。
これを機に、ナッシュに言いたいことを言ってやろうと思った。何度も付きまとわれるのは嫌だし、ヴィックの事を色々と言われるのは御免だった。
それをナッシュに告げようとしたときだった。
「モンスター接近! 東から五体!」
他の冒険者の声が聞こえた。ウィストはすぐに武器を取り、東に視線を向ける。ナッシュも剣を握って馬車の外に出ていた。
報告通り、五体のモンスターが近づいてくる。しかも見覚えのあるモンスターだ。
大きな身体で頭の左右に角を生やし、手には大斧を持っている。マイルスにいたときにも見たことがあるミノタウロスだ。あのときと違うのは、それが五体もいるということだ。
こっちには冒険者が八人。安全を取るならば複数人で一体のミノタウロスに当たる方が良い。しかし人数の都合上、そのうちの二人が一体のミノタウロスを一人で受けもつことになる。
迅速に判断したウィストは、全員に聞こえるように声を上げる。
「私が二体倒すから! 残りは任せる!」
ミノタウロスは戦ったことがあるモンスターだ。あのときと違い今は一人だけだが、どんなモンスターかは知っているので戦い方は分かる。他の冒険者の中にミノタウロスとの戦闘経験者がいれば心強いが、今からそれを聞きまわるのも面倒で時間がかかる。ならばウィストが二体受け持つ方が断然早い。
それにウィストには自信があった。あのときとは違い、ウィストは成長していた。
ウィストは馬車から降りると、全力で走り出した。標的は左端の二体。そいつらの目に留まるように、左端に向かって移動する。
真ん中のミノタウロスが声を上げると、左端のミノタウロスがウィストの方に向かって来た。だけど一体だけだ。もう一体、釣る必要がある。
ウィストは近づいて来た一体のミノタウロスに向かう。ミノタウロスの攻撃範囲内に入ると、すかさず斧が振るわれた。それを軽々と避けると、残りの一体の方に向かった。
「こっち見なさい!」
二体目のミノタウロスの足に剣を刺そうとする。その寸前で気づいた二体目は、振り払うように腕を動かした。ウィストは転がりながら避けて、再度攻撃を仕掛けた。しかし、今度は余裕を持って躱される。
「ブモォオオ!」
二体目のミノタウロスは鳴き声を上げた。それに応えるように、真ん中のミノタウロスが似たような声を返す。すると二体目のミノタウロスもウィストの方に歩いて来た。
「これでオッケーかな」
背後からもミノタウロスの気配を感じる。ウィストの思惑通り、二体のミノタウロスを引きつけていた。これで他の冒険者の負担も軽くなるだろう。
しかし懸念点があった。さっきから指示を出しているミノタウロスの存在だ。
知性のあるモンスターは集団行動をして生物を襲うことがある。その場合、集団を指揮するリーダーの存在が厄介になる。リーダーは大抵、力が強くて知恵も回る。今回の場合は、真ん中のミノタウロスがそのリーダーに該当するのだろう。
リーダーとはいわば、その集団の主柱だ。そいつを放置するのは危険である。しかもあのミノタウロスは、他の個体に比べて身体が一回り大きかった。見るからにも危険な気がする。
「さっさと片付けよっか」
他の冒険者に任せてもいいが、念には念を入れたい。早急に片付けて援護に向かった方が良いだろう。
方針を決めたウィストは、後ろから振り下ろされた斧を跳んで避ける。すぐに反転して一体目のミノタウロスに向かう。空いた左手で殴りかかって来たので跳んで避け、すれ違いざまに左足を斬りつけた。そこで足を止めずに背後に回り、ミノタウロスの背中に向かって跳躍した。背中に双剣の片方を刺すと同時に、刺した剣を踏み台にしてさらに上に跳ぶ。目の前にはミノタウロスの頭があった。ミノタウロスは慌てて振り向くが、もう遅い。残った双剣でミノタウロスの顔に剣を突き立てた。
一体目のミノタウロスは大きな音を立てて倒れた。生きていたとしても、すぐに戦うことはできない。ウィストは予備の双剣を抜いて、二体目のミノタウロスに向かって行った。
二体目のミノタウロスは、一体目がやられた光景を目の当たりにしたせいか、近づいても迂闊に攻撃はしてこなかった。隙を突かれるのが嫌で慎重になっている。だが防御に専念されても倒す算段はあった。
ウィストはまっすぐと二体目に向かって突っ込む。ミノタウロスは隙を少なくするために、斧を小さく振って応戦する。ウィストは最小限の動きだけで避けると、さらに接近した。近づかれることを嫌ったのか、すぐに蹴りを放って遠ざけようとした。
「待ってました」
蹴りを避けると同時に双剣で斬りつける。反撃をくらったミノタウロスは、慌てたようにして片足で後ろに下がる。その隙を逃さずに、ウィストはもう片方の足も斬りつけた。追撃されたミノタウロスは、バランスを崩して仰向きに倒れる。ウィストはすかさず、ミノタウロスの身体に圧し掛かる。そして片方の双剣を捨て、残りの双剣を両手で持ち、それをミノタウロスの顔面に向かって振り下ろした。
「これでよし」
絶命させた手応えがあった。振り向いて一体目のミノタウロスの様子を見ると、さっきと変わらず倒れている。おそらく死んでいるだろう。二体片付けたことを確認してから、残りの冒険者の様子を見る。
嫌な予感が的中していた。残りの三体のうち二体は倒れているが、例のリーダーは健在だ。対してこっちは、残っている冒険者が二人だった。
「おいウィスト! 逃げるぞ!」
いつの間にか、ナッシュが近くにいた。しかしいつもきれいにしている防具が、今はボロボロになっている。髪型も酷く崩れていた。
「逃げるって、どういうこと?」
「あのミノタウロスはやばい! 他の二体はたいしたこと無いが、あいつは別格だ! 他の冒険者はあいつ一体にやられちまった!」
やはりあのリーダーは危険な存在だったのか。他のミノタウロスを任せて、ウィストが相手をすべきだった。
ウィストは自分の判断力の低さを悔いた。
「おそらく上級モンスタークラスだ。俺達じゃかないっこない。早く逃げよう!」
「依頼者が残ってるでしょ! まずはあの人達を逃がさないと!」
「んなもん知るか! 自分の命が大事だろ!」
「……私達を信頼している依頼者を裏切るの?」
自分の命が大事。それはウィストも同じだ。それを否定することは出来ない。だけど依頼者は、冒険者を信じているからこそ依頼を出したのだ。
長年冒険者ギルドが積み重ねてきた実績があるからこそ、ギルドには依頼が来る。依頼者を助けずに逃げることは、今までギルドが積み上げてきた努力を不意にする行為に繋がる。
それに、ウィストはヴィックの相棒だ。相方のヴィックなら、こういう場面では決して逃げない。助けるために力を尽くすはずだ。相棒であるウィストが逃げたら、ヴィックに合わす顔が無い。その選択だけは取りたくなかった。
「助けたきゃ勝手に助けろ。俺は知らん」
そう吐き捨てると、ナッシュはエルガルドに向かって走り出した。戦力が減ってしまったが、惜しむ暇すらなかった。
ウィストはすぐに援護に向かった。残り二人の冒険者は何とか粘っているが、今にも倒れてしまいそうに見える。しかもミノタウロスは、そのうちの一人に向かって斧を振り下ろそうとしていた。
狙われた冒険者は立っているのがやっとで、避けれそうにない。
「逃げて!」
声を上げると同時に、斧が振り下ろされる。ウィストは懸命に駆けるが、明らかに間に合わない。冒険者の顔が絶望に満ちていた。
だがミノタウロスの斧は、冒険者の横に逸れていた。
「ブモォ?」
不思議そうな表情で、ミノタウロスが声を出す。冒険者に向かって振り下ろした斧が、何にもされていないのに外れたのだ。驚くのも無理はない。ウィストも同じ気持ちだった。
しかしすぐにその原因は明らかになった。冒険者の前に、懐かしい者の姿があったからだ。
「もう大丈夫ですよ」
ヴィックは冒険者に向かって、優しい言葉を投げかける。緊張が解けたのか、冒険者はその場にへたり込んだ。
「後は任せてください」
ヴィックが残りの冒険者に声を掛けると同時に、ミノタウロスが動き出す。
ミノタウロスはヴィックに向かって斧を振り下ろす。他のミノタウロスに比べて速く、無駄のない動きだった。やはり他の個体とは格が違う。
そんなミノタウロスの攻撃を前に、ヴィックが盾を構えた。そして斧が盾にぶつかると同時に、滑るようにして斧の軌道が変わり、地面に突き刺さった。
さっき冒険者を助けたのと同じで、盾で受け流したのだ。受け流しができることは知っていたが、あのミノタウロスの攻撃を受け流し切るとは、以前のヴィックでは考えられないほどの技量だった。
しかもヴィックは、攻撃を受け流すとすぐに動き出す。ミノタウロスに接近すると、躊躇なく腹に剣を刺した。
「ぐ、もぉ……」
ミノタウロスは苦しげな声を上げる。だが流石というべきか、すぐに斧で反撃した。ヴィックは先程と同じように、それを受け流す。
そのとき、ウィストはヴィックと目が合った。その目から、ヴィックの意思を感じ取れた。今のうちに攻撃しろ。そう言っているように聞こえた。
ウィストはミノタウロスに向かって走り出した。ヴィックに夢中なのか、ウィストに気付きもしない。ウィストはミノタウロスのがら空きの背中を何度も斬りつけた。
ミノタウロスが前に倒れかかる。その隙をヴィックは見逃さなかった。
ヴィックは低いところに下りて来た頭に向けて、剣を突き刺した。ミノタウロスは小さな悲鳴をあげるとすぐに静かになり、地面に倒れ込んだ。
地面に倒れたミノタウロスを前にして、ヴィックが言った。
「久しぶりだね。ウィスト」
少しだけ声が低くなっていた。改めて見ると背も伸びており、身体つきも逞しくなっている。顔つきも子供っぽさが抜けており、青年らしい顔になっていた。
「うん、久しぶり。なんか男前になってるね」
「ありがと。で、早速なんだけどいいかな?」
「なに?」
ヴィックが言いたいことは分かっていた。そしてどう答えるかは、ウィストの中で決まっていた。
ヴィックは真剣な面持ちで言った。
「僕とパートナーになってくれない?」
ウィストは用意していた言葉を口にした。
「もちろん。こちらこそよろしくね」
母の気持ちが、今ようやく分かった。それが分かっただけでも、冒険者になって正解だった。
だけど冒険はまだ終わらない
これからは、二人の冒険が始まるのだから。




