10‐7.未来の姿
「僕は一時期、傭兵を辞めた時期があるんだよ」
僕が訓練場の掃除を終わらせた後のことだった。
掃除を終え、その後の用事も無い、暇な時間だった。この後の予定を考えていると、アルバさんの訓練している姿を見かけたので見学させてもらうことにした。
遠くから眺めていても、アルバさんの剣技が素晴らしいということは分かっていた。しかし近くで見ると、よりその美しさを知れた。
滑らかに動いたと思えば、急に鋭く変化して相手を制す。細かいフェイントを入れて相手を惑わし、生まれた隙を逃さない。素人目で見ても、アルバさんの凄さを実感できた。
しかし気になることが一つあった。アルバさんは自分の立っている場所から、あまり動かないということだ。相手が引いて追い打ちをかけれそうな場面でもアルバさんは動かない。下がった方が楽に避けられるはずの攻撃を、その場から動かずに受け流す。
不可解な行動を何回も見せられて疑問が湧いた。だから休憩時間にそのことを聞いた。
「ふむ。良いとこに気が付いたね」
一度僕を褒めた後に、アルバさんはさっきの言葉を言った。
「辞めたって……何でですか?」
「怪我をしたからだよ。後遺症が残るほどの大怪我だ」
アルバさんはズボンの左足側の裾を上げる。ふくらはぎには、横方向に大きく伸びた傷があった。
「この傷のせいで僕は走れなくなった。当時、戦場を縦横無尽に駆け回って戦っていた僕にとっては致命傷といっても過言ではない傷だ。さすがの僕もショックを受けて寝込んでしまったよ。そして何日か経ってから傭兵を辞めた」
アルバさんの意外な過去を聞いて言葉が出なかった。いつも自信満々な人だったから、挫折の無い人生を送っていると思っていた。
恵まれた環境に類まれなる才。それらを活かして成り上がったのだと。
「数日考え込んでやっと出した答えだった。後悔もあるが仕方がないことだと割り切ったんだ。しかしお節介な奴が現れてね、こう言われたんだよ。『なんだ。情けない奴だな』って」
「……凄いことを言う人ですね」
「全くだよ。『ふざけんなよ』と言い返したんだが、そいつは何度も何度も挑発してくる。それに嫌気が差してね、そいつと手合わせをして証明することにしたんだよ。僕はもう戦えないってことを。そしたら不思議なことにね、勝っちゃったんだよ」
「動けないのにですか?」
「そうだ。そいつの手の内を知っていたということもあったが、それだけで勝てるような相手じゃない。そいつが手加減をした様子は無かった。あんなに悔しそうな顔を見たら、わざと負けたとはとても思えなかったさ。そのときに気付いたんだよ。僕の剣技は、足が動かなくても活きるんだと」
楽しそうな顔で、アルバさんは語り続ける。
「二回目以降は負け続けたけど、一度勝ってしまったら辞めるなんて考えれなかった。その後は来る日も来る日も訓練をした。依頼も受けずに訓練ばかりする僕を馬鹿にする者もいたが、そんなものは全部無視した。今の美しい僕からは考えられないほどの泥臭い訓練をし続け、その結果、今の僕があるというわけさ」
アルバさんは誇らしげな表情を浮かべていた。怪我をして引退を考えたほどの苦しみを味わったはずなのに、なぜそんな顔ができるのか。とても不思議だった。
「なんで、そんなに頑張れたんですか?」
アルバさんはふっと笑って答えた。
「あいつに勝ったときの快感を知ったら、周りの嘲笑や味わった苦しみなんてごみくずのようなものだったからね。それに挫折して傭兵を辞めるなんて僕らしくないと思ったからね。そう―――」
アルバさんは胸を張り、高らかに宣言した。
「この僕の辞書に、諦めるという文字は無い! 君と同じだ!」
「……僕も?」
「そうだ。君の事は知ってるよ。ハイエナ冒険者と呼ばれながらも努力し、冒険者達を助け、下級ダンジョンを踏破した。そんな人間、僕以外でいるとは思わなかった。だから安心するがいい」
君もきっと強くなれる、と。アルバさんはそう締めくくった。
だから僕は、迷わなかった。
足の怪我? それがどうした! 冒険者人生の終わり? そんなことはお前が決めることじゃない! 僕の人生は僕が決める!
怪我をしても傭兵に復帰できたアルバさんの存在が、僕に覚悟を決めさせた。
フェイルに渡されたナイフの切っ先が、僕の右足に突き刺さる。痛みに備えて歯を食いしばった。
鋭い痛みが足から伝わり、傷口から血が溢れてくる。そう思っていた。
しかし―――、
「……え?」
血が出るどころか、ナイフの刃は一ミリも刺さらなかった。わずかに切っ先が食い込んで痛みはあったが、とがった石を押し付けられたようなものだった。
不思議に思ってナイフの刃を指でなぞるが、斬れ味が悪いというレベルではなかった。
「刃が、研がれてない?」
持っているナイフは、物を斬るという機能を持ち合わせていないものだった。これではおもちゃと同じだ。人を刺したり斬ったりすることができるわけがない。こんなナイフを渡したフェイルの意図が分からなかった。
問い質そうとしてフェイルを見ると、なぜかフェイルは拍手をしていた。
「見事だよヴィック君。君は僕の望む選択をしてくれた。そのことに敬意を表するよ」
上から目線の賛辞だった。予想外の展開に呆けてしまうが、状況を理解して怒りが増した。
「僕を試したんですか?」
「そのとおりさ」
濁すことなく、答えられた。
「僕は君に対して、ある危険を感じ取った。それは避けなきゃいけないことで、それを促せるのも僕だけだ。しかし、もしかしたら違うかもしれない。だから確かめたかったんだよ」
「フィネとラトナ、ウィストを巻き込んで、いったい何を知りたかったんですか?!」
僕の事を知りたいのなら、こんな回りくどいことをせずに直接聞きに来ればいい。皆を危険な目に遭わせてまで一体何を確かめたいんだ? そもそも僕に、フェイルが知りたがるような秘密や力はない。
だというのに、フェイルの目は据わっていた。
「君があのソランと一緒かどうか、だよ」
言葉が詰まり、沈黙が場を支配する。フェイルの言葉はあまりにも意外なもので、今まで僕が考えなかったことだった。
僕がソランさんと一緒かどうか? あの《マイルスの英雄》とか《獅子殺し》と呼ばれている、あのソランさんと?
軽くパニックになっている僕を見て、フェイルは言葉を続けた。
「助ける当てもないのに助けに行く無謀な行動力。無茶な望みを叶えるために無理をする意志の強さ。挫けても折れない鋼の心。ソランと君が似ているところだよ。そういう人間は君以外にもいる。だがソランは、そいつらに無いものを持っていた。それを確かめたかった。そして君には、それが無い」
フェイルは優しい笑みを見せる。
「おめでとう。君は正常な冒険者だ」
嘘偽りない言葉に聞こえた。決して馬鹿にしているわけではなく、失望しているわけでも無い。純粋に祝っているように見える。だがフェイルの賞賛の言葉と聞いても全く嬉しくなかった。
僕はソランさんみたいになれない、そう言っているからだ。
僕は拳を強く握りしめた。敵の言う事なんか気にするな。あんなことは聞き流して、今まで通り努力すれば良い。それだけだ。
「あなたの評価なんかどうでもいい。それよりもどうするんです?」
フェイルから受け取ったナイフを地面に置いて問い詰める。
「どうするって、何をだい?」
「約束ですよ。僕がナイフを足に刺したら友達を解放するって話です。こんなナイフじゃ無理ですよ」
「あぁそうだったね。安心していいよ。彼女達を解放しよう。フィネちゃんの場所も教えるよ」
フェイルは機嫌を良くして答えた。僕は無事に皆を助けられることに安心して、胸を撫で下ろす。
ラトナがフェイルを見ると、フェイルは優しげな表情で頷く。ラトナは嬉しそうな顔をして立ち上がり、僕の方に足を踏み出した。
「けど―――」
そしてフェイルはラトナの服を掴んだ。
「その後に、何もしないとは言ってない」
強く引っ張って、ラトナは奥に引きずり込まれる。するとラトナの身体が後ろに倒れ始め、徐々に身体が見えなくなる。
「後ろの穴から落とされて―――」と言ったフェイルの言葉を、僕は思い出していた。
ラトナの姿は、暗い穴の中に吸い込まれていった。




