10‐6.人生と命の天秤
フェイルの顔は、相変わらずにやついたままだった。薄気味悪い笑みを浮かべたまま、僕の反応を見ている。
今、僕の顔はどうなっているだろう。驚いているのか、青ざめてるのか、または全く変化がないのか。
ただ、今の自分が何を思っているのかはわかっている。その気持ちを、思わず口にした。
「意味がわからない」
正直な気持ちである。地面に落ちたナイフを再び見た。
このナイフで自分の足を刺す? いったい何でそんなことをしなくちゃならない。
「理解しなくてもいいさ。するかしないか、ただそれだけのことだ」
「こんなことを要求するからには理由があるんでしょ? 何なんですか?」
「なぁに、難しいことじゃないさ。ちょっとした憂さ晴らしを兼ねているだけだ」
「憂さ晴らし?」
「あぁ。君さえいなければ、半年前の計画は成功していた。その報復と考えてくれていいさ」
半年前の馬車隊襲撃事件。あれはフェイルとゲノアスの計画の下で実行された。ヒランさんに頼まれて馬車を追いかけていたところ、ソランさんに遭遇して助けてもらった。護衛していた冒険者のなかで怪我人は出たものの、依頼人達は無事に救出できた。
そのことを恨んでの要求か。逆恨みだが、納得できる理由だった。
「けど報復ならこんな回りくどいことをせずに、自分の手でするほうが確実でしょ? 僕が言うのもなんですが、あなたなら僕を簡単に始末できるはずです」
言ってて悲しくなる台詞だが事実である。ヒランさんと対峙して逃げ切るほどのフェイルなら、僕を殺すことは容易いはずだ。
「あぁそのとおりさ。けど僕が一番見たいのは、君がどう選択するか何だよ」
「選択?」
「そうだ」
フェイルはラトナの肩に手を置いた。
「自分の人生と他人の命。君がどっちを選ぶのか、それを見たいのさ。ここから逃げ出せば君は冒険者として生き長らえるが、ラトナちゃんは後ろの穴から落とされて、フィネちゃんはモンスターの餌となって死ぬ。けど君が僕の要求通りにすれば、二人の命は助かる。冒険者人生は終わるけどね」
フェイルの後ろの地面には、大きな穴が空いている。どれくらいの深さなのかここからではわからないが、落とされたら無事で済むとは思えない。
フィネの方も心配だ。レーゲンダンジョンのモンスターは獰猛だ。フィネの場合、見つかったらあっという間に襲い掛かられて殺される。
二人とも大事な友達だ。見殺しになんて出来る訳がない。
しかし―――、
「ヴィック。そのまま聞いて」
ウィストのささやくような声が耳に届く。
「時間を稼いで。何か方法を考えるから」
聞こえていないのか、ウィストの言葉にフェイルは反応しない。ウィストはこういう土壇場で頼りになる存在だ。
そして僕が悩んでいるのも、ウィストのことがあるからだ。
冒険者人生を終えること。それは僕の目標が無くなるということであり、ウィストとの約束を果たせなくなるということだ。
目標が無くなるのは惜しいことだが、二人の命には代えられない。それだけなら僕は迷わずに自分の足を刺しただろう。
だがウィストは僕の事を未来の相棒と言ってくれた。僕が追い付くと言ったことを信じてくれた。僕が隣に立つということを期待してくれた。
ウィストの言葉が、気持ちが、想いが、僕の人生を作ってくれた。僕はそれが嬉しくて、これからも冒険者として生きたいという思いにつながった。そのきっかけを与えてくれたのがウィストだ。
冒険者を辞めるということは、ウィストを裏切るのと同じことだ。それだけは絶対にしたくない。
二人の命を救うか、ウィストとの約束を守るか。命が大事だということは分かっている。だけど、ウィストとの約束も守りたい。
「いいねいいねぇ。どっちを選ぶべきか苦しんでるね。それが見たかったんだよ」
フェイルの煽る様な言葉に腹が立つ。奴の思い通りになっていることが、内心悔しかった。
このままフェイルの思惑通りに進むのか? 打開策を考えるが、良い案が思い浮かばない。
「憂さ晴らしを兼ねているって言いましたよね?」
ウィストがフェイルに尋ねる。なにか策でも思いついたのか?
「つまり、他の目的もあるってことですか?」
「おっと口が滑っちゃったか。うん、ウィストちゃんの言う通り、あるよ。けど今それを言うつもりは無い。ヴィック君が選択したら教えてあげるよ。それで―――」
フェイルは再び僕に視線を向ける。
「決めてくれたかな? ヴィック君」
逃がすつもりはない、という思いが伝わってくる。僕等に時間を与えてくれそうにない。
僕は地面に落ちたナイフを拾い上げた。
「ふむ。そっちを選ぶんだね」
「……当然です。二人の命に比べたら、僕の人生なんて価値は無いです」
「そんな風に自分に言い聞かせないと選べないもんねぇ」
心を見透かすような口ぶりだ。だが間違ってはいない。自分を卑下しないと、自傷行為なんてできるわけがない。
僕の冒険者人生は、これで終わりだ。
ナイフを強く握って、自分の右足を見つめる。刺せば二人の命は助かるなら、たかが右足の一本くれてやる。
決意した僕は、ナイフを振り上げる。
同時に、横に何かが通り過ぎた。
思わず目で追うと、ウィストの後ろ姿が見えた。フェイルに向かって双剣を振りかざし突進していた。
フェイルは今、何の武器も持っていない。人質がいるとはいえウィストの速さならば、フェイルがラトナに危害を加える前に攻撃し、助けられるかもしれない。
ウィストの剣がフェイルの身体に届く。
その直前、
「あまい」
フェイルはウィストの剣を躱し、同時に腕を捕まえた。ウィストはすかさずもう片方の腕で剣を振るうが、それは空を切る結果となった。フェイルがウィストの腹を殴打すると、ウィストの動きが止まる。「うぐっ」とウィストが声を吐いて膝が曲がる。その隙を狙われて、ウィストは身体を押さえこまれた。
「これで終わりっと」
フェイルは懐から小さな布を取り出し、ウィストの鼻と口に押し当てる。直後、ウィストの身体がだらんと地面に倒れ込んだ。
「にゃ……にゃにこれ……」
呂律の回らない声が、ウィストから聞こえた。
「痺れ薬さ。本来は武器や罠に塗り込んで使うんだけど、こんな風に使えるんだよ。効力は弱めにしといたから、一時間もすればまた動けるよ」
フェイルが得意げな顔で説明する。こうなることを予想して準備していたのか。常に先の事を考えている周到さに、怒りを越えて尊敬の念を抱いてしまう。むかつくけど、すごい人だ。
「さて、これで邪魔者はいなくなった」
フェイルはまっすぐ僕を見つめる。逃げるなよ、という思いが伝わってくる。フィネとラトナだけじゃなく、ウィストまでフェイルの手に落ちた。逃げられるわけがない。
ただ、悔しかった。
ゼロから冒険者を始め、挫折をしたこともあったがここまで来た。目標も見つけ、ウィストにも認められた。
辛いことはあったけど、楽しいことが一杯あったし、これからもあると思っていた。
だけど今日ここで、それを手放すことになる。それが悔しくて堪らない。
「ヴィック……」
ウィストの苦しそうな声が聞こえる。
約束を守れなくてごめん。相棒は、僕以外で探してください。
「さぁ選ぶんだ。二人、いや三人を見捨てて冒険者を続けるか。それとも冒険者を諦めて、ララック達みたいな冒険とは無縁の人生を送るのか」
懐かしい名前を聞いた。そういえばララックさんは元冒険者で、治らないほどの怪我のせいで冒険者を辞めていた。
あの人は今、それなりに楽しそうな人生を送っている。ああいうのも悪くないかもしれない。
そんな風にララックさんの事を思い出したとき、もう一人の姿が頭に浮かんだ。
「この僕の辞書に、諦めるという文字は無い!」
アルバさんの言葉が一緒に思い浮かぶ。傭兵の訓練場で話していたときに聞いた言葉だ。アルバさんは腕利きで、ナルシストで、僕以上の努力家だ。
「決めましたよ」
僕はナイフを振り上げた。狙いを定めて、ナイフを振り下ろす。
もう、迷いはなかった。




