10‐1.論理と感情
クラノはいつもと同じ時間に冒険者ギルドに訪れた。この時間帯は、冒険者達が依頼を吟味したり、仲間との待ち合わせに使うため騒がしい。だがこの騒々しさは嫌いではなかった。これから今日が始まると思うと、少し気合が入るからだ。
しかし来る時間は同じでも、今日はいつもと違っていた。
ギルドに入ってから、クラノはリーナのもとに向かう。受付にいるリーナがクラノに気付くと、にっこりと笑った。
「うん、時間通りだねー」
「当然だ。いつも何時にここに来てると思ってる」
「知ってるよ。冒険に行くときは、毎日この時間に来てるってことは」
リーナは他のギルド職員に受付を任せ、クラノを連れて別室へ移動する。別室に着くまでの間、他の冒険者からの視線を感じた。「やっぱり」とか「例のあれかな?」とか耳障りな声が聞こえる。見てねぇでさっさと冒険に行ってこいや。
連れられたのは、机と二脚の椅子しかない簡素な部屋だった。その部屋にはすでに先客がいて、奥の椅子に座っている。
「座り給え」
ネルックに促されて、クラノは反対側の椅子に座る。リーナは扉を閉めると、その前で立ち続けた。逃げないための保険だろうか? そんな気はさらさらないのだが。
「さて」ネルックが口を開く。クラノは態度を変えず、背もたれに深々と背中を預ける。
「君の活動について聞きたい点がある。良いかな?」
ここで「ダメだ」と答えたらどうなるのだろう。そう思いながらも言ったら面倒なことになりそうなので、言うつもりは全くなかった。クラノは大人しく頷く。
「では聞こう。君はいつもマイルスダンジョンの八階層と九階層で狩りを行っている。十階層に行くことは滅多にないということが事前の調査で判明している。そこに差異はあるか?」
「いや、その通りだ」
「その理由が十階層のモンスターは旨味が少ないから。それで間違いないか?」
「そうだ。よく知ってるな」
「しかし、先々月から十階層で狩りを行うことが増えている」
クラノは黙ってネルックの様子を窺った。もしかして、ネルックが聞きたいことはあのことか?
「しかも初回は、十階層最奥地に続く道付近のモンスターを狩りつくすほどの活動をした。十階層のモンスターの価値が上がったわけでも無いのに関わらずだ」
「そういえばそんなこともしたなぁ」
「君がそれを行ったのは、とある冒険者達がダンジョンの踏破を目指していた日の早朝だ。彼らと同じタイミングでもなく、午後でもない。まるで彼らが順調に踏破できるようにモンスターを片付けておこう、という意図が見えるほどの時間帯だ」
「結果的にそうなったな」
「何でそんなことをした?」
直前のクラノの発言は無視され、ネルックに問い質される。
諦めに似た思いが、クラノの感情を支配する。だから嫌いなんだよ、こいつ。
「さぁ? 二ヶ月前の俺に聞いてくれよ」
「言うつもりは無いと?」
「想像に任せる」
「そうか」ネルックは席を立ってクラノを見下ろした。
「もういい。帰っていいぞ」
あっさりと終わり、クラノは拍子抜けした。簡単すぎないか?
「いいのかそんなんで? 仮にも局長だろ? ちゃんと仕事しろよ」
「正真正銘の冒険者ギルドの局長だ。これ以上貴様に時間を掛けても収穫は無いと思った故の判断だ」
二人称が「君」から「貴様」へと変わる。言葉通り、もう尋問は終わりの様だ。クラノはネルックが出るのを待ってから退室しようと思い、椅子に座り続ける。
リーナが扉の前からどいて、ネルックが外に出ようとしたときだった。
「リーナ。後でノイラを呼び出す手筈を整えてくれ」
「ノイラちゃんはまだ子供ですよ?」
「だからどうした? そいつが口を割らない以上、他に聞くしかないだろ。早くしろ」
リーナは断る様子もなく「はーい」と返事をする。
クラノは溜め息を吐いた。
「ちょうどいいと思ったんだよ」
ネルックの足が止まる。僅かに首を後ろに向けて「なにがだ?」と問いた。
「ヴィックを後々苦労させるように、ノイラって奴を利用したんだよ。十階層のモンスターの素材が欲しいっていう依頼を出させるようにな。金を稼ごうとしていたから、報酬金をやると言ったら簡単に引き受けてくれたよ。隠れ蓑にされるってことを知らずにな」
「……リーナ、どうだ?」
「言ってる通り、あの日は早朝からその依頼が入って、掲示板に依頼書が貼りだされた直後にクラノが依頼を受けてますねー」
ネルックは納得したかのように軽く頷くと、クラノに対して向き直る。
「マイルスダンジョン八階層以下がどんな目的で運用されているか知っているか?」
「あぁ。中級に上がろうとしている下級冒険者に、地力をつけさせるためだろ?」
「そうだ。地に足着いた実力を身に着けさせることにより、中級ダンジョンでの死亡率を下げる。そのための階層だ。だが君は、それの邪魔をした」
「処分は追って通達する」ネルックはそう言い捨ててから退室した。クラノはゆっくりと腰を上げた。
これで俺も終わりかな。まぁ、最後にフィネに借りを返せたし、いい踏ん切りがついた。ちょうどいいかもしれない。
クラノも退室しようとすると、「ありがとね」とリーナの声が聞こえた。
「局長は知らなかったけどー、ノイラはフィネの妹だから。もしそれがばれたら、フィネが何て言われるか分かんないからねー」
見なくても、リーナが笑顔で言っていることが感じ取れた。こいつの見透かしている感が嫌いだ。
「資格の剥奪だけは阻止できるようにするからね」
「大きなお世話だ」
クラノは振り返らずに断ってから部屋を出る。世話焼きなところも嫌いだ。
ギルドの待合室に戻ると、何人かがクラノに視線を移す。嫌な視線を向けるこいつらも嫌いだ。
外に出る途中にフィネと目が合い、大声で挨拶される。うざったい大声を出すこいつも嫌いだ。
ギルドの外に出て、やっと気持ちが落ち着いた。あぁ、やっぱりだ。
息苦しさから解放されて、クラノは一つの答えに辿り着いた。ギルドの建物を眺めながら、ぽつりと呟く。
「俺の居場所じゃ、無かったんだな」
冒険者を辞める。自然に、そう決意できた。
嫌いなものが多い所で、どうやって楽しめる? 無理に決まってるだろ。
辞めると決めたら、少しだけ気持ちが楽になった。
冒険者ギルドから離れていくと、ある人物を見かける。そして、やり残したことを思い出した。
クラノはその人物に向かって歩き出す。十メートルくらいまで近づくと、相手もクラノを認識した。
「クラノさん。おはようございます」
フィネの妹であり、たびたびモンスターの素材収集の依頼を出したノイラが、礼儀正しく挨拶をする。姉とは違い、賢そうな眼をしていて落ち着いた雰囲気を感じ取れる。
「おう。少しいいか?」
「依頼の事ですか?」
話が早くて助かる。
クラノは「あぁ」と肯定してから、「今後は依頼を受けれなくなった」と告げた。ノイラはぴくりと眉を動かした。
「何でですか?」
「最初の依頼、あれがギルドの掟に反する行為になった。局長に目を付けられたから、これ以上やると俺の冒険者生活がひどく窮屈になる、というわけだ」
本当はもう冒険者を辞めるつもりだが、今言うとノイラは自分のせいだと考えてしまうだろう。だからクラノは嘘を混ぜて答えた。
ノイラは「そうですか」と眉を顰めた。「あと、だ」クラノは続けて忠告する。
「あの依頼は、しばらくの間は止めておけ。お前も疑われるかもしれねぇからな。下手したら経歴に傷がつくぞ」
「経歴に……」
ノイラの表情に僅かに青色が差す。ノイラはフローレイ国立学校に通っているという話だ。無事に卒業できれば、人生の安寧が保証される仕事を与えられる。そのためにも、自分の経歴を汚すことはしたくないはずだ。だからこう言っておけば、また依頼を出すことは止めるだろう。
「何でやってるかは知らんが、たいした理由じゃないならこの辺で終わりにしとけ」
追い打ちをかけると、ノイラはこくりと頷いた。
「ご忠告ありがとうございます。別の方法を考えます」
「そうしとけ」クラノはその場を後にしようとした。
そのとき、ふとある事が気になった。たいしたことではないが、聞いてみたくなった。
「ちと聞きたいんだが―――」
「嫌です」
取り付く島もなく断られる。せめて考える素振りを見せて欲しいものだ。
「即答かよ」
「どうせ、何でこんな依頼を出したんだとか、理由を聞きたいんでしょう? それに対する答えです」
何か勘違いをしているようだった。クラノは「違う」と否定してから改めて質問する。
「理由じゃなくて、なんでこの方法を思いついたのかって聞こうとしたんだよ」
ノイラは何度も瞬きをする。首を傾げながら「そっちを聞く人は初めてです」と不思議そうに言った。
「最初以外はギルドを通さずに依頼を出してんだ。きっと言いたくない理由ってことくらい察しがつく」
「なるほど。これもあまり言いたくないのですが、何度も依頼を受けてくれたので教えてあげます」
若干、上から目線な物言いが気になったが、こういうことは何度もあった。指摘するのも面倒なので無視した。
「ただの真似です。最初の依頼は、実は私が発案したものではないのです。私はそれを倣ってやってるだけです」
「……お前が考えたんじゃないのか?」
「はい。この依頼を出すように頼まれて、代わりに私が依頼を出しました。代理で出した謝礼としていくらか報酬を貰いましたが……ちょっと納得がいかないことがあったのです」
「何がだ?」
「依頼で得られる利益です」
真っ直ぐとした力のこもった目に見つめられる。話したがりそうな意志を察し、「どういうことだ?」と言わされる。ノイラは得意気に話し出した。
「まず、その方は私に対する報酬金として一万Gを提示しました。依頼を代わりに出すだけでこの金額、はっきり言って怪しかったです。もしかしたら私の予想以上の価格で売れる素材なのかと思って調査しましたところ、全部の素材を売ったとしても約十万Gだと分かりました。そして依頼を受けた冒険者に支払う報酬金は九万G。この時点でプラマイゼロです。さらにギルドの仲介料を差し引かれ、その方の利益は無く、赤字になります。素人の私が分かることを、その方が知らないとは思えません」
「……たしかにそうだな」
クラノは驚きを隠しながら言った。依頼の事ではなく、ノイラの行動力に面を食らっていた。
依頼で提示されたモンスターの素材は十種類。素材の数は多くないが、問題はそれを扱う店舗の数だ。クラノが知っているだけで大小合わせて百は超える。全部の店で調べているとは思えないが、ここまで断言する様子から、決して少なくない数を調査しているはずだ。
依頼なんて報酬金がもらえればそれで良いと思っているクラノにとって、そんな些細な疑問に対して調べようとするノイラの行動は異常に思えた。
「もしかしたら私の知らない売り方があって、それで十万G以上稼いでいるのかと考えましたが、色んな商人の話を聞いてみたところ、せいぜい供給が少ない所に高く売るくらいしか分かりませんでした。そしてそんな地域はマイルス付近には無いと知ったので、分からなくなりました」
しゅんとしょげるノイラを見て、クラノは鼻で笑った。聞こえていたのか、ノイラがきつい目で睨んだ。
「何ですか? 可笑しいですか?」
「こんなことによく頑張るな、と思ってな」
「……馬鹿にしてるんですか?」
「そんなつもりはねぇよ。だがそう思ったのなら、お詫びとしてヒントをやろう」
「ヒントですか?!」
「ヒント」と聞いて、ノイラの表情が一変する。まるで欲しいものを買って貰えて喜ぶ子供の姿だ。さっきまでの落ち着いた振舞いからの変わりように、少し驚いていた。
「落ち着け。ちゃんと教えるから」
「あ……失礼しました」
はっと我に返ったノイラは、落ち着きを取り戻して髪を整える。
「で、ヒントって何ですか?」
落ち着いた声で言うものの、期待に満ちた眼をしている。
「別にたいしたことじゃない。誰だって思い当たることなんだよ」
「誰でも、ですか?」
「そうだ。何故なら―――」
クラノは自分と本当の依頼人の立場を置き換えたことで答えが分かった。
ヴィックが踏破を目指したタイミングで依頼を出したその理由。答えは一つだけだった。
「人は損得を考えずに、感情で動くことがあるからだ」




