9‐10.始まりは負の感情
海の近くにある酒場、ソランは奥のテーブル席でビールを飲んでいた。グラスになみなみと注がれたビールを一気に飲み干してグラスをテーブルに置く。それに釣られて、向かい側に座る人物も一気に飲み干した。
「ぷはーっ。労働後のビールは上手いぜぇ」
アリスは嬉しそうな顔をしてグラスを置き、並べられた料理に手を付ける。魚介類の料理が上手いと評判の店だ。魚より肉を好むアリスも「上手い」と言いながら箸を止めない。ソランもアリスの様子を窺いながら食事をする。噂に違わぬ味だった。
「グーマンに教えてもらったが、なかなか良いな」
「へぇ、あいつが……。美味い店を探せるようになったじゃねぇか」
アリスは満足そうに頷いた。最初に会ったときのグーマンを知っていたら当然の反応だ。
グーマンとの初対面時、こいつすぐに死にそうだとソランは思った。グーマンは身体が大きくて力もあった。しかし人のために自分を犠牲にするという性格が、冒険者向きではなかった。そういう人間は無理をして死ぬことが多い。社交的な性格でもなかったため、グーマンは仲間を作らずに一人でダンジョンに挑んでいた。その姿を見たアリスは、ソランに対して「あいつがいつ死ぬか賭けようぜ。オレは一ヶ月までに死ぬ方に賭ける」と言うほどだった。
しかし予想に反してグーマンは生き延び、今ではソランが頼るほどになっていた。その成長っぷりに、アリスは嬉しそうににやついている。
「さすがオレが見込んだやつだ。最初からできると思ってたんだよなぁ」
「一ヶ月で死ぬと言ってたやつはどこのどいつかな?」
「知らね」
バクバクと料理を口に運ぶアリスに、「そういえばグーマンから土産を預かってるぞ」と伝える。
「ほぉ、たかだか隣町に行っただけでお土産かぁ。なんか珍しい物でもあったか?」
「花柄のアクセサリーだ」
「ぶっ殺してやるって伝えてくれ」
「モンスターの剝製と悩んだらしいが、飾り気を持ってほしいということでこっちにしたらしい」
「やっぱ今から殺してくるわ」
嬉しそうにしていた表情が、一瞬にして眼で人を殺せそうな恐ろしいものへと変貌する。モンスターの剥製を集めるのが趣味のアリスにとって、今の言葉は想像以上の効果だった。焦ったソランは、立とうとするアリスを呼び止める。
「まぁ落ち着け。ここで一番上手い料理がまだ来てないんだ。まずはそれを食え」
「……それもそうだな」
渋々と席に座り、テーブル上の料理をまた口に運ぶ。ほっとしてソランも食事を再開する。
次々と来る料理を片付け、食後の酒にも舌鼓を打つ。徐々に機嫌が良くなったところを見て、適当な会話を挟む。
「最近は忙しいらしいな」
「まぁな。冒険者も多くなってきたからトラブルが多い。見回るのも面倒だわー」
アリスは普段、街の警備のため見回りをしていた。警備の仕事自体は軍に所属する兵士が行っているが、冒険者ギルドや傭兵ギルド周りの警備ははっきり言ってザルだ。冒険者や傭兵が起こしたいざこざに関しては見て見ぬふりをしている。騒ぎが大きくなってやっと重い腰を上げるが、そのときには一般人が被害に遭っていることが多いのだ。
被害に遭う一般人が増えると、喧嘩を起こした張本人達が責められ、終いには冒険者や傭兵に対するあたりが強くなる。その問題対策として両ギルドの責任者が話し合って、自分達で警備員を用意して自主的に取り締まることになった。その役目を授かったのが、冒険者兼傭兵のアリスだ。
アリスは冒険者と傭兵の両方に対して理解があり、知名度も高い、うってつけの人物だった。アリスは当初、猛反発をして全く首を縦に振らなかった。戦うことが大好きの戦闘狂なため、街を歩き回るだけの仕事は嫌ということだ。そこをソランだけではなく、両ギルドの幹部達が必死にお願いし、ある条件を加えてやっと承諾してもらった。それ以降、アリスは自分が選んだ冒険者や傭兵と共に街を見回っていた。
「けどお前のお蔭で、この街の冒険者の地位は向上している。感謝するよ」
「よせよ、気持ち悪い。オレは特典に惹かれてやってるだけだ。地位とかはお前やヒランのお蔭だ」
「けど感謝していることに変わりはない。ありがとな」
「……何が目的だこら」
「いや、な」
ソランは勿体ぶってから本題に入った。
「そんなに忙しいのに、何でエンブを討伐しに行ったんだ、って思ってな」
アリスは数秒間だけ無言でいたが、「ちっ」と舌打ちをして不機嫌そうな表情になった。
「別に不思議なことじゃねぇだろ。危険指定モンスターなんだから早く討伐できればそれでいいだろ」
「時間は夜、場所はエンブが得意とする森の中、しかも碌な情報が無い。昔のお前ならともかく、今のお前がそんな無茶をするとは思えなくてな」
「……たまには昔みたいに無茶したかったんだよ」
「嘘だな。お前は周りの事を考えないような愚か者じゃない」
「……」
「万が一、いや億が一で無茶したくなったのだとしても、ヒランやネルックがそれを許さない。だろ?」
アリスは箸を頻繁に持ち直す。イラついたときに持っている物を弄るのがアリスの癖だ。眉を顰める顔を見て確信する。
「エンブはこっちから仕掛けない限り人を襲わない。危険指定モンスターの中では比較的に安全な部類だ。だがお前は、仕事で疲れているはずなのにすぐに討伐に向かった。その理由が知りたくてな」
「……何だっていいだろ。そんなこと」
不機嫌そうな口ぶりのアリスにかまわず、ソランは追及を緩めない
「そうだな。あのエンブが、偶然人里近くに来てしまった個体なら俺もこんなことを聞かないさ。けどあいつはフェイルが調教していたモンスターだ。だから始末しなければならなかった。またフェイルと結託される危険性があったから」
ソランはアリスの耳がピクリと動くのを見逃さなかった。その反応を見て、ソランは一番聞きたかった事をアリスに質す。
「フェイルが来てるんだろ?」
***
「くそっ! くそっ! くそっ!」
ヒュートは悪態をつきながら荒々しく道を歩く。すれ違う人々から迷惑そうな視線を感じたが、全部無視した。知ったこっちゃない。これくらい許せってんだ。
年下で後輩の冒険者に侮辱される。これほど屈辱的なことは無い。思い出すたびに頭が沸騰しそうだった。
ヒュートが冒険者になって、そろそろ一年になる。一年もすれば、兼業冒険者ならともかく、専業ならばマイルスダンジョンの七階層に着いているのが一般的である。
しかしヒュートは、まだ五階層で四苦八苦していて、とても七階層に到達できそうにない。そのことを自分より後に冒険者になり、すでに踏破しているベルクに言われて、腹が立たないわけがなかった。
「てめぇらは四人組のくせに―――」
言いながらも、ある二人の姿が頭に浮かんだ。ウィストとヴィックだ。
ウィストはたった一人で、しかも驚異的な速さでマイルスダンジョンを踏破した。その結果に嫉妬したが、一度彼女の冒険に同行したことで納得した。
奴は天才だ。自分よりも優れた者が優れた結果を出すのは当然で、自分よりも先に踏破するのも普通である。自分にそう言い聞かせて、なんとか気持ちを抑え込んだ。
一方、ヴィックは凡人だった。才能はなく、お金もない、知識もない非力な冒険者だ。しかも詐欺に遭うほどの幸が薄い冒険者でハイエナと呼ばれるほど蔑まれてきたほどの底辺ぶりだった。彼の存在のお蔭でヒュートの心が安らんだ。自分よりも下がいる。あいつがいる限り、ヒュートは一番下ではない。
だが安心できる日々にも終わりが訪れた。ヴィックがマイルスダンジョン八階層目に挑戦するという話を聞いてしまったからだ。想定外のことに、気が狂いそうになった。後から冒険者になったくせに、なんで先に進んでいるんだ? おかしいだろ?
ウィストとヴィック、二人の存在が腹立たしい。特にヴィックが目障りだ。ヴィックが結果を出すたびに、自分が努力していない怠け者だと言われているように思えた。
だからヒュートは、ヴィックが凡人であることを遠回しに言ったり、後々苦労するように手回しも行った。ここ最近、冒険以外にも手を出し始める様子を見て、その成果が上手くいっていると思っていた。
しかし、そう思えたのも今日までだった。
ヴィックが中級ダンジョンのサイガンを倒した。そのことを聞いて、やってきたことが無駄になってしまった。
「なんでだよ、ちくしょう!」
思い通りにいかないことに苛立ち、つい道端の石ころを蹴り飛ばした。石は勢いよく飛んで行き、「カンッ」と音が鳴って止まった。
「おい兄ちゃん、何してくれてんだ」
石は正面から来ていた者の足に当たった。相手は強面の中年で、銀色の甲冑を身に纏っている。身体が大きいため威圧感が半端無い。ヒュートは中年の進行方向から石を蹴り、しかも目撃されている。言い訳ができそうになかった。
「す、すみません。ちょっとイラついてて……」
「イラついてたら何してもいいのか? あぁん?」
「いえ……ホントにすみません」
「謝ればいいと思ってんのか?!」
じゃあどうすれば良いんだよ。内心でそう思っていると、「まぁまぁ」と別の人の声が聞こえた。
「ただの事故だし、悪気があったわけじゃ無いんだからこの辺にしときましょうよ。子供のやったことなんだし、ね。警備隊に目をつけられるのも嫌でしょ?」
ダークグレーの甲冑を身に付けた青年が、場を収めようとする。彼の行為は有り難いが、ヒュートの苛立ちは増した。
子供? それって僕の事か? たしかに童顔だが二十二歳になるのに、あんまりだ。
間違いを訂正したかったが、ヒュートは黙っていた。誤りを正すことで、青年の機嫌を損ねる可能性がある。そうなると庇うことを止めてしまうかもしれない。だからヒュートは何も言えなかった。
「ちっ、分かったよ。次やったらぶっ殺すからな」
「は、はい。すみませんでした」
ヒュートは逃げるように足早にその場を去る。その足で人通りの少ない路地に入ると、道端に転がっているゴミを蹴り飛ばした。
「子供じゃねぇよ! くそがっ!」
溜まっていた鬱憤を全て晴らすように、強く蹴った。物にあたらないと気が済まなかった。暴力を振るうよりマシだと自分に言い聞かせる。
ふと、さっきの出来事が頭に甦る。また誰かにぶつけていたら面倒だ。そのときは逃げることにしよう。そう考えて蹴り飛ばしたゴミを目で追った。
ゴミが飛んで行った場所を見ると、その先に誰かが立っている。ぶつけてしまったかと考えたが、ゴミのある位置とその人が立っている場所がだいぶ離れている。どうやらぶつかる手前で止まったようだ。
安心すると同時に、不思議に思った。じゃあ何であの人は立ち止まっているんだ?
ヒュートはその人物の顔を見る。フードを深く被っているため顔は口の部分しか見えない。そのまま様子を窺っていると、その人物はフードを脱いだ。
人当たりの良さそうな好青年の顔が現れる。だが藍色の髪と優男のような風貌が、記憶に引っかかった。どこかで見たことがある?
「君がヒュート君だよね?」
突如、青年が口を開いた。冒険者として無名なヒュートの名前を知っていることに驚き、警戒して身構える。
「そうですけど……何ですか?」
青年はにやりと笑った。
「成り上がるチャンスが欲しくないかい?」




