第９話 あなた、婚約者がいたはずよね？
「こうしてプライベートで、隊長といることが好きなのです」
プライベート？ プライベートという意味を勘違いしていません？
「レクス。婚約者のアスタベーラ公爵令嬢がいたわよね。優先順位を間違えていると言ったはずだけど？ 結婚しているのでしょう？ 家族を優先させなさいよ」
私はタバコを片手に持って偉そうに言います。どうみても、年上の団長に言う言葉ではありません。
しかし、家庭があるなら、そちらを優先しなさいよ。
するとレクスは何故か嬉しそうに笑みを浮かべました。
「私にそのようなことを言ってくださるのは、フェリラン中隊長だけです」
まぁ、公爵子息に注意して、ファングラン公爵家に動かれると厄介ですからね。
王家の影のファングラン公爵家を敵に回して、気がつけば胴と首が離れていたとかありえるでしょう。
「家族がいるというのは、幸せなことよ」
前世の私には家族と呼べる者はいませんでしたからね。父は生まれる前に戦死し、兄も殆ど一緒に暮らした記憶がなく戦死しました。母は流行病で幼い頃に亡くしましたから、家族という者の記憶は殆どありません。
それからは騎士団で暮らしてきましたから、今の生活は本当に恵まれていると思っています。
「まぁ、無くすのは自分自身しかなかったのもあるわね」
だから、怖い物知らずというものでした。
「それに部下の教育は上官の務めでもあるから、休みの日ぐらいは休みなさいと言うわよ」
「ファングランという名でなく、私自身を見てくださる隊長が好きでした」
……過去形にするなら、背後霊化するのを止めて欲しいです。
だから、さっさと家に帰りなさいよ。
「アスタベーラ公爵令嬢との婚約は破談になりましたので、私は結婚はしておりません」
「え？」
貴族同士の婚姻は家同士の婚姻でもあるのでよっぽどのことがない限り、破談にはなりいません。
そう、私のようにブチギレて相手をぶん殴って、見事な空中三回転ジャンプをさせてしまったというぐらいなことを。
「アスタベーラ公爵令嬢の中では、私は戦死する想定だったそうで、弟が当主となると踏んでいたと言い訳をしていましたね」
……なんだか雲行きが怪しくなってきましたわ。まさかそれって……。
「弟の子を身ごもって、結果的に私と弟の立場が逆転したというだけの話です」
それであの坊っちゃんが生まれたということですね。
これで、レクスが公爵家の当主でない理由がわかりました。
ですが、これは駄目なやつですわ。
レクスに非は全くないのに、結局報われなかったということではないですか。
「隊長。どうして私を最後までお供させていただけなかったのでしょうか」
キツイ言葉です。私の選択が間違っていたと言わんばかりに突きつけられた言葉です。
私は新たにタバコを取り出して火をつけます。頭に煙が行き渡るように吸い込み、吐き出しました。
「それは、私が間違っていたと言っているのか？ レクス」
威圧を込めて言葉を吐き出します。
そもそもの前提が、ファングラン公爵家の嫡男の箔付けのため、面倒を見てくれという上層部の命令でした。
そこでファングラン公爵家の嫡男を死なすなど、愚の骨頂。無能の所業です。
「レクス。君は生きて王都の地を踏みしめなければならなかった。そのあと、ファングラン公爵家の次期当主として、アスタベーラ公爵令嬢と弟君に制裁を与えることができたはずだ」
最初に裏切ったのは誰かという話です。
あの時点でレクスは次期当主として決まっていました。それは国王陛下も認めていたこと。
弟君もアスタベーラ公爵令嬢がレクスの婚約者だと知っていたはずです。
知っていながら結婚前の令嬢に手を出したのであれば、ファングラン公爵家への裏切りと捉えられます。
「何故、しなかった。そうしなかった時点で、ファングラン公爵家の名を背負う価値無しと判断されてもおかしくはない。間違っているのは私か？ それともレクスか？」
だけどレクスはそれを甘んじて受け入れた。それこそ、失策。
レクスはファングラン公爵家の者として、弟君を切り捨てなければならなかった。
そしてレクスは何故か額に手を当てて、大きなため息を吐いている。
反省しているというより、困惑しているという感じですね。
「アルバート・マルトレディルが女性なら、今すぐ伯爵に婚姻の許可をいただきにいくのに……」
何やら怪しいことをブツブツと言っていますが、そんなことを父に言わないでくださいよ。
父に言えば、大手を振って婚姻の許可を出しそうですから。
私は領地で平々凡々の暮らしができればいいのです。
「もしくは、姉君のご令嬢であれば……」
はい、その姉が目の前にいるのですけどね。
「これは伯爵にご子息を私にくださいと……いや、私が隊長の元に行くと言ったほうが……」
なにやら怪しい思考になっていっていますわ。
そのまま突き進むと団長が男色だという噂が立つので、それ以上は口にしないで欲しいです。
そう、それは弟のアルバートにもかかってくるので。
「レクス。君はレクスイヴェール・ファングランの名を背負って団長として立っていることを忘れてはいけない」
弟の立場を悪化させないためには、その思考から離れて欲しいです。
弟に男色という噂が立つのだけは避けなければなりません。
そう、私の婚約者が気に食わないと殴る令嬢というレッテルが貼られてしまったがために、未だに弟の婚約者候補が見つからないのです。
ここは穏便に、騎士団団長の従騎士という地位で釣られる令嬢が現れるのを待ちたいところです。
するとレクスは立ち上がって、私の側に来ました。そして私の左手をとり床に跪きます。
「隊長が他の男の元に嫁ぐなど、耐えられません」
……だいぶん混乱しているようですわ。弟のアルバートのふりをしている私は、殿方に嫁ぐことはありませんわよ。
私はタバコを吸って、その煙をレクスに吹きかけてやります。
「私はアルバート・マルトレディルです。勘違いされないでいただきたいですね。ファングラン団長」
一応、マルトレディル伯爵家の当主である父からの命で、三ヶ月だけアルバート・マルトレディルとして王都にいるのです。レクスの怪しい言動でアルバートの立場を悪くするわけにはいきません。
アルバートが女装しているという噂が流れないように、貴族が立ち入らない下町にいますし、大きめのヘットドレスをつけて顔がよく見えないようにしているのです。
百歩譲って、ここに姉のシエラメリーナ・マルトレディルがいるとういうことにして欲しいものです。
ええ、元々は弟のアルバートが下町に行ってケーキを大食いしていたなどという噂を避けるために、このような恰好をしているのですから。
もう一度言いますが、私の目的はこのカフェでケーキを食べることです。
ショッピングだけであれば、別にアルバートの姿でも問題ないのですからね。
そもそも何故に今の私とアルバートを同じ人物だと思ったのか疑問に思うほどです。
私は侍女に化粧をしてもらい髪を巻いて、普段のアルバートの姿とはかけ離れているのですから。
「そうですね。順番が違いました」
順番？ なにやら納得してくれたレクスは、私の手を離し、元いた席に戻ってくれました。
「失礼いたします」
そこにタイミングよくマスターがケーキを運んで来てくれました。
まぁ、この話はこれで終わりでいいでしょうね。
私はケーキを堪能するために、ここまで来たのです。目的を果たさねばなりません。
「マルトレディル伯爵に、ご子息を私の従騎士としたと報告をいれることが先ですね」
そこのどこに父が関係するのかと口にしたかったのですが、マスターがケーキを並べてくれているので、突っ込むことができませんでした。
