親子になるまで・4
当のジュードは、必死に森の中を走っていた。頭の中に、耳鳴りのような音が響く。それと共に助けを求めるような、恐怖に染まった声も。
――たすけて、たすけて、こわい。
そんな声だった。
聞き間違いかと一度は思ったが、それでもジュードはその声を放ってはおけなかった。その声が、すぐ近くの森の中から聞こえてきたのだ。ジュードはグラムの帰りを待たずに森の中に飛び込んだ。声の出所は不思議とわかる。どこで呼んでいるのか、どこに声の主がいるのか。
更に奥に向かうと、人の声が聞こえてきた。
「オラ、もう逃げられねぇぞ!」
「ったく、ザコはザコらしく刀の錆になれよ!」
それは二人組の大人、傭兵だった。ジュードは男二人の声を聞きながら、そっと木の陰からそちらを覗き込む。
そこにはウルフの親子がいた。小さな二匹の子ウルフは、その腹部から大量の血を流して力なく横たわっていた。大柄な――母親と思わしきウルフは残った一匹の子供を守ろうと四足をしっかりと大地に張り、威嚇するように牙を剥き出しに唸る。だが、戦い慣れた傭兵がそれで怯むことはない。
――たすけて、こわい。
その声は、母ウルフの後ろで震える子ウルフから発せられていた。
「ギャウウウゥッ!!」
その矢先、無情にも傭兵の男は刃を振るい――至極当然のように母ウルフの身を切り裂いたのだ。男の刃に斬られ、母ウルフが力なく地面に倒れ込む様はジュードの目にスローモーションのように映った。
母ウルフは、それでも必死に立ち上がって残った一匹の子ウルフを守ろうと、逃がそうとする。だが、傭兵たちは魔物相手に容赦というものをしない。人間から見て魔物は悪なのだから当然だ。
そして動かなくなって、ようやく満足するのだ。だが、そこで終わることはなく、次に男たちは残った一匹の子ウルフに向き直る。
「こんなの倒したって、足しにもならねぇだろうけどな」
「まあ、魔物なんか生きてたって何の役にも立たないんだからよ。正義の味方よろしく駆逐しとこうぜ」
そんな傭兵二人を前に、子ウルフは小さな身を震わせながら必死に母ウルフに呼びかける。辺りに広がる血の海、その中央に倒れた母の腹部を何度も舐め上げて覚醒を促したが、既に母ウルフは息絶えていた。当然何の反応も返らない。
――たすけて、たすけて、こわい。
その言葉と、眩暈がするほどの恐怖の感情が不意にジュードの中に流れ込んできた。だからこそ、咄嗟にジュードは木の陰から飛び出し、傭兵たちに声を向ける。
「――やめろ!!」
すると、傭兵二人はジュードの方を振り返った。一度こそ驚いたように目を丸くさせたが、すぐにニヤニヤと笑いながら緩慢な足取りで正面へと歩み寄ってくる。
「……なんだぁ? ボウヤ、迷子かい?」
「おい、迷子の相手する前にさっさとこっち片付けちまおうぜ」
ジュードわしわしと頭を撫でてくる男の手を振り払い、慌てて駆け出した。子ウルフを狙う男の片足にしがみついて、必死に声を上げる。
「やめろ、やめろったら! その子、すごく怯えてるじゃないか!」
「はあぁ? ボクちゃん何言ってんの? アタマ大丈夫?」
男は煩わしそうに表情を顰めると、足にしがみつくジュードの襟首を掴んで乱暴に放る。しかし、尻餅をついて痛む臀部を摩りながら、ジュードはすぐに立ち上がって同じように男の足にしがみつく。それには男も苛立ったらしく、眉を寄せてジュードの胸倉を掴み上げた。
「ううっ」
「オマエさぁ、なんなの? 魔物なんか庇うなんて、お前も魔物の仲間か?」
そう言いながら、男は逆手でジュードの頬を思い切り殴りつけた。小さな身はいとも簡単に吹き飛び、今度は地面に背中を打ち付ける。成長しきっていない身はやや高い位置から落下しても致命的な負傷にはならないが、傭兵たちは武器の切っ先を今度はジュードに向けた。
「変なガキだぜ、本気で魔物か何かなんじゃないのか? 魔物を庇うガキなんざ聞いたことがねぇや」
「こんなガキ一匹、死んだって何でもねーだろ。やっちまうか」
ジュードが身を起こすと、男二人は剣を片手に歩み寄ってくる。その表情には確かな愉悦が滲み出ていた。弱者を甚振り、嬲ることに確かな楽しみと優越感を感じているのだ。
――しかし、そんな時。
「――ジュード! 貴様ら、何をやっている!!」
「なに!? あれは……ま、まさか、グラム・アルフィア!?」
「やべえ、逃げろ!!」
グラムは、腕のいい鍛冶屋として世界中に知れ渡っているが、優秀な剣士としても傭兵や魔物狩りの間では知られている。そんなグラムと、真っ向からやり合おうとする者はそうそういない。
傭兵二人は駆けつけたグラムの姿に目を見開き、大慌てで逃げていった。それを確認してグラムは安堵を洩らすと、ジュードは大丈夫かとそちらに視線を向けて――咄嗟に声を上げた。
「……! ジュード、やめなさい!」
なぜなら、ジュードが子ウルフに歩み寄っていたからだ。子供とは言え魔物。牙こそまだ成長過程にあるが、それでも子供の身を喰らうことは充分にできる。
ジュードはそのまま怯える子ウルフに近寄ると、そっと傍らに屈んだ。子ウルフは母のように威嚇すべく唸り声を洩らしながら、小さなその身を恐怖に震わせてジュードを睨み上げていた。
「……もう、だいじょうぶだよ」
ジュードは子ウルフに優しく声をかけ、安心させるように手を伸ばす。
しかし、その矢先だった。
子ウルフは大きく口を開け、伸ばされたジュードの手に思い切り咬みついたのである。
「――ジュード!!」
グラムは大慌てでそちらに駆け出したが、子ウルフはジュードの手に咬みついたまま離そうとしない。このまま力任せに捻られれば、彼の細い腕など簡単に千切られてしまう。
ジュードは咬みつかれた際にその痛みから表情こそ顰めたしたが、怯えるようなことはなかった。逆手でそっとウルフのふわふわの頭を撫でる。
「……大丈夫、大丈夫だよ。こわくないからね」
グラムはウルフの身を斬ろうとはしたのだが、小さく――しっかりと呟かれたその言葉に躊躇う。そしてグラムを驚かせたのは、その数拍後にウルフがそっとジュードの手から口を離したことだ。それだけでなく、自分が咬みついて傷になったそこを舌で舐め始めたのである。ごめんなさい、とでも言うように。
そんなウルフのふわふわの毛に覆われた暖かい身を抱き締めて、ジュードは静かに目を伏せる。
「……ごめんね、ごめんね……おかあさん、助けてあげられなくて、……ごめんね」
子ウルフはジュードの言葉に応えるかの如く「きゅうぅ」とか細く鳴き、そんな彼の肩口に鼻先を埋めて甘えるように身を委ねる。
グラムはそんな光景を前に言葉を失ってしまった。
「(この子は、まさか……魔物と心を通わせるというのか……!?)」
そんな例は、今までになかった。魔物と人は相容れない存在であると幅広く世界に知れ渡っていたし、人を襲い生活を脅かす魔物はいつだって「悪」なのだから。
しかし、ジュードはそんな「当たり前」をいとも簡単に乗り越えて魔物と心を通わせたのだ。
ただただ、驚くしかなかった。
しかし、純粋に興味を持ったのもまた事実である。子ウルフの頭や背を優しく撫でつけるジュードを見下ろして、グラムはひとつ言葉を向けた。
「……ジュード、親が見つかるまでワシと一緒に暮らさんか?」
その誘いに、ジュードはグラムを見上げて不思議そうに目を丸くさせた。




