どちらでもあって、どちらでもない
その晩、ジュードはいつものように白の宮殿を訪れていた。慣れない環境で寝たせいか、どうにも寝不足のように頭がぼんやりしていたが。「庶民には豪華な屋敷での時間って案外苦痛なものなんだな」と寝る前にウィルと話したのは記憶に鮮明に残っている。
真正面から矢継ぎ早に叩き込まれる剣撃は、一瞬の油断も許さないほどに速い。うっかり瞬きでもしていたら、守りをすり抜けて腹部に重い一撃が叩き込まれてしまいそうだ。最初の頃はこうして攻撃ひとつひとつに満足に反応もできなかったというのに、毎晩繰り返されるこの宮殿での訓練はジュードの戦闘の腕を確実に高めていた。
しかし、今日は少しばかりジェントの様子がおかしいような気がする。いつもだったらある程度はジュードのことを気遣って打ち込んでくるのに、今日はどうしたことか、遠慮というものがほとんどない。その様は、まるで何かを振り払おうとするかのようだった。
無遠慮に繰り出される攻撃に次第に押し込まれたジュードは、悔しげに奥歯を噛み締める。何とか反撃に出ようとしたが、やはり――攻撃速度は相手の方が上だ。反撃に移る前に横から思い切り振られた足がジュードの腹部に直撃した。
『ぐぅッ!』
『……! あ……』
思わず洩れた苦悶の声に、そこでようやくジェントは意識を引き戻したようだった。腹部を押さえて咳き込むジュードの傍に屈むと、慌てたようにその背中を撫でる。
『す……すまないジュード、大丈夫か?』
『は、はい……ジェントさん、何かあったんですか? なんか今日は……』
『……何でもないよ』
一言だけ呟いてさっさと立ち上がるジェントを見上げると、そこでジュードは軽く目を細めた。問答無用にその手を掴んでしまえば、ほんの少しだけ震えが伝わってくる。それを確認して、ジュードは目を細めたままジェントの背中を見上げた。
『ジェントさんほどの人が、何でもないのに震えたりするわけないでしょ』
この人に怖いものなんてあるんだろうかと思うほどに、ジェントは強い。まさに鬼のように。それでいて、ジュードが落ち込んだ時は慰めてくれたり、黙って話を聞いてくれたり、時には背を押してくれるのだからジュードにとってジェントは一種の師匠のような存在だった。だからこそ、助けてもらうだけじゃなく、何かあった時は頼ってほしいとも思ってしまう。
すると、ややしばらくの沈黙の末に、ジェントは背中を向けたまま軽く頭を垂れた。それと同時に諦めたように深い息を吐き出す。掴んだ手は、振り払われなかった。
『……ジュード、きみはまだ俺が男か女か気にしてるのか?』
『え? え、ええ、まあ……?』
不意に向けられた言葉に、ジュードは一度間の抜けた声を洩らしてしまいながら数度ぱちぱちと瞬きを繰り返す。掴んだ手はするりと離れていった。
『どちらでもあって、どちらでもない。二十歳くらいの頃を境に、俺には性別という境界と概念がなくなった。生まれた時からそこに至るまでは男として生きていたから口調がそのままというだけで』
『な、何があったんですか?』
『……色々だな、説明が面倒くさい。だから、きみの好きなように思うといい』
ジュードの目に、ジェントは自分と同じ――もしくは一、二歳ほど年上のようにしか見えない。二十歳くらいの頃と言われても、今がそのくらいなんじゃないのかと様々な疑問が浮かんでは消えて、ごちゃ混ぜになっていく。オマケに肝心な部分を「面倒くさい」と言われてしまったものだから、何がどうしてそうなったのかも不明だ。
『(好きなようにってことは……女の人って思っても……)』
そこまで考えると、ジュードは全身に火がついたような錯覚に陥った。魂の状態だからなのか、顔面だけでなく身体全体が異様なほどに熱い、溶けてしまいそうなくらいに。
その矢先、いつものように天井からふわりと光が舞い降りてきた。そろそろ夜が明ける時間のようだ。ジュードはその光を見上げると、名残惜しそうに改めてジェントを見遣ったものの、そこでふと気づいた。
『(……あれ? そういや、さっきの……はぐらかされた?)』
ほんの微かにではあったが、手を掴んだ時に確かにその手が震えていたはずだ。性別云々の話ですっかり忘れていたが、どうやら完全にはぐらかされてしまったらしい。当のジェントはいつものように薄く笑って軽く手を振った。「また」と、短く一言だけ告げて。
彼は、本当はその胸の内に何を抱えていたんだろう。何でもいいから言ってほしいのに、頼ってもらえないということがひどくもどかしい。
降り注ぐ光の中、ジュードは複雑な想いのまま静かに目を伏せた。せめて身体がもう少し眠っていてくれれば問い詰めるだけの時間はあったのに、と内心でぼやきながら。




