地の国の王族とその企み
アレナの街を発ってから既に四日。馬車に積んであった食糧も徐々に底を尽き始めていた。
更に度重なる戦闘と野宿の繰り返しで、ジュードたちの心身はほとんど休まることを知らずにいる。休息はできていても完全ではない、そんな状態だ。
そのような中にあってもジュードは毎日、暇さえあればシヴァと共に精神統一に時間を使っていた。だが、どちらかと言えばジュードは元々落ち着きのない性格だ。常に動き回っているというようなことはないが、精神統一はそれほど得意な部類ではない。
「ジュード、調子はどう?」
「う~ん、あまり……黙ってジッとしてるのはどうも難しいな……」
「はは、だろうよ」
休憩中、シヴァと共に林近くで座り込んでいたジュードの元に、その成果はどうかとウィルとマナ、そしてちびが顔を出した。だが、当のジュード本人から返った言葉は彼らの予想の域を出ることはなかったらしく、マナは苦笑いを滲ませ、ウィルは納得の表情で何度も頷いてみせる。
そんな彼らのやり取りを聞き、近くの木に凭れかかっていたシヴァは小さくため息を洩らした。
「精神統一は武術に於いて重要なもののひとつだ。どのような手練であれ、冷静さを欠いては勝てるものも勝てなくなる。特に、お前に教える技は雑念にまみれていては使えない」
「って言われてもジュードにはねぇ……勇者様もこんなことしたんですか?」
「あれは元々落ち着いていた、俺たちが教えるようなことは何もなかったな」
「ジュードとはほぼ真逆みたいな感じだったのか」
「……何か含みがある気がする」
ウィルの言葉に、ジュードはその場に座り込んだまま恨めしそうに彼を見遣るが、当のウィルはと言えば肩を疎めて誤魔化すばかり。
疲労は蓄積しっぱなしだが、この調子でいけば明日には王都グルゼフに到着できるはずだ。雲ひとつない空の下には、楽しげな談笑の声が響いていた。
* * *
荘厳な雰囲気が漂う謁見の間、玉座に腰掛ける国王ファイゲの前には頭を下げて跪く一人の女性の姿があった。
足首さえ隠れてしまいそうなほどの長い漆黒のドレス。その上に灰色のスカーフを羽織っている。
薄紅色の艶めく長い髪は頭の高い位置で綺麗にひと纏めにされ、真紅の薔薇を設えた髪飾りで留められていた。
耳元には粒の大きなガーネットの耳飾り、首には同じ宝石を惜しげもなくあしらった首飾りを付けている。それだけでも、この女性が裕福な身であることは容易に窺い知れるだろう。
玉座の国王は肘置きに片腕を預け、暫し頬杖をついたまま彼女を見下ろしていたが、やがてその口元はだらしなく弛み、そして厭らしく表情を笑みに歪ませた。堪え切れない嬉々でも表すかの如く。
「……その話、真実なのだろうな?」
「はい、陛下。このわたくし、今まで王族の方々に偽りを申したことなど御座いません」
「ですが、ネレイナ……ヴェリアのヘルメス王子とエクレール王女が亡くなったという話は聞きませんよ、他国の者どもは現在の勇者の子孫を今後も崇めるのでは?」
嬉々に表情を緩める国王の隣に座す女性――王妃デメトリアは金の扇子を開き己の口元を覆いながら、吊り目の双眸を怪訝そうに細めて口を開いた。すると、ネレイナと呼ばれた女性は跪いたまま静かに顔を上げ、薄く微笑んでみせる。
「ご心配には及びません、他国の者たちが伝説の勇者のおとぎ話を信じるからこそ、その話と聖剣を利用するのです。聖剣を手になさった陛下のお姿を見せつけてやれば、この世を導くべきお方はヘルメス王子ではなく陛下であると誰もが思うことでしょう」
「そうですわ、お父様。各国の者どもが反抗してくるのなら、攻め込んでしまえばよいのです。我がグランヴェルの圧倒的な兵力と聖剣を手にしたお父様に刃向かえる国など、どこにもありませんわ」
ネレイナの言葉に反応したのは、国王や王妃が腰掛ける玉座の傍らに控えていた一人の少女だった。
彼女は、セレネシアという――この地の国グランヴェルの王女だ。ハニーゴールドの艶やかな髪を低い位置でツインテールにして結っている。元々癖っ気なのか、毛先はウェーブしており非常に柔らかそうだ。母譲りの吊り目は、見る者に勝気な印象を与えてくる。
「王女様の仰る通りで御座います、従わぬ者など陛下の治める世界には必要ありません。陛下に賛同する者たちだけで新たに始めていけばよいのです、新しい世界を」
「ふふふ……ヴェリア王国が滅んだ今、確かにこの世には新しい王が必要だ、世界を纏め、導く王がな。このワシこそが新しく世界の王に……か。ふ……ふはっはっは! 素晴らしい、素晴らしいぞ、ネレイナ!」
「恐縮でございます」
国王から返る言葉にネレイナは薄い笑みを湛えたまま静かに、そして改めて深く頭を下げた。そんな様子も国王ファイゲの機嫌を上向かせていく。誰かが自分に対して跪いている、その事実にさえ今の彼は子供のように喜んだ。
そして、まるで子供が楽しみを待ちきれないとばかりに親を急き立てるかの如く、ファイゲは身を乗り出してやや早口に言葉を続けた。
「してネレイナよ、聖剣はどのようにして手に入れるのだ?」
「昨晩、遠見の術で見てみましたが……明日には、聖剣を持った者がこの王都グルゼフに到着するでしょう。恐らく娘のルルーナが屋敷に連れてくるはずです」
「なんとまぁ……早急なお話ですこと。では早ければ明日、遅くとも数日後にはお父様が新たな王となられるのですわね。これは早々に宴の用意をさせなければ」
ネレイナの思わぬ返答にファイゲは驚いたように目を丸くさせ、娘のセレネシアとデメトリアは互いに顔を見合わせる。
だが、セレネシアは父のように表情に嬉々を乗せ、王妃は「ほほほ」と声を出して嬉しそうに笑ってみせた。自分の父、そして自分の夫が新しく世界を率いる王となる。それはつまり、自分は世界の王の娘、妻になるということだ。そう思うと込み上げる喜びを抑え切れなかったのだろう。
「はっはっは! 世界に蔓延る勇者などという戯けた存在の呪縛、このワシが新たな王となり断ち切ってくれるわ!」
「ええ、あなた。いつまでも伝説の勇者の亡霊にしがみついていては、この世界は成長していけません。世界は今、あなたのような素晴らしい王を必要としております」
「旧ヴェリア王やヘルメス王子よりも、お父様の方がずっとず~っと、この世界を引っ張っていけますわ!」
次々に口を開く王族三人を黙って見つめながら、ネレイナはそっと口元に笑みを刻む。そして改めて一礼すると、既にこちらなど眼中にもない国王たちに余計な言葉をかけることはせず静かに立ち上がった。
「(世界の王、か。そんなものでいいのならいくらでもくれてやる。このわたくしはそのような矮小な存在では終わらぬのだから――)」
ネレイナがその場を離れても、ファイゲはもちろんのこと、セレネシアや王妃が彼女を気に留めることはなかった。




