地の国グランヴェルへ
休憩を終えてからは小休止を挟むようなこともなく、馬車はそのまま火の国と地の国とを隔てる関所へと行き着いた。馬車の窓の外には武装した数人の兵士の姿が見える。
「ああ、関所に着いたのね。ここから先はもうグランヴェルよ」
ルルーナは背中を預けていた馬車の壁から身体を離すと、窓の方へとその身を寄せた。関所には特に襲撃を受けたような痕跡はない、前線基地のように建物そのものがボロボロということもなく、至って平和だ。
もっとも、こちらはあくまでも火の国エンプレス側であり、反対側となる地の国側の関所がどうなっているかは不明だが、それもすぐにわかるだろう。関所は広くはなく、徒歩で五分も歩けば反対側出入り口に到着する。
ルルーナやリンファにとっては生まれ育った故郷となる――それが地の国グランヴェルだ。
「こっちから行ったら、まずはどんなところに出るの?」
「ここからなら、街はかなり遠いわね。アレナの街っていうのがあるはずよ、だいぶ北上したところだけど……その手前には――ああ、旅館があった気がするわ」
「「旅館?」」
記憶を探るように中空に視線を投げるルルーナの言葉に、声をそろえたのはマナとカミラだ。そこはやはり女性、何かと興味津々なのだろう。リンファはいつもと変わらず無表情のままだったが。
「そう、温泉旅館よ。露天風呂があって、昔は美人の湯とか言われてたって聞いたことあるわねぇ。入れば十歳は若返るんだとか」
「随分と他人事だけど、あんたは興味ないの?」
「ふっ、私はそんなただの噂は信じないわよ。私の美貌とこの素晴らしいプロポーションは自分で維持するからいいんじゃない」
露天風呂など、マナもカミラも初めての経験だ。思わず表情を弛めて想像してしまいつつ、大して興味なさそうなルルーナに更に言葉を向けた。けれど、返る返答を聞けばマナの表情は自然と歪む。
確かに、ルルーナは非常に素晴らしいプロポーションと美貌の持ち主だ。街中を歩けば、多くの男が彼女を振り返って見つめる。身体のラインがくっきりと出る黒のドレスの影響もあるのだろうが。
そうこうしているうちに、馬車は関所の反対側――つまり、地の国側の出入り口に差しかかるが、特に止められることもないまま通り過ぎていく。ジュードが受け取った通行許可証は馬車の手綱を握るシルヴァが持っているためか、水の国のように止められることもなかった。
「なんか、不思議だな。もっと厳しいチェックとか受けるのかと思ってた」
「ああ、水の国が大変だったからなぁ……」
ジュードの言うことはもっともだ。水の国に入国する際は、火の国からやって来たというだけで非常に強い反発を受けたのだから。
ウィルはジュードのその言葉に頷き、思わず当時のことを思い返した。あの水の国での様々な戦闘の際、入国を断られたメンフィスがいてくれたらどれだけ心強かったことか。
何気ない言葉を交わす仲間の声を聞きながら、ルルーナは窓の外を見つめたまま怪訝そうに目を細める。マナやリンファの意識はジュードたちの方へと向いていて、彼女のその様子に気付く者はいなかった。
「(確かに、入国が簡単過ぎるわ……どういうこと……?)」
これまで地の国グランヴェルで生活してきたルルーナから見ても、拍子抜けするほどの入国の甘さ。行商人さえ出入国が制限されているというのに、馬車の扉を開けてのチェックさえなかったことが不思議だった。
地の国が完全鎖国を解除したなどという情報は当然ながら入ってきていない。もしも解除されたのだとすれば、隣国である火の国にはすぐに話が伝わって来るはず。
なぜこうも簡単に入国できたのか。ルルーナは確かな違和感を覚えた。
* * *
地の国グランヴェルの王都グルゼフは、国の遥か北側に位置している。
この地の国は他国と比べて非常に広い。ジュードたちは地の国の南側にある関所から入国を果たしたが、王都に到着するまで一週間以上はかかる計算だ。
「……あ、旅館ってあれかな?」
そんな彼らの視界に飛び込んできたのは、関所を出て少し進んだ先にある林だった。厳密に言うのであれば、林の中にポツンと寂しげに建つ屋敷だ。
その外観は古くはあるが、屋敷自体の大きさはかなりのものだ。築年数は定かではない、六十年、七十年は優に越えているだろう。それだけ古風な屋敷だった。青い瓦屋根が印象的で、造りが和風のものだと教えてくれる。
しかし、林の中に寂しげに建つその屋敷は夕暮れ時を過ぎて夜の闇に包まれつつある今、非常に不気味なものだ。明かりは落ちていて人の気配さえ感じられなかった。ジュードはまったく気にしていないが、その屋敷が醸し出す不気味さにマナとルルーナは表情を顰め、どちらもウィルを間に挟んでそれぞれ彼の片腕を掴む。
「……どうしたんだよ」
「だ、だって、あの屋敷……」
「ものすご~く不気味じゃない、何か出そうだわ……」
仲間内で怖がっていないのは、ジュードとリンファ、それにライオットとちびくらいのものだ。カミラも怯えたように馬車の隅に座ったままジッと屋敷を凝視している。リンファはそんな彼女たちの様子を、やはり余計な口を挟むことなく見守っていた。
どうか、シルヴァがこのまま屋敷を無視して先に向かってくれますように。
マナもルルーナも内心でそう願うのだが、無情にも馬車はその屋敷の前で停まってしまった。それに気付いたウィルは困ったように苦笑いを滲ませる。
「シ、シルヴァさん! もしかして、今日この屋敷に泊まるの!?」
マナは御者台に通じる小窓を開くと、大慌てでシルヴァに声をかけた。嫌々と頭を左右に揺らす彼女は完全に涙目で、ルルーナも嫌そうに表情を顰めている。そんな彼女たちを振り返り、シルヴァは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「あ、ああ、泊めてもらえるならそのつもりだよ、身体を休める場所がないと困るだろう。野宿では充分な休息にはならない。王都までの道のりは長いのだから、我慢してくれ」
「そうですね、私たちは女王陛下から重要な任務を託された身です。途中で倒れることがあってはいけません」
そうなのだ。今のジュードたちは、火の国の女王アメリアから各国の王へ書状を届けるという重要な任務を与えられている。リンファの言うように途中で倒れるわけにはいかない。このまま無理に進んで疲労から負傷、などという事態に陥っては先が思いやられる。
どう説得すべきか――シルヴァは困ったように小さくため息を洩らした。




