破滅へと導く文字
「サラマンダー、死霊文字って?」
王都に戻る道を大慌てで駆けながら、ジュードは先頭を駆ける彼の背中に声をかけた。彼の肩の上ではライオットが振り落とされないように短い手で必死に衣服に掴まっている。ジュードの後ろではメンフィスが難しい顔で黙り込み、カミラが不安そうにサラマンダーの背中を見つめていた。
重そうな下駄をガラゴロと鳴らして先頭を猛然と駆けるサラマンダーは後ろを振り返ることはしないまま、忌々しそうに舌打ちをひとつ。短気そうではあるが、それはジュードたちに向けられたものではないようだった。
「一言で言うのは難しい、簡潔に説明すんなら災厄を生むブツだ」
「死霊文字は魔族が扱う言語なんだに、文字そのものが力を持っていて組み合わせ次第で色々な現象を引き起こすんだによ」
「それって……」
「そうだに、マスターたちが仕事で使ってるものと仕組みは同じようなものだに。だからイスキアはそれを確かめるためにマスターに接触したんだによ」
サラマンダーの代わりに肩の上で揺られながら答えるライオットを横目で見遣ると、ジュードの脳裏には雪山で仲間とはぐれた時のことが過ぎる。ジュードたちが仕事で扱う文字を確認できた機会と言えば、あの時くらいしかない。あの雪山での遭遇は偶然ではなかったのだと、その言葉で理解できた。
「オ、オレたちがやってる仕事って、もしかしてヤバいことなのか?」
「それはないに、マスターやこの世界のみんなが使ってるのは神聖文字っていう……世界中に広まってる精霊の力を一時的に形にするだけの平和なものだに。だけど……」
「グラナータ博士の本で読んだことがあるわ、決して求めてはいけない文字があるって。その文字を知ろうとすることは、この世界を破滅へと導くって……その文字って、まさか――」
カミラがライオットにそう声をかけると、当のライオットはジュードの肩にしがみついたまま黙り込んでしまう。どう返答するのが正解なのか、適切な言葉を探しあぐねているような様子だった。即座に否定が返らないところを見ると、その沈黙は肯定なのだろう。
世界を破滅に導く――それだけではあまりにも抽象的過ぎて具体的にどう恐ろしいものなのかはわからないが、精霊たちが警鐘を鳴らすほどだ。非常によろしくないものだということだけはわかった。
サラマンダーは駆ける足を止めないまま王都ガルディオンの正門を潜ると、気配の出どころを探る。都の外観が見えてきた時からとは言え、ここまでずっと走ってきたせいでジュードやメンフィスを含め、騎士団などの人間たちは息も絶え絶えだ。カミラも両膝に手をついて苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
ここまで来ればライオットにもその気配は感知できたらしく、ジュードの肩の上で都の奥の方を指し示した。「あっちだに!」と指すその方向は居住区――つまり、ジュードたちが現在厄介になっている屋敷がある方。
「(あっちは……みんな……!)」
乱れた息をのんびり整えているだけの余裕もなく、ジュードはサラマンダーと共に再び駆け出した。
都の中は、普段と変わらず平和な喧騒に包まれている。しかし、言葉にならない嫌な予感を感じていた。
* * *
ルルーナは、咄嗟に動いたリンファに庇われるような形でその場に座り込み、目の前の光景に文字通り言葉を失っていた。
「な……なんなのよ、あれ……」
「……わかりません」
ヒーリッヒが手渡した荷をウィルとマナの二人が手に取った矢先、その荷の包みを突き破って黒い何かが飛び出したのだ。正体さえ満足に窺えなかったが、リンファは近くにいたルルーナを咄嗟に腕で押し、自分と共に後方へと下がらせた。それが功を奏した。
けれど、荷から飛び出した黒い何かはウィルとマナの二人をツタのようなもので絡め捕り、そのまま絞め殺さんばかりの勢いで固く、強く締め上げる。ヒーリッヒが手渡した荷は剣だったらしく、真新しい剣は宙に浮遊したまま黒く不気味なオーラを放っていた。
「な、ななな……なんだこりゃあ!? ヒーリッヒ、お前いったい何を造った!?」
それまで胸を張って笑っていた周りの鍛冶屋たちは目の前の状況に瞠目し、真っ青になる者、狼狽する者など様々だ。その中でいち早く我に返ったのは、ヒーリッヒの勤め先の親方だった。親方はヒーリッヒの肩を掴み説明を求めたが、黒いツタはそんな彼の身にも容赦なく襲いかかる。薙ぎ払うように叩きつけられたそれは筋骨隆々とした親方の身をぼろきれのように殴り飛ばしてしまった。
「やだなぁ、気安く触らないでくださいよ。俺はもうあんたたちみたいな落ちこぼれとは違うんだ。見ろよ! こんなスゲェ武器を造ることができるんだ、最高だろ!」
「お、親方ぁ! ヒーリッヒ、てめぇ!」
「アハハッ! アハハハハッ!!」
他の鍛冶屋たちは殴り飛ばされた親方の傍に駆け寄り、その安否を窺う。幸い生きてはいるようだが、余程の重い一撃だったのか起き上がることさえできずにいた。
ただならぬ気配を察知して中庭から飛び出してきたちびは、ウィルとマナを締め上げる黒いツタに牙を立てて喰らいつくが効果はないようだった。しかし、ちびが咬みついたことで部分的に締め付けが弛んだらしく、ウィルは片手を腰裏に回すと小刀を取り出した。珍しい植物などを集める時に使う程度のものだが、細いツタを切るにはこれでも充分だ。
「ぐ……っ、マナ……ッ!」
満足に力が入らない身を叱咤しながら、マナの首や胴体部分を締め上げるツタを小刀で切ると、そこでようやくマナは苦しげに咳き込んだ。喉元を軽く圧迫されていたせいで遠退いていた意識は戻ったが、何が起きたのかは依然としてまったくわからなかった。
ちびはツタが切れたことで幾分か拘束の弛んだマナの衣服に咬みつくと、そのまま身体全体を使うようにして強引にその身をツタから引き剥がす。こういうところは魔物や動物というよりは、普通の人間のようだ。ルルーナとリンファは助け出された彼女の傍に大慌てで駆け寄った。
「ちょっとマナ、大丈夫!?」
「う、うん、ちびのお陰でなんとか……けど、こいつどうしたらいいの……!?」
「恐らくですが、あの剣を破壊してしまえば消えるのではないでしょうか……出どころはあそこのようです」
ツタから解放されたマナは喉を軽く擦りながらちびと共に後退したが、目の前の状況は彼女の想像以上だった。どこから現れたのか、繭のような物体がどっしりと鎮座していて、それから無数のツタが伸びている。切られたことで憤ったのか、より一層強くウィルの身体を締め上げた。助けようにも、近づけば同じように絡め捕られて動きを封じられてしまいかねない。
リンファが繭の傍で浮遊する剣を睨み据えると、マナとルルーナの視線はそちらに向いた。傍ではヒーリッヒが気でもふれたように身を仰け反らせて高笑いなぞ上げている。ウィルを助けるためにできそうなことは――他になかった。
ヒーリッヒが持ってきたあの剣を破壊する、今できるのはきっとそれだけだ。




