挿話その二「従士リュード(下)」
挿話その二「従士リュード(下)」
「初めまして、従士リュードと申します」
「帝立ゼフィリア女学院三年生、レナ、と申します。本日はよろしくお願いいたします」
今日のお相手となるその少女レナも、家名や出自は名乗らなかった。
リュードが現在、従士リュードであるように、彼女達も帝立ゼフィリア女学院三年生としか、名乗りを許されていない。
この舞踏会は、女生徒達にはあくまでも礼法や舞踏の授業の延長であり、リュードら従士にも従士教育の締めくくりであった。
言うなれば、結婚相手を捜す為の『戦場』ではなく、『練兵場』なのである。
「お手をどうぞ、レナさん」
「ありがとうございます、従士リュード」
腕を差し出せば、小さな手が伸びてきた。
リュードは末っ子だったが、妹でもいたならば、こんな感じなのだろうか。
それにしても、幼い。
ドワーフ族をはじめ、その他小柄な種族なら不思議ではないが、彼女はどう見ても十代前半の人間族である。
飛び級もあるにはあるが……まあ、それはいいか。
「私の父や兄も、騎士なんですよ」
「へえ……。僕も兄が騎士なんです。家を継いで引退したから、今は名ばかりの騎士だと自分で笑っていますが」
もちろん、にこにこと楽しげに微笑まれて、悪い気はしなかった。
十年後、美しく育ったレナが自分の横に立っている姿を想像し、慌てて打ち消す。
この場の恋愛は御法度とされているが、抜け道はあり……こっそりと家名を交換して数年後夫婦になったなどという話は幾つもあった。
会場となっている『水晶の間』へと入場し、自分と同じように探り探りでお相手との会話を捻り出している同輩達を心の中で応援しつつ、レナを先導する。
「わ、素敵ですね!」
「これは壮観だなあ」
この場にいるのは、世慣れぬ従士と女生徒だけではない。
舞踏曲を奏でる楽士の一団や、気の利いた会話の手本となるべく呼ばれた老侯爵夫妻、選抜された踊り手達、食への蘊蓄で有名な伯爵もいた。
見知った顔もあるが、お互い挨拶はしない。今の自分は、あくまでも従士リュードであった。
バルコニーや出入り口を守るのは、近衛騎士達である。
中にはリュードの所属する帝都第一騎士団から選抜された騎士もいて、こちらには従士リュードとして軽く会釈した。
「今日の良き日に」
「はい、素敵な出会いに」
ワインで乾杯して、軽く喉を潤す。
リュードを驚かせたことに、レナは本当に幼かった。
自分から聞いたわけではないが、彼女は今十五歳で学年どころか学院で最年少、なんと十二歳でゼフィリアに入学したのだという。
リュードも十四で入学しているが、通例、各学院への入学は騎士と同じく十五、六から二十歳頃が相場、本物の才媛かと内心で舌を巻いた。
「いつも、同級生どころか後輩にまで可愛がられてばかりで、今年こそは後輩を可愛がりたいと思います!」
そりゃあ自分も先輩なら、この少女を可愛がるだろうと、リュードは思う。
会場に入ってしばらく、失礼ながら……半刻少々しか付き合いのない自分でさえ気付くほどに、レナはお嬢様学校の生徒らしくない一面を持っていた。
無理に失敗を取り繕おうとせず、素直にありがとう、ごめんなさいを口にするし、表情は非常に豊かでくるくると変わる。それがまた、大層魅力的だった。
彼女は気品や作法といった淑女への評価とはまた別の、人として大事なものを、惜しげもなくリュードに見せてくれたのである。
おまけに舞踏の時間が来て、その手を取れば……。
「では、お手をどうぞ、レナさん」
「ありがとうございます、従士リュード」
その手には、見事な剣ダコが備わっていた。
一年や二年で出来るものではないと、リュードは純粋に驚き、同時に……その柔らかな指先の感触に、心踊らされた。
父親も兄も騎士だと聞いたが、彼女は騎士一家の出なのだろうか?
だが、聞くのは躊躇われたし……十二歳でゼフィリアに入学するような才媛なら、すぐ頭角を現してくるに違いない。
そのうち、ひょっこりと、もしも運良く騎士同士として再会出来れば、それこそ運命の相手なのではないかと、リュードは笑みを浮かべた。
……そんな都合のいい話などあるわけがないと、頭の片隅で考えつつも、期待ぐらいはしてもいいのではないかと思う。
それに……彼女なら、自分の『秘密』も受け入れてくれそうな予感がした。
進行役の近衛騎士も口にしていたように、今日一日に限っては、自分がレナの『運命の相手』なのだ。
ならばそれに相応しい態度で彼女に接して、何が悪いものか。
「舞踏会って初めてで……とても緊張していたのですが、従士リュードのお陰で楽しい思い出になりそうです」
「レナさんにそう言って貰えると、僕も嬉しいです」
二曲踊って軽い食事を楽しみ、夜風に当たろうとバルコニーへ誘う。
酔いや興奮を冷ましているのか、それとも別の何かをあたためているのか、そこかしこに寄り添う影があった。
そんな影達とは適度に距離を開け、飾りのついた手すりを一つ借りる。
「月が、綺麗ですね」
「月!? は、はいっ! すごく綺麗です!」
高い城壁のお陰で帝都の夜景は見えないが、月光に照らされた皇宮は、程良い明るさでリュード達を見守っていた。
ワインを片手に静かな、それでいて心地のいい時間が流れる。
「む、先客か?」
「……あら!」
このバルコニーは、個人用のものではない。大きさも、会場となっている水晶の間の奥行きと同じ長さが取られている。
だから、誰が入ってきても不思議ではないが、よりにもよって……現れたのはリュードの長兄夫婦だった。
恐らくは、自分が皇宮に来ると聞いて、からかいに来たに違いない。
何を言われるかと身構えつつ、いつでも『逃げ出せる』ように、レナの手を取る。
じっくりとこちらを見てから、夫婦は小さく微笑んだ。
「……失礼した。存分に楽しまれよ」
「そうね。若いお二人に、月の祝福を」
「はい、ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
幸いにして、長兄夫婦はそのまま去っていった。
そもそもこの場に居てはいけないはずの存在なのだが、自覚があるのかないのか……。
服装や振る舞いにおかしなところはなく、知らなければ至って普通の招待客に見えなくもないが、近衛騎士らはさぞや余計な気を遣ったことだろう。
とにかく、レナを余計な騒ぎに巻き込まずに済んでよかったと、リュードは胸をなで下ろした。
「あの、どうかされたのですか、従士リュード?」
知らず緊張していた身体の力を抜いた瞬間、正面からレナに覗き込まれた。
長兄とは違った別角度からの不意打ちに、リュードはたじろいだ。
……絶世の美女と言うには幼いが、笑顔が可愛いという自覚もないらしい。
「いえ、このバルコニーは広くて……レナさんと二人きりじゃない、というのを忘れていました」
「へ!? あ、その、あ、ありがとうございます……」
ちらりと長兄が消えていった方向に目を向け、小さくため息を飲み込む。
言葉を交わして兄夫婦が名乗っていれば、そこかしこで騒ぎが起きたに違いない。
その辺りは流石に長兄も、よく分かっていると思いたかった。
「レナさん」
「はい」
「もしも……偶然が重なって再会できたなら、その時はまた、踊って貰えますか?」
「はい、従士リュード! その時は、是非!」
その日。
リュードには、大事な約束が出来た。
▽▽▽
舞踏会の半月後、リュードはカルマーと共に、騎士叙任試験に挑んでいた。
口頭による面接と問答は、午前中に終えている。今は戦技の試験に立ち向かうべく、いつもの練兵場で先輩騎士と対峙していた。
「両者構え!」
勝っても負けても、連戦は続く。
それも試験内容の一つだった。
最初の二巡、先輩騎士達は防御に徹する。受験する従士には、体力を温存する戦い方が出来るか否かを見る意図が告げられていた。
三巡目からが本番だ。
剣はもちろん、槍や斧、あるいは戦棍。
詠唱に長けた帝国軍の魔法使いや、更には馬に乗った馬上槍の使い手さえ、用意されていた。
得物の違いは、戦い方が変化に富んでいる魔物への対処だけでなく、刻々と異なる状況への対応と切り替えを問う為のものだ。
四巡目からは、二人組の相手を一人で行う。最後の五巡目は三人組だ。
「それまで!」
合格する従士の平均勝率は、最初の二巡を抜いておよそ二割。
リュードは勝率三割という好成績を上げていたが、合格を言い渡されるまでは、油断できない。
無論、叙任試験は勝率だけで判断されるわけではなく、戦い方も騎士団長をはじめとする試験官によって審査された。
「従士リュード!」
「はいっ!」
「貴様は合格だ」
「ありがとうございます!」
喜ぶリュードに、書状が差し出される。
「明後日、皇宮まで行ってこい」
「はい?」
「近衛騎士選抜試験の推薦状だ。……なに、駄目でも帝都第一に戻ればいい。全力でぶつかれ」
「はい! ありがとうございます!」
合格出来るかは別にして、これは素直に嬉しい。
書状を受け取り、礼をして従士仲間に駆け寄ろうとするリュードに、更に声が掛かった。
「おい、叙任の儀がまだだろうが!」
「は、失礼しました!」
慌てて戻り跪いたリュードに向けて、騎士団長が抜剣し、騎士の礼を執った。
「帝国騎士叙任権保持者にして帝都第一騎士団長、騎士オトファールが、我が名に賭けて宣言する。……従士リュード」
「はいっ!」
「本日ただいまを以て、帝国騎士に叙する。見届け人、騎士ゴトラール」
「ありがたき幸せ!」
「騎士ゴトラール、確かに見届けました!」
リュ-ドは後になって知る。
叙任試験での好成績は後押しにはなったが、実は、評価に占める割合は低かった。
帝国騎士への叙任も、近衛への推薦も、鍛錬への取り組みと日頃の素行、そして、従士ながら懸命に戦場を駆けずり回った東部防衛戦での奮闘こそが、評価の大元であった。
あの地獄の日々は、無駄ではなかったのだ。
数日後。
リュードは無事選抜試験に合格し、近衛騎士団への入団も決まっていた。
駐屯地の衛門で、見送りに来てくれた元主人や、従士仲間だった騎士らと向かい合う。
「騎士リュード、これをやる」
元主人は、リュードの名が書かれた紐綴じ本を手渡してくれた。
中を見れば、リュードの訓練の記録や癖、弱点、今後の方向性についての考察などが、びっしりと書かれている。深々と頭を下げ、ありがたく背負い袋にしまった。
「近衛に飽きたら戻って来いよ。俺がしっかりこき使ってやる」
同じ日に叙任され帝国騎士となったカルマーは、そのまま帝都第一騎士団に配属された。
当面は無任所の騎士として、自由に過ごすそうだ。無論、この場合の自由とは、剣術の訓練をしようが座学に励もうが好きに過ごせという意味であり、決して長期休暇などではない。
「お世話になりました! 騎士リュード、行って参ります!」
「貴君の活躍を祈っている」
「おう、行ってこい!」
駐屯地を背に、二年と少し前、背負い袋一つで騎士団を訪ねたことを思い返しつつ、夏空を見上げる。
自分は、騎士になった。
だが、レナは……あの少女は今頃、新四年生を控えた夏期休暇中だろう。
もしかすると実家に戻り、騎士だという父や兄と訓練を重ねているかもしれない。
……再会する頃、自分は近衛騎士として一人前になっているだろうか。
いや、ならなくてどうすると、リュードは拳をぐっと握りしめた。
「よし!」
真夏の太陽が、新人騎士を見下ろしていた。
▽▽▽
その頃、件の少女がどうしていたかと言えば……。
『お嬢、こちら東! 黄色だ!』
「『へえ、雷種は珍しいわね!』。みんな、雷種だって!」
「合点だ! 対雷種戦! 飛び道具に持ち替えやがれ!」
自家の領地から数日の距離にある、帝国領域外の森にて。
手慣れた様子で大型魔法杖を構え、竜を狩っていた。




