挿話その一「従士リュード(上)」
挿話その一「従士リュード(上)」
「リュード聞いたか、今度の舞踏会のこと! 今年は皇宮の光晶宮だってよ!」
「らしいね」
リュードは剣を置き、汗を拭きながら、同じ従士仲間のカルマーに小さく頷いた。
年に二度行われる騎士への叙任試験も近く、浮かれている場合ではない、とは思うのだが……確かに久々の息抜きでもあった。
「舞踏や作法の授業はかったりいと思ってたけど、悪いことばかりじゃねえなあ」
「でもカルマー、騎士になるなら必要だろう? 戦いに強いだけで騎士なら、魔物だって立派な騎士だよ」
練兵場には、自分達と同じく汗まみれの従士達が集まっていた。
ある者はひたすら素振りを続け、ある者は魔法の制御をしているのか座り込んで瞑目し、または無手での格闘について議論している者もいる。
リュードは再び剣を手にして、足さばきを意識しながら突きの型を幾度もなぞった。
「まあ、都合のいいことばかりじゃねえわな。近衛目指すなら、作法も知ってねえと門にすら立たせて貰えねえと聞いたぜ」
「近衛なら外国の賓客に接する機会も多いし、上級の貴族と話すこともある。……ほら、やっぱり必要だ」
根を上げようと反吐を吐こうと続いた練成隊の訓練に、理不尽なほどの連戦を強いられた東部防衛戦……。逆に、走り込みや武具の整備など、単調な課業も多かった。
だがそれも、もうすぐ終わる。
「リュード、カルマー、手合わせしないか?」
「おう! 今日は負けねえぜ!」
「そりゃこっちの台詞だ!」
騎士を目指し、帝都第一騎士団の練成隊――訓練部隊に入って一年、帝国騎士の側付き従士として過ごすこと一年。
舞踏会の招待状は、全ての従士に与えられるものではない。
それは叙任試験への推薦状とほぼ一組に扱われ、従士教育の締めくくりも意味した。
リュードはようやく、目標の一歩手前までたどり着いたのだ。
▽▽▽
帝国では、騎士は戦闘の花形とされ、個の強さと集団としての強さ、その両方に秀でていた。
それ故に、訓練も厳しければ叙任に至る道も狭き門、騎士となった暁には、栄誉と名声が約束される。
騎士は騎士であると同時に、一代限りながらも騎士爵という貴族称号の持ち主となり、平民出身者も叙任後には末席ながら貴族に数えられた。
地方の農村などでは、誰かの子が騎士になると二晩続きで宴会を行うそうだが、それはともかく。
騎士は、戦う人である。
そして、強い。
魔物を下し人々を守る、頼もしき勇士達だ。
また、少年には憧れを、少女には夢を与える存在でもあった。
幼き日のリュードも、例に漏れず騎士に憧れた。
騎士はとても格好いい、僕も騎士になる。
リュードの家は決して投げ出せぬ『家業』を持つが、嫡男次男に関わらず、男子は一度家から放り出し自活させよという家法があった。
軍人でもいい、商人でもいい。船乗りや農夫もよかろう。
己の力で自由に生き、何かを掴んで帰ってこい。
初代当主の定めた家法は、忠実に守られ続けていた。
当事者である男子達には、息抜きであると同時に、経験を積ませるのにも丁度よいのだ。
父は楽しみだなと、笑って許してくれた。
母は私と同じ魔法使いの方が格好いいわよと、様々な魔法を見せてくれたが、リュードの意思は変わらなかった。
歳の離れた長兄――異母兄は、既に引退した父の跡を継ぎ一家の長となっていたが、リュードに真剣な目を向けた。
『俺も父上の後を引き継ぐまでは騎士だったが、それはもう苦労の連続でな。だが、他に代えようもないほど、充実した日々でもあった』
長兄の言葉を胸に抱き、では行って参りますとリュードが家を出たのは、帝都の学院を卒業した十七の夏であった。
騎士を目指す少年達……あるいは稀ながら少女達は、まず何処か、手近な騎士団の門を叩く。
リュードも背負い袋一つで近場の騎士団に向かい、簡単な面接を受け、体力を確かめられ、従軍司祭による診断を受けた。
騎士団では、貴族の跡継ぎも農家の次男坊も、十七歳の人間族の少年も僅かに百歳を過ぎたばかりの幼いエルフも、皆平等に扱われる。
体力や成長の度合いを鑑みて、入団は人間族の年齢に換算して十五から二十歳頃が望ましいとされているが、最年少の下限すら決まっていなかった。
過去には十一歳で練成隊入りを認められた者もいたという。
また、稀に年齢を考慮せず、入団を受け入れることがあった。
事情は様々ながら、頭角を現した優秀な兵士が上官の推挙を受けて騎士への道を歩むなどの例もある。
リュードの同窓となった練成隊の騎士見習い達には、下は十四になったばかりの狼人族の少年から上は三十過ぎの兵士上がりまで、様々な者がいた。
このように、騎士団は実力主義社会であり、出自は一切考慮されず、実家の権勢も届かない。
練成隊への入隊を許された瞬間から、リュードはただの『練成隊員リュード』となり、体力、技術、知識……騎士に必要な、ありとあらゆる物を詰め込まれた。
リュードは幼い頃から騎士を目指し、時に長兄から手ほどきを受け、自ら率先して体力もつけていたが、甘かった。
少々の優位など、すぐに吹き飛んでいる。
教練では、武器の得手不得手はともかく、魔力の有無すらほぼ考慮されない。全てを徹底的に教え込まれるが、苦手が浮き彫りにされ、対応する戦術を磨くのに丁度いいとばかりに、容赦はなかった。
練成隊は通常、二年間の教育を施す。優秀な者は一年足らずで卒業し、『従士候補』となった。反対に、見込みのない者は容赦なく切り捨てられた。
リュードは筋が良かったのか、それとも、僅かながらにでも『予習』の効果が発揮されたのか、一年少々で練成隊を卒業したが、従士候補になると、今度は自分が師事したい騎士――主人を自ら選ぶ。
魔法剣が得意でありながら馬上槍の巧者の元で修練するのは、無意味ではないが迂遠であった。
無論、望みの騎士に頷いて貰えるとは限らない。
従士を取る騎士の側も当然、優秀な者を欲しがる。性格の合う合わないもあるだろう。
また、預かっている従士の行動は全て主人の責任となるから、慎重に吟味した。
さて、『従士』と認められてようやく半人前、今度は騎士のあり方を肌で学ぶことになる。
リュードも無事に主人を見つけ、日常の鍛錬の合間に技の伝授などもされていたが……騎士はまた、現役の軍人であった。
預かっている従士の教育も騎士の責任だが、一度出撃命令が下れば教育は中止され、従士も戦場へと付き合わされる。
現場を知ると言えば聞こえはいいが、防衛戦の援軍に向かった先の魔物は従士だからと見逃してくれないし、そもそも騎士は『逃げない』。
当たり前だ。
援軍に来ている騎士が、助けを求める無辜の民を放りだして逃げるなど、あってはならないのだ。
民を後方へと逃がし、崩壊寸前だった地方連隊や諸侯軍を再編成する時間を稼ぐべく、騎士団は最前線に投入された。
本物の戦場は、地獄すら生温いと言われる。
……その言葉すら甘いと、リュードは知った。
つい先ほどまで巨大なオーガ鬼を押しとどめていた主人の死体が転がる横で、誰とも知れぬ血塗れの騎士に怒鳴られて魔法を放ち、あるいは怪我をした従士仲間を後送し、戦いが終われば疲れた身体で夜番に立たされた。
反吐を吐く間もなく、泣いて許しを乞う暇さえない。
初戦で主人を喪ったリュードは無任所の従士として騎士団本部の預かりとなり、ふた月、戦場となった東の大地を駆けずり回った。
戦の合間に死者を弔い、魔物の解体に従事し、時に復興を手伝う日々が続く。
神経をすり減らしながら、リュードは耐えた。……耐え続けた。
そして。
戦場の後始末が終わり、心身共に疲れ切って帝都に帰還した日。
自分の従士にならないかと、とある騎士から誘われた。
リュードが新たに主人とした騎士ゴトラールは、現役を引退した教官だったが、先の防衛戦にも騎士団本部付きの予備隊指揮官として駆り出されていた。幾度か指揮下に組み入れられたこともあり、人柄も能力も良く知っている。
主人は教官だけあって平時から何くれとなく忙しいが、背中に目がついているどころか、騎士団の駐屯地内全てに魔法の仕掛けでも施しているのかと思うほど、全てを見通した。
夕方、鍛錬を終えてその日の報告に向かえば、大して痛くもない足の小指の怪我でさえ見抜かれるのだから、リュードはすぐに降参している。
だが、半ば放任にも関わらず、主人がリュードに合わせて組んだという鍛錬を続けていると、己でも驚くほど身体が動くようになり、剣筋も冴えだした。
やはり、教官などという人種は、並の存在ではないようだ。
しかし、幾つもある指示のうち、剣の鍛錬中はこまめな休憩を心がけよという指示は不思議に思い、聞いてみたことがある。
『うちの娘を鍛えていた時、いつも短時間で木剣を置いて休んでいてな。注意しようか迷ったが、短い休憩を終えるとまたすぐに剣を取る。なるほど、やる気がないわけではなく、身体がついていかないのだと思い至って、娘のするに任せた。しかし、いくらもせぬ内に、娘は恐ろしく伸びたのだ。娘曰く、休憩は計算のうち、適度に休憩を入れた馬と走らせ続けた馬、最終的にどちらが距離を稼げるか、ということらしい』
なるほど、理屈である。
主人によれば、体力や持久力を鍛えるなら従来通り日々徐々に距離を伸ばし、ひたすら走る方がよいらしい。しかしながら、剣技などはこまめに休憩する新形式の方が、より成果が認められるという。
最近では、練成隊の教育にも取り入れつつあるそうだ。
リュードは己の技を伸ばすきっかけを与えてくれた主人の娘に全力で感謝し、一層鍛錬に励んだ。
▽▽▽
その後しばらくして。
従士教育の締めくくりであり、同時に、息抜きを兼ねた帝室主催の舞踏会の日が来た。
「可愛い子がお相手だといいなあ」
「カルマー、誰が相手でも騎士の心を忘れるなって……」
リュードとカルマーは、騎士団で用意された借り物の夜会服を身につけ、皇宮にある光晶宮を訪ねていた。
周囲には同じく、各騎士団から選抜された叙任試験間近な従士達が、あれこれと声高に今日の楽しみを語っている。
久方ぶりの光晶宮だが、特に感慨はない。
騎士の暮らしは長兄がいつぞや語ったように、充実した日々であった。
従士達のお相手は、『才媛の園』の異称を持つ帝立ゼフィリア女学院の生徒達だ。初夏と晩秋で、同じ帝立のホーシェナ魔法女学院と交互に協力してくれるが、それはともかく。
帝国に数十ある女学院の中で、公式に最高峰とされているのは帝立アンヘルナ女学院だが、上級貴族の子女に入学を限っており、その内容も貴族婦人として必要な教育に特化している。
但しその教育力は本物であり、貴族の奥方に相応しい能力を身につけられるという一点に限っては、他校の追随を許さない。
ゼフィリア女学院も、表書きだけを見れば名門のお嬢様学校である。
だが、リュードがゼフィリア女学院を面白いと思うのは、騎士団と同じく、実力主義を標榜している点だった。
身分は問わず。入学の下限なし、上限なし。学費は必要だが、貸付制度もある。
過去には外国から来た大使夫人が、是非学ばせて欲しいと試験に臨んだ記録が残っていた。
合格後、特例で大使公邸からの通学を認められたが、夫の任期は三年で女学院は四年制。だが公務を完璧にこなしつつも努力の末に一年飛び級して卒業を祝福され、母国に帰った後は優れた教育者として名を残したという話だ。
「さあ時間だ! 従士諸君は列を作りたまえ! 今日一日に限っては、手を取った学院生を運命の相手だと思えよ!」
進行役の近衛騎士が、声を張り上げた。
その先には扉があり、ゼフィリアの女生徒が待っているという。
「急ぐぞ、リュード!」
「ああ、うん」
リュードは特段気合いを入れることもなく、カルマーの後ろに並んだ。
並ぶ順番が早かろうが遅かろうが、偶然が支配するであろうその結果は変わらないと思うリュードだったが……。
「よし、次の者!」
「はい!」
扉を開け、指示された通りに廊下の突き当たりへと向かえば。
薄紫色のドレスを着た小さな女の子が、リュードを待っていた。




