第六話「筆頭女官」
第六話「筆頭女官」
皇宮への出仕初日は、夜半過ぎまでクレメリナ王女殿下毒殺未遂事件の後始末に追われてしまった。
まあでも、これは仕方がない。
必要があったとはいえ、天下の近衛騎士団に出動を要請したわけで、私はクレメリナ様と共に大騒動の引き金となった中心人物である。
もしも、私が宮内府のお偉いさんなら、犯人ではないと分かっていても、事実関係の確認を取って顛末を記した報告書ぐらいは書かせるだろう。
幸い、クレメリナ様の口添えと証言もあり、証拠も十分揃っていたから、私は最初から疑いは掛けられていない。
けれど、非常に面倒くさいことに……柏葉宮の総責任者は現在、私である。
筆頭女官が捕縛され、序列上、そういうことになってしまっていた。事件の聞き取り調査に来た宮内府の書記官氏が仰っていたので、間違いない。
お陰で騒動その物の処理だけでなく、柏葉宮の再編成とクレメリナ様のお世話も、私のお仕事になるような雰囲気だ。
クレメリナ様のお相手は楽しそうだけど、それ以外が面倒すぎる。
少なくとも、今日任官されたばかりの新人がする仕事じゃない。
でも、もしも放りだしたら、もっと面倒なことになるんだろうなという予感はあった。
もちろん、クレメリナ様はもう騎士団本部から去られている。
慌てて駆けつけてきた国許の侍女ヤニーアさんと一緒に、皇帝陛下のお住まいである双竜宮からお迎えが来た。今頃はベッドの中だろう。
ちなみに今夜の私の寝床は、近衛騎士団女子隊の宿直室である。……贅沢は言えないか、言えないね。
「あーあ……」
疲れた体に鞭打ちながら、騎士団と宮内府に提出する報告書の下書きを作っていると、木皿と金属杯を手にした騎士リュードが、間借りしている小部屋に来てくれた。
「レナさん、夜食をお持ちしました。……お口に合うかどうかは、微妙ですが」
「ありがとうございます、騎士リュード」
夕食は完全に食べ損ねていたので、ありがたく受け取る。今日はもう、ときめく元気もないよ……。
夜食はお肉のペーストを盛った堅焼きパンと芋のサラダで、少し凹んだ金属杯にはクウェータ――帝国ではポピュラーな香草のお茶が入っていた。
騎士団のいつもの夜食らしい。
確かに微妙だけど、魔物狩りの夜営の時と変わりないし、テーブルと椅子があるだけ上等だ。……ふふ、給仕も騎士リュードだし。
「いただきます」
手を合わせる代わりに食の神様の印を切り、堅焼きパンを囓る。
堅焼きパンは保存がきく代わりに堅くて美味しくないけれど、嵩張らないし腹持ちもいい。
いわゆる軍隊が使う基本の保存食で、行軍中でも戦時下でもない騎士団のお夜食にこれが出てくるのは、備蓄の入れ替えが理由だった。
このあたりの事情は、騎士団勤めのお父様から聞かされている。私も竜狩りの時は堅焼きパンを腰袋に詰め、余った分は数日掛けておやつに食べた。
「本当に、食べ慣れていらっしゃるんですね」
「……ええ、まあ」
小さく肩をすくめ、堅焼きパンを噛み砕く。
苦笑気味の騎士リュードも、その味は良く知っているはずだった。
焼きしめられてぱさぱさになった欠片が口の中の水分を吸い取り、慣れていないとむせるのだ。
実はもう、騎士リュードと中隊長さんには、魔法も剣も、それなり以上に使えることを報告していた。
あの時は、『御意!』とか格好つけて調子に乗っていたけど、五人を相手に一撃での圧勝は、流石に言い訳のしようがない。犯人達も、尋問を受ければその時の状況を話すだろう。
悪目立ちはしたくないので、一応、他言無用にてお願いしますと、付け加えておいた。
ただ、今日になって判明した驚愕の事実もある。
騎士リュードは私が剣を使うことを、既に気付いていた!!
舞踏会で手を握った時、剣ダコで即バレしたらしい。それを黙っていてくれた彼は、実に紳士だと思う。……なんかくやしいけど。
「でも、ご無事で良かったです」
「王女殿下のお陰です。……殿下の即断で、後手に回らず済みました」
「殿下はレナさんの魔法のお陰と、大層お喜びだったそうですよ。それに……帝国が致命的な恥を晒さずに済んだのは、間違いなく、レナさんの功績だと思います」
「あ、ありがとう、ございます……」
自国の皇宮で他国の王女が毒殺されるとか……国力差で戦争にまでは至らなくても、大問題になってしまうもんね。
おまけに、実行犯は帝国の人間でも、暗殺の指示元はフラゴガルダ王国にいる。
この時点でもう、問題が複雑化することは避けられなかった。
そのあたりの詳しい事情は、明日、クレメリナ様が直々に説明してくださるそうで……うーん、あんまり聞きたくないかな。
お仕事にも関わる大事な内容だから、知っておかざるを得ないけどさ。
「それはともかく、僕も楽しみにしてたんです。……レナさんとの、再会を」
「えっ!? と、その、ありがとうございますっ!」
私から視線を外した騎士リュードは、照れくさそうに頭を掻いた。
偶然に再会できたらまた踊りましょうとは言ってくれたけど、あれは社交辞令じゃなくて本気で……もしかして私、口説かれてる?
それとも、騎士リュードに口説かれたいと思ってるから、そんな風に都合良く聞こえてる?
……どっちだ、これ!?
「もしかしたら、騎士に叙任されたレナさんと会えるかもと、期待してました。だから僕も、騎士になれるよう頑張ったんです」
「ひゃい!?」
くはっ……!
そんなに嬉しそうな笑顔を向けられると……期待してしまう。
しかし、こんなチャンスは一生に一度、いや、『二』生に一度、あるかないかだ。
「……おほん。私も今日、一年ぶりに光晶宮を見た時、『従士』リュードのお顔を思い出して、会えたらいいなって、思ってました」
「レナさん……!」
立ち上がった騎士リュードが近づいてきて、ぎゅっと、手を握られた。
あの時よりもかさかさしてるし、大きく感じる。しっかりした、大人の……鍛え上げられた騎士の手だ。
私と同じで、剣ダコがあった。
「……レナさん!」
「……は、はい!」
騎士リュードの瞳に、私が映る。
私の瞳にも、彼が映っているはずだ。
「あー……盛り上がってるとこ悪いんだが、お客様だ」
「えっ!?」
「はっ!?」
二人してびくんと背筋を伸ばし、恐る恐る振り向く。
柏葉宮を騎士リュードと一緒に守っていた騎士マッセンが、ハーネリ様と共に、呆れ顔で入り口に立っていた。
扉はもちろん、開け放たれている。
基本は男性社会である近衛騎士団本部の小部屋に、部外者の女性が出入りしている、という意味で。
「……ねえ、レナ」
「は、ははははい、ハーネリ様!」
恨めしそうな目で、見下ろされる。
「私はね、親友の娘が任官初日から大騒動に巻き込まれたと聞いて、心配で顔を見に来たの。……ねえ、私の今の気持ち、分かる?」
よく分かります、とてもよく分かります、ハーネリ様。
だからお願いです。
実家への報告は、もうちょっとだけ待って下さい!
▽▽▽
そんな嬉し恥ずかしの一幕は、とりあえず横に置いて。
私は事件の翌朝、宮内府の離宮部から呼び出しを受けていた。
両思いに浮かれてる暇なんて、本当になかったのだ。
「どうぞ、こちらです」
「はい」
宮内府は三階建てで、その二階のかなり奥、離宮部へと向かう。
眠りは浅いけど、幸い朝から女子寮のお風呂も借りられて、さっぱりとしていた。
夜勤組の皆さんがいるから、朝風呂も贅沢ってわけじゃないらしい。
水の貴重な戦場や砂漠地方ではともかく、平時の皇宮内に於いて、お風呂に入らず臭い近衛騎士なんて存在していると、帝国の沽券に関わるのだ。
でも、下着などを入れた荷物は、犯人達に毒薬の瓶を仕込まれたせいで、調査が終わるまで戻ってこないことになっていた。……お陰で朝から、洗濯魔法と乾燥魔法が大活躍だよ。
「離宮監のザイタールだ。ああ、遠慮はしなくていい、掛けなさい」
「はい、失礼します」
言われるまま、おっかなびっくりでソファに座る。
ザイタール様は狼人族で見かけ四十代、顔は武人って感じだけど、ピンと立ったお耳が頭の上についていてちょっとかわいい。
離宮監とは、帝室が所有する全ての離宮を管理監督をする役職で、筆頭女官が不在となってしまった今、私の直属上司になる。
「昨日の活躍は聞いている。私からも礼を言わせて貰いたい」
「いえ、その……ありがとうございます」
ザイダール様は、手元の書類束をすいっとこちらに滑らせた。
面白そうな目でこちらを見ていらっしゃるので、逆に背筋が伸びてしまう。
「女官レナーティア、貴官は本日より、柏葉宮の筆頭女官だ。……昇進おめでとう、新記録だな」
「は、はあ、ありがとうございます……」
宮内府でも無視できない事件であるが、被害者のクレメリナ殿下は『主に、私の活躍により』非常にご機嫌がよろしく、関係者一同胸をなで下ろしたそうだ。
加えて宮内府の長、宮内卿閣下からも、十分なる功を認むのでそのまま筆頭女官に抜擢し、クレメリナ殿下の担当女官にせよと口添えがあり、新任ながら離宮を任されることになったらしい。
前世で言えば、迎賓館か御用邸の総責任者になるのかな?
……あー、うん。
流石に縁がなさ過ぎて、自分でも何がどうなってるのか、理解できていない。
「実のところは、クレメリナ殿下とフラゴガルダ王国へのご機嫌取りと同時に、君の引き抜きを嫌ったのだがね」
「引き抜き、でございますか?」
「個人付きの女官にしてしまうと、担当した賓客の帰国時など、仕事の切れ目を狙って引き抜かれ易いのだよ。……宮内府の侍従や女官は、あらゆる意味で接待役として鍛え上げられる上、重要人物と親しいことも多く、どこも欲しがる」
こっちの世界にも、もちろんヘッドハンティングはある。
ううん、現代社会よりも、ずっと大っぴらかもしれないね。
貴族社会は……当たり前だけど、個人に権力が集中していて、良くも悪くもその影響力が大きい。
「しかしながら、柏葉宮は当面閉鎖される。しばらくはクレメリナ王女殿下の御側付き兼任として、職務に励んでくれ」
「畏まりました、離宮監様」
柏葉宮の閉鎖は、事件の調査とその後の改装が理由だった。事件を払拭する意味もあって、厨房の大改築や庭園の模様替えなど、定期的に行う整備――リフォームを前倒しさせたという。
ついでに、ほぼ女官教育が出来ていない私にも都合が良かった。
この間隙を利用して、仕事を覚えるようにと付け加えられる。
「ああ、そうだ、もう一つ」
「何でしょうか?」
「近日中でよいから、貴官を専任で補佐する侍女を探しておきなさい。人選については……そうだな、ハーネリ殿に相談するといい。侍女に知り合いがいるなら部署間の調整を行って異動させるが、外部の人間なら試験後に配属という形式になる」
「はい、ありがとうございます」
幾つかの申し送りもあったけど、流石は離宮付きの筆頭女官、昨日示されたばかりのお給金が、ほぼ五倍になっていた。
薄々、現代日本よりも格差がすごいなあとは思っていたけれど、改めて実感が湧く。
権力と責任が個人に集中するって、こういうことなんだなあ……。




