第六十五話「開業直前」
第六十五話「開業直前」
ラピアリートから第一回目の船団が出発し、ゲラルム船長が四隻目の海賊船を手に入れた年暮月――第十二番目の月。
「そろそろ見えてくるわ。ああ、あれよ」
「……あの、ホーリア先輩。大きすぎないですか!?」
「レナは初めてだった?」
「はい」
私はクレメリナ様の代理として、開業直前の『南風の恵み』亭に来ていた。
我がファルトート家の王都屋敷の倍以上ある大きなお店舗は、話どおりに外観は旧様式の二階建てで、思ったよりも存在感が大きい印象だ。
元商人の邸宅で多少は手入れが必要と聞いていたけれど、確かに建物のところどころが新しい。
「どうぞ、女官様」
「ありがとう」
今日の訪問は開業直前の仕上げで、気は抜けないけれど、割と楽しみにしていたり。
私の他、伯爵令嬢のホーリア先輩、商人の娘キリーナ先輩、庶民代表のセレンと、人選は気を遣っている。
ついでに帝都育ちが二人、地方の出身が二人とバランスもいい。
「セレン、そこまで緊張しなくても大丈夫よ。柏葉宮の方が、ずっと格が高いのだから」
「は、はいっ、キリーナ様!」
試食のようなお楽しみもあるけれど、先日の柏葉宮総点検に良く似たお仕事……になるかなあ。
今日は私達四人だけになっちゃったけれど、開店後にまたチェックや連絡、労いを兼ねて、柏葉宮の関係者が交代で食べに来ることになっていた。
今日に限っては試食扱いで無料ながら、これらの費用は柏葉宮の私的な交際費、つまりは私のお財布から出る予定だ。
必然的に回数は多くなってしまうものの、行き先は同じ帝都内で高級店ながら日帰りの食事のみ、幸いにして、護衛付きの女官侍女を地方に派遣するのにくらべれば、出費も目くじらを立てるほどじゃない。
柏葉宮を支えてくれる皆さんへのお礼でもあり、同時にフラゴガルダへの理解が少しでも深まるならば十分元は取れるんじゃないかなと、私は思っている。
ふふ、美味しい物を食べるとやる気が出るよね。
「中はともかく、車寄せは流石に新しくして、馬車を三輌連ねられるようにしたそうよ」
「確かに、立派ですねえ」
じっくりと観察すれば、正門周りも見栄え良く前庭もきちんと手入れされていて、十分に高級店っぽく仕上がっている。……シウーシャ先輩のお爺様、元造園監のゾマールさんが庭に手を加えたと聞いていた。
この周辺は貴族街じゃないけれど、豪商のお屋敷や上級貴族がお妾さんを住まわせる隠れ家、外国の商館、賓客の滞在に必要な貸邸宅などが集まる一等地だった。
治安はいいけど地代は高く、私達は運よく見つかった出物に大枚をはたいたわけである。
従僕風の衣装に身を固めた男性店員さんの案内で入り口をくぐれば、ここの責任者、サーフィアさんが迎えてくれた。
「お待ちしておりました、皆様。ようこそ、『南風の恵み』亭へ」
接客のチェックを兼ねて、二度、三度とほど相手を変えながら挨拶を重ねる。
致命的な駄目出しはなかったけれど、皆さんの態度がちょっとお堅いかなとホーリア先輩に視線を向ければ、帝国風の礼法にこだわることはないわと頷かれた。
その他、サーフィアさんの部下になる元侍女さん達、ハルベンさんの紹介でこちらへ勤めることになった料理人、案内係、馬番さんなどとも挨拶を交わす。
「サーフィアさん、ホールも改装を?」
「いえ、こちらは装飾のみで補いました。売られる直前に改装されたそうです」
「……直前に、ですか?」
「はい。叙任祝いに行われた夜会の為だったと聞いております」
なるほど、やり手の商人らしい。
そこだけ聞くと無駄な贅沢のように思えても、その実、うちはこんなに余裕がありますよと、周囲に財力を誇示しているわけだ。
「小物のほとんどは帝都内で買い集めましたが、フラゴガルダ産のものも多く流通していて助かりましたわ」
待合を兼ねた小テーブルなども置かれたホールには、あちこちに船の模型や海の絵、真珠細工などが飾られていて、いかにもな雰囲気を醸し出していた。
お店の顔でもあるだけに、気の使いようが端々にもうかがえる。
お客様がご希望なら、ここでお茶を飲みながら雑談できるようになっていた。
これで海魚の泳ぐ水槽でもあれば更に……と思ったけど、管理が大変になりすぎるだろうなあ。
魔法や魔導具を使えば、たぶん出来る。でも、コスト的に無茶かなとも思う。
「……あれならいけるかも?」
「どうかしたの、レナーティア?」
「いえ、ちょっとしたことを思いついたんですが、柏葉宮に帰ってから試してみようかなって」
BGM代わりに乾燥豆とすのこを使った波音を提案すれば、ものすごく微妙な顔をされてしまった。
「豆で波の音!?」
「はい。じゃらじゃらーって、枠のついた紙漉きすのこで豆を動かすんです」
「ちょっと想像がつかないけれど……」
演劇で使われるぐらいなんだから、そこそこいけるんじゃないかな?
予算も楽団を常駐させるのに比べればずっとお安いし、嫌味なほどの音はいらないから、お客様がホールに案内されたその一瞬だけ流すなら、割と効果的なんじゃないかなあと思ったんだけどね。
これは実物を用意して、皆に聞かせてみよう。
それら雑談を切り上げてサーフィアさんに案内された先は、巻き階段を上がって右翼二階の中ほど、普通の屋敷ならサロンや応接室があるあたりだった。
ちなみに現在の客室は二部屋のみ、店員の習熟度や食材の入手量に合わせて徐々に開放していく。
「こちらのお部屋でございます」
「あら!」
「雰囲気、出てますねえ」
「涼風宮のお部屋みたいです!」
案内された個室が待ち構えていた執事風店員さんの手で開けられると、空気が正にフラゴガルダのそれだった。
装飾品や壁紙はもちろん様式に従っているんだろうけど、帝都にいながら異国の空気が味わえるのは、旅行のハードルが高いこの世界じゃ、それなりに受けると既に知られている。
しかも、各々の手間の掛け方が十分以上だ。
これで料理まで上等なら、裏事情は抜きにしてこの店はやって行けると私に思わせた。
「失礼致します、前菜をお持ちいたしました」
「ありがとう」
出てきたお皿は二人分、食前酒は四杯だった。
今回は試食なので、全部のメニューを味わうと品数が多くなりすぎるのだ。
ちなみに全室個室であることから基本は予約制で、ティータイム、軽いランチ、本格的なディナーの三種類が用意されていて、料理のオプションなどは予約時に相談という形式になっていた。
乾杯して、それぞれが皿に手を伸ばす。
「ムールリア貝の蒸し物は、やはり皆さん期待されるでしょうね」
「はい、冷凍の魔法道具を使っております。高くつきましたが、当店の顔でございますから」
魔法使いが港で氷漬けにした新鮮な食材は、何度も魔法を掛けなおしながら内陸に届けるのが普通で、結構なお値段になってしまう。
魔法の冷凍庫は一見便利そうだけど、馬車や川船に乗せられるサイズと重さに作ると極端に効率が落ちて、魔法使いを雇う以上の大赤字になった。
「干物の戻し汁を使ったソースは、外せませんねえ」
「時期によりますが、添えるサラダは葉物もよいかと考えております」
もう一度前菜が出てきて、こちらはオウギュ貝の蒸し物と焼いた干物だった。
比較的濃い味付けで、こちらはお酒を飲む男の人向けかな、きつめの蒸留酒に合いそうだ。
それらを味わって評価していると、メインの主菜がやってきた。
白身魚の蒸し物と、干物を戻した煮物などが並ぶ。
「右が甲冑魚の塩蒸し、左手の皿はオーギュ貝の貝柱の煮戻しフラゴリア風、それから――」
「海の鍋ですか?」
「はい。帝国の皆様には、こちらが馴染み深いかと」
海の鍋はザルフェンの『海神の守護』亭で食べていたし、オーギュ貝の煮戻しは涼風宮でもご馳走になった覚えがある。
「……ふう、流石」
「ええ」
どっちももちろん、それなり以上のお味だった。
技術も食材も、高級店に相応しいと思う。ホーリエ先輩も、飾らず意見を述べつつも楽しんでいた。
キリーナ先輩とセレンは口数が極端に減ってるけれど、料理の評価をしてるのかな、思案顔で海の鍋を口に運びながら時々何か考えてるみたいだ。
二人とも、フラゴガルダで現地の料理を食べている。出される料理が帝国人の舌に合うかどうかも、今日の大事な目的だからね。ふふ、よろしくお願いします。
さて、私が気になっていたのは、後回しにしていた甲冑魚。
大物だと人間サイズにもなるこのお魚は、硬い鱗で全身が覆われている上に気性も荒く、ぎざぎざの歯で普通の網ぐらいは食いちぎってしまうそうだ。
でも、見かけによらず淡白で上品なお味の高級魚とのことである。
取り分けられたお皿に、早速フォークを伸ばす。
「……あ!」
塩だけのシンプルな味付けが、身の甘さにとてもよく合っている。
近いのは甘鯛かな。
久しく食べてないけれど、ちょっと上等の会席料理に出て来そうだなあと、私は勝手な感想を抱いた。
「わたくしも初めて食べるけれど、これはいいわね」
「必ず手に入るとは限らないのが、難点でございます」
今回手に入った甲冑魚はザルフェン近海産で、フラゴガルダ産の旬のものはもっと美味しいそうだ。
まだ北のラピアリートから船団が出たばかりだし、往復には二ヶ月ちょい見ておく必要があるけれど、到着が楽しみになった。
コース料理の最後には、もちろんお茶と甘味が出てくる。
「最後はこちら、『レナのケーキ』になります」
……。
お味は合格だったけど、その名前だけは勘弁して欲しいなと思う私だった。




