第六十三話「老侍従」
第六十三話「老侍従」
当たり前だけど、一晩寝るだけで、グラブッリ様と会う日は容赦なくやってきた。
いつものメイド風女官服に、たまには足を向ける宮内府。
だからこそ、時間が迫るごとに、緊張は倍増しどころじゃない気もしてくる。
柏葉宮の執務室で、あーでもないこーでもないと、書類を潰しつつも、戦々恐々としていた私だった。
「せ、先輩、どうしたらいいんでしょう!?」
「あのね、レナ。私を頼られても困るのだけど……。いつも通り、レナがレナらしくするしかないんじゃないかしら? 特大の、大きな猫を被って」
「もう、先輩!」
グラブッリ様との会合には、宮内府の応接室が指定されていた。
柏葉宮なら多少は……いやまあ、場所はともかく、中身が変わるわけじゃないけどね。
「ふふ、いってらっしゃい、レナ!」
「ありがとうございます、クレメリナ様」
「レナちゃん、いつもより気合入ってる?」
「お土産話、楽しみにしてるわね!」
出立の予定時刻になり、柏葉宮の入り口でクレメリナ様と先輩方に見送られる。
今更、私を取り巻く状況にはつっこみを入れても仕方ないと思われてしまったのか、皆さんとてもいい笑顔だった。
「騎士マッセン、騎士リュード、本日の護衛として同道いたします!」
「よろしくお願いします」
いやもう、本当によろしくお願いします、リュードさん。
でも、柏葉宮を出てほんの数歩で、リュードさんと騎士マッセンは、緊張した視線を周囲に送った。
「……マッセン先輩」
「……ああ。たぶん、当たりだ」
「あの、どうかなさったんですか?」
緊張の表情は、しばらく続いたけれど。
やがてリュードさんは騎士マッセンと顔を見合わせ、微妙な顔つきでため息をついた。
「レナ、言いにくいんだけど……」
「はい?」
「グラブッリを隠れ蓑に、父上が来てる」
「へ!?」
何となく、としか口にしようがないものの、辻に立つ騎士はいつもの第二中隊の騎士ではなく参謀部所属の精鋭だし、普段は隠されている外壁の塔の大型魔法杖が、いかにも整備してますって風に幾つも表出しされている、らしい。
私には何が違うのか分からなかったけれど、お仕事柄、皇宮内の小さな変化も見逃さないのは流石近衛の騎士様達である。
「お忍びなんだから、いないことにしてもいいぐらいだけどね」
「いえ、そういうわけにも……」
呆れを隠そうともしなくなったリュードさんはともかく、騎士マッセンは緊張を解かなかった。
キリーナ先輩と顔を見合わせてみるも、名案が浮かんでくるわけもなく。
もちろん宮内府の建物は、柏葉宮と同じく皇宮の内宮にある。
雑談の間もほとんどないままに、到着してしまった。
お約束の時間にはかなり余裕があるけれど、さて……。
「ご到着次第、ご案内するよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」
受付で要件を告げれば、そのまま案内を付けられた。
珍しく、いつもの侍女侍従に加え、近衛騎士の一団が廊下を行き来していたりして、今日の宮内府は一段と忙しそうな上、確かに緊張感がある。
宮内府には毎日顔を出すわけじゃないけど、雰囲気は少し、覚えてきたかな。
なるほど、リュードさん達が気付いたのも無理はないなあと、周囲を見やる。
先帝陛下はいらっしゃらないことになっているから、騎士達は護衛として各所に立つわけには行かない。
だから何がしかの理由を作って、警戒すべき場所やその周辺をうろうろしているわけだ。
そんなことを考えながら気を紛らわせつつ歩みを進めれば、一階の奥手に、格式が高そうな応接室が見えてきた。
「柏葉宮付き筆頭女官、レナーティア様をご案内致しました!」
「うむ。ようこそお越しくださいました、レナーティア様」
「中でグラブッリ様がお待ちでございます、さあどうぞ」
「はい、ありがとうございます!」
入り口で待ち構えていたのは中年の侍女さんといかにもな老侍従殿で、一部の隙もないほど姿勢が良く、向けられた笑顔も素敵で見惚れてしまった。
流石は先帝陛下の身の回りをお世話する人たちだ。
うちも負けていられないなあと、クレメリナ様のお顔を思い浮かべつつ笑顔で会釈する。
でもそれは、ほんのひと時の幻想でしかなかった。
がたんという異音に振り返れば、リュードさんが頭を抱えている。
「リュードさ……騎士リュード!?」
「……い、いえ、失礼致しました、レナーティア様!」
でも、顔を上げたリュードさんは、口調とは正反対の随分と呆れた顔で……。
反対に、その隣に立つ騎士マッセンは、これまで見たことがないほどの緊張感をまとい、直立不動のかちんこちんになっていた。……それこそ、護衛対象のはずのリュードさんのおかしな様子が、目に入っていないほどに。
これは……なんだろう?
違和感が酷いけど、また事件かなにかだったら!
僅かに身構え、右手の指輪――予備の魔法発動体を意識する。
「……ふむ」
その微妙な空気を払うかのように、老侍従殿がにやりと――それこそ、その職務に相応しくない笑顔を浮かべた。
「中でグラブッリ様がお待ちでございますぞ」
「……リュードもいてばれていますのに、まだ続けるんですの?」
「これもまた、お忍びの様式美なり。もう少し付き合え、メイア」
「はあ。……レナーティア様、どうぞこちらへ」
メイアと呼ばれた侍女さんは、リュードさんと同じような――とても良く似た呆れ顔を隠そうともせず、大きなため息を老侍従殿に向けた。
もちろん、その名を聞いて私が思い浮かべたのはリュードさんの母親、メイアレーテ様のお名前である。
そこにリュードさんの表情や騎士マッセンの態度を付け加えれば、おのずと一つの答えに行き着いてしまわざるを得なかった。
「父上、いまさらお忍びついでの悪戯をやめろとは言いません! ですが、せめて初手ぐらいはもう少しご自重ください!」
「いや、これでも色々と考えたのだぞ。リュードの嫁なら我が娘も同然、これからも長い付き合いになるのだ、気さくな両親として、最初の印象は本当に大事だと――」
「必要ないです!」
誰かに確認するまでもなく。
老侍従の振りを続けて楽しもうとするこのお方こそ、リュードさんのお父上にして先代の帝国皇帝、リューダイス陛下なんだろうなあ……。
「しかし、翠泉宮とグラブッリの名である程度の情報は集められるだろうが、リュードを連れて来るとはこのリューダイス、想定外であった。流石はリュードの選んだ娘だ……」
「グラブッリの名を聞いて、僕が自分から来たんです! かなりの確度で、父上が来るだろうと思い至りましたので!」
場所を応接室に移したけれど、親子喧嘩というか、からかう先帝陛下と食ってかかるリュードさんという漫才にも似た何かは、まだ続いている。
肝心のグラブッリ様はもちろん侍従に徹しておられて、ご挨拶こそしたけれど、会談にすらならなかった。
「ごめんなさいね、レナーティアさん」
「いえ、大丈夫です」
私はそのすぐ横で親子喧嘩を眺めながら、もうどうにでもなれという気分で侍女姿のままのリュードさんのお母上、メイアレーテ様とお茶をしていた。
「ふふ、リュードがあの通りでしょう、どんな娘さんを連れて来るのかしらって、すごく楽しみにしていたのよ。まさか、クレメリナ姫の毒殺を阻止したと噂になっていた娘さんだったとは、思いもしなかったけれど」
「えっと、申し訳ないです……」
「ふふ、褒めているのよ。その勇気と行動は、誇っていいことだわ」
メイアレーテ様は先代の皇妃で、現皇帝リュークレス陛下の御生母コーリュエ皇妃陛下と同郷の、元皇妃付き侍女であった。
コーリュエ様がお亡くなりになられた後、ほどなく側室として嫁がれている。
『わたくしに遠慮なんて、考えないで。それに……枕元で聞こえるあの人と貴女の口喧嘩は、本当に楽しそうで……でも、わたくし、メイアレーテになら、あの人のことを頼めるわって……』
『コーリュエ様……』
コーリュエ様の看病を通してお二方の関係が近づいたのはともかく、直々のご指名に加え、リュークレス様も同年代のメイアレーテ様を『義母上!』と呼んで応援し、外堀を埋められたリューダイス様達は、夫婦としての道を歩む決断をしていた。
「リュードと知り合った経緯も、素敵ね」
「へ!?」
「ふふ、皇帝家って、そういう家なのよ」
「あ、はい……失礼致しました!」
「……って言いたいところだけど、貴女とリュードが出会った舞踏会には、お忍びのリュークレス陛下もいらしたの。『リュードは余から娘を守ろうと、必死であった』って、とてもいい笑顔で報告して下さったわ」
但し、コーリュエ様がお亡くなりになられた頃にはもう、リューダイス様は帝位を譲られ、リュークレス陛下が帝国皇帝として立たれていた。
その後、リュードさんが生まれたけれど、リュクフェイル皇太子殿下よりも年下の皇弟は、皆に可愛がられて育ったという。
「リュクフェイル様も、貴女に会いたがっていらしたわよ。ポーリエ様のご婚儀には一度戻られるんですって」
「は、はあ……」
ちなみにリュクフェイル殿下はリュードさんと同じく、現在修業中の身であらせられる。
どこにいらっしゃるのかは秘密になってるし、この場じゃ聞けないけれどね。
側室と聞いて、私はすぐにフラゴガルダのことを思い浮かべたものの。
こういう関係なら側室もありなのかなあと、リュードさんのお顔と良く似たメイアレーテ様の横顔を、ちらりと見る。
実質は後妻でいらっしゃるのだけれど、メイアレーテ様はコーリュエ様に遠慮して、先帝陛下の正室の座を拒否されていた。
「どうかしたの?」
「あんなに感情的になってしまうリュードさんを見られただけでも、お二方とお会いできてよかったなあと思います」
「ふふ、ありがとう」
でも、メイアレーテ様が優しいお方で本当に良かったよ。
リューダイス陛下のような性格のお方だったら、たとえ気に入られたとしても、かなりしんどい思いをすることになっただろう。
それはそれとして。
「しかし、リュードも色を知る年になったか……。ふむ、余も老いるわけだ」
「老いの自覚があるのなら、少しは年相応に落ち着いて下さい!」
お隣の漫才は、呆れたことに、まだ続いていた。




