第五十五話「霧散の腕輪」
第五十五話「霧散の腕輪」
柏葉宮に戻って執務室付属の控え室にお母様を案内し、紫雲の間へと連絡を入れて貰う。
「紫雲の間のスクーニュ殿に、家庭教師候補フィリルメーア・エレ・ファルトート殿の到着をお知らせして下さい」
「畏まりました、レナーティア様」
この小さな柏葉宮でさえ、伝令専業の侍女や従僕が用意されていた。
携帯電話か、出来ればスマホが欲しいなと思うことも多い。
近い道具だとイヤリング型の魔導伝話はあるけれど、届くのはせいぜい数百メートルだし、帝都じゃとても使えなかった。
なんと、同じ道具を身につけている相手には、話の中身が『全て』筒抜けになってしまうのだ。
当然、近衛騎士団や近衛兵団も『聞き耳』を立てている。
地方領にある庭の広すぎる貴族屋敷や、森に分け入る魔物狩りなんかだと、とても重宝するんだけどね。
軍や騎士団、傭兵団でも使われているけれど、指揮官同士がやり取りするなら、敵にも聞こえることを前提にした暗号を使った。
どちらにしても、皇宮の中じゃ一般使用が禁止になっている魔導具の一つであり、柏葉宮にあるのは執務室の隣、侍女の控え室兼本部にある設置型の一台だけで、もちろん緊急用だった。
「ではお母様、お昼の軽食か午後のお茶の時間にフェリアリア様のお部屋へと向かう予定になっていますので、よろしくお願いします」
「ええ、それまではゆっくりさせていただくわ」
「チェリも準備をよろしくね」
「はい、お嬢様」
予定はもちろん、昨日の内に双方で確認しているし、出来れば早い方がいいとは言われていたけれど、今日とは限っていなかった。
お昼過ぎ、食後のお茶からしばらくしてお呼びが掛かり、双竜宮へと向かう。
形式は歓談、出席者はフェリアリア様とクレメリナ様の母娘、うちのお母様と私、それから学友のセレンである。
「流石はお母様、随分と落ち着いていらっしゃいますね。初めて双竜宮に来た時は、私、とても緊張しました」
「ふふ、緊張は……そうね、少しだけかしら」
娘が落ち着いているのに、母親が慌てて台無しにするのは恥ずかしいわと、お母様は微笑まれた。
お母様も、お爺様やお父様の代理で領地関係の書類を提出したり、兄様や私が生まれた時の貴族籍の申請など、帝国貴族をまとめる中宮の貴族院までは幾度かお越しになられたことがあるそうだ。
貴族に義務付けられている書類はとても多い。
私は行ったことがないけれど、アガトお爺様の若い頃のお勤め先でもあった。
厳しい検査を潜り抜け、いつものように案内を付けられて紫雲の間へと静かに歩く。
入り口ではスクーニュ殿が待ち構えていて、案内が引き継がれた。
フェリアリア様はご機嫌が大変よろしく、クレメリナ様は逆に不安気なご様子であられますと、耳打ちされる。
苦手な魔法の先生だからね、そりゃあ緊張も仕方がないかな。
でも、それほど心配はしていない。
何と言っても、うちのお母様は『私』の魔法の先生で、強い魔力には泣かされ――おほん、対処にも慣れている。
「お初にお目もじ仕ります、陛下、殿下。帝国魔術協会所属のフィリルメーア・エレ・ファルトートと申します」
「フラゴガルダのフェリアリアです。急がせて申し訳ありませんでしたわね。レナーティア殿には、親子揃ってお世話になりました。改めて、お礼を申し上げます」
「……フェリアリアの娘、クレメリナと申します。レナーティア殿に命を助けていただいたこと、大変感謝しております。また、この度は魔法学の講師をお引き受け戴きまして、ありがとうございます」
「もったいないお言葉でございます」
あれ、っと思ったのはほんの一瞬だけど、挨拶の雰囲気が違う。
『フラゴガルダのフェリアリアです』
『わたくしはフラゴガルダ王が長女、クレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアスです』
使い分けがあるのかな、今回の場合は、橋渡し役としてこの場に私が居るし。
後からクレメリナ様に教えて貰ったけれど、王族が交わす初手の挨拶にも、色々あるそうだ。
皇族と王族、それから貴族でも公爵家あたりまでのお約束で、非公式と公式の違い以外に、肩書きとフルネームの両方を慇懃に名乗る場合は牽制を兼ねているというか、踏み込むなと壁を作る意味があるらしい。
むしろ、公式行事だと呼び出し係が先に読み上げるから、名乗らない事の方が多いという。
でも、デビューを済ませてからは大変になる。
王女様なんて、夜会や舞踏会に出席すると、大抵は主賓かそれに近い立ち位置だ。
『挨拶の列が出来るのを捌くだけで、終わりの時間が来てしまうのですって』
それはそれで、大変そうだなあと、私は頷くにとどめた。
会合の出だしは、とても普通に始まった。
接点である私の子供の頃の話と、本題であるクレメリナ様のお小さい頃の話を交差させつつ、魔法のお話へと移っていく。
「フィリルメーア殿、娘の授業なのですが……」
「クレメリナ様は大きな魔力をお持ちで、加えて制御が苦手とお伺いしておりますから、まずはその点の解決からと、考えております」
こちらをどうぞと、お母様の鞄から、赤褐色の石を削りだした腕輪が取り出された。
子供の頃、私もお世話になった『霧散の腕輪』だ。
私のあまりの魔力量に家屋敷の被害を心配したお母様は、【半減】の魔法語を私にたたき込んでもまだ不安が拭えなかった。
うんうんと唸りながら魔法書を何冊も積み上げて術式を構築し、知り合いの魔導具工房に駆け込んで作らせたのが、この魔導具である。
この腕輪、内側と外側の両方に円環の魔法陣が描かれていて、魔力を無駄遣いする機能が備わっていた。
魔力アップの訓練に使う『鍛錬の腕輪』と似た魔法を阻害する魔導具だけど、鍛錬の腕輪は使う魔法の『全て』を半減から四半減させるのに対して、霧散の腕輪は詠唱した魔法が発動せず、使われた魔力量に応じてぶわっと魔力の霧が吹き上がる。
魔力が消費されたことは体で感じるのに何も起きないので、ものすごく感覚が狂うんだよね、これ……。
「この腕輪は娘の為に作らせた特注品ですが、使用する魔法と魔力残滓として現れる霧の量がおおよそ比例いたしますことを確認しております。こちらの腕輪を用いつつ、【半減】【倍力】などの制御の言葉を加えた基本呪文を繰り返し使うことで、まずは魔力の扱いに慣れていただくのがよいかと考えております」
でもこの霧散の腕輪、鍛錬の腕輪の五倍ぐらいのお値段となる上、発動する魔法全てが霧になるので、組んだ術式の鍛錬や誘導の練習には全く意味がない。
代わりに少々大威力の魔法を唱えようと、霧がぼふんと出るだけで済むし、練習に使う面積も狭くてよかった。
要は使い分けなんだけど……。
「魔法が全て、霧になる。……ということは、魔法の鍛錬で、周囲に被害が出ないのですね」
「はい、仰るとおりでございます」
言いにくいことをはっきりと仰ったフェリアリア様に、お母様はあからさまに私へと視線を向けてから、しっかりと頷かれた。
思わず目を逸らした先で、クレメリナ様も、うわぁ……と呆れた表情をしていらっしゃる。
「クレメリナ様、私は屋敷に傷一つ付けていませんよ」
「そ、そう……」
「ええ、お屋敷は無事だったわね。あの時は、馬場兼鍛錬場の地面がえぐれて、しばらく使えなくなっただけよね」
「お母様!!」
「ふふ、本当に良くできた腕輪ね。クレメリナは近衛の倉庫を一つ、更地にしてしまったもの」
そうか、クレメリナ様は『やっちゃった』のか……。
「クレメリナ様……」
「違うの、レナ! あ、あれは……狙うように言われた的の向こうの壁が脆すぎただけよ!」
小さくならざるを得なくなった私とクレメリナ様を横に置いて、魔力の強すぎる娘を持った母親達は、急速に仲を深めていったようだった。
「魔法の授業は、これで一安心ね。それから、礼法と舞踏もきちんと学ぶようになさい。特に礼法は、帝国式の礼法も必要になるでしょう?」
「……はい」
クレメリナ様の授業は、内宮にいらっしゃるせいもあって最初から週に一度と決められていたけれど、その日は学友のセレンもご一緒する。
ちなみにセレンの魔力は上の中ぐらいだけど、流石はベイルの娘さんだけあって、きっちり仕込まれているようだった。
同い年の頃の私と比べても、遜色ないんじゃないかな……。
最後は授業とか関係のない魔法談義になってしまったけれど、次のご予定がと、スクーニュ殿がいらしたので、ご挨拶をして柏葉宮へと戻り、もう少しだけ内容を詰めておく。
「クレメリナ様の魔力はお強いとお聞きしていたから、初回は練兵場をお借りするつもりでいたのだけれど、そのあたりは……レナ、頼んでいいかしら?」
「はい、お母様。一旦は、初回だけでよろしいですか?」
「そうね、お願いするわ」
「あの、レナーティア様」
「どうしたの、セレン?」
「剣の稽古って、付けて貰えますか」
「剣かあ……。早起きになっちゃうけど、私と一緒にする?」
「はい、お願いします!」
粗方の中身が決まる頃には、お母様が家に戻らねばならない時間になっていた。




