第五十四話「聖印石が結ぶ恋」
第五十四話「聖印石が結ぶ恋」
懇親会の翌日。
二頭立て六人乗りの中型馬車が、内城門の前で待ち構えていた。
「いってらっしゃいませ、レナーティア様」
「留守を頼みます、侍女シウーシャ」
公務の目的地が自宅というのもおかしな話だけど、キリーナ先輩とセレンを付き添いに、日帰りの里帰りだ。
書類挟みを開いて、柏葉宮からの依頼書や宮内府発行の通行許可証を確かめ、騎士ソリーシャに頷く。
「出発いたします!」
宮内府の公用馬車には、騎士ソリーシャを含めた四人の近衛騎士が護衛についている。
残念ながらリュードさんじゃないけれど、警護の訓練を兼ねていた。
「今日は忙しくなるかなあ。無理言ってるのはこっちですけど」
「そうね」
お母様からは幸い、三日前に出した一回目の連絡の返事が戻ってきていて、クレメリナ様の家庭教師の件は、なんとかなりそうな雰囲気である。
ただ、昨日出した二回目の手紙の返事は、流石にまだだった。
出来れば今日か明日、最悪でも明後日、皇宮を訪ねて欲しいというお願いを書いたけど、お母様だって予定があるだろうし、突然言われても困るというのは、お願いした私もよく分かっている。
「あの、レナーティア様のお母様って、どんなお方なんですか?」
「うーん……普通、かなあ」
うちのフィリルメーアお母様は、魔法がお得意で家庭教師の職を長く続けていらっしゃるけれど、それも含めて、ごくごく普通の貴族夫人だ。
趣味は読書で、特に魔法書にはお詳しい。また、刺繍はハンカチに魔法陣を縫い上げるレベルで、器用なお母様であった。……残念ながら、娘はそこまで器用じゃない。
私には優しくて厳しいお母様で、それも……うん、まあ、普通だと思う。
「セレン、フィリルメーア様はとても素敵なお方よ」
「キリーナ先輩!?」
え、どうして先輩がお母様を知ってるの!?
「先輩、うちに来られたことありましたっけ?」
「御用があってお伺いしたこともあるけれど、フィリルメーア様と初めてお会いしたのは、西北大聖堂よ」
「あ、それなら納得です」
確かに、大聖堂で行われる女学院の奉仕活動には、幾度かお父様もお母様もお顔を見せて下さったことがあった。
私抜きで、っていうのが気になるけれど、必ずお店番や案内係をしているとは限らない。学年が上がるにつれ、生徒会のお手伝いや裏方で抜ける時間も多くなっちゃうからね。
▽▽▽
内容の確認の後、お母様は家庭教師の件を引き受けて下さった。
「他ならぬ皇宮よりのご要望、喜んで参内させて戴きます、レナーティア『様』」
「よろしくお願いいたします、フィリルメーア『殿』」
帰還のご挨拶よりもお仕事優先になってしまうけれど、こればかりはしょうがない。
我が家はお父様も兄様も騎士の騎士一家で、広い意味ではお母様以外、全員が帝国あるいは皇帝陛下にお仕えしていた。
私事を優先すると、関係者に迷惑が行ってしまい、巡り巡って我がファルトート家の評判にも関わる。
お母様もそこはよく理解されていて、態度の切り替えや線引きは、きっちりとされていた。
参内は本日で構わないと仰って下さったので、付き人に指名されたメイドのチェリも含め、公用馬車に戻る。
お母様のご都合がよければ今日中にクレメリナ様とフェリアリア様へご紹介できるとあって、この為に六人乗りを借りていた。
「さて……お帰りなさい、レナーティア!」
「ただいまです、お母様! チェリも久しぶり!」
「お久しぶりですお嬢様! それに、キリーナ様も!」
「ええ、お久しぶりね、チェリ」
なんでチェリまでキリーナ先輩を……って、あ、『御用があってお伺いしたこともある』ってさっき聞いたっけ。
「キリーナさんも、もっと遊びに来てくれていいのに……」
「申し訳ありません、フィリルメーア様。その、本当に忙しくて」
「……ごめんなさい、レナのせいよね」
……?
なんか、変だ。
特にお母様のキリーナ先輩に対する態度が、娘の先輩を相手にするって感じじゃない。
「……?」
「……!」
疑問符付きの私の視線に、キリーナ先輩がふいっと横を向いてしまった。……ちょっとお顔が赤い。
それを見たお母様が、意味深な笑顔で私とキリーナ先輩を交互に見た。
「キリーナさん、レナにはまだ伝えていないのかしら?」
「えっと……あの、今は、レナーティア『様』も、大変お忙しいですし……」
しどろもどろになる先輩が、珍しすぎる……。
「お母様、キリーナ先輩?」
「ふふ、キリーナさん、ほら」
お母様が大きな笑みを浮かべ、キリーナ先輩に目を向けた。
「黙っていてごめんなさい、レナ。……その、実は、グランダール様とお付き合いしてるの」
「……へ!?」
……はい?
グランダール兄様とキリーナ先輩、どこで出会ってどんな繋がりが……。
先輩は……だめだ、真っ赤になって俯いてしまった。
接点は私だと思うけど、本当に心当たりがなさ過ぎる。
「お母様、詳しく教えて下さい!」
「きっかけは、もちろんレナよ。三年ほど前だったかしら、とても悲壮な顔をしたキリーナさんが、我が家を訪ねてきたの」
いつだったか、親友達や親しい先輩へとお土産に渡した聖印石、それが全てのはじまりになったらしい。
聖印石は魔を祓い幸運を呼び込む守り石で、防御魔法を込めれば文字通り、『守り石』にもなった。
元は竜狩りの宿営地にしている川で拾った原石で、加工前だからそれほど高いお土産のつもりもなかったし、喜んで貰えればいいなあぐらいしか考えていなかったんだけど……。
「レナから貰った聖印石を知り合いの職人さんの工房に持ち込んだのだけど、大騒ぎになってしまったのよ」
多少持ち直したキリーナ先輩が答えてくれたけど、まだお顔が赤いままだった。……いつもはきりりとしてるのに、今の先輩はとてもかわいい。
それはともかく……専業の宝石職人さんが『これほど質のいいものは、十年に一度だって見かけないぞ!』と断言するレベルで、等級が高すぎたらしい。
そんなに高価なお品だったとは思いもせず、気が引けるどころか腰が引けてしまったキリーナ先輩は、笑顔でお土産をくれた私に相談することも出来ず……悩んだ末に、直接ファルトート家へお伺いを立てることにした。
「理由をお伺いして、レナにきついお説教をしようか迷ったわ……」
聖印石の原石は自宅でもお土産に配っていたので、お母様も事情はご存じであり、むしろキリーナ先輩に同情したそうだ。
そのキリーナ先輩訪問の話が私の所まで届かず、お説教が回避できたのは、兄様のお陰である。
「キリーナさんが我が家に来た事まで話すことになるし、グランの事もあったから、貴女には黙っていたのよ」
その時、兄様は珍しく休暇中で、帝都の実家にいたそうだ。
妹の先輩が来ているというので、挨拶ついでに私の学院での様子を聞こうと応接室に向かえば、待っていたのは自分と同い年ぐらいの美人さんである。
キリーナ先輩は、兄様の好みどんぴしゃりのタイプだったらしい。
……兄様本人に問いつめたわけではなく、あくまでも同席していたお母様の見立てではあるものの、女のカンとやらでほぼ間違いないそうだ。
「あんなに照れて緊張するグランを見たの、初めてだったわ」
それは私も、是非見たかったなあ。
但し。……但し、である。
同じくお母様のお見立てでは、キリーナ先輩の方でも、割と一目惚れだったようだ。
グラン兄様は当時でさえ、期待の若手と言われていた。
身内贔屓を横に置いても、兄様は誠実な努力屋さんで、見目も人柄も悪くない。
おまけに、私の兄ということで、先輩にも安心感があったんだろう。
その後、訪問のお礼状から文通を経て交際が始まったそうだけど、キリーナ先輩も卒業して皇宮勤めになってしまったし、騎士団所属の兄様は各地を転戦、私は寮生活でその関係をほとんど知ることもなく、現在に至る……と。
「でもお母様、一言ぐらい欲しかったです」
「グランやキリーナさんが言わないのに、わたくしから口にするのは駄目でしょう?」
「……納得です、お母様」
それにしても、グラン兄様がキリーナ先輩をかっさらっていくとは、思いもしなかったよ。
「えっと、キリーナ『義姉様』」
「ひゃい……!!」
今のキリーナ先輩を見ていて、昨日の懇親会でリュードさんと私を囲んだ先輩方の気持ちが、とてもよく分かる。
これは……見守るよりつっつきたくなってしまっても、しょうがない。
「その、きっかけになった聖印石のペンダントですけど」
「え、ええ、なあに?」
「いつだったか仰ってた、『男爵家に嫁ぐ時でも、これ一つで十分持参金になる』って、そういう意味だったんですね」
「レナ!!」
ぽこぽこと、可愛く叩いてくるキリーナ先輩に抱きつきつつ、そうか、先輩がお義姉様になるんだなあと、未来を思い描いてみる。
考えてみれば、お似合いの二人だ。
うちの実家も安泰だろう。
身分差はあるけれど、お母様がこのご様子じゃ、後は手続きとタイミングだけの問題って気もする。
お母様も私を通して、キリーナ先輩のことは少なからずご存じだった。
私が『いい人がいれば連れてきなさい』と言われていたように、グラン兄様のお相手も家柄よりは人柄優先で、その点、キリーナ先輩なら問題ないだろう。
旦那様が貴族でお嫁さんが平民の場合、懇意にしている爵位持ちのお家に一旦養女として入り、目的の家に嫁がせることが多い。
我が家なら、そういうことを頼める家は……例えば、ハーネリ様のいらっしゃるマルダート伯爵家とかね。
それら事務手続きと貴族家の体面はともかく、私としては、遠距離恋愛を何とかしてあげたいかなあ。
好きな人が近くにいる。
ただそれだけのことで、嬉しくなるもんね。
「家の話になっちゃってごめんね、セレン」
「いえ、大丈夫です! お話も面白かったですし! でも、そっか。キリーナ様が、ファルトート領の未来の大奥様なんですね!」
「セ、セレン!?」
「『黒の槍』傭兵団のこと、よろしくお願いします!」
とりあえず、すっかり置き去りになっていたセレンを紹介出来た頃、馬車が皇宮外城門に到着した。




