第五十一話「それぞれの始動準備」
第五十一話「それぞれの始動準備」
フェリアリア様がイルマリーゼ様とのお茶会の準備の為に退席され、セレンも皇宮で暮らす用意があるからと、エスタナ先輩が引き取りに来た。
残された私とクレメリナ様には、今後の相談がある。
……実際に動き出されてるようだし、今日のお話次第じゃ、また出張旅行かもしれない。
「レナ、酷いわ」
クレメリナ様が私の隣に移ってこられた。
甘えるようにして、頭をぐりぐりと押しつけられる。
「申し訳ありません。でも、クレメリナ様が魔法を苦手にしていらしたとは、意外でした」
「どうしてか、魔法が言うことを聞いてくれないのよ……」
小さなお口から、はあっとため息がこぼれたけれど、ランプを灯すだけの小さな炎がまるで攻撃呪文のようになったり、逆に押さえ込もうと意識すれば不発になったりと、制御が苦手でいらっしゃるらしい。
私も最初の頃は、そうだった。
基礎中の基礎呪文である【火弾】を教えて貰った時、庭にある馬場兼鍛錬場の土が、熱で溶けてしまった覚えがある。……お母様に言われるまま、圧縮と熱量を意識したんだけど、やりすぎたらしい。
その直後、鬼気迫る表情のお母様から術式に組み込む制御の基礎、【半減】の魔法語をたたき込まれ、当分の間、屋内での魔法使用禁止と、きつく言い渡された。
基本的に戦場へと出るはずがない貴族の子女に、攻撃呪文のような戦うための魔法がみっちりと教え込まれる。……それが、とても不思議だった。
私は死にたくない一心で頑張っていたけれど、魔法の練習を頑張る子供は、私だけじゃなくて大勢いる。
学院でも、魔法の授業はかなり力を入れていたし、鍛錬場も広かった。
でも、いつだったかお母様に聞いてみたところ、何のことはなかった。
『魔法って、両親から子供に伝わりやすいのよ。絶対確実ではないけれど、魔力の強い両親の子供は魔力が強い可能性が高いし、火や水のような得意属性も血筋で現れることが多いかしら。……お嫁さんやお婿さんを選ぶ時、ものすごく影響があるの』
制御の得手不得手や、術式の組立方は教育の方が影響するけれど、なるほど、結婚相手を探す場合、魔法が得意だと強力なアピールポイントになるわけだ。
……そりゃあ、種族的に魔法が苦手って場合もあるし、魔力を増やす鍛錬もなくはない。
けれど、学院も力を入れるし、授業を受ける方だって真剣になる。
こっちじゃ貴族に限らず、家同士、家長同士が先に話し合って、結婚を決めることも多い。
ついでに……いや、ついででもないけれど、就職にも有利だった。
もちろん、魔法だけが全てでもないけどね。
「母は『私』の先生ですから、大魔力の制御を教えるのは、慣れているかもしれません。きちんと頼んでおきますね」
「そうね、お願いするわ……」
さて、それらは一旦、横に置いて。
私もクレメリナ様も、表情を改めた。
「レナには詳細を告げておくわね。お母様にも申し上げたけれど、今のところ、帝都の商業区にある小さな事務所一つきりが、私の手札よ。帝国に来た侍女は六人、同じく船乗りが十五人、今は情報収集と……自活を兼ねて、方々へと散っているわ」
「え……」
自活とは、いきなり厳しい状況だ。
「ついてきてくれた皆にはとても申し訳ないけれど、資金はとても少ないの。持ち出しを頼んだ私の私物は、レナの侍女達に頼んで売り先を探して貰っているわ。でも、もう少し時間も掛かるでしょうね」
クレメリナ様の私物は、まともに引き取って貰えても小さな交易船すら買えないので、まずは帝国の営業許可証を得て隠れ蓑にもいい程度の小さな商会を一つ立ち上げ、帝国商人とのコネを作りつつ、真面目な商売に徹するそうだ。
海洋国家が出身の皆さんだけあって、海産物の目利きなら、帝国の商人にも負けないらしい。
ついでに港と帝都を結ぶことになり、情報収集にも丁度いいという。
……堅実すぎて、どこから突っ込んでいいのやら。
クレメリナ様が王位を得られる頃、ほんとにフェリアリア様がお婆ちゃんになっていそうだ。
国許に残してきた支持者はもっと多いけど、王族でさえ命を狙われる現状、とても動かせなかった。
しばらくは二大派閥に浸透することがお仕事で、当面は伏せたままにされる。
「商会を立ち上げることが出来れば、次は資金集めよ。……わたくしが動けるのはここからね」
「え、ご自分で!?」
「皇宮からは出られないし、名前も使えないないけれど、頭はいくら働かせてもいいもの。皆が集めた情報と、皇帝陛下から戴く情報を突き合わせて、出資者や取引先の選別、注目するべき商品の選択が指示できるようになるわ」
株式に置き換えれば、思いっ切りインサイダー取引である。
なんだかなあとは思うけど、帝国に限らず違法じゃないし、ある意味、全ての商人や貴族がそれをやっていた。
……情報伝達の速度が最大でも竜か使い魔だし、世の中の仕組みが私の知る現代社会まで追いついていないからね。
「出資がある程度まとまれば、交易船にも手が出せるようになるし、倉庫も充実できるわ。丁度、大きな戦も控えてるし、その直前は狙い目ね」
一気に食い破るわよと微笑まれたけど、そんなに上手く行くのかな……?
もちろん、応援も援助もするけれど、足下をすくわれそうな気もして、ちょっと心配だ。
「小さな中古船でも、売値は一千アルムぐらいからだったかしら。戦の終わりかけに一隻でも手に入っていれば、大成功の部類に入るわね」
「あの、私も出資しましょうか?」
「ありがとう、レナ! でも、商会が出来てから、そちらの受付を通してね。商会とわたくしは、しばらく無関係ですもの」
クレメリナ様とそのお仲間の商会は、当面、どこにでもありそうな一商会として活動する。
ある程度力をつけてからでないと、その関係は表に出せなかった。
小さな商会なんて、小細工なしに潰されちゃうからね。
▽▽▽
「クレメリナ様、レナーティア様、申し訳ありませんが、お時間です」
「レナ、ありがとう。また明日ね」
しばらくは、クレメリナ様と旅のお話や現地での様子をお話ししていたけれど、シウーシャ先輩が私を呼びに来た。
この場は紫雲の間の担当女官のスクーニュ殿にお任せして、私は双竜宮を出て宮内府に向かった。
「大丈夫、用意も整ってるわ。テューナが頑張ってくれたから」
離宮監のザイタール様に帰国の報告をして、それから報告書を事務部に提出、もちろん、ハーネリ様にもご挨拶が必要だ。
私がハイドレクウス船の中で書いた質問状兼一次報告をベースに、書式に従った報告書がもう出来上がっていた。流石は事務の達人、テューナ先輩だ。
後で聞いたら、帝国高等法院派遣の宮内府応接部から丸投げされていた報告書の下書きはかなり酷かったらしく、流石はレナと、真顔で褒められた。
……ものすごく、苦労されていたらしい。
挨拶の後、遅い昼食はシウーシャ先輩と一緒に近衛女子隊の寮でご馳走になって、間借りしていた執務室に顔を出す。
柏葉宮が本格稼働すれば引き払うけれど、借りていたお部屋はクレメリナ様をお守りする専属の警護小隊が引き継ぐと聞いていた。
「お帰りなさい、レナーティア様!」
「お久しぶりです、騎士ソリーシャ!」
皇太子妃殿下の担当だった騎士ソリーシャは、クレメリナ様を守る小隊の副隊長さんに抜擢されたそうだ。
もちろん、隊長さんは一緒に旅行した騎士シェイラだけど、今は騎士モラーヌと一緒に近衛の本部に呼ばれていてお留守だった。
「明日の総点検、よろしくお願いしますね、レナーティア様」
「はい?」
……総点検?
「柏葉宮再開前の各部署総点検……って、あれ!? もしかして、ご存じないとか?」
「シウーシャ先輩!?」
思わず後ろのシウーシャ先輩を振り向けば、一瞬だけあちゃーって顔をして、すぐに表情を整えた。
「おほん。……問題ありません、レナーティア様。準備は全て、こちらで整えております」
「……」
誤魔化されないぞ、という目でじっと見つめると、視線を逸らされる。
「あー……ほんとに大丈夫だから。各部署を順番に回って挨拶を受けるだけだし」
今日は午後から、その話をする予定だったらしい。後から他の先輩方も集まってくるそうだ。
……今更どうすることもできないし、丸投げしたのは他ならぬ私だ。
当面は、クレメリナ様のことに集中したいし、手間が一つ減ったと、思うことにした。




