第五十話「母と娘の対話」
第五十話「母と娘の対話」
久しぶりに見る皇宮外城門は、初出仕したその日よりも、大きく見えた。
多少なりとも、その中身を知ったせいなのかなと思う。
「うちの砦、何個分かなあ……」
「考えたことなかったけど、下手するとファルトート領が丸ごと入るかもね」
他愛のない話をしていられるのも、今だけだ。
今日は皇宮で馬車を降りるその瞬間から、忙しくなりすぎることが確定していた。
まずは双竜宮の前で、クレメリナ様からお出迎えを受ける。
「このご挨拶をもちまして、旅程は全て無事終了となります」
「レナーティア、ご苦労でした。そして、ありがとう。わたくしが面目を施せたのは、貴女のお陰ですわ」
「もったいない御言葉でございます」
昨日のお忍びは、あくまでも皇妃陛下主導のサプライズであって、正式な挨拶を交わしてご報告しないと、私の出張旅行が終わらない。
ちなみにこの間、私とクレメリナ様の挨拶を隠れ蓑にして、フェリアリア様は『お忍び行列』に囲まれ、双竜宮へと入られている。
流石に今度は『人選』にも気を配ってるだろうし、皇妃イルマリーゼ様の薫陶も皆に行き渡ってるはずだ。
現場で揉めるとお命さえ危なかったフラゴガルダからの逃避行と違い、皇宮に入られた今、帝国はフェリアリア様をお預かりしていることを隠す気がなかった。
……茶番と言うなかれ。
完璧な貴族的ダブルスタンダードでもあるけれど、減らせる手間や利得だってある。
王様や王族の公式訪問でも、例えば結婚式のような特に大きな行事へのご招待なら、お出迎えの儀式やら挨拶やらが、どうしても積み重なった。下手をすると、外城門を通って内宮へと入るまでに半日は掛かる。
帝国が巨大すぎることの裏返しでもあるけれど、帝国皇宮への公式訪問というものは、その扱いがそのまま国家間のランク付けになってしまうほど、繊細な扱いを要求されるらしい。
格式や儀礼に則った行事を端折るなんて、間違いなく外交問題になる。
うちの王様は皇帝陛下とお会いするまでに三つしか式典がなかったのに、なんであっちの王様は四つもあるんだ! ……なんて、戦争の原因にすらなるそうだ。
でも、毎回そんなことをやってられないし、同じ訪問でも大仰なお迎えが排除された実務優先のものから、多少気を遣って案内役と護衛のみの小さなお迎え、あるいは今回のように、非公式ながら最上級ともいうべき近衛騎士団の行列がついた訪問まで、実用と名目に合わせた様々な形式が用意されていた。
もちろん、私達女官や侍女にも広く知らされる表向きのお忍びとは別に、『本物の』お忍びもあるけどね。
挨拶の後、場所を紫雲の間に移し、フェリアリア様と合流する。
柏葉宮や宮内府にも用事があるけれど、流石に後回しだ。そちらはキリーナ先輩が引き受けてくれた。
「……さて、クレメリナ」
親子の語らい……ではあるけれど、王位を目指すというとても重要な話題なだけに、緊張感が半端ない。
クレメリナ様よりも、私の方が落ち着きが足りてないんじゃないだろうか。
お二人からそれぞれに、この場に居て欲しいと頼まれていたけれど……あー、お茶に添えられたクレンナベリーのタルトが美味しいなー。
「貴女の覚悟は、今更問わないわ。でも、今の状況からどう覆すのかしら? そこだけは、きちんと説明なさい」
「はい、お母様。……現在は人を集めると同時に、特に、『フラゴの光』商会の情報を探っております」
クレメリナ様は今後の方針について、よどみなくご説明された。
『兵の代わりに商船を揃え、魔法の代わりに情報を放ち、矢の代わりに金貨を射る』
この基本方針は、変わらない。
一部はもう実行に移されているそうで、帝都内に小さな事務所を構え、平行して実働部隊とも言うべき新たな商会の立ち上げも準備中だった。
「ヤニーアを追ってきた侍女が六人、ゲラルムも既に、部下を連れて帝都に入ってくれています」
「それは結構なこと。でも、二大商会は船の数を船団単位で数えるような豪商、その差はどうやって埋めるのかしら?」
「もちろん、一気に埋めるのは、とても無理です」
フェリアリア様のお言葉を肯定しつつも、クレメリナ様は言葉に詰まった様子でもなく、涼しいお顔である。
「まずは小さな商船一隻、そこからでも何かを始めないと、いつまで経っても追いつくことは出来ませんわ、お母様。……最初は、お父様から与えられた預金証書を資金にするつもりでしたが、これは『帝国内で小さな領地が一つ買える金額』、つまりは隠居料と気付いて、手が出せなくなってしまいましたの」
あの時、この同じお部屋で聞かされた預金証書のことだけど……。
いや、意味は分かるけど、十二歳のお姫様に隠居料って字面が酷すぎる。
これにはほとほと困りましたと、クレメリナ様は苦笑気味に、ため息をこぼされた。
「……その意味、本当に分かっているの?」
「王位を諦める代わりの手切れ金であり、同時にフラゴガルダ第一王女の身分を捨て去る代金ですもの。使ったら最後、わたくしは王位を狙う戦いから降りたことになってしまいます」
「わたくしとしては、使ってくれた方が、どれほど気が楽か……」
「それは……お母様のお言葉でも、頷くことは出来ません」
今度はフェリアリア様のお口から、大きなため息がこぼれた。
「でも、クレメリナ。本当にどうやって、二大商会に追いつくのかしら? ……決意だけでは、小船一艘だって用意できないわよ」
「商会を通して、資金を集めます。商売に足りないお金をどこからか借りて用立てることは、商人にとってごく普通のこと。これはフラゴガルダでも帝国でも、変わりありませんわ」
資金の借り入れは、確かに珍しい事じゃない。
大きな仕事を目の前にした商人が、懇意の同業者から借りることもあれば、貴族や金持ちが投資目的で貸すこともある。専業の貸金業者もいるけど、金額が大きいと担保も必要になるし、金利も高いので、初期投資には使いにくい。
「その資金で商会を大きくして、まずは『フラゴの光』商会を食い破ります。幸いかどうか、『フラゴの光』商会と密接な関係にあったガミロート家が取り潰しになり、帝国内での評価は揺れておりますので、まずはそこから攻めたいと考えております。……ガミロート家は皇帝陛下のご不興を買ったそうで、ガミロート商会は廃業、そのお仲間も大変苦しい状況にあると、事務所からの手紙に書いてありました」
柏葉宮の前筆頭女官カディーナの実家ガミロート家と、フラゴガルダ産の海産物に強いガミロート商会。
実際に皇帝陛下もお怒りだったし、事件の関係者は一網打尽にせよと命じられていた。
「ふふ、とにかく、最初の一歩を踏み出すのは、もうすぐですわ」
「……貴女が王位につく頃、わたくしはお婆ちゃんになっていそうね」
「それまでは、お父様に頑張っていただきますから」
なんとも気の長い話だけど、クレメリナ様は屈託のない笑顔を浮かべていらした。
「……では、もうこの話はいいわ。貴女は貴女の道を、お行きなさい」
「ありがとうございます、お母様!」
「但し貴女はまだ、十二歳の子供。進講に来ていた教師達は、口々に褒めていたけれど、まだまだ学びの途中よね?」
「は、はい……」
おやおや?
フェリアリア様の視線に、クレメリナ様は冷や汗を掻いていらっしゃった。
勉強はお嫌いなのかな……。
「少なくとも、十五歳までは学びなさい。ここは帝国の中心地、教師に事欠くことはないでしょう。……クレメリナ、貴女に学友を紹介しておくわね。レナーティア殿、セレンを呼んで下さる?」
「はい、すぐに!」
控え室に向かい、待ちくたびれていただろうセレンを呼ぶ。
「セレン、お呼び出しよ!」
「はい、レナーティア様!」
セレンも既に、柏葉宮の侍女服を与えられていた。
私が王家のお二人に立ち会っていた短い間に、テューナ先輩に連れられ、宮内府の被服室で用立てて貰ったそうである。
「ヴェルサ先輩、お茶の入れ替えをお願いします。他、何か聞いておくようなことはありますか?」
「大丈夫。柏葉宮の方はキリーナとテューナで何とかなるわ」
「ありがとうございます!」
それだけ聞いて、素速くお部屋に戻る。
「お初にお目に掛かります、柏葉宮侍女見習い、セレンと申します。殿下の御学友として、ご指名を賜りました」
「善き哉。わたくしはフラゴガルダ王が長女、クレメリナ・レール・ティア・フラゴナリアスです。よろしくね、セレン」
ちょっとぎこちないけれど、セレンは臆することなく、初手の挨拶を乗り切った。
この場には、私だけでなくフェリアリア様もいらっしゃるから、少々の粗相があっても笑って済ませられるんだけどね。
数週間の旅程を通し、フェリアリア様も普段のセレンの様子はよくご存じで、だからこそ、クレメリナ様の御学友に推薦されていた。
礼儀作法が分からないなら、クレメリナと一緒に学べばいいわと、お言葉まで頂戴している。
フェリアリア様は、私がさっきまで座っていたクレメリナ様の隣にセレンを座らせ、私はフェリアリア様の隣に移った。
「さて、クレメリナ」
「はい、お母様」
「貴女が学びを疎かにすると、セレンが学べなくなるだけでなく、推薦したわたくしが恥を掻き、彼女の身元を引き受けたレナーティア殿のお顔に泥を塗ってしまうでしょうね……。分かる?」
「は、はい……」
クレメリナ様からは、助けてという視線をひしひしと感じたけれど、お勉強については私も賛成だ。何より、セレンと仲良しになっていただきたい。
「そうだわ、レナーティア殿。どなたか、教師に推薦できるようなお知り合いはいらっしゃらない? 数字には強いし政務についてもよく学んでいたようだけど、魔法の実技がそれはもう苦手で、よく授業から逃げていたの」
「お、お母様!?」
「せっかく大きな魔力があるのに、もったいないわ」
「……あ」
深く考えるまでもなく、ものすごくいい先生が、身近にいる。
身元も確かなら、腕前も一流に近い。
「……レナーティア殿?」
「失礼いたしました。私の母が丁度、貴族のご子息ご息女に魔法の基礎をお伝えする家庭教師なのですが……」
「まあ! レナーティア殿のお母上なら、間違いないわね!」
うちのお母様なら、ほんとに間違いない。
魔法の教師としても経験豊富だし、何よりも、確実に信用が置ける。
流石に皇宮からの指名なら断られることはないと思うけれど、近日中に実家へ戻り、聞いてみることになった。
クレメリナ様は、私の母が教師では、その立ち位置もあって逃げ出せないことに気付いたのか、俯いて顔を覆ってしまった。
セレンがおろおろしてるけど、流石にさっきの今で知り合ったばかりのお姫様を慰めるとか、無理だろう。
「大丈夫ですよ、クレメリナ様」
「……レナ?」
「セレンも一緒ですから。ね、セレン?」
「えっと、頑張ります!」
私はわざと、何の慰めにもなっていない言葉を、口にした。




