第四十八話「皇妃イルマリーゼ」
第四十八話「皇妃イルマリーゼ」
お忍びの……と聞かされていたけれど、ほぼ大名行列状態のイルマリーゼ皇妃陛下がご到着あそばされたのは、お昼過ぎのことだった。
「レナーティア、貴女には、是非ともお会いしたかったの」
「こ、光栄です、皇妃陛下!」
「イルマリーゼでいいわ」
ご案内した二階の応接室の中、ホーリア先輩やお付きの女官殿も早々に退出してしまい、皇妃陛下と差し向かいの状況に追い込まれる。
今更何故とは言わないけれど、気疲れについては諦めるしかなさそうだ。
イルマリーゼ様は嫣然と微笑んでいらっしゃるけど、私にそんな心の余裕はない。
意地悪されてるわけでも、怒られてるわけでもないのに、どこか苦手意識が出てしまう。
「さて……。色々とお話したいこともあるけれど、まずは今回の旅程について、貴女の口から聞いてみたいわ」
「畏まりました」
竜狩りの詳細までは、口にしなくてもいい、と思う。
流石に皇妃陛下がお相手なだけに、ご質問があった場合は誤魔化さないけどね。リュードさんも兄夫婦たる両陛下に尋ねられれば、口を噤むってわけにもいかないだろうし……。
「クレメリナ王女殿下のご要望をお引き受けいたしました後、帝都を離れ西部アルターグ地方にて竜皮を入手、その後ザルフェンより海路フラゴガルダへ向かいました」
フラゴガルダ入りから先は、少し詳細を交えて話すことにした。
竜皮の横領未遂はともかく、フェリアリア様の脱出行については、お気に掛けておられるだろうと思う。
クレメリナ様と同じく……明日になれば会えるのに、わざわざお越しになる意味ぐらいは、言われなくても感じ取れていた。
「私が夜会から戻りましたらば、控え室に王宮侍女の衣装でフェリアリア王妃陛下がお越しで、外交団も緊急事態を宣言、ヴァリホーラ陛下へご助力すると同時に、ご希望通りフェリアリア様の脱出をお手伝い致しました」
「自国の王宮内だというのに、そこまで……」
「これは御内密にと申しましょうか、正式なご報告はともかく、緊急情報として既に皇妃陛下――」
「イルマリーゼよ」
くすっと小首をかしげる笑顔付きで、私の『間違い』が訂正される。
「失礼いたしました。……既にイルマリーゼ様のお耳に入っているかもしれませんが、フェリアリア様はその時点で毒によって体調を崩されており、杖がなくば歩くことが不可能な状態でいらっしゃいました。現在、快方に向かわれてらっしゃいますが、残念ながら旅続きのせいもあり、万全とは言えない状態です。ただ、このことは、クレメリナ様のお耳には入れたくないと仰っていますので……」
「……知っているわよ、あの娘は」
「えっ!?」
イルマリーゼ様は、大きなため息を茶杯に向けられた。
「うちの旦那様がね、フラゴガルダに関する報告は『全て』開陳し、優先してまわすよう、内密にお命じになったの」
実際には、クレメリナ様が滞在している双竜宮紫雲の間でお茶会が開かれる折、同席のイルマリーゼ様やポーリエ皇女殿下の元に『皇帝陛下』宛ての報告が『間違って』来るんだけど、間違いに気づいた官僚が慌ててしまい、資料を忘れる……なんていう手間のかけ方がなされているそうだ。
表立った協力はしないと言いつつも、そこは皇帝家、最新の情報なんて特上の援護射撃に決まってる。
そのお陰でクレメリナ様は、私達がフラゴリアを出航した翌々日にはもう、外交団一行の行動だけでなくフェリアリア様の状態を知っていらしたそうだ。
それでも知らない振りって……お互いに心配をかけたくないって気持ちは分かるけど、ああもう、複雑なお二人でいらっしゃいますこと。
「もう少し、中身に気を遣った方がいいって言ったのだけれど、今から王位を狙うなら、そのぐらいは必要だって、旦那様が譲らなかったのよ」
『酷なことは分かっているが、自ら選んだその道を行くのなら、避けて通ることは出来まいよ』
そう、静かに仰ったそうだ。
皇帝陛下は無論、帝国の頂点に立つお方だ。
規模こそ違うものの、クレメリナ様が目指すその先で背負う悩みは、ほぼ同じものになる。
「わたくしは、クレメリナ姫が王位を継ぐか否かはどちらでもいいの。あの娘が望んでいるかどうか、それだけよ。でも……大事な親友の娘を傷つける輩は許さないし」
イルマリーゼ様は優雅な笑みを浮かべたままでいらっしゃったけど、慈悲深く優しげな印象は、一瞬で、怒りに満ちた冷酷なそれに変わった。
「大事な親友を傷つけた者達は、絶対に許さないわよ!」
私に向けられたものじゃないと分かっていても、背筋がぴんと伸びてしまう。
……っていうか、普通に恐いし居心地が悪い。
「イルマリーゼ、貴女が怒ってくれるのは嬉しいけれど、レナーティア殿が困ってらっしゃるでしょう」
「フェリアリア!!」
「あと、声が大きいわ。……控えの間まで聞こえてたもの」
扉がすっと開いて一瞬、キリーナ先輩の顔が見え、続いて苦笑気味のフェリアリア様が、杖をつきながら入ってこられた。
「思ったより元気そうで安心したわ。最初の報告だと、立って歩くのも大変そうだって……」
「王宮を出た頃は、そんな感じだったかしら。でもね、レナーティア殿が、毎日お風呂に入れてくれたの。身体から悪いものを抜くなら、汗を掻くのが早道だって」
私はもちろん、フェリアリア様がいらっしゃるまでの場つなぎという『お役目』が終わったので席を外そうとしたけれど、引き止められていた。
仲良しのお二人の邪魔は、もちろんするつもりもない。
でも、まだ本題が終わっていないからと、そのまま座らされている。
「……フェリアリアは、帝国まで軍艦で来たはずよね?」
「そうよ」
「それが、毎日お風呂?」
「ええ、毎日。レナーティア殿が、空き樽に魔法でお湯を汲んでくれたのよ。私だけじゃなくて、乗組員の全員分」
この娘は何をやってるのって感じで、イルマリーゼ様からの胡乱な視線が私に刺さる。
「……レナーティア」
「はいっ!」
「フェリアリアを世話する貴女が、魔法の使いすぎで体調を崩しては、元も子もないのだけれど?」
「えっと、あのぐらいでしたら毎日でも大丈夫です。フェリアリア様も一日中ベッドの上では退屈でいらっしゃるでしょうし、少しでもお早く回復されればいいなあと……」
「ふふ、わたくしも、同じことを聞いたわ。でも彼女、魔法は得意なのですって。王宮から港まで、空の上を送って貰ったのよ」
イルマリーゼ様は多少以上に呆れられたご様子だったけど、フェリアリア様のお取りなしでその場はなんとかなった。
……そう、その場は。
「レナーティア!!」
「うひっ!」
フェリアリア様のお口から、私が自分で竜を狩ったことが報告されると、それはもう、すさまじいお怒りというか、お説教になってしまった。
「傭兵達を雇ったと、クレメリナ姫より聞いてるわ。でもね、貴女が自分で行く必要、あるのかしら?」
「はい、あります!」
「それは、どうして? 責任感に追われて、なんて口にしたら、お尻をひっぱたくわよ」
皇妃陛下御自らにお尻を叩かれるというのは、名誉なんだか不名誉なんだか……。
「竜を狩る為の大型魔法杖の操作は、私の担当です。……五年前から」
「五年!?」
「レナーティア殿!?」
今回の竜狩りの詳細と同時に、初めて竜を狩ったのが十歳だと申し上げれば、フェリアリア様までお説教に加わってこられた。
……もちろん、お茶を入れ替えに来たエスタナ先輩とキリーナ先輩は、状況を見て取ると、御前での不敬をそれぞれに詫びてからぽこんと私の頭にげんこつを落とし、助けてくれなかった。
「本当は、リュードくんとの馴れ初めや旅の様子を聞き出したかったのに……」
「わたくしも、貴女が来ていると聞いて、そのつもりでいたのだけれど……」
しばらくして、というには長かったけれど、四半刻ほどでお二人の息が上がり、ようやく応接室が静かになった。
旅に出る前にも先輩方からお説教を頂戴したけれど、竜狩りについては、いい悪いというよりも、魔物との距離感の差なのかな、とも思う。
戦場に出るか出ないか、という差でもあるけれど。
「はあ。騎士モラーヌとは、気が合いそうね」
「えっと……先日、手合わせをしていただきました」
「……そう」
心底呆れ疲れたご様子のお二人と、お説教が終わったと見た私の安堵、その三つのため息が、重なった。




