第四十四話「帰りの港にて」
第四十四話「帰りの港にて」
帝国領デルバ島は、島の南部に湾がある。
オーグ・ファルム号は午後のおやつの頃合いになって入港準備を始め、船足を落とした。
島が見えてからだと約半日、湾の奥の港に着いたのは夕方だ。
「船旅、お疲れさまでした」
「クロンタイト代表!? それにジェリーサ殿まで!」
デルバ島に先着していたクロンタイト代表と王妃付き侍女頭のジェリーサ殿には、ちょっとどころでなく驚かされた。
私達が出航した日の夜、竜便を使ってフラゴガルダを出ていらしたらしい。
「フェリアリア様、ご無事でようございました」
「ジェリーサにも苦労をかけるわね」
今夜はここで一泊するけれど、フェリアリア様をお迎えするご準備も、きちんと調えられている。
フェリアリア様とジェリーサ殿には護衛の水兵が一隊つけられ、馬車で市中の宿へとお送りしていった。
私達は船中泊になるけど、今後の相談もしておきたい。
馬車の列を見送って船に戻り、早速女官部屋に椅子を幾つか集める。フラート艦長にもお願いして短時間ながら人払いが行われ、幕の外には騎士マッセンと騎士シェイラが立った。
「……『殿下』、してやられました」
「どうした?」
開口一番、クロンタイト代表は難しい顔で、私達を見た。
「出国の直前、外務卿補ヘルネディーク閣下より、フェリアリア王妃陛下暗殺の指示は第二王女派より出ていたと伺いました。上手く行かなかった場合、次善の策として王宮からの排除を狙っていたとも……」
「……我々は体のいいように使われた、か?」
瞑目したリュードさんが、小さくため息をつく。
私達は、フェリアリア様を助けようとした。
それは間違いないし、必要なことだと思う。
しかしながら、第二王女派の策に乗せられたのも間違いないようで……。
「面目次第も御座いません」
「いや、ご苦労だった。王妃陛下のお命こそが大事、仕掛けた相手の用意した『次善の策』に、国王陛下が自ら乗ったとも考えられる。失態というほどでもなかろう」
「はっ……」
すごくもやもやするけど、邪魔が入ったりしなかっただけ、まだましだったのかな?
軍艦や竜を差し向けられる可能性も、全くのゼロってわけじゃなかったけど……カレントとの戦いが間近な今、両派ともに帝国との表だった諍いは避けるだろうと、リュードさん達は読んでいた。
私達はフラゴガルダ国王陛下の願いで王妃陛下をお連れしているけれど、追っ手が強行に『帝国に王妃陛下略取の疑い有り』と主張した場合、さて、どうなるか。
特に、実働部隊に真実が通達されないまま王妃奪還の命令が下ってたりすると、フェリアリア様が真実を口にされたとしても大揉めする可能性が高かった。その後に誤解が解けても禍根は残ってしまうだろう。
幸い、読み通りに私達一行は無事帝国領デルバ島に到着したので、この問題はもう考えなくていい。
あとは帝都に帰還すれば、この長い出張旅行は終わる。
代わりに、クレメリナ様の静かな反撃が始まる予定だ。
「では、失礼いたします」
「頼む」
クロンタイト代表は今夜中にまた、フラゴガルダまで戻るという。
現状をまとめた報告書はもう帝都に送り出されていて、女官組に同行していた外交団員に幾つか指示を与えると、挨拶もそこそこにオーグ・ファルム号を降りてしまった。
「レナ」
「はい、リュードさん?」
桟橋まで見送ったその帰り、リュードさんと二人で船縁にもたれ掛かって、星を見上げる。
「レナは、クレメリナ姫の支援をこれからも、続けるつもり……なんだよね?」
「はい、もちろんです」
綺麗な星空に、あんまりロマンチックじゃない話題。
もちろんリュードさんの声音は、茶化せない響きを帯びていた。
「ヴァリホーラ兄さんへの協力も、レナへの助力も、僕は立場上、ほとんど何も出来ない」
ヴァリホーラ陛下の御前でも、リュードさんは似たようなことを口にしていた。
帝国に介入して欲しくないというクレメリナ様の決意を、皇帝陛下はお認めになられている。
それはまた、戦乱の拡大を避けたいという帝国の意思とも、相反しなかった。
「でも、騎士リュードは、いついかなる場合でも、君の味方だ」
そっと肩を抱かれたので、そのまま身体を預ける。
「危ないことはしないように、って言いたいところだけど、レナを止めるのもなんだか違う気がしてる。だから……一人で何でもしようとしないで、困ったことがあれば相談すること。いい?」
「はい」
リュードさんは、もっと他にも色々と言いたそうな表情だったけど、それだけを口にした。
心配をかけてるんだろうなって自覚は、ある。
自分から余計なことに首を突っ込んでるのも、間違いない。
でも、今更引けないとかじゃなくて、クレメリナ様の女王即位は、私がそうしたいんだって気持ちが強くなっていた。
▽▽▽
デルバ島の港を出港してからは、大雨で港に逃げ込む場面はあったけど、概ね順調な旅が続いた。
帝国沿岸の航路というだけで、安心感が全然違う。陸地もずっと見えてるし。
水と食料の補給で、ムジスフェンをはじめとする幾つかの港に立ち寄ったけれど、フェリアリア様のご休憩や買い物に同行して、私達も市街に立ち寄ることが出来ていた。
「お召し物については、その、申し訳ないのですが、御身に相応しい物がすぐ手に入らないようで……」
「ふふ、お忍び姿で十分よ、レナーティア殿。わたくしは辺境国の山育ち、子供の頃は、泥だらけで野山を駆け回っていたものだわ」
「は、はい」
流石に予備の女官服そのままじゃ申し訳ないと、服飾品を扱うお店にご案内すれば、うちのお母様の普段着と大して変わらないものを自らお選びになった王妃陛下だった。
「今年の秋の流行は、葡萄の紫だそうですよ」
「あら、懐かしいわね」
ジェリーサ殿も、フェリアリア様の衣装選びには楽しげな雰囲気でおつき合いされていたので、余計な気を遣いすぎたのかもしれない。
気を利かせたキリーナ先輩が、ジェリーサ殿を市場に案内して買い込んできた帝国東方産の様々な干果を、とてもお喜びになられていた。
▽▽▽
月が変わって十月の初旬。
オーグ・ファルム号は最終寄港地のラピアリートに入港した。
この港は帝国最大の港で、帝都に通じるラプの大河の河口にあり、帝都への玄関口ともなっている。
ザルフェンやカレンティアス、フラゴリアの港も相当大きかったけど、ほんとに段違いだ。
「大変お世話になりました、フラート艦長!」
「いえ、これほど楽しく……失礼、気分良く任務を遂行出来ましたのも、随分と久方ぶりでありました! ……副長、登檣礼!」
「はっ! 総員、登り方用意!」
命令一下、水兵さんがするするとマストによじ登り、等間隔で並んで行く。
お風呂のサービスは、艦長以下乗組員の皆さんの心証をとても良くしたようで、最高の栄誉だという登檣礼で、私達の下船を見送ってくれた。
私達も、迎えの馬車の前に並び、手を振り返す。
お風呂だけじゃなくて、厨房にも出入りして……レナのケーキは無理だったけど、海軍ビスケットを砕いて干果と混ぜて仕立て直したクッキーは、乗組員の皆さんにも配って歩いた。
オーグ・ファルム号で過ごすこと往復ひと月半、いつの間にか私も馴染んでいたような気がする。
ふふ、ほんとにお世話になりました。
ラピアリートは都会だけあって、色々と行き届いている。
「騎士シェイラは護衛を継続、侍女キリーナ、セレンはジェリーサ殿の補佐をお願いします」
「了解です!」
一旦、大きめの宿を押さえてフェリアリア様に昼食を兼ねてご休憩いただく間に、私達は市街へと走った。
これだけ大きな港だと、帝都並に各種施設も配置されている。
外交団の随員は外務府の出先機関に向かい、私はリュードさんと騎士マッセンをお供に、宮内府の支庁舎を訪問した。
「内宮柏葉宮付きの筆頭女官、レナーティアと申します。お忙しいところ申し訳ありませんが、離宮担当部署への取り次ぎを願います」
「はい、直ちに!」
受付では、名乗る前からものすごく緊張されたけど、現代社会に置き換えるなら本社の重役が予告なしで訪ねてきたのに等しく、これは仕方がない。
皇宮女官に近衛騎士なんて、仕事柄一目で分かってしまうだろう。
応接室にやってきたのは、当然のように支庁で二番目に偉い人だった。……一番偉い人が、帝都に出張中だった故に。
「お待たせいたしました、レナーティア様。宮内府ラピアリート支庁、主席宮務官レスベルと申します」
「よろしくお願いいたします、レスベル殿。……緊急の案件を持ち込むのは心苦しいのですが、離宮を一つ、ご用意していただきたいのです。非公式ながら、主賓はフラゴガルダのフェリアリア王妃陛下でいらっしゃいまして……」
離宮を使おうと私に知恵をくれたのは、もちろんリュードさんだった。
外国の賓客を大事に扱うという点でも優れているし、市中の宿より警備が厚いのもありがたい。
フェリアリア様は転地療養の旅の途上であること、一度は帝都の皇宮にお迎えする予定であること、可能なら帝都までの足の調達も依頼したいことなど、ここまでならお話ししてもいいかなと言うレベルを勘案しつつ、レスベル宮務官に相談する。
「畏まりました。万事お任せ下さいませ」
ラピアリートは帝国の表玄関であり、周辺には大小合わせて十五もの離宮があった。
これは、外国の使者が多数同時に来る場合、たとえば皇族の結婚式とか諸国の集まる会議などに備えた数ながら、これでも足りずに市内の高級宿や貴族邸宅を借り上げることさえあるという。
「逗留日数は……そうですね、王妃陛下のご体調次第となりますが、船旅の疲れも癒していただきたく思いますので、一旦は二泊とさせて下さいませ」
「はっ、そのように手配いたします」
今は外国からの訪問客もなく施設にも人員にも余裕があるとのことで、貴族街の一等地にある『北星宮』が選ばれ、案内と世話役を兼ねた侍従侍女の一団が付けられた。
無事に手配が終わり、帰りの馬車で小さくため息をつく。
……竜狩りという外せない理由があり、柏葉宮立ち上げさえまともでなかった状況を考慮しても、もう数人は無理にでも同行して貰うべきだったと、今更ながらに反省している私だった。
全てが離宮任せとはいかないけれど、人の手が借りられるだけでも本当にありがたい。
「もっと大騒ぎになるかと身構えていましたが、レスベル宮務官殿が協力的で助かりました……」
「いがみ合う必要はありませんが、主席宮務官殿もレナーティア様を助力する方がずっとお得でしょうからねえ」
「騎士マッセン、それは?」
「いやね、上司の支庁長官がお留守の隙に国賓級の客人来訪とか、出世を狙う部下にしてみりゃ、点数稼ぎには丁度いいじゃないですか」
「あー……」
「本当のところは、知ったこっちゃありませんがね」
騎士マッセンはとても分かりやすい理由を付け、私を納得させてしまった。




