第四十三話「穏やかな帰路」
第四十三話「穏やかな帰路」
朝日の中、遠ざかる王都が見えなくなってしばらく。
「王妃陛下、女官殿。本艦はただ今、公海上に出ました」
「お疲れさまです、フラート艦長」
「ありがとうございます、艦長殿」
病室というほどじゃないけれど、フェリアリア様のお部屋に宛った外交団用のスペースに、帽子を取ったフラート艦長が来てくれた。
フェリアリア様も起きておられるし、丁度いいや、朝のお茶にしよう。
「【微力】【水球】。【熱源】【誘導】【持続】……【解放】」
どうぞとフラート艦長にも椅子を勧め、三人分のお茶を用意する。
「帝国の領海に入るまでは油断できませんが、一定範囲での安心材料、というものですな。他国の領海内では出来ないことが多すぎるのです」
公海上に出てしまえば、少なくとも対等ではありますと、フラート艦長は肩をすくめた。
▽▽▽
フラゴガルダに関する一連の公務は、これで一応終わった……はずなんだけど、宮内府に帰国の報告をするまでは、もちろん出張旅行中になる。
ちなみにフェリアリア様を帝都にご案内するお仕事は、表に出せないこともあって、責任者の所在が曖昧なままになっていた。
お世話役に適任という意味も含めて私が主担当ながら、外交その他の問題を預かっているのは、フラゴガルダに置いてきたクロンタイト代表だ。一応、リュードさんが後見に近い位置で立ってくれるような流れになりつつある。
そのリュードさん、オーグ・ファルム号に乗船するなり、フェリアリア様へのご挨拶もそこそこに、同行者に仮眠を取るよう命じて、後は頼んだよと自分もハンモックに潜り込んでいた。
皆さん徹夜のご様子だったけど、既に出国の辻褄合わせは済んでいるそうだ。
本当にお疲れさまでした。
未解決の問題も多いし、帰国してからは忙しくなることが確定してるけど、今は船任せ風任せ、お茶を楽しみつつ歓談するという余裕があった。
さて、天気の都合にもよるけれど、帝都までの旅程は、約三週間と見積もられている。
ひとまずは帝国領の西端デルバ島まで三日、ここには海軍の艦隊が常駐していて、何かあっても支援が受けられた。……何もない方がいいけどね。
その後は大陸西北のムジスフェン経由で東に向かい、帝都から流れ来るラプの大河、その河口にある帝国最大の港ラピアリートで下船する。
後は帝都まで一直線だ。
場合によっては、途中で竜を使う可能性もあるけれど、今のところ、可能性は低いかな。飛行中は揺れも酷いし、健康が優れないフェリアリア様をお乗せしたくない。
幸い、フェリアリア様の体調は、回復傾向にあった。
ご病気とされているけれど、実は病ではない。
……これは後から聞いたお話になるけれど、贈り物の音匣に遅延魔法付きの毒霧が仕込まれていて、対応が遅ければお命を落とされるところだったという。
その事件が半月ほど前のことで、今も手足にしびれが残るけれど、体の調子は徐々に戻りつつあると仰られている。
犯人の商人も贈り物を届けた直後、丁度仕掛けが発動する頃合いに王城の控え室内で服毒自殺したと聞いて、流石に閉口した。
商人には多額の借金があると確認されたけど、手がかりはそこで途絶えているらしい。
貸し主はカレントの南、フィラス王国の豪商で、両派どちらかの手引きだろうと推測は付けられても、決め手には欠けていた。
▽▽▽
『ご歓談中のところ、失礼いたします』
今後の予定の確認から、船旅の楽しみなどに話題が移った頃、幕の向こうからリュードさんの声がした。
「あら。リュードくん、もう起きてもいいの?」
『はい、もう大丈夫です』
フェリアリア様が頷かれたので、幕を開けてお迎えする。
私はリュードさんのお茶を用意して、席を譲った。……寝癖がついてるけれど、指摘もしにくくて、ちょっと困る。
「おはようございます、フェリアリア様。お加減は如何ですか?」
「上々よ。レナーティア殿のお陰でね。リュードくんもお疲れさま、それから、ありがとう。でも、その……大丈夫だったの?」
「ええ。クロンタイト代表はなかなかの策士でして、僕らも振り回されましたけど、もう心配ありません」
「そう……」
私とフェリアリア様の王城脱出後、リュードさん達は外交団と連携を取りつつ、クロンタイト代表の指示で、夜を徹して王城、涼風宮、大使館を幾度も往復したという。
フェリアリア様の不在を逆手にとり、翌日、『私』がお見舞いに王城を訪ねる手筈を整える振りを全力で行っていたそうだ。
「わたくしもレナーティア殿も、いないのに?」
「侍女のジェリーサ殿にもご協力いただきましたので、綺麗に事が運びました。王妃陛下のご体調が優れず訪問は中止、レナもお見舞いの言葉だけを騎士に預けてそのまま帰国ということで、無事に締めくくられているはずです」
港の方でちょっとした騒ぎもありましたから、王宮も忙しかったんでしょうねと、リュードさんはくすりと笑った。
お昼過ぎになって、キリーナ先輩やセレンが起き出してきたので、フェリアリア様のお世話を交替して貰う。
今日のお昼は普通のパンと、干し肉を戻して根菜と煮込んだスープだった。
出航当日なら、保存食の海軍ビスケット――堅焼きパンの親戚で、これまた堅く、もそもそして美味しくない――を食べなくていい。
護衛までついた貴族向けの客船だと、ほぼ高級宿と変わらない贅沢もできるけど、旅費は竜便以上の金額になった。
無料で乗せて貰ってる軍艦じゃ、贅沢は言えないけどね。
「はあ……」
昼からは、少し忙しくなる。
お洗濯もしたいし、出来ることならフェリアリア様のお食事を、病人食とまでは行かなくても食べやすいものにしたかった。
……あんまり余所様のお台所に口を出すのは良くないと分かっているけど、隣国の王妃陛下に海軍ビスケット三昧というのは、ちょっとどうかなあと思ってしまう。
あと、樽でいいから、お風呂。
私はともかく、フェリアリア様には入って貰った方がいい。新陳代謝も良くなって回復に繋がるし、気分転換にもなるだろう。
その辺りも含め、食後、私は露天指揮所に向かい、フラート艦長に相談を持ちかけた。
「風呂ですと!? 空いた樽ならいくらでもありますが、水につきましては、航海三日の予定でありながら、それほど多くの余裕は……」
「あ、魔法で済ませますから、船のお水は使いません」
腰の杖をぽんと叩いて示せば、艦長さんがにやりと笑ってくれた。
「申し訳ありませんな。喜んで許可を出させていただきます。……おい、空いた樽を右の幕部屋にお持ちしろ!」
「了解!」
「私もお手伝いします」
海の上だと、水は当然、貴重品になる。
ついでに言えば、任務中の軍人さんは、お仕事に差し支えがないよう魔力の無駄遣いはしない。
万が一の場合、皆の命を繋ぐために水の魔法を使うことはあっても、便乗者のお風呂の為に使うことは、あり得なかった。
ただ、私にとって、フェリアリア様のお風呂の用意は、公務の一部と見なせなくもない。
フェリアリア様の体調を気遣ったと言い張ることは、十分に可能だ。
もちろん、その為にオーグ・ファルム号の水を使うのは、乗組員の安全を脅かす行為になってしまうから、やっちゃいけないけどね。
「こちらの樽をお使い下さい!」
「ご案内ありがとうございます」
許可を取って借りた空き樽は、三つ。
一つはフェリアリア様や私達女性用として、船内に置く。
「まあ、うれしいわ! ……でも、無理はなさらないでね」
「魔法には自信がありますので!」
「ふふ、そうでしたわね。ありがとう、レナーティア殿」
残りの二つは、お礼を兼ねて、甲板に設置した。
「艦長、どうぞ!」
「うむ」
「殿下もお先に入られて下さい」
「すまない、ありがとう」
普段は汗くさくなると、紐付きの桶で汲んだ海水をざばっと浴びて済ませるのが海の男の流儀……っていうか、帆船じゃ他には雨が降ってる時しか水の浴びようがないんだけど、航海中に真水のお湯に入るなど何処のお大尽の話だと、艦長さん以下乗組員の皆さんに大受けした。
ただ、リュードさんや騎士マッセン、それから一部同行中の外交団員に乗組員を加えた二百人少々となると、樽二つでは流石に足りない。
追加で樽五つをお湯で満たし、甲板に運んだ。
「伝令! 前方十一時、距離五リーグに帝国商船一! 所属、『ジルッカの誉れ』商会!」
「宜しい。航海長、信号旗用意!」
「……はっ」
フラート艦長はお風呂から命令を出していたと、後から聞いてちょっと笑った。
時々商船とすれ違う他は、海が荒れることすらなく。
もちろん、追っ手の船や竜も見かけず、平穏な航海が続く。
「……しまった」
「レナ?」
「いえ、なんでもないです、リュードさん」
行きもお風呂を我慢しなくて良かったのでは、と気が付いたのは、デルバ島が見え始めた航海三日目のことだった。




