第三十七話「『起きなかった』騒動」
第三十七話「『起きなかった』騒動」
王妃陛下とのお茶の時間は、少しだけサプライズがあったけれど、なんとか無事に終えられた。
「お帰りなさいませ、レナーティア様」
「お疲れさまです、皆さん」
リュードさんと控えの間に戻れば、騎士マッセンがやれやれ顔で迎えてくれた。
騎士シェイラは緊張気味で、キリーナ先輩は少々困った様子だけど、これは仕方がない。
「えっと……詳しいお話は、涼風宮に戻ってからにしましょうか」
この様子だと、騎士マッセンはリュードさんのことも、ご存じなのかな?
控えの間の微妙な空気が、私にもよく感じられた。
涼風宮の私の客間で少し遅めの夕食をいただきながら、全員集合してリュードさんの事情について話しておくことにした。
「ヴァリホーラ兄さんと鉢合わせする可能性は、低いと思ってたんだけどなあ……」
「運がいいとか悪いとか、ってことでもないと思いますけどね。幸い、お外にゃ漏れてないでしょう」
セレンは……知らずに慌てさせるより、知って緊張させた方がまだましだろうと結論づけ、この場にも呼んでいる。
「では改めて、僕はリュード・アウスタイラス・レム・ガリアス。正確には皇子ではなく皇弟になるけど、似たようなものだからね、公の場でなければ皇子でいいだろうと父上や兄上からも言われている」
リュードさんは全員の顔を見回してから、騎士マッセンに頷いた。
「リュード殿下付きの護衛、騎士マッセンだ。近衛騎士団第三中隊所属……と同時に、参謀部にも籍を置いている」
「参謀部!?」
「……ま、俺は参謀じゃなくて、参謀部の雑用係だけどな!」
騎士マッセンが戯けるようにして、私達の方を見る。
何の用意もなしに皇子殿下を隣国に行かせるなんてありえないし、納得の人選でもあった。
でもですね……。
近衛騎士団の参謀部って、当然ながらエリート中のエリートで、その雑用係――直属の実働部隊にご勤務ってことは、相当なもんだと思いますよ、っと。
「では、やはりレナ様も……はぁ」
「騎士シェイラ!?」
緊張が続いて疲れのとれない様子で、騎士シェイラはため息をついた。
キリーナ先輩とセレンも、似たような表情だけど……なんで私まで?
「竜を狩る実力も剣の腕も、ただの女官ではあり得ないと思います。でも、騎士ならば、どこかでお顔をお見かけしているはず。もしかして、帝室魔術師団の所属でいらっしゃいますか?」
「……へ!?」
近衛騎士団が武の誉れなら、帝室魔術師団は魔術のそれで対を為す集団だ。
同じく皇帝陛下の直属部隊だけど、あんまり表には出てこない。
どちらかと言えば、付属の魔法研究所の方が有名かな。
もちろん、私とは縁もゆかりもなかった。
「えーっと……残念ながら、私は正真正銘、ただの女官です。今年の夏に女学院を出て、偶然女官に推薦されただけですよ」
「私が卒業するまでは、寮で毎日顔を合わせていたものね」
「はい、先輩。夏休みはセレンのお父さんのベイルと、竜を狩りに行ってましたけど」
「えっと、レナーティア様の……『お嬢』の話はいつも聞かされてましたから、間違いないと思います!」
そうですかと胸をなで下ろした騎士シェイラだけど、しばらく考え込んでから、迷いのない表情で顔を上げた。
「どうかしたんですか?」
「いえ、考えてみれば、あんまり状況は変わらないなあと……」
「はい?」
「レナ様って、将来の皇弟妃殿下なんだなあってちょっと緊張してたんですが、護衛のお仕事は相手がどなたでも、その身をお守りすることに変わりはないなって」
……あ。
リュードさんと目が合ってしまい、頬が赤くなる。
こ、これも慣れていかなきゃね。
「でも、この顔ぶれで今の時期のフラゴガルダ訪問は、如何にも裏がありそうで……あ、もちろん、聞いたりしませんから! 守秘の義務は、とても大事です、はい!」
「すまん、勢い込んでるところ、申し訳ないんだがな」
「はい、騎士マッセン! レナ様の護衛に支障がない限り、私も最大限ご協力いたします!」
「裏の事情なんて、ねえよ」
「ええ、本当に」
「で、でも……」
リュードさんから、先ほど国王陛下ご夫妻に向けて行われたのと同じ様な説明が行われる。
私が名代に指名された経緯はともかく、その後のことは、知り合いなら丁度いいだろうというありがちな流れだし、皆さんもようやく納得してくれた。
「僕は今、『男は一度、外に放り出せ』という開祖の定めた家法に従って、帝室を出ているんだ。国外の賓客に対する場合や、帝室公務による召喚など、特別な事情がない限り『騎士リュード』として扱われる。勤務地が内宮だからね、知り合いにもよく会うけど、見て見ぬ振りで通して貰ってるかな」
開祖様の家法は、特に隠されているわけでもなく、知ってる人は知っている程度のことだそうで……。
騎士の他にも、軍人は比較的多いけれど、内務府の官吏や学院の講師、珍しいところでは商人になって本当に一旗揚げ、行商人から船持ち商人に成り上がってしまったお方もいらっしゃるという。
リュードさんは学院を卒業してすぐ、帝都第一騎士団の練成隊――うちのお父様が教官をしている教育部隊に入っていた。
知らないところで繋がってたんだなあと、今更ながら不思議な縁に思えてくる。
「そんなわけで、知らない振りをして貰えると助かる」
「ついでに俺の事もな。まあ、騎士シェイラが言ったように、何が変わるわけじゃねえ。俺達はレナーティア様を護衛して無事帰国する、それだけだ」
もちろんここは、異国の地。
お仕事優先だし、これまで通りの行動が求められている。
「じゃあ、このお話はここまで。今日はもう遅いし、ぐっすり寝て気分を切り替えましょう」
「レナの言うとおりだね。みんなもよろしく」
多少の緊張は残るかもしれないけれど、本当に今まで通りじゃないと、私も困る。
明日からは、率先して元の空気を作るようにしたい。
キリーナ先輩もセレンも、ある意味、私が引き込んでしまったんだし、そのぐらいのアフターフォローは、きちんとしておきたかった。
翌日、迎えの馬車へと乗り込む頃には緊張も解け、騎士シェイラも、普段通りの態度になっていた。
「行き先はまず軍港のオーグ・ファルム号、あちらで別の馬車列と合流の後、王城に向かうとお伺いしておりますが、ご変更はございませんか?」
「ええ、大丈夫です。本日はよろしくお願いいたします」
セレンは少し引き気味だけど、それぐらいで済ませてるんだから大したものだ。やっぱり、本番の度胸はベイル譲りなんだろうなあ……。
「では、出発いたします」
今日は献上品を王城に預けに行く、大事な日だった。
フラゴガルダ側の担当者ナイトーフェ政務官の馬車の他にもう一輌、クロンタイト代表の馬車が増えている。
なんでも、竜皮の納品について気になることがあり、急遽同行することに決めたらしい。
私は予定通りでいいそうだけど、皮の事だけに心配だ。
先日と逆のコースで市街を抜け軍港に入り、オーグ・ファルム号の停泊している桟橋で、フラート艦長のお迎えを受ける。
「艦も荷役準備を完了、フラゴガルダ側の馬車列も予定通り待機しております」
「ご協力感謝いたします、フラート艦長」
こちらがお願いした通り、二頭立ての荷馬車が四輌並んでいる。それから、護衛の兵隊さんが乗った馬車も二輌あった。
フラゴガルダ側の隊長さんとナイトーフェ政務官、帝国側のフラート艦長とクロンタイト代表、そして私で、四色の竜皮を順に検分、馬車へと移送していく。
「炎種大型、背皮、頭部、爪ひと揃い。品質、上の中。以上、間違いありません」
この時点では、現物をフラゴガルダの担当者へと預けていても、所有権はまだ『クレメリナ殿下』にある。
帝国はもちろん、『クレメリナ殿下から竜皮を預かった私』を便乗させてきただけで、元々持ち主じゃなかった。
私がクレメリナ様の名代として式典に臨み、ヴァリホーラ陛下に預かり証書と添え状を献上するその時に、ようやく権利が移るのだ。
「以上四点、確かにお預かりいたしました!」
「では、こちらの証書にご署名願います」
輜重隊――馬車列の隊長さんから差し出されたペンを握り、証書の空欄にサインを……。
「……え?」
「どうかなさいましたか、女官殿?」
「えっと……」
これ、前世のOL時代に鍛えられてなきゃ、気付かなかったかも。
……契約書類の最終確認は、上司からも先輩からも徹底させられていた。
後ろでナイトーフェ政務官と話し込んでいたクロンタイト代表を呼んで、証書を確認して貰う。
「……ふむ。隊長殿、書類はこの一枚だけですかな?」
「はっ、預かっておりますものはこちらだけですが……」
書類はもちろん、予め用意されていた。
これだけの大物だと、馬車の手配も必要だし、式典会場にも持ち込めない。
ナイトーフェ政務官を通してフラゴガルダ側にも献上品の内容を報せ、移送の日時だって先に取り決めている。
「女官殿、代表閣下、どうかなさいましたか?」
表情を緊張させたナイトーフェ政務官にも確認していただくと、大きなうめき声が漏れた。
先に内容を伝えていたにも関わらず、預かり証書の竜皮の数は一頭分になっていたのだから、そりゃあ政務官殿も驚くだろうと思う。
「こ、これは、書類が作り替えら――」
「政務官殿」
クロンタイト代表が落ち着き払った声を政務官に向け、肩をすくめた。
「……『間違い』は誰にでもあるもの、書類をお作りになったご担当の方も、滅多とない大物に緊張されていらしたのでしょう。至急、新たな書類をご用意いただけますかな?」
「それは……は、はい、直ちに!」
ナイトーフェ政務官が大声で部下を呼びつけ、馬車列の隊長さんも連れて軍港の事務所に走っていった。
しばらくして、伝令らしい早馬が駆け出していく。
「レナーティア殿、よく気付いてくれた。お手柄だ」
「いえ……」
代表閣下は『間違い』で済まされたけれど、本当は大問題だ。
その事を、外交畑のクロンタイト代表がご存じないはずがない。
「ヴァリホーラ陛下より、警告を頂戴していてね。王城への搬入後に『消える』かと、手を打っていたんだが……危うく先手を取られるところだったよ」
でも、騒動は起きなかった。
大事な書類の数字がほんの少し、間違っていただけだ。
国王陛下直々の注意喚起なら、騒ぎ立てるなと言われているのも同然で、それも仕方ないのかな。
やけに重いため息が、私と代表の口から同時にこぼれ出た。




