第三十六話「ヴァリホーラ王」
第三十六話「ヴァリホーラ王」
フェリアリア王妃陛下の指示で、ヴァリホーラ国王陛下とリュードさんの茶杯が追加された。
私は場違いかなと思ったけれど、そのまま居ていいと言われ、リュードさんと並んで座る。
「レナが退席すると、僕がここにいる口実がなくなってしまうからね」
「畏まりました、『殿下』」
流石にここで騎士リュードと呼ぶほど、私は間抜けじゃない。
この場にいらっしゃるのは隣国の国王陛下に王妃陛下、そして自国の皇子殿下だった。
「しかしリュード、お前が来るとは聞いていなかったが……何か訳ありなのか?」
「訳なんてないけど、強いて言えば、クレメリナ姫暗殺未遂の余波かな」
国王陛下夫妻とリュードさんはもちろん仲が良さそうで、特にヴァリホーラ国王陛下とは、兄弟みたいな距離感だった。
リュードさんはフラゴガルダ初訪問だけど、国王陛下夫妻は幾度も帝国を訪れていらっしゃる。
家族ぐるみのおつき合いなのかな、お茶を待つ間に、先帝陛下や皇女殿下のご様子も、話題に上っていた。
「娘がリュード君に、何か迷惑を掛けたのかしら?」
「いいえ、フェリアリア様、どう考えても姫は被害者です。毒入りの茶杯は、レナが直接確認したそうですよ」
私も小さく頷いて、リュードさんの言葉を肯定する。
もしも事件がなかったら私は今頃どうしていただろう、なんて考えてしまうけれど……。
クレメリナ様がこちらで無事に過ごせていたなら、遙か帝国までお越しになることもなかったわけで、少し複雑な気分だ。
「姫が滞在する柏葉宮の警備は、僕の所属する近衛第三中隊の担当なんです。レナは事件後、筆頭女官兼任でクレメリナ姫の担当女官に指名されましたが、姫の名代として、フラゴガルダを訪問することになりました。事件の直後だったこともあり、護衛を付けるように命じられたのですが、それなら彼女と旧知の仲の僕がいいだろうということになったんです」
「まあ、そうだったの」
「へえ、『旧知の仲』、ねえ……」
にやっと笑った国王陛下が、お前もそういう歳になったんだなとリュードさんをからかい、王妃陛下は私を見て楽しそうに微笑まれた。
……すごく、恥ずかしい。
リュードさんも、普段通りの表情を保とうとしつつ、少しだけ照れている。
そのうち、皇帝陛下や帝室の方々にも、同じように紹介されるのかと思うと、頬の照りが引いてくれない。
「リュークは知っているのか?」
「たぶんね。レナは兄上にからかわれたそうだから」
肩をすくめたリュードさんは、表情を引き締めた。
「ヴァリホーラ兄さん」
「うん?」
「話は変わるけどさ、もしも……僕が表に出た方がいいなら、使ってくれてもいいよ」
「ん? いや、大丈夫だ。……クレメリナを、そちらに預けられたからな」
一番の懸念は片づいていると、ヴァリホーラ陛下は小さなため息を天井に向けた。
ここからは、真面目なお話かな。
私も姿勢を正す。
「そちらのクロンタイト代表からも、リュークの言葉は伝えられたが……娘が我が身よりも国の未来を重んじてリュークの支援を断り、孤軍奮闘しているというのに、親が先に折れるわけにはいかない。……どの道、カレントとの戦も近いからな、しばらくは両派ともに大きな動きはするまいよ」
その結果次第では、方針を大きく変えなくてはならないがと、ヴァリホーラ陛下はリュードさんを真似るようにして、肩をすくめた。
戦争の結果なんて今から分かるわけがないし、クレメリナ様も色々と考えておられるはずだけど、もちろん、上手く行く保証なんて何処にもない。
「無論、まともな後ろ盾もないクレメリナに、この状況を覆せる力があるのか、それに賭けてよいものかと迷いはある。だが……」
「他の姫のことは?」
リュードさんは、真っ正面から難問を突きつけた。
……それが大国の皇子様故か、兄弟にも似た間柄故の遠慮のなさかは分からなかったけれど、強い意思をたたえた瞳に、男の子だなあと見とれてしまう。
「誰が次代を継いでも、その問題は起きるからな。最低限、国は割らないようにと、考えていた。……王としては間違っているのだろうが、どの娘も、可愛いのだ」
「……それで?」
「カレントとの戦が終わり次第、アジュメリナかソラメリナに天秤を傾けて勝者とし、残る娘は海と縁のない内陸国に嫁がせるつもりでいたのだが……その争いに、クレメリナが加わったことになるな」
その判断が正しいのか正しくないのかは、今この場にいてさえ、私には分からなかった。
父親として当たり前のことが出来なくても、王様として正しければそれでいいなんてはずがない。
でも、父親の当たり前を選ぶことは、国を放りだすのと同じ意味になる。
もちろん、数代に渡る『フラゴの光』商会と『海鷲の翼』商会の確執が、徐々に王家を蝕んできたわけだけど、この両者は、貿易で立国しているフラゴガルダ王国の二本柱でもある。
王家との力関係も、逆転しつつあるのかな……。
結果としての正解は、もしかすると存在するのかもしれないけれど、そんなのは未来の後付けで、今この時に導き出せる人間はいないだろう。
「陛下……」
「案ずるな、フェリアリア。クレメリナには、ゲラルムやヤニーアら、心強い味方もいる」
「ゲラルム? ……もしかして、ミクンシェット艦長?」
「ああ、リュードは面識があったか。あいつはクレメリナについた。『今の海軍はつまらん』などと抜かして国を出おったが、今頃は、ザルフェンか帝都か……」
侍女のヤニーアさんはもちろん知っているけれど、ゲラルムという人は、名前を聞いたことがなかった。
もしかしなくても、出発前に聞いたクレメリナ様のお味方だと思うけれど、『今の海軍はつまらん』って、王様に向かって言っちゃうような人である。
この旅行が終わって帝都に戻れば会うことになるはずで、どんな人なのか心配だ。
「ヴァリホーラ兄さん、帝国はクレメリナ姫に援助しない」
「ああ、それは聞いた」
「併呑の先鞭とも受け取られかねないし、カレントと戦端を開くつもりもないからね。……でも」
「うむ?」
「もう姫には、心強い味方がいるよ」
「ああ、誰かは知らないが……クレメリナは、予算内で四色の竜皮を揃えたと聞いた。両派への宣戦布告には十分過ぎる」
あ、もうそこまで伝えてあるんだ。
このあたりの、どの情報を誰に伝えてどう活かすのかは、全て、クロンタイト代表の領分だった。
表と裏がありすぎて、私には使い分けどころか、その効用さえよく分からなくなりつつある。
「しかし、これ以上ない歩み出しだが、心配でもあるな。その支援者がクレメリナを傀儡にして、未来のフラゴガルダを牛耳ろうとしている可能性も、未だ否定できん」
「それは……たぶん、ないかな」
リュードさんがちらっと私の方を見たので、小さく頷く。
流石にそんな大それたこと、考えたこともなかったよ。
ついでに言えば、今の宮付き筆頭女官でさえ手に余りそうでギリギリいっぱいなのに、面倒くささが数十倍になりそうなお仕事なんか、頼まれたってやりたくない。
「ん? 二人とも、クレメリナの支援者を知っているのか!?」
「うん、まあね」
手の甲をちょんとつつかれたので、もう一度、頷いて済ませる。
この場では、名前を出さない方がいいみたいだ。
「もちろん、フラゴガルダを我がものにしようなんて、兄上が絶対に許さないだろうし、本人にその気があるとは僕にも思えない。それだけは、僕の名に賭けて保証するよ」
「分かった。リュードがそう言うなら、俺はただただ、その巡り合わせに感謝するとしよう」
ヴァリホーラ王はリュードさんに頷いて、小さく聖印を切った。




