第三十話「船出」
第三十話「船出」
「初めまして、レナーティア殿。フラゴガルダ派遣外交団代表、ヘムード・エレ・クロンタイトです」
出航前日は半日ほど時間が出来たので、港町の観光……としゃれ込みたいところだったけど、何故か『海神の守護』亭の一室で、外交団と打ち合わせをする羽目になってしまった。
船の中で、幾らでも時間があるのに!
……と思っていても、口に出すわけにもいかない。
一応は公務だしおさぼりなんて以ての外、もちろん、この打ち合わせは本当に必要なことでもある。
代表のクロンタイト男爵は四十代ぐらいなのかな、細面の物腰柔らかな紳士だった。
「ご面倒だとはお思いだろうが……そうですな、四半刻もあれば済むことですから、しばしおつき合い願いたい」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
まずは両者の主なメンバーの紹介と、変更された予定の確認が行われる。
……観光に行こうなんて気分は、すぐに吹っ飛んだよ。
具体的には、私が帝都を出発した後に決まった予定とか、社交界で流行している話題とか、今日のうちに訪問着を調達しておいた方がいいとか、素人女官の私にも分かり易く、必要な知識や注意点をきちんと教えて下さった。
フラゴガルダ訪問の日程は公務として組まれてるし、全部女官服で済ませるつもりだったけど、そうもいかないらしい。
たとえば、ヴァリホーラ陛下から『私』的なお茶会の招待状が届いた場合には、女『官』服で訪ねるのは礼儀知らずに受け取られるとか、知らないと困りそうなことがいっぱいあった。
でも、どうしてそこまで……素人女官とばれてる上に、きちんと対応して下さるのか、疑問に思っていたところ。
「ああ、最後にお一つ」
「はい、閣下?」
「『現地では、大人しく慎ましやかに行動なさい』」
「……は!?」
私だけでなく、クロンタイト代表の後ろに控えた武官殿や書記官氏も、いきなり何言い出すんだこの人って顔している。
「……と、ハーネリ用度長殿より伝言を預かっておったのを、すっかり忘れていましたな。彼女の夫ヴォーネイは、学生の頃からの親友なのです」
「ヴォーネイおじさん!? は、はい! お伝え下さってありがとうございます!」
澄まし顔で書類をとんと整えておられるクロンタイト代表だけど、ヴォーネイおじさんの友達だったとか、そんなもん分かるわけがない。
……外交官は、丁々発止のやり取りで相手に要求を呑ませたり、意表を突いて情報を引き出したりするのもお仕事のうちである。
つまり、口が達者で不意打ちが上手くないと勤まらないお仕事なんだろうなと、納得させられたよ……。
結局、買い物『だけ』は出来たけど、観光は無理になってしまった。
「レナ、靴の方もなんとかなりそうよ! 一刻ぐらいで来てくれるんですって!」
「ありがとうございます、先輩!」
「キリーナ様、『グランテンの星』商会さんが到着されました! お呼びしても大丈夫ですか?」
「セレン、すぐに通して!」
「はいっ!」
キリーナ先輩は、状況を把握してすぐに、お父上の取引先だという織物商に連絡を取ってくれた。
最初に仕立屋を紹介して貰うと、事情をぶっちゃけて今度はその店と懇意の帽子屋、靴屋、宝飾品店などを、次々に巻き込んでいく。
当然、『万が一』に備えて、全員の私服――訪問着の用意をすることになった。
隣の部屋で、リュードさん達も体の寸法を計られてる。
……ここが大きな港町で、本当に助かったよ。
古着屋さんはともかく、出来合いの新品を山ほど並べて売るお店なんて、帝都でもそう多くはない。
工業化が進んだ大量生産大量消費の時代は、まだ来ていなかった。
それでも、大きな仕立屋さんの店先には見本になる服が飾られているし、宝飾品のお店だって、大儲けした船乗りの気が変わらないうちに売れるよう、指輪やネックレスの在庫は抱えている。
午後一杯を使ってそれらを買い集め、どうにかこうにか体裁を整えられたのは、夕食の直前だった。
訪問着の丈を詰めるお針子さんの隣で、サイズの合わない靴に詰める中敷きを靴職人さんが作ってる状況だったけど、特急料金を奮発したお陰か、『またのご依頼をお待ちしております!』と、皆さん笑顔でお帰りになったのは幸いだ。
結構な無茶を押しつけたし、紹介してくれたキリーナ先輩にも、そのお父上のハルベンさんにも、恥は掻かせられない。
「先輩、ほんとに助かりました……」
「間に合って良かったわ……」
急ぎ仕事を頼む貴族のお客なんて、あんまりいいものじゃなさそうなのは、自分でも分かる。
でも、『金払いのいい上客』と上書きしてしまえば、そんなお客を紹介できる商人さんは一目置かれ、お客共々評判が上を向くわけだ。
……って、これはお母様の受け売りだけどね。
とにかく、私も気を引き締めよう。
なんと言っても、ここから先はクレメリナ様の代理っていう大看板を背負うからね。
自分の事じゃないからこそ、疎かには出来なかった。
▽▽▽
オーグ・ファルム号で一夜過ごした翌日はもう、海の上だった。
甲板に上がれば、風は強いけれど、吹きさらしになってしまう竜便の鞍の上ほどじゃない。
「うわあ……」
「気持ちいいです!」
水兵さんの邪魔にならないよう、帆綱のない船縁で、朝日を浴びながら風に吹かれる。
多少、旅行気分を引き出されてしまい、これはいけないと表情を作り直した。
「でも、思った以上に扱いが良くて、びっくりしました」
「うん。私も少し、驚いたかな」
個室は無理だったけど、船内には私達のために布の仕切りがある小スペースが用意されている。
大型の軍艦なら士官用の部屋もあるけれど、中型より小さい船だと艦長室以外に個室はなく、クロンタイト代表も私と同じく布仕切りの部屋で過ごされていた。
「セレンも船は初めてだよね? 船酔い、してない?」
「はい、大丈夫です。……騎士シェイラ、心配ですねえ」
もちろん、ハンモックで寝るのは初めてだ。
でも、寝心地はそこそこよくて、思ったより快適に過ごすことが出来ていた。
さて、この旅行だけど、最初の寄港地はカレント王国の首都、カレンティアスになる。
風と目的地の都合……っていうか、私と竜の皮をザルフェンまで迎えにきて貰ったせいもあって、航路は南回りになった。
カレンティアスで補給を済ませると、今度は島伝いにフラゴガルダを目指す。
この船旅が約二週間で、国王陛下の聖誕祭がその一週間後、今のところは予定通りだ。
カレントへの寄港は大丈夫かなと少し心配になったけれど、フラゴガルダと揉めてはいても、帝国も含めたどこかの国と戦争が起きているわけじゃない。
というか、そうそうトラブルが起きても困るけどね。
「おはようございます、レナさん、セレン」
「あ! おはようございます、騎士リュード、騎士マッセン」
「おはようございます!」
リュードさんも、眠そうな騎士マッセンの背中を押しながら、甲板に上がってきた。
船の上ではお客さん扱いってことで、ほぼやることがない。
「騎士シェイラはお部屋ですか?」
「軽い船酔いのようで、侍女キリーナに任せています」
クロンタイト代表にもお伺いしてみたけれど、私の役回りはクレメリナ様の代理で国王陛下に竜の皮を献上することに集約されていて、他はフラゴガルダの対応次第らしい。
お陰で今日からは、セレンに行儀作法を教えるぐらいしかやることがなくなってしまった。
「でも、いいお天気でよかったです」
「ええ。嵐に行き会うと、港で待つしか出来ることがありませんからね。ああ、先ほど掌帆長に聞いたところ、航路も平穏で、海賊の噂もないそうです」
「まあ、理由なく軍艦を襲う馬鹿はおらんでしょうがね」
「理由?」
「交易都市からのアガリを動かすとか、身代金の取れそうな要人が乗ってるとか……危険と利益の天秤次第ですな」
「あー……」
海軍の方でも、普段は海賊も避けて通る軍艦が、わざわざ狙われる理由は把握してる。
大きな任務の場合には、情報を秘匿したり、護衛艦艇を大幅に増員したり、時には洋上で他の船に荷を移し替えたりと、対策はしっかりと行っていた。
街道の護衛とは規模が違いすぎるけど、理由は似てるのかな?
「まあ、この航海は大丈夫でしょうがね。竜の皮は確かに高価ですが、帝国海軍の全部を敵に回すには、少し足りんでしょう」
海賊にとって、海軍はとても面倒な存在だった。
でも、一番の手強さの源は、軍艦の強さじゃない。
同じ軍艦が襲われた時、その『威信』に賭けて行われる採算度外視の海賊狩りこそ、海賊が海軍を忌避する本当の理由だ。
だけどフラゴガルダのように、間に権力争いが挟まって、海賊と海軍が歪んだ関係になることもあった。




