第二十八話「海の鍋」
第二十八話「海の鍋」
流石は高級宿、色々と行き届いている。
頼むまでもなく、キリーナ先輩のお茶もすぐに運ばれてきた。
「私? 皇宮を下がって実家に泊まった時、お父様にフラゴガルダ行きのお話をしたら、いい機会だからついでに仕入れの馬車便をザルフェンに出すと仰ったので、便乗してきたのよ」
数日前にザルフェンへと到着していた先輩は、そろそろ私が来てるかなと警備本部を訪ねたところ、この宿に案内されたそうだ。
「先輩のご実家、雑貨屋さんですもんね」
「ええ。北の織物も南の香辛料も、本当になんでも扱ってるわよ」
「ふふ、いつもお世話になってます!」
「いえいえ、こちらこそ!」
女学院の寮暮らしだった頃、先輩を通してお菓子の材料や小物を頼んでいたから、その事は知っている。
小さなお店だと伺った覚えがあるけれど、卸売りもされていて、聞いた限りだと羽振りは良さそうだった。
「それで、レナの方はどうだったのかしら? 無事に会えたから、心配は吹き飛んじゃったけれど……」
「もちろん、かん! ぺき! です!」
クレメリナ様への援護射撃も兼ねて、贈る竜皮を四枚に増やしたことを話せば、大いに呆れられた。
今日はお父様の泊まっている宿に戻り、明日の朝合流するというキリーナ先輩を見送って、リュードさん達を部屋に呼ぶ。
さあ、お楽しみの夕食だ。
食事の作法――正餐には幾種類かあって、一般的だとされる帝国中央風だと、まずお酒と肴が出てくる。
地域によっても違いがあり、それを風情として楽しむようなこともあった。……女学院の授業では嫌ってほど苦労したけれど、それはともかく。
「無事のザルフェン到着を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
私と騎士シェイラは宿のお勧めだという氷の浮かんだ果実酒の果汁割り、リュードさんは銘ありの白ワイン、騎士マッセンは南方産のきつい蒸留酒にレモンを浮かべていた。
「失礼いたします、酒肴をお持ちいたしました」
「え、生!?」
「おいおい……」
配膳されたお皿に騎士シェイラと騎士マッセンが大仰に驚いてるけど、私は料理の正体が大体わかって、小さく笑みを浮かべた。
ふふ、流石は海の商都、あるところにはあるもんだ。
如何にも心得ましたという風な執事風紳士の給仕さんが、にこやかに微笑む。
「こちらは帝国より遙か南、リ・アーケの諸国で食べられております魚介料理ターキを、帝国風に味付けしたものにございます。当店自慢の逸品にして人気の一皿、どうぞお楽しみ下さいませ」
生のお魚って、帝国じゃ食べないからね。
驚くのが普通だと思う。
「さあ、いただきましょう」
「え、ええ……」
その料理を見て、私が最初に思い浮かべたのは、カルパッチョ、あるいはヅケをアレンジした和え物だ。
ソースと和えた鯛っぽい切り身と貝柱に、旬の野菜が添えてあり、見た目も美しい。
もう一つの小皿には、蒸したムールリア貝もちょこんと乗っている。
「……ん!」
味の方も、素敵だった。
ナンプラーっぽいようなちょっと違うような、魚醤ベースの味付けに、ぴりっと香辛料をきかせたオイルがとてもいい仕事をしている。かすかに他の下味もついてるようだけど、塩と胡椒以外はわからなかった。
「これ、美味しいです!」
「見た目はアレだが、イケるな!」
「どうですか、リュードさんは?」
「同じ魚でもこれほど味が変わるんだなって、驚いたよ。もう一皿欲しくなるね!」
リュードさん達も最初はおっかなびっくりだったけど、一口食べて、すぐ笑顔になっている。
この後の主菜も期待できそうだ。……と思っていたら、期待以上だった。
「こちらは帝国沿海州の名物、その名も『海の鍋』と申します。元は漁師の家庭料理でございましたが、その昔、第十一代皇帝リュナイン陛下がザルフェンを行幸された折、お忍びにてたまたま食されましたところ大変絶賛され、以後、大きく広まり洗練されていったと伝わっております」
出てきた深皿には、トマト抜きのブイヤベースかアクアパッツアという体の、魚介の煮込み料理が盛られていた。
どれどれと、まずは半透明のスープを一口。
……驚いた。
基本は塩味だけど、見た目よりもしっかりとした味だった。
ラーメンのスープに近いぐらいだ。
ものすごく、懐かしい気分を引き出される。
……ラーメン、食べたいなあ。
生パスタに近い麺は幾度か食べたことがあるけれど、帝国じゃソースに絡めるショートパスタの親戚か、スープに入れるすいとんのようなものが好まれた。
乾麺ではないけれど、ラザニアシートのような板状の乾燥保存食も、なくはない。但し、堅焼きパンと同じく軍用食扱いなので、味は二の次、食感も酷いと評判だった。
でも、組み合わせて工夫すれば……ラーメンの親戚ぐらいにはたどり着けそうだ。
そんな暇、当分はどこにもないけどね!
「さあて……」
ともかく今は、この目の前の海の鍋を楽しもうと思う。
▽▽▽
ザルフェン到着の翌日、予定通りにキリーナ先輩が合流してくれたけど、お父様のハルベンさんまでご挨拶に来て下さって恐縮しきりだ。
「娘のみならず、店までご贔屓にしていただきまして、いつもいつもありがとうございます、レナーティア様」
「いえ、こちらこそ! いつも無理言ってすみません、ハルベンさん!」
女学院時代、お菓子の材料の調達では本気でお世話になっていた。
慈善奉仕の一環で材料を頼んだ時なんて、月の売り上げの五割がレナの注文だったわと、未だに笑い話にされたりする。
私が取りまとめて注文を出したけれど、クラスメート達と組を作ってお菓子屋さんを頑張っただけなので、驚くことでもないんだけどね。
「そうだ、ハルベンさん、お仕事をお願いしても大丈夫ですか?」
「ええ、それはもう!」
海の近くの商業都市で、親しい商人さんまでその場にいるのに、見逃す手はない。
「干したオウギュ貝かムールリア貝、手に入りませんか?」
「オウギュ貝なら一昨日、フラゴガルダ産の上物を仕入れましたぞ。如何ほどご入り用で?」
「あ! フラゴガルダ産なら、なおのこと嬉しいです! じゃあ一樽、帝都で買うお値段で構いません、譲っていただけませんか?」
「は!? いやいやいや、この場の取引でそれは、幾らなんでも高すぎますぞ!」
「でも、急な無理を申し上げているのはこちらですし……」
しばらくの押し問答の末、ここで買う金額と帝都で売る金額の中間に、運賃と手間賃を別途加算した十一アルムと二十四アルゲンで、配達まで請け負って貰うことが出来た。
私はキリーナ先輩には大変お世話になってる上、いつも無理をお願いしているのでハルベンさんに損はさせられない。
ハルベンさんも利益は大事だけれど、娘の後輩にして上司となってしまった相手から不必要に大きな利益は取れなかった。
つまりはお互いがお世話になってる気分なので譲ってしまい、不思議と中間での取引が成り立つのだ。
よろしくお願いしますと、ほくほく顔でハルベンさんを送り出してキリーナ先輩を振り返ると、微苦笑されてしまった。
「お父様と話してる時のレナは、一端の商人に見えるわね」
「あっはっは……」
「それにしてもオウギュ貝の樽一つ、即金払いなんて、王都の高級店でもそうはないわよ」
商取引なら注釈なしの場合、樽はワイン樽サイズの大樽を指す。
……我が家だけで食べるにはちょっと多すぎるかもしれないけど、元から数年は保存が利くものだし、余ってもお母様が適当に差配して下さるだろう。
そういうことに、しておいた。




