第二十六話「樽のお風呂とベリーミルク」
第二十六話「樽のお風呂とベリーミルク」
狩りの獲物を持ち帰る便と一緒に四日掛けて領地に戻り、お爺様お婆様にご挨拶して、私は速攻で……お風呂を沸かした。
「【水球】【倍力】、【水球】【倍力】! 【熱源】【誘導】【持続】……【解放】。はい、いいですよ」
「ああ、えっと、ありがとう……」
「ありがたく頂戴しますぜ!」
申し訳ないけれど、皆さんには庭の隅でワイン樽のお風呂に入って貰う。
一人にそれぞれ樽一つ、これは譲れない。
膏薬を塗り替えるタイミングで辛うじて水浴びはしていたけれど、確実にお湯が濁るぐらいには汚れてる自覚があった。
「騎士シェイラとセレンはこっちですよ」
「はい、レナ様」
もちろん、私と騎士シェイラとセレンも、同じく庭でのお風呂である。
三週間も野営地で過ごすと鼻がひん曲がりきってしまうようで、魔物避けの膏薬の臭いを感じなくなってくるけれど、流石にそのまま屋敷の中に入るのは躊躇われた。
「あー、生き返る……」
「はあ、やっとあの膏薬の臭いが消えますね!」
「お外でお風呂って、なんか不思議です。水浴びは気にならないのに」
衝立代わりの幕は用意して貰ったけれど、上を見れば青空が広がっている。私だけかもしれないけれど、露天風呂みたいでなかなかいい気分だ。
ちなみに男性側にはジヌイカーラが控え、こちらにもメイド頭のメルレアがいて入浴を手伝ってくれているので、間違いは起きないシステムになっていた。
「ほら、セレン。髪洗ってあげるから、こっちおいで」
「はい、お嬢。……うきゃっ!?」
「ごめん。こそばかった?」
「だ、大丈夫ですっ!」
王都で買った香草入りの石鹸でしっかりと汚れを落とすと、タオルを巻いただけでひっくり返した手桶に座り、しばらく涼む。
「お待たせいたしました」
「お嬢様、いつもの『アレ』が届きましたよ」
うちのメイドというか、エルフの里から頼まれて預かっている一人、ジヌイヘルレムが飲み物を運んできてくれた。
彼女はジヌイカーラの姪で、屋敷に来て十年ほどになる。見た目は十五、六歳だけど、彼女ももちろん純血種のエルフ族で、お爺様より年上なのは間違いない。
里を出てすぐ、他種族や帝国社会のことをよく知らなかった頃は、苦労も多かったと聞いていた。
無口だけど何かと面倒見のいい美人のお姉さんって感じで、子供の頃はよくまとわりついていた覚えがある。
「ありがと、メルレア、ジヌイヘルレム」
お風呂上がりと言えば、これしかない。
今の時期に実る夏の果物、アベレルというベリーの一種を、冬に仕込んだオレンジの乾果と一緒にすりつぶし、牛乳にとかした『アレ』だ。
ジヌイヘルレムが魔法を効かせてくれたようで、キンキンに冷えている。
「いただきまーす!」
最初の一口は口と喉をしめらせ、さわやかな酸味とほどよい甘味を楽しむ。
「ふう、つめたっ」
「んんーっ! 味付きのミルクって大好きなんですけど、これ、すごく美味しいです!」
「騎士シェイラ、気に入りました?」
「ええ、とっても!」
子供の頃は例のごとく、腰に手を当てて一気に飲んでいたけれど、お婆ちゃんに『はしたないからおやめなさい』と諭されて以来、禁止になってしまった。
「このご近所じゃ有名なんですよ、ファルトートのベリーミルクって」
「レシピはお嬢様のお手によるもの、材料の比率が大切なのです」
「ふふ、温めて飲む果実乳は冬に良く用意して貰ってたし、ちょっと手を加えて冷たくしただけよ」
男湯の会話が、風に乗ってちらりと聞こえる。
『お二方、ベリーミルクは腰に手を当てて一気に呷って下さいませ』
『お、おう……?』
『へえ、飲み方があるのですね』
『さあ、勢いよくどうぞ』
残念なことに、お婆様のお説教はほんの一歩遅かった。
私から『黒の槍』、『黒の槍』を通して領内の男衆へと広まってしまい、今ではベリーミルクを飲む時のお約束で通ってる。
『……ぷはあ。ここはエールだろって思ったが、こいつはいいなあ!』
『……ふう、これは美味しい! 温まった体に喉を通る冷たさが、とても気持ちいいですね!』
但し、このベリーミルク、惜しいところが一つある。
熟したアベレルの色が茶色いせいで、見かけはコーヒー牛乳、味はフルーツ牛乳というちぐはぐなものになっていた。
もちろん、私以外は誰一人気にもしていない。
「騎士シェイラ、竜狩りはどうでした?」
「『狩り』ならまた、レナ様とご一緒したいと思います。『戦う』のはいやですけどね」
「セレンは?」
「また、行きたいです! 聖印石もたくさん拾えましたし!」
「楽しかったよね、セレン!」
「はい、騎士シェイラ!」
休憩の合間には、二人とも膝まで水に濡らして頑張ってたからね。私もクレメリナ様へのお土産になるかなって、魔法まで駆使したけどさ。
次はいつ、戻って来られるかなあ……。
ふふ、暮らし慣れた帝都もいいけれど、ファルトート領も居心地が良すぎて困るんだよね。
「……お嬢?」
「そうね。お仕事は投げ出せないけれど、また、来られるといいなあ」
今後の説明もしたかったし、セレンもこちらで泊めようか迷ったけれど、旅の用意もある。お風呂上がりに予定の確認をした後は、早めに返した。
……何せ、彼女のフラゴガルダ行きは、ベイルのその場の思いつきだったからね。
翌日、お爺様お婆様にご挨拶をして、ジヌイカーラに『黒の槍』の砦まで送って貰うと、もう荷造りの終わった馬車が待ち構えていた。
注文通りに全部で六輌、二頭立てになっている四輌には雨よけの覆いが掛けられているけれど竜の皮と爪、それから頭部が積まれ、残りの二輌には私達と護衛の傭兵が分乗する。
最初は一頭分のつもりだったけど、せっかく四色の竜――炎、水、地、風――が狩れたので、ひと揃い持っていくことにした。
これがベイルに頼んだ私の『わがまま』の正体だけど、ささやかな援護射撃だ。
王位を狙うというクレメリナ様の株は、可能な限り上げておきたい。
費用についてはもう、損得は考えていなかった。
『レナーティアの得意な魔法を見せて!』
『御意!』
私はあの時のわくわくした気持ちを信じて、彼女の素敵な笑顔を守りたい。
そう思ってしまった。
「セレン、おはよう!」
「おはようございます!」
「初めまして、レナーティア様。ベイルの妻、ラナンと申します。いつも夫がお世話になっております」
「へ!? こ、こちらこそお世話になってます! レナーティア・エレ・ファルトートです!」
セレンの横にはベイルの奥さんがいた。はじめて見たけどすっごい美人、ついでにスタイルも抜群だ。
アルゼンチンタンゴとか似合いそうな色っぽい雰囲気で、ちょっと気後れしてしまったよ。
あ、目元はセレンに似てるかな。
「よろしくおねがいします、『レナーティア様』!」
「はい、よろしくね!」
セレンも昨日貸したメイド服がよく似合ってる。
言葉遣いは誰かに聞いたのかな、公務中に『お嬢』じゃ流石にまずいもんね。
「こちらの用意は出来てます!」
「ご苦労様。じゃあ、私達と荷物を積んだら、出発ね!」
「了解です! ……全隊、出発用意! 配置は一、四、一の定型! 先頭はジェルンに任せるわ」
「はいよ、よしきた!」
あらあら、まあまあ。
野営地出発前にベイルは色々指示を出してたけど、本気でセレンを後継者に考えてるんだな……。
中堅どころの面子も混じってるけど、この護衛仕事を仕切るリーダーは、セレンだった。手練れのガバンが副官についてるから、教育中って感じかな。
露払いの騎乗傭兵は頼んでないけれど、これもセレン絡みだろう。
「出発!」
「お嬢、行ってらっしゃい!」
「またのお戻りを!」
「セレン、頑張れよ!」
ただ、今はセレンも、メイド服じゃなくていいような気がする。
でもしばらく見てるうちに、気が付いた。
フラゴガルダ到着前に彼女がメイド服を着慣れてくれると、それはそれで私も助かるのだ。




