第二十三話「ライツィエンの杖」
第二十三話「ライツィエンの杖」
この小旅行、初日はぎりぎり領内の村落での宿泊、二日目も荷馬車の旅で、野宿になるけど小さな広場と川がある。
でも三日目からは、ちょっと大変だ。
野営地となる小川までの獣道に、水場は一カ所しかない。
でもそこは、泊りに使えば余計に一泊しなくちゃいけない中途半端な場所だった。お陰で水の補給だけして、先へと進まないと駄目なのだ。
そして四日目、寄り道しそうになる豚を追いつつ、深い森の獣道を抜けてたどり着いた野営地は、去年と変わらずそこにあった。
「よし、ハイネン達は周囲の警戒、ダフォースとベッチは東西の斥候だ!」
「うっす」
「ハイネン、行こうぜ!」
「他の者は野営の準備にかかれ」
「おう!」
幸い、人が手で引っ張る小さな荷車なら使えなくもないから、大荷物はそちらに乗せ、交替で『馬役』をすることになっていた。難所は魔法を掛ければ何とでもなる。
でも、道中じゃ熊や魔獣にも結構な確率で出くわすから、気を抜けない。
夕食が豪華になるから、鹿や猪はみんな待ち構えてるけどね。
熊も嬉しいけど、肉はこちらで食べず、解体と下処理だけして町に送っていた。熟成させてからの方が美味しかったし、何より毛皮と肝は儲かる。
「セレン、お前は火の番だ。ターダル爺を手伝え」
「はい!」
わたし達も荷降ろしを手伝い、自分の天幕を張った。
女性はわたし、騎士シェイラ、セレンの三人だけなので、一カ所にまとまった方が皆も助かる。
屋根になる幕と敷布は持ち込んでいるけれど、柱になる木はその辺の灌木で、ガバンが鉈でさっさと作ってくれた。
リュードさん達だって軍人さんだし、セレンも困っている様子はない。
今日はそれなりの強行軍で、多少は疲れもあったけれど、天候もいいし森の中にある野営地は涼しく快適だ。
「流石、騎士の皆さんは野営も慣れてらっしゃいますね」
「レナーティア様こそ、なかなかのものですよ」
「でも行軍は、結構きつかったです。……練成隊で訓練に出された時のことを、思い出してました」
「僕は初陣の時を思い出しましたよ」
野営地での見張りや夜番は、私達も交替を申し出たけれど、断られていた。
人数にも余裕を持たせてあるし、雑務も契約に入ってると言われてしまえば、そんなものかなと思ってしまう。
去年までは、私も人数に数えられていたような気もするけれど、『近衛騎士や皇宮女官に夜番なんて頼んだら、緊張して寝られねえよ』だそうで……まあ、しょうがないよね。
「さて、しっかり稼がせて貰ってくるぜ!」
「おう、行って来い! 明日は俺がお前の倍稼いでやるけどな!」
手早く仕事を終えた数人は、早速聖印石や竜鱗石を拾いに小川へと走っていった。
今日のところは、野営地の整備と体調を整えることだけが必要なお仕事だ。当番以外の傭兵達も気を抜いているし、ベイルもそれを許している。
「お嬢、いいか?」
「どうぞ、ベイル」
今後の予定……特に、明日行う魔法杖の試射の手順は念入りに確認して、ターダルお爺ちゃん謹製の干し肉と根菜の特製スープ、そしていつもの堅焼きパンでお腹が膨れたところで、後はベイルにお任せして寝た。
▽▽▽
翌日は三組に分かれて、念入りに狩りの準備をした。
追い込む場所の下見組、留守番を兼ねて野営地の整備を行いつつ獣避けの膏薬を仕上げる組、そして、私率いる試射組だ。
私は騎士達とベイルやセレン他、数人だけを伴って獣道を少し戻り、西の小さな稜線を超えて谷間に降りた。
ここなら少々騒ぎを起こしても、野営地にさえ音が届かない。
「さあ、久しぶりのご活躍、っと!」
えっちらおっちら、所々魔法で浮かせつつ引っ張ってきた小さな荷車は二輌、一つは大型魔法杖の本体で、もう一つには三脚を載せてきた。
組み立てる前に、術式の刻まれた動作部や変換部に傷がないか、軽く確かめる。
「レナーティア様、そいつについてる紋章はまさか、ライツィエンの!」
「騎士マッセン、よくご存じですね」
「そりゃまあ、仕事柄……って、超高級品じゃあないですかい!」
「この杖は中古の売れ残りでしたから、かなり安かったんですよ」
ライツィエン魔導工房は、帝国でも最高峰に位置する魔法杖製作工房だ。
魔法の家庭教師をしているお母様によれば、ライツィエンの長杖や剣杖は手練れの魔導師や魔法騎士には垂涎の逸品で、最低でも私の買った大型杖の五倍が相場だという。
この杖は、脱税だか横領だかでお取り潰しになった侯爵家からの没収品で、元は私有する軍船に備え付けられていたそうだ。
でも、帝国財務府主催のオークション――公開入札による競売にて他のお品が高値で売れていく中、予備のパーツまでおまけについていたのに幾度も売れ残った曰く付きの品……っていうような話を、お母様の知り合いで仲介を頼んだ魔導具商のおじさんが話していたっけ。
その理由は、私にも納得できるものだった。
いくら有名工房の一級品だったとしても、設置型の大型杖は、持ち歩いて人に見せびらかすようなことが出来ないから、不人気なのだ。
船や砦の備品として大型杖の需要があるはずの帝国軍も、芸術品一歩手前の高性能品は持て余す。同じ金額でそこそこの性能を持つ大型杖が数本手に入るなら、そっちの方が運用面で幅が出せた。
ついでに、術式補助と威力は世界最高クラスでも、一発撃つごとに高価な特大の魔結晶が使い捨てになり、使用者自身にもかなりの魔力と技量を要求される。また、個人で使うには高すぎて……私にも、未だに躊躇いがあった。
これじゃあ、売れ残ってもしょうがない。
けれど……とにかく私は、接近戦でドラゴンとガチンコ勝負なんて、あんまりしたくなかった。
勝てるには勝てるけど、身の危険を感じたと同時に面倒くさいとも思っていたし、懐が暖まった時の二百アルムなら、よし買おうっていう気分になる。……なった。
「お嬢、目標は?」
「そうね。……あの大岩でいいかな」
「おう、頼んだぜ」
魔法で本体を浮かせて組立てつつ、ベイルの問いに谷筋の下流、その少し外れた場所の適当な岩を指さす。
こっちの誰かが巻き込まれたりしなければ、目標は本当になんでもいい。
「少し離れててくださいね。ベイル、お願い」
「あいよ。騎士様方、こっちに集まって下せえ」
ベイルから受け取った風の魔結晶を腰袋にしまい込み、深呼吸する。
さて、まずは魔結晶を使わない空撃ちだ。
三脚に取り付けて上下左右の動作に問題が無いか確かめてから、魔結晶はセットせずに魔力を流して各部の動作が正常か、いつも通りの感触か、そして……私自身が違和感を覚えないか、チェックしていく。
以前、荷車で運ぶときの振動が良くなかったのか、術式動作部の部品が欠けてしまっているのに気付かず発射して、暴発させそうになったことがあった。
あれ以来、点検は面倒がらずにしっかりと行っている。
「退避よし!」
「魔結晶なしの空撃ち行きます! 四種連続!」
「四種連続、了解!」
全員が安全圏まで下がり、ベイルの防御魔法が発動しているのをちらりと見て魔導杖に取りつき、杖把――グリップを握りしめる。
深呼吸を一つ。
目を閉じて、術式構築手順を確認。
そして、詠唱。
「【待機】、【起動】、【炎球】、【誘導】【追従】……【解放】!」
一発目は動作テストがメインなので威力は普通、魔結晶に関連する以外の術式も削ってある。
杖先に生まれた炎の球をわざと曲げ、木々の隙間をかすめて目標の岩に軽くぶつければ、ぱっと一瞬、大輪の炎の花が咲いた。
「次、行きます! ……【待機】、【起動】、【水塊】、【誘導】【追従】……【解放】!」
炎が燃え広がらないよう、続いて水魔法を撃つ。
普段使っている短い杖じゃ、同じ呪文構成で同じだけ魔力を使っても、ここまで威力は上がらない。
流石は名工房のお品、ってところかな。
火、水、地、風と四種の属性を試してから、一呼吸置く。
「どうでしたか?」
「魔結晶なしでも大した威力じゃないですか!」
「ほ、ほんとに、すごかったです!」
「この程度じゃ、竜が相手だと牽制がせいぜいですよ」
騎士マッセンやセレンは、手放しに驚いてる。
竜より格下のワイバーンが相手ならなんとか……うーん、無理かな。もうちょい威力を込めないと、貫くのは難しいと思う。
「十分ですよ、レナ様! ……やっぱり今からでも、女子隊に来ませんか?」
「あはは、それはちょっと……」
騎士シェイラも笑顔で手招きしてるけれど、リュードさんは複雑そうな顔だった。
「騎士リュード、どうかしました?」
「レナさん、あの威力では、身体に負担が掛かりすぎるんじゃ……」
「え!? 全然平気ですよ。休憩なしの連続詠唱でも、四十や五十は余裕です」
「そんなに!?」
私の魔力量は……多いには多いけれど、実は自分でもよく把握していない。
魔法学の家庭教師をしているお母様が呆れて匙を投げたぐらいなので、まあ、そのあたりなんだろうなと思うしかなかった。
初の狩りの時は流石に魔力切れも経験したけれど、あれから更に鍛えたし。
でも、今メインで使っているオーケストラ指揮者が持つタクトに似た短杖じゃ、さっきと同じ威力を出すならその半分以下ぐらいが限界かな。
たまに、もうワンランク上の杖に買い換えようかとも思うけれど、この短杖は、適度な軽さ――杖の重さだけでなく、魔力を注いだときの反応の良さと取り回しが、抜群だった。
うちのお母様が、王都の大店で幾本も試した上で選んで下さった杖なので、それ以上となるとなかなか見つからない。流石は魔法学のエキスパート、侮りがたしである。
……そりゃ、いい杖の方が威力も効率もコントロールも段違いだけど、威力や術式補助を重視すると、どうしても長くて大きな、いわゆる『魔法使いの杖』になってしまうし、腰にぶら下げることも出来ない。
もう一つおまけに、私は魔法仕事が本業じゃないし、今も特別困ってるわけじゃなかった。
気が向いたら一本新しく買い足して、お仕事で使い分けてもいいかもね。
「じゃあ、そろそろ本番行きますね。……魔法弾直射、弾種、風!」
「了解、弾種、風! 退避良し!」
さあ、ちょっとばかり気合いを入れよう。
一年振りだから感覚も取り戻しておきたいし、流石に一発二十アルムの魔法は、冗談半分に茶化せるものじゃなかった。
時々忘れそうになるけれど、竜さえ貫く威力って、人間相手ならスプラッタ確定だからね。
ベイル曰く、『直撃を受けて腕の一本でも残っていれば、そいつは幸運の持ち主って事になる』そうだ。
先ほど預かった風の魔結晶を、術式変換部にはめ込む。
「【待機】……【起動】【魔晶石】、【風刃】【倍力】【倍力】、【鋭化】【圧縮】【圧縮】、【加速】【誘導】【追従】……」
発射のタイミングは任意だけど、試射の時は目標をじっと見つめ、こちらに向かってくる竜を思い浮かべるようにしていた。
「……【解放】」
魔結晶が霧散して私の周囲を満たし、風の刃が放たれる。
今度は曲げたりせずに、そのまま岩へ。
キンと高い音がして、目標の岩は縦真っ二つになった。
うん、いい感じ。
「ベイルいいわ、問題なし。点検だけしてしまうから、そっちはお願いね」
「おう! ようし、撤収準備!」
「お、お疲れさま、でした?」
再び驚愕の表情で固まってしまったリュードさん達に小さく手を振り、極小の魔力を杖に流していく。
身体に違和感はないし、大型杖もきっちりと仕事してくれた。
これなら明日からの狩りも、いつも通りってところかな。
ただ……今この瞬間に限っては、野営地に帰りたい気分じゃない。
「どうかしたんですか、お嬢?」
「……大丈夫。なんでもないわ、セレン」
丁度作られているだろう獣避けの膏薬の臭いを思い出すだけで、反対方向へ全力で走り出したくなる。
膏薬が、どれほど高価で、どれほど重要な役目を担っているかは、とても良く知っていた。
でも……数日もすれば慣れてくるけど、初日だけはどうしても、我慢ならないのだ。




