第二十二話「竜とは、戦わない」
第二十二話「竜とは、戦わない」
「お帰り、レナ」
「お爺様、お婆様、ただいま!」
「待ってたのよ」
ベイルに馬車を出して貰い、四半刻――三十分少々。
街から少し離れた場所、小さな森を背にした築三百年以上という古い古い領主屋敷に向かえば、誰かが先に報せてくれたようで、お爺様達が玄関口に待ってくれていた。
「ほう、皇宮にねえ」
「あの小さかった子が、立派になって……」
うちのお爺様夫婦は、まだまだ現役だ。
私はハーネリ様に呼ばれて皇宮女官にならなければ、こっちで領地仕事のお手伝いをしようかと思っていた。
けれど二人の元気そうな様子を見てしまうと、お手伝いなのか子守りなのか、微妙な扱いをされても不思議じゃないぐらいだなあ……。
「おお、その鎧に青服、近衛騎士であられるな!」
「懐かしいわねえ、帝都も」
アガトお爺様も若い頃、帝都暮らしだった。貴族院で書記官をされていて、父親の代理で領地仕事の諸手続に訪れたユーティお婆様と出会ったそうだ。
そのあたりは長くなるのでともかく……うちの家は地方領主の典型で、代々の継嗣は若くして爵位を継ぎ王都でお仕事に就く。子供が一人立ちしてからは家長兼実質的な領主として引退、領地の管理をした。
お爺様は前ファルトート男爵ではあるけれど、公的には男爵家係累という立場であり、正式な領主は現男爵のお父様だ。
帝都暮らしの長男に若いうちから爵位を持たせる意味は、継嗣と認められた餞であり、責任を自覚させる為だった。同時に……世知辛いお話ながら、周囲から多少なりとも舐められないように箔付けする理由もあるそうで、面倒だけど、理に適ってると言えなくもない。
それでもなお哀しいことに、田舎に小さな領地を持つ男爵家なんて、帝都では裕福な平民とどちらがましかなあって程度なのである。
実家の爵位を鼻に掛けて振る舞おうものなら、たちまちの内に潰されると、大事な家訓のように言われたことさえあった。
『え、男爵家だったの!?』
……と驚かれるぐらいで、丁度いいらしい。
そんな感じの我が家なので、仕事と家族と屋敷の使用人にだけ責任を持てばいい帝都暮らしより、引退してからの方が大変だと、お爺様は笑っていた。
屋敷一つと領地丸ごとじゃ、人数が違いすぎるもんね。
偉そうにする気はまったくないけれど、私はまだ、身分や家柄に起因する悪意に晒されたことがなかった。
女学院ではみんなから守って貰っていたというか、最年少のマスコットポジションで後輩を可愛がろうとして逆に可愛がられる始末、女官になってからは……うん、田舎娘と蔑まれるような暇は、本当になかったよ。
「孫が世話を掛けますな、皆様方」
「さあさ、たんと召し上がって下さいな」
「はっ、ご馳走になります!」
領地に着いたその日は近衛騎士の来訪を歓迎する意味もあって、お爺様達は小さいながらも宴の席を用意して下さった。
もちろん、私の仕官も祝われた。
▽▽▽
さて、持っていく装備や荷物の確認を済ませ、もう一度、竜狩りの流れをおさらいした後、のんびり過ごして英気を養ったその翌日、竜狩りの出発日。
「本部になる狩り小屋までは荷馬車で二日、その後二日歩いて小川の側に野営地を設営します」
「レナーティア様、食料などは傭兵団が責任を持つと伺っていますが、個人予備はどの程度持つべきでしょうか?」
「騎士団の規定では、戦況により一日分あるいは半日分となっておりますが……その程度で宜しいですか?」
「私達も傭兵も、腰袋に堅焼きパン、それと水袋程度ですね。そちらも別に用意してくれています。この狩りは……何か変事が起きても、結局は野営地に戻って領地に帰るしかありませんから」
リュードさん達は、帝都で買ったお古の野良着を着込んでいた。
お洒落のために買ったわけじゃないから、色合いもちぐはぐだ。サイズとほつれ具合だけは、しっかり確かめたけどね。
私ももちろん、あか抜けない村娘風になっている。足元だけは、そこそこ上物のブーツだけど……手ぬぐいでほっかむりすれば、お婆ちゃんに間違えられそうだ。
「実家で手伝いさせられる時のまんまですよ……」
「ああ、騎士シェイラは実家が農家だと言ってたな」
「僕は従士時代の訓練着を思い出しました」
普段と違い、王都で買い込んだ野良着という出で立ちに、騎士の皆さんは落ち着かない様子だった。
けれど、狩りの時に使う魔物避けの膏薬は、着ていた野良着を後で処分したくなるほど臭い。
剣と杖だけはいつもの愛用品を使うけれど、その臭いは呪文と魔力だけじゃどうにもならず、特製の洗浄魔法薬が必要だった。
これがまた結構な出費で……手に馴染んだ剣や杖、履き慣れた足元は仕方がないにしても、野良着を買って使い捨てにした方が安くつくお値段なのだ。
ただまあ、使い捨てるとは言うものの、樵や狩人、薬草師など、山や森に入る仕事に関わる組合にまとめて安く卸すので、全くの無駄ってわけじゃない。
とにかく、竜狩りや山仕事なんて理由がなければ、絶対着る気にならないぐらい臭い、ってことだ!
集合場所の傭兵団本部までは、執事のジヌイカーラが自ら荷馬車で送ってくれた。
「いつも言いますが、気を付けて下さいね、レナお嬢様」
「ありがと、ジヌイカーラ」
うちの筆頭執事ジヌイカーラは純血種のエルフ族で、知らないお客さんにはよく驚かれる。
長い銀青の髪に細身のクールな美形ってだけでなく、長命の故に気難しい人も多いエルフにあって、彼はにこやかな笑顔を絶やさず穏やかな性格なのだ。
道中、知った顔に手を振りつつ、馬車ごと砦の中に入っていく。
「先日より賑やかですね」
「今日は特別ですよ。街の人も大勢出入りしてますからね」
練兵場を兼ねた広場には、近所からかき集めただろう大小の馬車がずらりと並んでいた。
街の人と傭兵達が藁紙を手に立ち話をしているところを見ると、荷役のほとんどは終わってるのかな。
荷台には雑多な袋が積まれ、あるいは傭兵達が椅子代わりにする野菜入りの木箱が乗っている。竜を寄せるのに使う豚も、もう用意されていた。
いかにファルトート領が田舎でも、前日に注文すれば豚肉の塩漬けや根菜ぐらいは手に入るし、一度に四週間分の食糧を持っていくわけじゃない。
狩りの期間中、行きは食糧を積み、帰りに狩りの収穫を積んだ馬車が、街と狩り小屋を往復した。そこから野営地までは、傭兵達が徒歩で荷を運ぶ。
「よう、ジヌイカーラの旦那! お嬢!」
「やあ、ハイネン」
「久しぶり、ハイネン! 聞いたよ、出世したんだって?」
私達の顔を見つけて、ハイネンが走ってきた。
傷だらけの胸甲に太くて短い特注の剣という出で立ちは、同じ様な格好のはずの傭兵達に混じっていてもよく目立つ。
彼は初回の竜狩りから付き合いのある、古参の傭兵だ。
遠慮知らずで恐いもの知らずとか、並の馬鹿が逃げ出すほどの大馬鹿だけど馬鹿強いとか、いつも酷いこと言われてるし実際そうだけど、仲間思いで頼もしいところもある。
「おう! グレージュのおっさんが腰痛えって引退しやがってよ、その後釜でリンテルの支部長だ」
「そっか、グレージュ引退したんだ……」
「孫まで居るジジイだからな、しょうがねえよ」
「ハイネン! 副団長が呼んでるぜ!」
「おう!」
呼ばれたハイネンは、また後でなと走っていった。
代わりにベイルがやってきて、私達の乗る荷馬車へと案内してくれる。
「お嬢、すまねえが……」
「どうかしたの?」
「とりあえず、狩り場までは連れていくことにした」
「何が? えっ、セレン!?」
もごもごと歯切れの悪いベイルにこっちだと連れて行かれた先、御者台に座っていたのは、一昨日お茶を運んでくれたセレンだった。
「よ、よろしくお願いします……」
私達と同じく地味な野良着だけに、その赤髪がよく目立つ。
彼女は私を見て、何故か緊張しながら、小さく頭を下げてくれた。
「狩りには一切、手を出させねえ。命令も、絶対に聞くと約束させた」
「えーっと?」
「本物の一流ってやつを、見せてやりてえんだ」
ベイルはまだ引退を考える歳じゃない……と言いたいところだけど、セレンの跡継ぎ教育を考えるなら、そんな時期なのかな。
「……ほんとに、いいの?」
「セレンの面倒はこっちで見る。多少、お嬢の回りをうろちょろしやがると思うが、いつも通りにやってくれりゃいい」
他の魔獣ならともかく、やっぱり竜が相手となれば、自分の身は自分で守れ……なんて言葉もあまり意味を為さない。
大剣の一撃さえ受け止める上質の魔法鎧だって、下手すると、一撃でぐしゃり、だからね。
「ん、分かった。よろしくね、セレン」
「はいっ! よろしくお願いします、お嬢……レナーティアお嬢様!」
「そんなに緊張しなくていいからね。私のことはお嬢でもレナでも、なんでもいいよ」
早速荷台に上がり、木箱四つを適当に配置する。
私達に貸し出される、使い古された革の半鎧も用意されていた。竜相手にはともかく、他の魔獣も出るからね。
その荷台の真ん中、獣脂の塗られた防水布を被せられているのは、私が預けている大型魔法杖だ。三脚は本体より重いから、別の馬車に乗ってるかな。
一年振りの持ち出しで、狩りの前に調整を兼ねた試射をしないといけないんだけど、安全の為にも必要なことだと頭では理解していても、一回二十アルムの無駄撃ちは精神的にきつい。
「今日はのんびりして貰って大丈夫ですよ。ベイルにも、護衛優先だから人数には含めないように言ってありますし」
「その、護衛は継続しますが、今ひとつ落ち着かないですね」
「だよなあ……」
誰かを守るのがお仕事の騎士様達は、自分が守られるということに、慣れない気分を引き出されているようだった。
「ようし、出発!」
「ドジんなよ、ハイネン!」
「わかってらあ!」
四頭の騎馬で構成された先遣隊は、ハイネンが隊長だ。
彼らは本隊に先行して、周辺に異常がないかを確かめるのがお仕事だった。今日明日はまだ人の住む領内だけど、たまには森から出てきた熊と出会うなんてこともある。
「戦神のご加護を!」
「せいぜい儲けてこいよ!」
続いて、荷物と一緒に傭兵達を積み込んだ馬車列が、ゆっくりと動き出した。
幌さえないし荷物と一緒に乗ることになるけれど、屋根付きの乗用馬車なんて、この近辺じゃ馬車便の駅亭がある二つ向こうのジェリトート領まで行かないと走っていない。お爺様達でさえ、移動は荷馬車だ。
一番の理由は、その重さかな。
屋根付き座席付きの乗用馬車と、荷物を降ろせば一人で持ち上がらなくもない荷馬車じゃ、本体の重さが違いすぎる。
地方領だから道が悪すぎるってこともないけれど、轍にはまって動けなくなった時の為と、あとはお値段とか利便性とか、使うときは大抵大荷物の移動が一緒だとか、理由もまあ、田舎らしい実利に富んでいた。
用意された荷馬車は全部で十四輌、傭兵だけでなく、御者には肉屋のマッジおじさんや酒屋の息子フラーテも混じっている。
狩りのメンバー以外にも野営地と町を往復する護衛や荷運び担当の傭兵達もいるから、五十人近い大所帯だ。
「昼食は、運が良ければですが、先行したハイネンが山鳥か何か獲ってくれてると思います」
「へえ、それは楽しみですね!」
馬車で行ける二泊目の野営地は時折狩人達も入るぐらいで、魔獣はいても小物ばかりだった。護衛がつくなら、街の人も仕事を引き受けてくれる。
でもその奥となると……ベイル達でさえ、私がいない時は入ろうとしない。
危険度と利益の天秤が、とても釣り合わないそうだ。
「あの……お嬢!」
「なーに、セレン?」
御者台のセレンはかなり慣れた手つきで馬車を操っていて、年の割に仕込まれているようだった。
目はちらちらと私を見て、泳いでるけど。
「竜と戦うって、恐くないんですか?」
「あー……戦うのは、恐いよ。一番最初で懲りたかな。初回の儲けで、迷わずこの大型魔法杖買ったし。……よいしょっと」
私はリュードさん達に断りを入れ、御者台に移動した。
初めて狩りに連れて行かれた、十歳の時。
ワイバーンを倒した直後に現れた竜に、私はお父様の予定通りかなと思っていたけれど、後で聞いたら、かなり真剣に……私を守って命を投げ出す覚悟をしていたらしい。
当然、私も割といっぱいいっぱいだった。
まともに魔法の通らない相手はその炎種の竜が初体験で、魔力を振り絞った岩の大槍で翼を貫き、地面に落としてからは手足を氷漬けにして動けなくした後、炎のブレスを避けながらちくりちくりと魔法をまとわせた剣で刺して失血死と魔力切れを狙い、ようやくのことで倒したのだ。
そんな感じの話をすれば、セレンはごくりと息を呑んで、身体を振るわせた。
「だからね、セレン。私もベイルも、竜とは戦わないよ」
「え!?」
「罠にはめて誘い出して、大型魔法杖で仕留めるの。これは『狩り』だからね」
念入りな準備に加えて、数年掛けて洗練させていった狩りの手順を組み合わせると、あら不思議。
危険な筈の竜が、たちまち優良な狩猟対象になるわけだ。
「少しだけ、考え方を変えてみるといいかも。自分の強みを活かして、相手の強みを封じるの。……例えば、セレンがハイネンに勝ちたいならどうする?」
「まだ勝てないですよ」
「そうだね。ハイネンはああいう態度でも、仕事は一流だよね。でもさ、勝負を選べるなら、どう? お茶の淹れ方の勝負なら、セレンの勝ちじゃない?」
「……あ!」
「だからね、竜もこっちの得意な手でからめ取って、正面から戦わずに済むよう準備して狩るのよ」
それにだ、一番最初の頃のように剣でちまちま傷つけていたら、見栄えもよろしくないし、竜皮の価値が下がってしまう。
今回は、特に気を付けたいところだった。




