第十八話「買い物」
第十八話「買い物」
私達を乗せた公用馬車は、貴族街の端っこの方へと向かっていた。
「旅費を取りに行きたいので、先に一度、我が家に向かいますね」
「レナさま、旅費は宮内府より支給されているのでは?」
「許可は取っていますが、少し急ぎの旅程になりますので、私費で竜便を使います。あ、皆様の分も出しますので、安心して下さい」
竜便の代金は、お預かりした二百アルムから出して後から相殺しても足りるけれど、向こうでの活動資金を用意するのは今日しかない。
お金を足して竜便を使っても構わないか宮内府の主計部に相談してみれば、許可どころか、出張には定額の計算式がきちんとあり、それに従って旅費が算出されると教えて貰った。……というか、残念ながら出張手当はなかったけれど、旅程の申請時に全額支給された。
旅費が余っても返却の義務がない代わり、お足が出ても宮内府は一切関知しない。
もちろん、遊んで戻るのが遅れると厳罰が下るし、悪天候や魔物の襲来などで馬車や船が止まった場合はきちんと考慮される。
現代的だなあと思ったけれど、その理由は貴族だった。
単に贅沢したいってだけで自腹を切ることも許されていたし、場合によっては、『出張相手の面目を施すために』街一番の宿で最高級の部屋を取る必要があったりするそうで……これも交渉術の一つらしい。
……筆頭女官のお給金は、平女官の五倍。
だけどそこには、必要経費の前渡しって意味が含まれていたんだなと、キリーナ先輩に裏方仕事に必要な『私費』を預けたところで、ようやく気付いた私である。
また遠距離ならば、定期馬車便ではなく、自家用馬車を使う人も多かった。これは実家が裕福なお家の人に限られるけれど、安全を考慮してむしろ推奨されている。
公務に対して足りない部分を私費で補うなんて、現代社会を思い出せばあり得ない。
けれど貴族――特に、領地持ちの諸侯には、『帝国から与えられた』領地への徴税権や軍権を許されていると同時に、国益への奉仕義務も課せられている。……つまりは国家公認のお金持ちなわけで、奉職時に家柄が考慮されるのも、ある種必然なのだ。
つまり、『財力も能力の一つ』ということで、恩恵もあれば制限も多いけれど、正に貴族社会なんだなあと頷くしかなかった。
「あ、今夜はうちで泊まっていって下さいね」
「ありがとうございますっ!」
旅費が浮くなあと、騎士マッセンと騎士シェイラは嬉しそうである。
うちも諸侯の端くれだけど、経済的には二人の笑顔に共感を覚える程度の、小さな家でしかない。実家の財力を頼るとしても、今夜のお宿にどうぞと言えるぐらいがせいぜいだった。
さて……私も覚悟を決めよう。
剣ダコに喜んでくれた騎士リュードなら、私のあれこれも大丈夫だと思いたい。
それに、覚悟を決めなきゃいけないのは、騎士リュードの方も同じだ。同じ……だよね?
「今回の旅程ですが、明日、竜便で一気に西部のアルターグ地方まで出ます。それから、現地で傭兵団と契約し、うちの領地で一泊から二泊、準備に費やす予定です」
「……傭兵団?」
「はい。今回の旅の目的は……竜を狩って、その皮を手に入れることなんです」
「え!?」
「おいおい……」
「その後、西の港まで出て外交団と合流、フラゴガルダへは軍船で向かい、クレメリナ王女殿下の名代として、フラゴガルダ国王陛下の生誕祭にて竜の皮を献じます。期間は二ヶ月少々の予定です」
流石に騎士リュードも、難しい顔になった。
騎士マッセンはやれやれと肩をすくめ、騎士シェイラがそれを見てうんうんと頷いている。
「僕が……」
「はい?」
しばらく黙って私を見つめていた騎士リュードが、ぐぐっと拳を握りしめた。
「僕が絶対に、レナさんを守りますから!」
「は、はい! ありがとうございます!」
おおぅ!?
思わずにやけそうになった顔を引き締め、騎士リュードの眼をみてしっかり頷く。
余裕ですからとか、この場じゃ言えなくなったけど、それは後回しだ。
「顔が引きつってるぞ、リュード。どうせ言い切るなら、びしっと決めろ」
「……若いって、いいなあ」
ギャラリーの反応は、聞こえなかったことにしておこうと思う。
気を取り直してしばらく。
完全にお仕事モードに切り替え、旅の予定を話し終えた頃になって、馬車の窓から懐かしの……ってほど離れていたわけじゃないけれど、うちの王都屋敷が見えてきた。
「すぐに戻りますから、しばらく待っていてください!」
裏手の通用門の前で馬車を止めてダッシュ、ドアノッカーをこんこんと鳴らす。
「あらまあ、お嬢様! お帰りなさいまし!」
迎えに出てきてくれたメイド頭のライナに、手を振って駆け寄った。
「ライナ、ただいま! 突然でごめんなさい、今夜、三名様をお泊めして大丈夫?」
「ええ、それは大丈夫でございますが……」
「あ、三人とも近衛騎士で、一人は女性なの!」
「はい、畏まりました」
これで後は、ライナが上手く取りはからってくれるはずだ。
奥様にお知らせして参りますとライナが足早に奥間へと向かい、私はそれを後目に、二階の自室へと駆け上がった。
「え、お嬢様!?」
「ただいま、チェリ! ごめん、急ぎなの!」
廊下を掃除していたメイドのチェリにも手を振り、すたすたと、ぎりぎりの速度で早歩きする。
「お手伝いは必要ですか?」
「大丈夫!」
部屋の鍵を開けるのももどかしく、魔法仕掛けの金庫にしまってある帝国商人ギルドの預金証書から、適当な金額の一枚を抜き取る。
預金証書は、通帳のように書き換えることはなかった。システムは全く違うけれど、使う側にしてみると、一枚一枚が金額の異なる小切手のようなものだ。
他は……うん、帰ってきてからでいいね。
「レナ!」
「お母様、夕方には戻ります!」
「ええ、楽しみに待ってるわ!」
裏口まで出てきて下さったお母様と軽く包容し合って、私は馬車に駆け戻った。
「御者さん、次は帝国商人ギルドの本部にお願いします!」
「はっ、畏まりました!」
「皆さん、お待たせしました!」
この間、約五分。……ある意味、貴族の令嬢としてはやっちゃいけない部類の急ぎ方になる。
今日はとにかく、買い出しに時間がかかるだろうなという予感があった。馬車が使えるだけましだけど、帝都はそれなりに広いのだ。
私の実家を出た馬車は貴族街を抜け、商業区のど真ん中、帝国商人ギルドの本部前に止まった。
「どうぞ、奥の間へ」
皇宮女官のメイド服に近衛騎士の護衛付きだと、扱いもいい。挨拶もそこそこに奥の貴賓室に通された。……いつもだと、証書を確認されるまで、表の待合いで時間を潰すことになる。
早速預金証書を換金し、金貨のたっぷり入った袋を受け取った。単なる旅費には多すぎるけど、結構な勢いで使いそうだから、余裕はみておきたい。
「じゃあ、次は馬車と竜便の予約です」
我が家には馬車が一輌きりしかないし、それはお父様が通勤に使う。
こちらは商人ギルドのすぐ近くにいつも使う貸し馬車屋があり、明日の早朝、家まで迎えに来て貰うよう予約して解決した。
「レナ様、お若いのに手慣れてらっしゃるんですね」
「必要に応じて、というところですよ。その代わり、皇宮内のことはまだ分からなくて、みなさんに助けて貰ってます」
そのまま帝都の市街を通り抜け、西の大門を出て北に少し。
竜便を扱う『天空の風』商会は、広大な敷地を誇示していた。
調教中なのか、二頭の竜が連れ立って飛んでいるのが見える。
事務所と受付のある本部まで馬車で乗り入れ、予約を切り出した。
「明日、四人を西部のアルターグ方面までお願いしたいのですが、予約は取れますか? 出来れば、箱型を一頭で」
「はい、すぐに確認を取って参ります。少々お待ち下さいませ」
竜便には、小型の竜の背に鞍を付けて竜使いさんの後ろにそのまま乗る騎乗型と、中型の竜に車輪なしの乗用馬車を乗せたような箱型がある。
これを都合に合わせて選ぶわけだけど、その料金は乗り合い馬車の数十倍から数百倍というお値段になった。
馬車便が電車やバス、竜便が飛行機のチャーター便だと思えば……いやまあ、とんでもなくお高いけどね。
もちろん、料金分の価値は十分にある。
高速馬車便の乗り継ぎでは二週間掛かる西部まで一日で飛んでくれるし、時間はお金に代えられない。
前世じゃ考えられない無駄遣いだけど、幸いにして、数年掛けて稼いだお金は、こういった方法を選ぶ余裕を私に与えてくれていた。ドラゴン様々である。
「お待たせいたしました。ご希望通り、四人掛けの箱型をご用意できます」
「では片道、前金でお願いします」
「お帰りは当便でなくてよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「畏まりました」
二、三日までの往復なら、実は料金が大して変わらない。
竜を行かせたきりには出来ないので、『他の便に宛うことが出来ない期間』分が片道料金に反映されていると考えれば、とんぼ返りの往復が極端に安くなるのは納得できた。
「私、竜に乗るのは初めてです」
「僕は、何度か」
「俺は東部の防衛戦で無理矢理乗せられたな。……騎士も兵士も、大隊長の伯爵閣下も、みんな荷物扱いだった」
お仕事関係以外で、竜に乗る人は少ない。
示された料金の二十四アルムって、田舎なら小さな古家が買えてしまうもんね。
……前世なら、躊躇いなく回れ右して家を買ってると思う。
「騎士マッセン、竜騎士団の竜と竜便の竜って、一緒なんですか?」
「騎士シェイラ、実は同じなんだ。強い奴でかい奴は竜騎士に、そうでなきゃこっちだ。ついでに言えば、俺達が狩りに行く野良も元は同じだな。幼い頃から調教してないと、人や家畜を襲うって話だぜ」
「風種、水種は比較的温厚、地種は気難し屋、炎種や雷種は気性が荒いって聞きますね」
「リュード、詳しいのか?」
「いえ、騎士団に入る前、学院で習った程度ですよ」
代金を支払い、領収済みのサインが入った予約証明を受け取る。
金額が大きい上、予約に来るのは主人に仰せつかった貴族の使用人が殆どなので、このような書類もきちんと用意された。
竜の予約が済めば、今度は買い物だ。
向こうで使う消耗品、たとえば魔物避けの膏薬の原料だとか香辛料の類だとか、あと、使い捨てにせざるを得ない着替えの類……おっと、お爺様お婆様へのお土産も忘れちゃいけない。
もちろん、騎士リュードと手を繋いで歩きたいなどという邪念は、馬車に置いてきた。
……この買い物もお仕事の一部、公務を成功に導く準備だからね。遊んでちゃ、しっぺ返しを食らうだろう。
「皆さんも、出来る限りここで買い物を済ませて下さいね。必要な物は辛うじて向こうでも買えますが、選ぶなんて贅沢は出来ませんから」
商業区でも一番賑わう、大市通りの手前で馬車を止めて貰い、買い物に繰り出す。
狩りの最中に着る上下と下着については使い捨てになると告げ、三人にもひと揃い選ぶようにと古着屋へ引っ張っていった。
魔物避けの膏薬は、ほんとにもう、独特の野性的な……というか、本気で鼻がひん曲がりそうになるほど臭い。古着はお仕事に必要な道具で、無駄遣いじゃないのだ。
三人は顔を見合わせて遠慮していたけれど、必要経費に含まれるし私の自腹とは言うものの公務だからと押し切る。
「上下は農作業に使うお古の野良着で十分です。でも、色は地味目で縫製はしっかりしたものに……って、ごめんなさい、私が選びますね」
予備も含めて四人分八着と、下着の類は店を移動して新品で数セット、私にはいつものことである。
そして、ファルトートじゃ取り寄せになる魔物避けの膏薬の材料を買いに魔法屋へと足を伸ばし、旅道具を扱う雑貨屋で野営小物も買う。これは三人も騎士の鍛錬で慣れてるから、自分で選んでいた。
忘れちゃいけない香草入りの石鹸も、ここで買っておく。
嗜好品などはご自由にと、帰り道、目に付いたお店を冷やかした。
お爺様には北方産の銘酒、お婆様には茶葉、向こうの使用人達には……ああ、飴の入った壷を買っていこう。傭兵団にはいつもの煙草でいいかな。
騎士リュードは保存食にも酒肴にもなる干し肉を、騎士マッセンは蒸留酒の小瓶を幾つも買っている。
私と騎士シェイラは、おやつになりそうな干しリンゴに惹きよせられ、ついつい大袋で頼んでしまった。これは後で半分こだ。
「じゃあ、戻りましょうか」
三人にも確認して、買い忘れがないか指折り数えつつ出口に向かい、止める場所がなくて近所を周回していた公用馬車をしばらく待った。




