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閑話 ある兵士の忘れ形見

「大丈夫? アルティ君」

「はい……」


 ぼっこぼこに腫れた顔を覗き込み、ルイが心配そうに首を傾げる。王城の武具保管庫に行く道すがら、肩を怒らせたトリスタンに、出会い頭に殴られたのだ。首が繋がっているから本気ではなかったのだろうが。


「納品完了したら、王城で酒盛りしたの黙っててくれるって言ったじゃないですか……」

「言っとくけど、バラしたの僕じゃないからね。たぶん団長だよ。あの人、言っていいことと悪いことの区別つかないから」


 恨みがましい目を向けるアルティに、ルイが肩をすくめる。新年祭の最終日に、治安維持連隊の執務室でリリアナと酒盛りをしたことを詰られ、結婚前の娘に悪い噂がついたと、容赦のない制裁が下ったのだ。


 自業自得なのは百も承知だが、リリアナもアルティもお互い成人しているのだから、ここまでされる謂れはないと思う。それとも、娘を持つ父親とはああいうものだろうか。


「それより、これで全部でいいかな? 兜はどこを探しても見つからなかったんだよね」

「大丈夫です。ありがとうございます」


 目の前には床に大きく広げたブルーシート。そして、その上に並べられているのは、血の錆で汚れていた風切り羽の職人の鎧一式である。


 王城の仕事を終えたあと、ルイにこの鎧を修繕させてくれと言ったのは、同じ職人として放っておけなかったのもあるが、こうして風化していくのは持ち主も望んでいないと思ったからだ。


「じゃあ、僕は騎士団の本部にいるから終わったら声をかけてよ。もし場所がわからなければ、適当な職員を捕まえるか、士官学校にいる弟に聞いてね」

「自分で言うのもなんですけど、見張りをつけなくていいんですか?」

「大丈夫でしょ、君は。リヒトシュタイン嬢の信頼を損ねたくないだろうし。仲直りして何よりだよ」


 顔を赤らめるアルティを置いて、ルイは武具保管庫を出て行った。窓のない保管庫の中は初夏とは思えないほど冷んやりしている。訓練中なのだろうか。遠くから微かに兵士たちの声が聞こえてくる。


「さて……」


 まずは銅鎧からいこう。リベットを外して分解し、体力があるうちに錆を落とし切らなくてはならない。クリフからも、いつも磨きが甘いと言われているし。


 サンドペーパーを駆使しながら、この鎧の持ち主はどんなデュラハンだったのかと考える。これだけ血の錆が浮いているということは、悲劇的な結末を迎えたのだろうか。これだけ想いを込めて作られた鎧なのに……。職人の気持ちを思うと胸が痛い。


「もし、リリアナさんが……」


 こぼした言葉に大きく首を横に振る。そんな縁起の悪いこと考えたくない。リリアナは強い。並みの相手には決して負けないだろう。それに、何があっても彼女を守る鎧兜を作ればいいのだ。


 深呼吸して雑念を取り払う。在りし日の輝きを取り戻すために。






 終業を知らせるチャイムの音が聞こえる。


 気づくと、武具保管庫の中は薄暗闇の中に包まれていた。また没頭しすぎてしまったらしい。錆び取りを終えた鉄靴をブルーシートの上に置き、ぐるぐると肩を回す。


 ふと視線を感じて、顔を横に向ける。いつの間に現れたのか、見事な金髪青目の男の子が、三角座りをしてこちらをじいっと見つめていた。


「君、どこから来たの?」


 エスメラルダより少し幼いぐらいだろうか。男の子は世の中の苦しみなど何も知らないような愛らしい顔で、にっこりと笑った。


「あれ、なんかこの顔どっかで……」

「アーサー! こんなとこにいた!」


 背後から飛んできた声に、肩がびくりと震えた。額に汗をかいて足早に近寄ってきたのは、この国の王、アレス・フェルウィル・オブ・ラスタだった。咄嗟にその場に立ち上がり、挨拶をする。


「お、王さま。なんでこんなところに。いや、それよりアーサーって……」

「ごめんねー。ちょっと目を離した隙にいなくなっちゃってさ。バレたらアステラに殺されるところだったよ」


 アーサーと呼んだ男の子を抱き上げたアレスが、安堵の息をつきながら頬擦りをする。二人の顔はそっくりだ。まるで、アレスをそのまま小さくしたみたいなアーサーが、きゃっきゃっと楽しそうに笑う。


 アーサーはアレスと王妃アステラの長男。つまり王太子である。もしものことがなくてよかった。どっと汗が噴き出る。


「その鎧、早速修繕してくれてるんだね。かなり見違えたよ。これで完成?」

「いえ、まだ錆び取りが終わったところです。続きは明日ですね。次は内側から叩いてへこみを直したあと、ひたすら磨きます。最後に塗装と錆止めですが……こちらは外注いたしますね。うちでは天然塗料を扱っていないので」

「意外だな。全部自分でやりたがるのかと思ってた。あと、夜通しやるのかと。ルイが徹夜の覚悟を固めてたよ」


 どんなワーカーホリックだと思われているのだろう。確かに今まで散々してきたけど。相手は国王だが、思わず苦笑する。


「もう無茶はしないって決めたので。みんなを心配させたくないですし」

「それがいいよ。体を壊して直してもらっても、こっちが辛い」


 父親に抱かれて安心したのか、船を漕ぎ出したアーサーに口元が緩む。


「あの……。不躾なことをお聞きしますが、この鎧の持ち主について何かご存知ではありませんか?」


 王城の保管庫にあったものだ。そこの総責任者に聞くのが一番早い。平民の分際で図々しいかもしれないが、どうしても気になって仕方なかった。


 アレスはアーサーをあやしながら、じっとアルティを見つめていたが、やがて床に腰を下ろすと「君も座りなよ」と穏やかに言った。


「僕のミドルネームね。フェルウィルって言うんだけど、変わってると思わない?」


 そう、なのだろうか。そう言われればそうかもしれない。ミドルネームなんて持ち得ない平民には、王族の普通の名前がよくわからない。


「フェルはこの鎧の持ち主の名前、そしてウィルは古い言葉で希望って意味なんだって。ルステンからはそう教えられてる」

「この鎧の……?」

「そう。とはいえ、本当にフェルって名前なのかはわからないんだけど。何しろ、身分証明書も何もない時代だったからね」


 今でこそ国民一人一人に出生証明書が普及しているが、当時は身体的特徴以外に個人を判別できる方法はなかった。だからこそ、血縁同士の繋がりが濃かったわけだが。


「ルステンからの又聞きだけど……。占拠された議事堂を奪還しようと立ち上がった百年前のあの日、魔王と相打ちして倒れたリヒトシュタインの傍らには、もう二人いたらしいんだ」

「二人?」


 初めて聞く話だ。


「そう。血溜まりの中で事切れたデュラハンと、生き延びたヒト種の男。リッカも含む他家が駆けつけたときには、男は半狂乱の状態でデュラハンの遺体に縋りついてて……。遺体から引き剥がした後も、『フェルを返してくれ!』ってずっと叫んでいたそうだよ」


 その男にとって、鎧の持ち主はかけがえのない存在だったのだろう。アルティにとってのリリアナやクリフたちみたいな。もしそれを失ったとしたら、アルティだって正気でいられるかはわからない。


「……首都には、そのデュラハン以外にもたくさんの死者がいた。戦後処理に手を取られている間に、男の姿はいつの間にか消えていたそうだけど……。きっとご先祖さまの胸に焼き付いたんだろうね。それ以降、王家の人間は犠牲となった数多の人間たちのことを忘れないように。そして、そのデュラハンが確かに生きていたことの証明のために、代々ミドルネームにフェルウィルの名前を入れることにしたんだ」


 まさか、そんな事情があるとは思わなかった。込み上げる涙を拭い取り、アルティは鎧を見つめた。百年前の兵士の忘れ形見を。


「ここに兜がないのはたぶん……そのヒト種の男が形見に持ち帰ったんじゃないかな。遺体のそばには短剣も落ちてたらしいけど、それも無くなってたようだよ。この鎧をそのままにしておいたのは、男が戻ってきたときのためだったんだろうね」

「あっ、すみません。余計なことを……」

「ううん。いいんだ。許可を出したのは僕だからね。いい機会だったんだと思う。今までこの国は、ずっと魔王の恐怖に怯えていたけど……戦後百年経って、ようやく前に進むときが来たんだ。これからの世界を生きるこの子たちには、明るいものだけを見ていてほしい。――もちろん君もね」


 我が子を腕に抱いて微笑むアレスの姿はどこにでもいる父親のようで、国を背負う重圧も、手が届かない不可侵さも一切感じさせなかった。だからこそ、多くの国民から慕われているのだろう。


「王さまもあまり変わらない歳じゃないですか」

「はは。子供が生まれるとね、一端の大人になった気がするんだ。君もそのうちわかるよ」


 そのときふと、頭の中に未来予想図が浮かんだ。立派に背が伸びた自分と、自分によく似た子供。そしてその傍らに佇むのは――。


「……俺の子供も、そのまた子供も、この国で幸せに生きていけますか」


 目を細めたアレスが力強く頷く。


「もちろん。そのために僕がいるんだからね」


 その声には、国をまとめるものとしての矜持が込められていた。

少し成長したアルティです。

次回、また新たな仕事の話が舞い込んできます。

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