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8話 誰のために作るのか?

 朝が来るのがこんなに苦痛とは思わなかった。


 スランプに陥って一カ月、リリアナと喧嘩して一週間。相変わらず金槌は握れないまま、時間は刻一刻と過ぎていく。最近は外に出るのも怖くなった。どこを歩いていても周りの目が気になるのだ。時折、レイやパドマが食料を配給してくれるのでなんとか生きている状態だ。


 のそのそとベッドから降り、洗面台で顔を洗う。くもった鏡の中では、随分と目つきが悪くなった男がこちらを睨んでいた。


「ひっどい顔だな……」


 ぼさぼさの髪に、くっきりと浮かんだ目の下のクマ。あまり生えない髭も伸びてきた。この生活がいつまで続くのだろうかと思う。


 製作が全然進んでいないと気づいたはずなのに、何故かルイは業者を変えようとはしなかった。「ギリギリまで待つよ」と、ため息まじりに言うばかりだ。


 何か腹に入れようと、ふらふらとキッチンに出る。シンクの中には汚れた皿が山積みになっている。しかしそれでも、焦げついた土鍋だけは綺麗に洗っていた。


「まずかったな、本当……」


 あの雨の日、リリアナが作ってくれたのは甘いパンがゆだった。砂糖を入れすぎた上、火が強すぎてカラメル状態になっていたが。


 でも、できることならまた食べたい。


 胃袋にスープを流し込んで工房の作業台につく。散乱した紙はまだ真っ白――から少しは進んだ。皺が寄った紙面には鎧兜のデザイン画が三体並んでいる。王城の武具保管庫で見た鎧を参考にしたものだ。


 一つ目は、ロリカ・セグメンタータ。デザインは古いが、その分歴史を感じられるはずだ。


 二つ目は、スケイルメイル。こちらも歴史を感じられるし、鱗状の金属片をセレネス鋼にすれば見栄えも十分だろう。


 そして三つ目は、風切り羽の職人の鎧だ。これは完全に模倣になるが、建国祭には一番ふさわしいはずだ。


 リリアナと喧嘩して、ようやく目が覚めた。職人として仕事を引き受けた以上、責任を果たさなければならない。納品できなければ本当に終わってしまう。


 ハウルズ製鉄所に依頼していた合金の鋼板も届いた。ただ、デザイン画を描いてもなお、完成のイメージは湧かないままだ。


 これでいいのか、これがふさわしいのかと、ずっと自問自答している。


 製作期間も心配だ。他の職人には頼れない。クリフが戻ってくればギリギリ間に合いそうだが、何度も速達を送っているのに、一度たりとも返事は来ていなかった。送り返されてはこないから、故郷にはいるのだろうが。


 もしかして、勝手に王城の仕事を引き受けたアルティのことを見捨てたのかもしれない。大師匠が忽然と消えたように、クリフもそのまま――。


「違う……。違う違う!」


 叫びながら頭を振る。気を抜くと、すぐにネガティブな気持ちに引きずられてしまう。


 気合いを入れ直すために両手を打ち鳴らし、金床に移動する。けれど、やはり金槌は握れなかった。


「……くそっ」


 震える手を握りしめ、唇を噛む。スランプに陥ってからというもの、何一つ作品を作れていない。かろうじてクリフが残していった在庫があるものの、このままだと店の売り上げもやばい。


「もし、俺のせいでこの工房が潰れたら……」


 その続きを阻むように、玄関のドアベルが鳴った。


「……誰だ?」


 悪い噂が広まってからというもの、店を訪れる客は極端に減った。リリアナも喧嘩してから一度も近寄っていない。たまに街で顔を合わせても知らんふりだ。


 それもそうだろう。あれだけ馬鹿なことを言って傷つけたのだから。仲直りしたくとも、今の状態ではとても近づけない。失った信頼を取り戻して、もう一度そばで笑い合える日は来るのだろうか。


「いらっしゃいませ……」


 暗い声で店に出る。接客は元気が一番だと思えていた日が懐かしい。


 客は肩に担いでいた麻袋を床に置くと、土埃で汚れたフードを乱暴な手つきで外した。


「おう、アルティ。随分やつれたのう」


 ドワーフらしいずんぐりした体型。逞しい両腕。真っ白な髪に揺れる髭――。


「し……師匠!」

「なんじゃ、埃っぽい。掃除がちーっとも出来とらんじゃないか。ワシがいないと、すぐにサボりよる。これだから最近の若いもんは」

「て、手紙。何度も送ったのに! なんで、もっと早く帰ってきてくれないんですか! 俺がどれだけ……!」

「知っとるわ。だから帰ってきてやったんじゃろ。これでも早い方じゃ。本当はもっとギリギリまで粘ろうと思っとったわい」


 渋面を浮かべ、クリフは眼前まで近づいてきた。


「一人で辛かったか、アルティ」

「当たり前でしょう! 急に金槌が握れなくなって! 相談したくとも師匠はいないし! 毎日毎日、悩み続けて……」

「なんで周りを頼らんかった」

「頼りましたよ! でも、みんなから門前払いされて……。変な噂も流されるし……」

「そうじゃない。そんな馬鹿なやつらは放っとけ。いるじゃろ他に。お前のことを大切に思ってくれとるものが」


 言葉が出なかった。アルティの窮状を知って、レイたちは何度も様子を見に来てくれていた。それを「大丈夫だから」と追い返したのはアルティだ。


「頼るっちゅうのは、何も技術だけじゃない。ただ、寄り添ってくれるだけで救われることもある。一言、助けてくれと言えばよかったんじゃ。お前はそういうところが頑固でいかん。思い詰める前に少しは弱音を吐け。この馬鹿弟子が」


 床に下ろした麻袋を担ぎ直し、カウンターのスイングドアをくぐる。その背中はいつも工房で見ていたときと変わらず、広くて頼もしかった。


「ほら、とっとと工房に来い。いつもの負けん気はどうした。拗ねとる場合じゃないぞ。納期は待ってくれんからの」






 クリフが戻ったと同時に、工房には活気が戻った。ずっと消えていた炉も、今は赤々とした火をたたえている。こんなにも、世界は明るかっただろうか。


「ほれ、見せてみろ。デザインぐらいはできとるんじゃろ」


 作業台のパイプ椅子にふんぞり返ったクリフにデザイン画を差し出す。クリフはそれに目を落とした途端、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「なんじゃ、こりゃ。古臭い上に面白みもなんともない。三番目の鎧兜だけは、まあいいが……。これ、お前が一から考えたもんじゃないじゃろ」


 ぎくりと肩が揺れる。さすが師匠である。弟子のやることは全てお見通しのようだ。


「でも、これしか思いつかなくて……」

「アルティ、お前、今まで何を考えて鎧兜を作ってた?」

「そりゃ、着る人のことを考えてですよ……。客の要望に合わせて作るのが、俺たちの仕事じゃないですか……」


 客が満足するものを作り上げることが職人にとって一番の成果だと、クリフ自身も言っていたではないか。


「今回も同じじゃ。なのに、なんでできん?」

「同じじゃないですよ! 今回は国からの依頼だし、誰かが着るわけじゃ……」

「いつか誰かが着るかもしれん。ピンとこんなら想像しろ。お前は誰に着てほしい?」

「誰に……」


 そのとき、ふと脳裏に浮かんだ。いつもアルティの前にいた、凛々しくまっすぐに伸びた背中が。


「どうせお前のことだから、大勢が満足するもんを作らなきゃならんと思い詰めたんじゃろうが、そんなことは考えんでいい。無駄じゃ。今のお前が作れるもんを丹精込めて作ればそれでいいんじゃ」

「そんな……。俺は今までの職人たちに負けないものをと思って……。ただでさえ半人前なのに、それに甘えたら……」

「馬鹿たれ。それが無駄だというんじゃ。いいか? 王城は、誰よりも優れた職人じゃなく、今のお前に依頼したんじゃぞ。今のお前ならルクセン側をビビらせるもんを生み出せると判断したからじゃ」


 とても応とは言えなかった。口をつぐんだアルティを見て、クリフがさらに言い募る。


「確かに、お前はまだ半人前じゃ。お前が惚れ込んどる風切り羽の職人には遠く及ばんかもしれん。でもなあ、今求められとるのはそれじゃないじゃろ。思い出せ。依頼を受けたとき、何を言われた? なんでお前が選ばれた?」


 アレスと対峙したときのことを思い浮かべる。建国祭の要、国の威信をかけた仕事、ルクセン側をギャフンと言わせる、ハロルドからの推薦、そして――。


「これからのラスタに必要な若い力……」


 クリフがにやっと笑う。


「お前がこれまで積み重ねてきた努力と、この先を切り開く若々しい力。それを注ぎ込んだもんが駄作なわけあるかい。再三、言っとるじゃろうが。自信を持てと。その金槌が泣いとるぞ」


 金床に置いたままの金槌に視線を向ける。クリフから託された大切な相棒だ。炉の炎に照らされて赤く染まったそれは、まるで熱く燃えているように見えた。


「それでも足りんならワシが断言してやる。アルティ、お前なら出来る。だから、つべこべ言わんとさっさと金槌を持たんか! この馬鹿弟子が!」

「はっ、はいい!」


 クリフの剣幕に、咄嗟に金床に走り、金槌に手を伸ばす。久しぶりに触れた柄は、不思議なほどしっくりと手に収まった。


「え……?」


 握れた。あれだけ手が震えていたのに。


 呆然と手の中の金槌を見るアルティに、椅子から立ち上がったクリフが麻袋を押し付ける。


「リハビリじゃ。とりあえず、これで何か作れ。出来るまで飯抜きじゃからな。散々周りを心配させた罰じゃ」


 大声で笑いながら、クリフは工房を出て行った。


 渡された麻袋の中身を取り出す。見慣れた白銀色の輝き――それは最高純度のセレネス鋼板だった。


 ハウルズ製鉄所に依頼したものとそっくりだが、添付されているシールの屋号紋が違う。ハウルズ製鉄所は高炉と炎だが、こちらは剣と盾と雪山――ウィンストンのドレイク製鉄所のものだった。


 アルティが考えていたことを、クリフも考えていたのだろう。湖のダンジョンでクリフと似てきたと言われたが、本当だったのか。


「……また、鉱夫にまじって掘ってきたのかなあ」


 口元から笑みがこぼれる。


 鋼板を金床に置き、金槌を振り上げる。


 工房の中に金属音が響いた。

アルティ復活です。

次回、クリフと共に組合に乗り込みます。

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