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6話 英雄の偶像

 建国祭が近づいてくると、にわかに首都もざわめいてくる。貴族会議と同じく、地方の領主が集まってくるからだ。


 首都とウィンストンの間に領地を持つリヒトシュタイン家も例外ではない。仕事を早退してそわそわと玄関先で待つリリアナの元に、エメラルドグリーンの鎧兜を着たデュラハンがやってきた。


「やあ、リリアナ。貴族会議ぶりだね」

「叔父上! いらっしゃい!」


 外聞もはばからずに腕の中に飛び込むと、鎧同士がぶつかって音を立てた。


 ガラハド・リヒトシュタイン。幼い頃から可愛がってくれる、リリアナの大好きな叔父だ。トリスタンと血を分けた弟だが性格は真逆である。


 北方の駐屯地で一人寂しく過ごしているときも、何かと気にかけてくれた。実の父親は九年間も放ったらかしだったのに。

 

 今もリヒトシュタイン領主代理として、領地の一切を取り仕切ってくれている。頭がいい上に、穏やかで優しくて鎧のセンスも素敵と、誰にでも自慢できる叔父なのである。


「兄さんは?」

「建国祭の打ち合わせで王城に出向いていますよ。というか、ほぼ缶詰状態です。ずっとイラついてて、いつにも増して嫌味っぽいんで近寄らないほうがいいですよ」

「相変わらずだなあ。昔はそこまででもなかったんだけど」


 のんびりと笑い、ガラハドは手にした旅行鞄から長方形の包みを取り出した。


「はい、お土産。魔法で冷やしてるから、まだ溶けてないと思うけど」

「わあ! 雪うさぎだ! ありがとうございます!」


 雪うさぎとは、北方名物のお菓子の名前である。ふわっふわの白いスポンジケーキの中に、たっぷりの生クリームと凍らせた大きなイチゴが入っている。生クリームのとろとろ食感と、イチゴのシャリシャリとした感触が楽しめるリリアナの好物だ。北方の駐屯地にいる間はよく食べた。前に話したのを覚えていてくれたらしい。


「建国祭まではこちらに?」

「そうだね。雪熊スノウベアの駆除も終わったし、しばらくゆっくりしようかな」


 雪熊はその名の通り、雪のような体毛を持つ獰猛な熊だ。冬になると繁殖のために山を下りて村や町を襲うので、近隣の駐屯地の兵士と領主の私兵団がタッグを組んで駆除するのが毎年年明けの恒例となっている。


 今年はやけに数が多かったらしいが、鍛え上げられた兵士たちの敵ではない。火属性の魔法使いや魔機のおかげで、大した損害なく一掃できたという。


「とりあえず中へどうぞ。長旅でお疲れでしょう。甘いお菓子とお茶をご用意してます」

「馬車で一日だけどね。この歳になると腰にくるから、お言葉に甘えようかな」

「まだ四十二歳でしょう? 十分お若いじゃないですか」


 ガラハドを先導しながら、世間話を続ける。


「北方の様子はいかがですか?」

「ウィンストンはセレネス鉱石のおかげで活気が出ているようだよ。リヒトシュタイン領は特に変わらずだね。首都の様子はどう? 地震があったんでしょ?」


 そう。ほんの三日前、首都で地震があった。大した揺れではなかったので特に被害はなかったが、魔物がしきりにざわめいていたのを覚えている。


 気になるのは、その中に魔属性に取り憑かれた魔物が数体いたことである。すぐに駆除したので騒ぎにはならなかったものの、今まで首都周辺で目撃されていない魔物だったため、兵士たちの手で王城に担ぎ込まれた。今頃、魔学研究所で解剖されているはずだ。


 そこまで話し終えると、ガラハドは首を捻って「不思議だね」と言った。


「場所はどこ?」

「メルクス森です。安全が確認されるまで、一時閉鎖にしてあります」

「賢明だね。あそこは広域のダンジョンが眠ってるから」


 メルクス森のダンジョン。それはラスタが建国される前に築かれた古代都市の遺跡だという。リリアナ自身は入ったことがないのでなんとも言えないが、全域にあたって闇の魔素が充満しているため、生半可な光の魔法では太刀打ちできないそうだ。


「勘弁してほしいですよ。建国祭前で忙しいのに」


 本来なら、メルクス森は城壁外なので治安維持連隊の管轄ではないのだが、新兵を鍛えるのにちょうどいいので、士官学校や首都駐留軍合同で警備している。そのため、余計な仕事が増えてますます手が回らなくなっているのだ。


 ぼやくリリアナに、ガラハドが笑みを漏らす。


「頑張って、連隊長。建国祭の平和はリリアナにかかってるよ。当日はどこを警備するんだい?」

「……エルネア教会です。あそこが今回のメインですから」

「ああ、あれ。セレネス鋼製の鎧兜が飾られるんだってね。楽しみだなあ」


 ぴたりと足が止まった。胸の中に沸々と怒りが湧き上がってくる。


「さあ? どうでしょう。飾られないかもしれませんよ。職人が逃げたとかで」


 いつになく固い口調のリリアナにガラハドが目を丸くする。


 あの雨の日――アルティと喧嘩した日から、リリアナはシュトライザー工房に足を向けなくなった。親しい人間と喧嘩するのは初めてで、どう仲直りすればいいのかわからなかったし、これ以上仕事の邪魔をして嫌われたくなかったからだ。


(アルティ……)


 ベッドの上で憔悴した姿を思い出して胸が痛む。ガラハドにはああ言ったが、本心はそうじゃない。リリアナは今も、アルティはやり遂げられると思っている。だからルイが「そろそろ次を考えなきゃな……」と言うのをリヒトシュタイン家の権力で無理やり引き延ばしてきた。最悪はこちらで責任を取ると言って。


 けれど、アルティはまだ金槌を持てないでいるらしい。心が深く傷ついているのだろう。納品期限までにはまだ二カ月以上あるとはいえ、このままでは本当に間に合わなくなるかもしれない。


「……リリアナ、ちょっといい? お茶をもらう前に話したいことがあるんだけど」


 ハッと顔を上げると、ガラハドが真剣な眼差しでこちらを見つめていた。目的地を変え、リリアナの自室に通す。マリー以外の人間は立ち入り禁止だが、ガラハドは別だ。ふかふかのベッドの上に並んで腰掛け、ガラハドの言葉を待つ。


「ここに来る前に聞いたよ。友達と喧嘩したんだって?」


 そうくるとは思わず、体が強張る。一体、誰から聞いたのか。マリーか、セバスティアンか。まさかトリスタンということはあるまい。


「……作る前から諦めると言うから……」


 心の中のもやもやを吐き出すように、リリアナは語った。どんな状況でも諦めないと信じていたのに、できないと言われ、裏切られたような気持ちがしたこと。噂から守るためとはいえ、遠ざけられて悲しかったこと。そして、差し伸べた手を振り払われて、とても傷ついたこと。


 大きく肩を震わせるリリアナを、ガラハドは優しい目で見つめていた。


「その子……アルティ君だっけ? 今まで客の要望に沿って作ってきたんだろう? 今回はその相手がいないんだ。なかなかイメージが湧かなくても仕方がないよ」

「そういう……ものなのですか?」


 リリアナには創作の苦しみはわからない。だから納得できなくても、とりあえずはそのまま受け入れるしかない。ガラハドは嘘はつかないだろうから。


「そうだよ。ただでさえプレッシャーが大きいだろうし、人の嫉妬に触れるのも初めてだろうしね。優れた先品を見て怖くなるのもよくあることだよ。どうしても自分と比べちゃうんだよね。半人前の自分が作ったものなんて、誰にも評価されないんじゃないかって」

「そんなことない。アルティだったら絶対にできるはず……」

「その期待は、まだ十九歳の男の子にはちょっと重いかな」

「お、重い……?」


 声が引き攣った。重い女。恋愛小説でよくあるフレーズだ。まさか自分がそうだとは思いたくない。


「リリアナ。お前も最初は剣なんて振るえなかっただろう。もうできないと泣いて、兄さんによく叱られてたじゃないか。アルティ君のお師匠さんだって、一朝一夕にものを作れたわけじゃない。誰しも弛まない努力を積み重ねて技術を身につけてきたんだよ」

「……でも、アルティは私を変えてくれた。アルティが作るものには、何か人の心を惹きつける力があるんです。だから……」

「確かに、そうかもしれないね。彼はお前を救ってくれたんだろう。でも、彼をなんでもできる英雄だと勘違いしちゃいけないよ。勝手に持ち上げられることの辛さを、お前は誰よりもわかっているはずだ」


 その言葉で、アルティと共に商店街を歩いた夏の日を思い出した。


 どうして忘れていたのだろう。あのとき、リリアナは英雄だと囃し立てられることの苦しみを、他ならぬアルティにぶつけていたのに。


「アルティ君はどこにでもいる普通の男の子なんだよ。それに、まだまだ若い。これから色んな悩みに直面して成長していくんだから。大人の女として見守ってあげなよ。好きなんでしょ?」

「は⁉︎ な、何言って……!」

「いいねえ。姪っ子の恋の悩みを聞けるようになるとは。歳も食うもんだ」

「や、やめてくださいぃ……!」


 きっと話したのはマリーに違いない。楽しげに笑う姿を思い浮かべ、あとで問いただそうと心に誓う。


「少しでも気が晴れた?」

「……ありがとうございます。まだ、ちょっとモヤっとしてますけど……。でも、アルティを信じて見守ってみます。今度は重い女だって思われないように、遠くから」

「そうだね。大丈夫。リリアナの選んだ子だ。きっと立ち直るよ」


 ガラハドは優しく目を細めると、アルティの作った兜をそっと撫でた。


「それにしても、創作者の心情に詳しいですね。知り合いに職人でもいるのですか」

「だって作家だからね。作品を生み出す苦しみは何度も経験してるよ。今まで黙ってたけど、リリアナが愛読している恋愛小説の作者、僕だから」

「えっ」


 呆然と見つめるリリアナに、ガラハドがウインクをする。


「兄さんには内緒にしててね。この歳で怒られるの嫌だからさ」


 飛び跳ねるようにベッドから立ち上がり、本棚から取り出した小説を差し出す。


「サ、サインください……」


 急にしおらしくなった姪っ子の姿に、ガラハドは満面の笑みを浮かべた。

リリアナの自慢の叔父、ガラハド。彼は8部にも出てきます。

次回はレイ視点のお話です。

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