6話 新しい年を迎えよう
大きく開けた展望台の先に、王城の尖塔が見える。
ここは首都から小一時間ほど離れた山上にあるキャンプ場だ。山といっても子供でも登れるぐらいなので、行楽シーズンは常に家族連れで賑わっている。年末の今も例外ではなく、周囲は笑顔を浮かべたキャンプ客で満ちていた。
彼らは手に手にジョッキやカップを持って、早くも宴会を始めている。その中でアルティは寒風を浴びながら、集まった仲間たちに声を張り上げていた。
「はい! じゃあ、ラドクリフさまとバルバトスさまはテント張り、師匠はピザ窯作り、レイは周りに風除けと暖房の魔法紋を書いてもらって、俺はヨハンナさんと料理の下拵え。そのあとはみんなで雑煮作りです。よろしくお願いします!」
それぞれ返事をした面々が方々に散らばっていく。それを見届け、キャンプ場の炊事場に向かうと、野菜を洗っていたヨハンナが胸の前で拳を掲げた。
「八人分の食事なんて腕が鳴るわ。頑張りましょうね、アルティちゃん」
八十年ぶりに息子に会った成果か、それともしっかり休養した成果か、ヨハンナは見違えるほど元気になっていた。さすが頑丈なドワーフだ。
「リリアナちゃんたちは、そろそろかしら?」
「はい。さっき通信機に連絡が来ました。『糧食は全て確保した!』って」
「あらま。頼もしいわね」
クリフの母親とは思えないぐらい優しい顔で、ヨハンナが微笑む。
ヨハンナはシュトライザー工房に来た翌日からクリフの世話を甲斐甲斐しく焼き、体調が完全に回復したのを機に、「息子がお世話になっている皆さんに挨拶しないと!」と張り切って出かけた結果、早くもみんなと顔見知りになっていた。
すでに年末休暇に入っていたハウルズ製鉄所や職人組合。ドクトール病院。果ては近所の職人連中まで、今やヨハンナの名を知らぬものはいないだろう。もちろん工房に入り浸っていたリリアナも同様だ。
その間クリフはずっと苦い顔――というか、くすぐったそうな顔をしていたが、八十年放置していた負い目があるのか何も言わなかった。
アルティの母親も兄や姉たちが就職したときは、張り切って村人たちに挨拶回りをしていたから、母親というものはどこに居ても同じことをする生き物なのかもしれない。
本日のメニューは、キャンプ定番のバーベキューとピザ。そしてクリームシチューだ。クリームシチューはこのあとの雑煮作りでも使うので、大量に作る。
ヨハンナと共に黙々と野菜を切っていると、コバルトブルーの鎧兜を着たデュラハンが両肩に大きな木箱を担いで意気揚々と現れた。
「来たぞ! アルティ!」
「買い出しありがとうございます、リリアナさん。すごい量の肉ですね」
「デュラハンが三人もいるんだぞ。これぐらいいるだろ」
「そうねぇ。うちのクリフもよく食べるし、ドラゴニュートの子だって若いもの。アルティちゃんだってもっと食べて大きくならなきゃ」
ね、と笑みを向けられて、ヒト種は自分だけなのだとようやく気づいた。
「とりあえず、ここに置くぞ」
木箱を作業台に置いた弾みで、兜から垂れたアイスブルーのポニーテールが揺れる。鎧はいつもの芸術品ではなく、夏に依頼を受けてようやく仕上がったものだ。
魔力が強すぎる故にセレネス鋼を使う許可は下りなかったが、その分、氷属性のルクレツィア鋼の割合を増やしてある。自分で作っていてなんだが、新しい鎧はリリアナによく似合っていた。
肩鎧は亀の甲羅のような形を踏襲しつつも小ぶりのものに変え、胴鎧はリリアナの体型に合わせて腰のくびれを大きくした。身軽な方がいいと言うので、下腹部を守る草摺は作らなかったが、スカートが捲れ上がらないように胴鎧の後ろを少し長くしてある。
以前は細やかな装飾がなされた籠手や足鎧もシンプルな細身のものに仕上げ、その代わりにお洒落を楽しんでもらえるように、色々なチャームを付けられる金具をつけた。
そして、全てのパーツには、兜と合わせてピンクゴールドの縁取りをしてある。リリアナが望んだ通りの、全体的に華やかで丸みを帯びた「可愛い」鎧だった。
「どうした? にやにやして」
「いえ、ハンスさんは?」
「テントに酒を置きに行ってる。すぐに来るよ」
言っているそばから、ハンスがエプロンを手にのんびりと歩いてきた。
「今日はお誘いありがとうございます。お邪魔しますー」
「来てくれてありがとうございます、ハンスさん。誘っておいて今さらですけど、ご実家で過ごさなくていいんですか?」
早速、籠手にゴム手袋を嵌め、野菜を器用に切り出したハンスに問うと、彼はいつもと同じ口調で「いいんですよー」と答えた。
その隣でリリアナも背中を丸めて野菜を切り始める。料理は苦手なのか切り口はかなり歪だ。銀杏切りがただの乱切りになっている。見なかったことにしてアルティも作業を再開する。
「去年、兄と姉が立て続けに結婚したんですけど、それで味をしめちゃったのか、お前はまだかって親戚連中がうるさいんですよねー。僕、まだ二十歳なのに」
「へー。ハンスさんなら引く手数多だと思うけどなあ」
「こいつ、王城司書のミランダに惚れてるんだよ。だから他の女は目に入らないんだ」
「ちょっと連隊長! 余計なこと言わないでください!」
横から茶々を入れるリリアナに、ハンスが目を剥いて怒る。
そうしてわいわいと作業を進め、炊事場に野菜の山ができ始めた頃、頬を真っ赤にしたバルバトスが大きく手を振ってこちらにやって来た。
「おーい、アルティ! テント張れたぜ!」
暑い東方の出身だからか、それとも火属性だからか、寒さに弱いらしい。しきりに肩を震わせながら、「なんかあったかいもんくれ……」と訴えている。
「バルバトスちゃん。シチュー味見してくれる? アルティちゃんは、クリフの様子を見てきてくれるかしら。こっちも、もうすぐ終わるから」
ヨハンナに送り出されて、割り当てられたスペースに戻ると、軍用らしい渋いカーキ色のテントが二つ並んでいた。大きいのが男性用、小さいのが女性用だ。
テントの前には、長テーブル一台と折り畳み式の椅子が八脚セットされている。雪が降ってきても大丈夫なように、頭上にはタープが張られていた。
少し離れたところには、炭で火を起こすタイプのバーベキューコンロもしっかりと設置されている。その向こうでは、黙々とピザ窯を作るクリフの背中が見える。
「あれ? アルティ君一人? バルバトスは?」
「シチューの味見してますよ」
「あいつ……。相変わらず寒いの苦手なんだね。新年祭まで首都にいるって決めたのは自分なのにさ」
決闘で優勝した功績として、バルバトスには特別休暇が与えられていた。バネッサや使用人たちは領地に戻ったので、今はマルグリテ家に厄介になっているそうだ。
「エミィちゃんは残念でしたね」
「すごく来たがってたけどね。いくら元気になってもまだ子供だし、風邪引いちゃうといけないから、他の家族と劇場に行くって」
戦後百年の節目だからか、今年は年越しコンサートとやらをやってるらしい。コンサートとはいうものの、家族連れでも楽しめるように、子供向けの演劇もプログラムされているという。
「おーい、ワシもできたぞい」
「えっ、早……。まだ、そんなに経ってないのに」
「さすがだね。一緒に見に行こうよ」
ラドクリフと共に、バーベキューコンロの向こうで手招きしているクリフに近づく。
そこにあったのは、レストランにあってもおかしくなさそうな石窯だった。小ぶりではあるが、積まれたレンガが綺麗なアーチを描いている。とても手作りとは思えない。
「うわあ、なんて立派な……」
「最後に壊すのもったいないよね。これ、このままここに置いて行ったら? 誰か使うんじゃない?」
「あとで管理人さんに相談してみます……」
「アルティー! 僕もできたよー」
スペースの周りに魔法紋を描いていたレイがひょこっと顔を出した。こちらも寒がりなので、もこもこの毛皮を着ている。寒いのは嫌だから暖房の魔法紋を書くと言い出したのはレイだ。
「今から魔力流すから、みんなも確認してみて」
そう言い終わるや否や、その場を暖かな空気が包んだ。
「おお、これはいいのう」
「うん。コートとかいらないね。これならエミィも連れてきてあげればよかったなあ」
「どう? 大丈夫そう?」
杖代わりの枝を持ったレイがこちらに近寄ってきた。
「すごいね。俺、仕組みとかよくわかんないけど、これって空気を温めてるの?」
「ううん。地熱。魔法紋で放出量を調整して、風のベールで周りを囲むと簡易温室みたいになるんだ。よく学校の野外授業で使ったよ」
最終確認をするというレイについてテントの周りを歩く。さすが魔法紋の専門家だ。スペースの中はどこもかしこも暖かかった。
「レイのおかげで全っ然寒くないね。とても外とは思えないよ。まさか、ここは精霊界……?」
「大袈裟だなあ。それに、精霊界なんて縁起でもないよ。あそこは死人しか行けないんだから」
「あ、やっぱりあるの? お年寄りはよく言うよね。死んだら精霊界に行くんだって」
「さあ、どうだろ? 僕もまだ見たことないしねえ。でも、この世界の全てには精霊が宿ってるってのが精霊信仰の要でしょ。魔素だって言い換えたらそうだしね。遺体を焼いた灰を土に埋めるのだって、人から精霊に戻すためだって言うし」
灰になった体は家族や友人たちの手で土に返され、いずれ空に上って精霊界を旅し、またこの世界に生まれてくる。それが精霊信仰の――ラスタの死生観だ。
「じゃあ、俺もいつか精霊になったあと、レイと再会できるってことか。最短で戻ってきたとして……まだ生きてるよね?」
レイは一瞬言葉を詰まらせ、「どうかな」と笑った。
「そのためには最後まで真面目に生きてもらわないとね。悪いことしたやつはそのまま地中の牢獄――地獄に囚われるって言うから」
「それじゃ、大丈夫だ。俺はみんなのそばに居られなくなるようなことはしないよ」
「そばに……」
レイがアルティを見つめる。
「うん、君はそうだね」
何が琴線に触れたのだろうか。よくわからないが機嫌よく鼻歌を歌っている。
それに被さるように、ハンスの声が聞こえた。
「皆さん集合してくださーい! お雑煮作りますよー!」
テントはラドクリフとバルバトスが軍の備品をちょろまかしてきました。




