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10話 空を駆ける流れ星

 だんっ、と地面を蹴って跳ね起きたバルバトスが、ラドクリフを抱えたまま空に舞い上がる。


 飛竜に匹敵するほどの恐ろしい速度だ。鎧に取り付けた拡声器からは体を叩く風の音しか聞こえない。宙吊りになったラドクリフは、なす術もなく呆然とバルバトスを見上げている。


 やがて夕日の中に二つの影が浮かんだ。あっと声を上げる間もなく、錐揉み状態で急降下してくる。


 その直後、激しい振動が会場中を揺るがした。土煙が周囲に舞い、まともに吸ってしまった観客たちが一斉に咳き込む。


 周りにいた魔法士たちが風魔法で土煙を吹き飛ばしたときには、場内に立っていたのはバルバトスただ一人きりだった。


 ラドクリフはぴくりとも動かない。噂に聞くドラゴニュートの逆落としだ。「まさか死んでしまったのでは」とざわめきが起こる中、腰に手を当ててラドクリフを見下ろしたバルバトスが、呆れた声で言った。


「なーに、呆けてんだよ。そんなに空はすごかったか」

「……うるっせぇな。お前はいつもあんな景色見てんのかよ。ずりぃんだよ」

「まあな。でも、俺はお前が羨ましかったよ。ドラゴニュートと同じで、生まれつき強い力を持ったデュラハンなのに、いつも自信満々でどっしり地に足をつけててさ。お前が出す炎はまるで灯台みてぇだって、空を飛ぶたびに思ってた。士官学校の飛行訓練のとき、俺はいつだってお前を目印に降りてたんだぜ」

「恥ずかしいこと言ってんじゃねぇよ。バーカ」


 周囲の目もよそに笑い合う二人に、審判が恐る恐る声をかける。


「あの……。試合続けますか?」

「そんなわけないでしょ。あんなの食らって立てると思う? 降参だよ降参!」


 両手を掲げたラドクリフが、敗北を宣言する。それを聞いてほっとした顔の審判がバルバトスの腕を取って高く掲げた。


「優勝はバルバトス・エクテス! これにて三日間続いた闘技祭は終了となります! 会場にお集まりの皆さま! 全ての選手と彼らを支えた裏方たちに、温かい拍手をお願いいたします!」


 言い終わるや否や会場中は拍手で包まれ、待機していたドラゴニュートたちによって、空から色とりどりの花びらが降ってきた。


 その場にいる誰も彼もが笑顔を浮かべている。

 

 こうして闘技祭とライバルたちの意地の張り合いは、大盛況の中、幕を閉じたのだった。






「よかったですね、リリアナさん。いい試合が観れて」

「本当だな。ドラゴニュートの逆落としを食らって生きてるなんて、ラッドもなかなかやるなあ」

「でも、負けは負けよね。ウィンストンに戻る前に鍛え直してあげなきゃ」


 拳を握りしめるマリアに、リリアナが引いた目をしている。駐屯地の破壊神だった元上官のしごきを思い出したのかもしれない。


「連隊長―! そろそろ閉会式始まりますよー! 戻ってきてくださーい!」


 バトルロイヤルに出場していた面々を連れたハンスが、観客席の下からリリアナを呼んだ。あたりはすっかり日が暮れている。閉会式には興味がないのか、気の早い観客たちの中には、すでに帰り支度を始めているものもいた。


「これ以上抜けるとまた怒られるな。そろそろ行くよ。また飲みに行こうな、アルティ」

「ええ、また。お仕事頑張ってください。そろそろ俺も城の工場の片付けに戻ります」


 手を振って観客席から飛び降りるリリアナに手を振り返し、アルティも椅子から立ち上がる。早く戻らないとクリフにどやされてしまう。急く気持ちを抑えながらエスメラルダに挨拶をする。


「エミィちゃんも、またいつでもうちの工房に来てね。……ってあれ?」


 顔を合わせようとするも、エスメラルダはマリアの体に隠れて、いやいやをするように出てこない。身に覚えはないが、何かしてしまったのだろうか。


「気にしないで。女の子にはこういうときがあるものよ」


 よくわからないが、母親が言うならそうなのだろう。頭を下げて踵を返そうとしたとき、マリアに「アルティくん」と呼び止められた。


「はい?」

「リリアナだってね、ああ見えて女の子なのよ」

「え? あ、はい……?」


 困惑するアルティに目を細めて、マリアは夫と娘を連れて闘技場を出て行った。アルティはしばしその背中を見つめていたが、ハッと我に返り、外の工場に急いだ。


 しかし、中はすでに空っぽになっていた。あれだけいた職人たちも人っ子ひとりいやしない。もちろんクリフの姿もだ。工具ひとつ残らず綺麗さっぱり消えている。


「ええ……。置いて行かれた……」


 呆然するアルティの背後から「よう、アルティ」と聞き慣れた声がした。


 振り返ると、ラドクリフに肩を貸したバルバトスがさっぱりした笑みを浮かべて立っていた。どうやら仲直り……というか本来の姿に戻ったようだ。


 大人しくバルバトスの肩を借りたラドクリフも、もう尖った空気は出していない。お互い言いたいことを吐き出してスッキリしたのだろう。ここにリリアナがいれば、さぞかし冷やかしたに違いない。


「もしかして、お師匠さん先に帰っちまったのか?」

「見ての通りで……。バルバトスさまたちは? 閉会式に向かわれるんですか?」

「いや、俺たちこれから飲みに行くところなんだよ。毎年行く穴場があってさ。閉会式なんてかったるいもん出てらんねーしな」


 ラドクリフが「そうそう」と頷く。仮にもトーナメントの優勝者と準優勝者なのにサボっていいのだろうか。


「お酒なんて飲んで、体は大丈夫なんですか?」

「治療魔法かけてもらったし、体はもうなんともないんだ。でも、ちょっと足捻っちゃったみたいでさ。打撲って切り傷みたいにすぐ治んないんだよね。いくら穴場って言っても、待ってる間に店がいっぱいになっちゃったら嫌だから肩借りてるってわけ」

「やろうと思えば一気に治せるんだけどな。その代わりスッゲェ痛ぇんだってよ」


 聞けば、傷んだ筋肉を修復するときにえげつない痛みを発するのだそうだ。怪我は職人にもよくあることとはいえ、できれば経験したくない。


「よかったらアルティ君も一緒に行かない? たまには男同士で飲もうよ。お酒強いんでしょ?」

「それなりに飲めますけど……。お邪魔していいんですか?」

「いい、いい。この鎧作ってもらった恩もあるしな。今日は奢るぜ」


 人にご馳走してもらう酒ほど美味しいものはない。即座に「ありがとうございます!」と返すアルティに、「君って結構現金だよね」とラドクリフが笑う。


「じゃあ、行くかあ。アルティ、ちょっとこっち来い」

「え?」


 手招きされて近寄ると、後ろから胴を抱き抱えられた。この体制には既視感がある。


「ちょっと……!」と声を上げるより早く、両足が地面から浮いた。


 そのまま、ぐんっと景色が後ろに流れていく。エクテス領に連れて行かれたときよりもゆっくりだが、空を飛んでいることには変わらない。予想もしていなかった展開に声も上擦る。


「うわわわわ! 飛んでる! 飛んでるう!」

「そりゃ飛んでるよ。ドラゴニュートと一緒だもん」

「そうそう。空を飛んでこそドラゴニュートだからな!」


 朗らかに笑う二人に恨めしい気持ちになる。ぶらぶらと揺れる足と眼下に広がる街並み。そして、耳元で鳴る風の音に恐怖心が掻き立てられ、思わず目をつぶる。


「アルティ君、大丈夫だから目を開けてごらん。見ないのはもったいないよ」

「でも……」

「大丈夫だって。俺は絶対落とさねぇし、もし落としても、すぐに拾ってやるよ」


 魔物使いのエトナと同じことを言うバルバトスに、つい口元が緩む。空を飛べる種族にとっての決まり文句なのだろうか。


 勇気を出してそろそろと目を開く。その途端に息を飲んだ。目の前に広がっていたのは、徐々に空を覆い尽くしていく濃紺色のカーテンと、早くも瞬き始めた星々だった。


「綺麗でしょ?」


 声もなく頷くアルティに、バルバトスが肩を揺らして笑う。


「よーし! 速度上げんぜ! 今度は気絶すんなよ!」


 バルバトスの宣言と共に、耳をくすぐる風の音が強くなった。隣でラドクリフが子供みたいにはしゃいだ声を上げる。


 それにつられてアルティも歓声を上げた。ヒト種の身では決して得られない感覚だ。込み上げる高揚感に飲まれ、さっきまで確かに感じていた恐怖は綺麗さっぱり消えていた。


 灯り始めた市内の明かりが、まるで蛍火のように揺らめいて見える。


 この光景を、きっといつまでも忘れないだろう。


 アルティたちは今、首都の上空を駆ける流れ星になったのだ。

エスメラルダの様子がおかしかったのは、アルティに失恋したからです。

5部ではクリフの母親が襲来し、年越しイベントが行われます。

引き続きよろしくお願いします。

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